2018年6月7日木曜日

39歳の6月7日

18歳だった私は、カウンセラーになることを夢見た。

私が夢見たその原点には、自分の体験が根底にある。

今日(6/7)、昼間少しだけ出かけた時、ちょうど小学生たちの下校時間と重なった。

信号の向こう側に小学校1年生2年生と思しき何人かの子どもたちがじゃれ合ってるのが見えた。

本当に小さな体だった。

その子どもたちの体の小ささを見て胸が詰まりそうだった。

私がカウンセラーを夢見た最初の原体験と重なった。

これは正直なところ、私自身もよくわからない。

そんな年の時に「カウンセラーになりたい」なんて大人びたことは考えなかった。

だけど、その小さな体で、私は自分1人で全てを抱え込んだ。

誰にも言わなかった。

相談もしなかった。

自分の身に起きたことは、起こした子たちと私の間だけのこととして、もう体も心も限界に達してたにも関わらず、私は家に着く頃には何事もなかったかのように振る舞った。

それを何回自分の日常で繰り返したのかわからない。

当時の記憶は、楽しい記憶などほとんどなく、そうした自分で自分を守ることとか、それにまつわる忌まわしい出来事しかない。

少し話が変わるけれど、ホロスコープの中に月星座というものがある。

その性質は無意識を司っていて、年齢で言うと0〜7歳の頃に形成される。

私にはその自分の月星座が何十回と読んでもしっくりこない。

色んな人たちの解釈も読んだ。

でもしっくりこない。

理由はわかる。

その年齢域の私は、自分の身を守ることに全力を尽くした。

外の世界は全くもって不適応な上、さらに非常に陰湿で暴力的ないじめがあって、そして家に帰れば親に心配かけてはいけないなどと考え家の中のキャラクターの自分に切り替えて。

そんな訳のわからない時間を過ごしてたから、だから私は無意識を育むより先に自分の安全意識を強くすることに全力で挑まないといけなかった。

私の心の中は毎日戦場のようで、ある意味片時も気が休まらない感じだった。

今日横断歩道で小さな子どもたちを見て、あんな小さな体でそれだけの傷を背負えばそりゃおかしくもなるわと思った。

そしてそんな小さな体で自分を守ろうとした子どもの頃の自分に心から感謝した。

ここまで連れてきてくれてありがとう、そんな気持ちでいっぱいだった。

私は中学に入ってからもまたよくわからないいじめに遭った。

この時も私は基本的に1人で全部抱え込んだ。

3月に潜在意識に刻まれてる過去の傷を取り除いてもらった時、当時のことも出てきた。

セラピストの人から出た言葉は「支援なし」だった。

あぁ…と思った。

そう、当時も1人で抱え込んだわけだから、「支援なし」はまさに私の心の声だった。

子どもの頃の私、小学生の私も中学生の私も、いじめられることはとても恥ずかしいことだと思っていた。

そしていじめられるのは、私にいじめられる何かしらの理由があるからだと思った。

そういう恥ずかしい気持ちや自ら人から好かれない自分を誰かに言うなんて、とても怖いことだった。

もっと否定されても困るし、同情されても嫌だし、励まされても嫌だった。

じゃあどうして欲しかったのかと言われるとわからないけれど、そのどれでもない何かを求めたけれど、それをどこに誰に求めていいのかもわからなかった。

そしてこれ以上抱えきれないものを抱えるくらいなら自分1人で抱え込んだ方がましだと本気で思ってた。

今思うと、本当にメンタルがよくもったなと思うけれど、はっきり言って心は死んでたも同然だった。

そういう体験が18歳までの間に合計4〜5年分もあったわけで、私がカウンセラーを夢見たのはその自分の居場所の無さや1人で抱え込まなければいけないことのしんどさを何とかしたかった、そういう子どもの頃の自分の気持ちがあったから。

そうした体験がなければ、私は絶対にそういう道は選ばなかった。

そして18歳からその倍以上の21年が経過した今、やっぱり心のケアをやっていきたいと今日改めて思った。

どうしていいか訳のわからなかった時間はとりあえず終わりに近付いていて、30年以上の自分の心のケアキャリアを今自分のためだけじゃなく、人のためにも使えるなら使いたい、本当にそう思うようになった。

筋金入りの体験+大人になってからも数々の意味不明な心の痛みの体験のおかげで、私の場合は並々ならぬセルフケアの練習の機会を得た。

オーダーなんかしなくとも、勝手にそういう機会が自分の元にもたらされた。

しかも元来の人には相談できない症候群のおかげで、1人でケアする力だけは年を重ねるごとにどんどんついた。

人に相談できない、話せないのは、相手を信用してないからじゃない。

それを話した時の相手の反応の想像がつかなくて、それが怖くて言えないだけ。

私は自分が人の話、それも墓場まで持っていくような話を聞く時に、どんな顔をして聞いてるのかは知らない。

だけど、そういう話を告白することがどれだけ勇気の要ることかは知ってるから、相手が出した勇気には最大限敬意を自然と払っていると思う。

寄り添えばいいのか、その出来事に一緒に怒ればいいのか、又は悲しめばいいのか、相手が望んでることはわからない。

だけど、聞く前と聞いた後で私はその人に対して変わらないということだけは徹底している。

当たり前だけれど、その人の痛みなんて代わってあげられないし、一緒に抱えることさえできない。

でも人生の中で一瞬、本当に一瞬お互いに隣りに居合わせたそのことが奇跡だから、それに対して一期一会の精神でその場に佇む。

1人1人が抱える心の傷に対して、私は自分ができることは本当に何もないと思っている。

それは過小評価とかそういうことではなく、その人が抱えたものに対して本当にできることは他人じゃなくてその人自身がその鍵を持っているから。

せいぜい私にできるのは、その人にきちんと自分を癒す力があると最後の最後まで信じること、そしてそのことと、その具体的なステップとして知ってることをただ伝えること、それに限ると思う。

これは30年以上のキャリアを積みまくった今だから見えてきたこと。

そして今日、ここまでようやく来れたんだなと思った。

21年前の朝通った道と同じ道を通った。

同じように青空で、そして同じように新緑の緑の木のトンネルの下を通った。

私はこの21年の中で積み重ねた多くのものを今見ている。

そしてその後、小さな子どもたちが子どもの頃の私の姿を連れてきてくれた。

18歳の私も単なる通過点でしかなく、本当はあんな小さな体の頃から自分で自分を守ることに全力で頑張ってたんだなと思ったら泣けてきた。

自信がないまま大人になったけれど、今は逆に子どもの頃の自分から自信がもらえる、そんな気がしている。

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