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2017年12月10日日曜日

習慣のすごさ


9月の中旬に入る前から始めた墓参り。

仕事のある日は仕事の前に、休日は出かける前にさっと立ち寄る。

外に一歩も出る用事のない日でも墓参りにだけ行く日もある。

だから意図的に墓参りに行かなかった日は、初雪が降った日。

そしてついこの間も行かなかった日があった。

行けないわけではなかったけれど、行ったら数分の遅刻は免れそうになかった。

冬恒例の道路工事が始まって片側通行が数か所その前の日から発生したから、その数分のロスを計算すると、多分間に合わない。

さすがに墓参りに行くために遅刻するのはどうかと思い、その日は断念した。

行かないと決めたものの、こうも毎日行っていたから行かないことが非常に気持ち悪かった。

初雪の日は行かないことよりも、今年が10年ぶりの運転から数えて2回目の冬だから、運転に集中することでいっぱいいっぱいだった。

だけど、その行かなかった日は道路に雪がなく、心は自由に思考していた。

ふと「そうだ、この車の中で心の中でそっと手を合わせたらいいんだ」と思い付いた。

文字通り私は運転しながら、心の中で手を合わせていつもと同じフレーズを心の中で唱えた。

やりながら、冬場雪で墓参りができなくなったら毎朝こうしようと決めた。

その手を合わせていた時、「これが心の中で手を合わせる」という行為だということに気付いた。

お墓なんていうのは残された人たちが先祖と向き合うための形として設けられたものだから、お墓を持つことが大事なんじゃなくて、本当の意味でお墓参り又は先祖供養をしたいのであれば、日々心の中で手を合わせることが大事、と説いた神職の方がいた。

ごもっともと思ったけれど、いかんせん「心の中で手を合わせる」なんてことしたことがなかったから、どうするのかなんて実際のところ全然わからなかった。

だけど3ヶ月近く墓参りを続けているとこれまた不思議で、手を合わせることが当たり前になってくる。

そして私はまた相変わらず祈りというよりも我欲全開の願いを唱えてくる。

それをお墓がなくても自分の心の中で実践すればいいだけだから、今度は迷うことなく手を合わせることができるようになった。

100回近い回数をこなすようになると、こうして意味不明でできないと思っていたこともできるようになるんだなと感動さえ覚えた。

習慣のすごさを思い知った。

ちなみに全てにおける因果関係はさっぱりわからないけれど、平穏無事でいられることやその中でも不思議としか言いようのない数々の出来事や出逢いに遭遇している日々の中で、やっぱり墓参りは大事な役目を果たしてくれてるんじゃないかと思っている。

お墓前の道 2017/12/10晴天!

お墓前から撮影 2017/11/28 朝出勤前




2017年10月31日火曜日

新しい靴

10月の最後の土曜日、新しい靴を1足おろした。

買ったのは真夏の東京でだった。

その靴は願掛けのような意味合いも含まれていた。

買った時に、その靴を最初に履くシーンを決めていた。

そのシーンが本当に現実のものとなるかは当時は不明だった。

でも現実に起こって欲しかったから、私は願掛けでその靴を買った。

 

結局願掛け通りに現実は動かず、ずっとクローゼットの中で靴は出番を待っていた。

このままいくと、冬を越えて春になってしまうことは目に見えていた。

願掛けしたことが叶うまでさらにずっとクローゼットの中…というのも何だか嫌だった。

そんなこと言い出したら永久にその時はやってこないんじゃないかという懸念まで出てきた。

せっかく自分のところにやってきた靴なんだから、今日履いて行こう!と決めて昨日おろした。

 

どこに履いて出かけたかと言えば、お墓だった。

 

1ヶ月半くらい欠かさず毎日お墓参りをしている。

お墓参りの効果がどれほどかは知らないけれど、色々と助けられていると思う出来事にこの1ヶ月半たくさん遭遇してきた。

何でお墓参りにその靴だったかと言えば、お墓参りで祈ることとその靴に当初願掛けしたことに共通点があったから。

願掛けは一方通行で終わってしまったけれど、それらすべてを陰で支えてくれてたと思しきお墓や3人のご先祖に対し敬意を払う意味も込めて、それで昨日その靴を履いてお墓参りに行ってきた。

 

いつもは朝仕事に行く前に慌ただしく手を合わせてくるから、何も予定のなかった昨日(2017/10/28)はいつもより長くお墓の前に手を合わせてあれこれ思い付く限りのお礼を心の中で唱えた。

そしてしっかりと願いも託した。

 

それこそ毎日お墓参りに行ったことで1つ気付いたことがある。

祈りを唱えている時や唱え終わる時、「きちんと届いてますよ」という意味なのかと勝手に解釈しているけれど、風が吹いたりその時だけぱっと太陽の光が雲の合間から出てきたり、時にはその時にしかない音が風と共に運ばれてきたりする。

お墓を離れるとそれらはぴたりと止む。

毎日ではないけれど、そういう日の方が圧倒的に多い。

毎回不思議だなぁと思いながら車に戻る。

自分の中ではちょっとしたパワースポット化しているお墓に行くために新しい靴をおろすというのもありだなぁと思ったから、昨日迷わずそうした。

 

その新しい靴は、おしゃれ靴だから次履く時がいつかは今はまだ知らない。

だけど、買った最初の時に願掛けしたそのことが、いつかの未来に本当に起こってくれたらいいなぁと今も同じように願っている。

2015年10月14日水曜日

何度も見上げた天井

1年前の8月の終わり。

わたしは人生のお休みの切符を手に入れた。

すぐに失業保険がもらえるとは思っておらず、そのまさかの失業保険がすぐに下りるというのを

仕事の期間が終了する前日に聞いた。

あれから1年1ヶ月、結局ずっと半引きこもりのような生活を送った。

ちょっとは人に会っていたし、週の半分以上は1時間コースの散歩に出ていたし、スーパーの巡回

は楽しく行っていたし、全くの引きこもりというわけではなかったと思う。

ただこんなにも長く人とほとんど会わない生活を送ったのは人生で初めてだった。

そして、社会の中で自分を紹介する時に使う肩書はゼロになった。

何の役割も持たない自分というのを最初は楽しみ、途中からは焦ったり開き直ったりしながらの

日々を過ごしていた。

自分の次の一歩がずっと見えなくて困っていた。

1年1ヶ月の半引きこもりになって見えなくなったのではなく、もうやおらそろそろ10年コースでの

迷走を続けていた。

この1年1ヶ月の間も、何度真っ白い天井を眺めたかわからない。

天井を眺めたって答えなんて降ってこない。

もちろん閃いたりもしない。

ただぼんやりと時が過ぎて、ぼんやりと自分を眺めて、飽きたら他のことを始めて。

ずっとそんな繰り返しだった。

このまま80歳のおばあちゃんになるとは思わなかったけれど(現実の生活が回る保証があれば

そうも考えたかもしれない)、かと言っていつどのタイミングで何かをしたくなって動き始めるのか

皆目見当もつかなかった。

今日も天井は何も答えてくれない、などとあほみたいなことを大真面目に思った日は1日2日じゃ

ない。

もっともっとたくさんある。

嫌なことに向き合いたくない時も床に寝転がって天井を見た。

寝転がっても何にも変わらないってわかっていても、すべて投げ出したい以外の気持ちが湧かず

1人悶々としたことも数え切れない位あった。

今一気に動き出して、天井を見上げる時間はゼロに近くなった。

単純に暇があまりなくなった。

今のやりたいこととやりたくないことの両方+生活を織り成すだけで、1日が目一杯になる。

それ故に天井を見上げなくなっただけで、また見上げるチャンスが生まれたら見上げるだろう。

もちろん今も天井を見上げたって何にも答えなんかないし、閃きも生まれない。

だけど、天井を今こうして書きながら見上げると泣きたくなってしまう。

天井を見上げてばかりいた当時の自分を思い出し、色々彷徨いまくって訳分からなくて、いっぱい

色んなものを見失っていたように感じていた当時の自分がふと出てくる。

自分で「よくがんばったなぁ」と思う。

世間的には何もせず、理解ない人たちからはたくさんの批難も浴び、それでも自分の中で色々と

納得できずにじっとしていて、苦しい気持ちも理解して欲しい気持ちも、たくさんたくさんあった。

なんだかえらい孤独だなぁと思ったことも一度や二度じゃない。

それでもある時、それはものすごく意外な形で天井を見上げる生活にピリオドが打たれた。

天井を見上げていた時には思いもつかなかったものが人生に流れ込んできた。

その流れ込んできたものを動かすためにも、今再び働きだした。

働きたいから働くではない理由だけれど、それでも今のようにやりたいことを支えるために働く、

っていうのも有りだなと思う。

いつか今の場所を去る日がくる。

もちろん真っ白い天井ともお別れする。

それでもそのいつかは、この天井にものすごく愛着が湧き、感謝の念さえ覚えるのではないかと

思っている。

2015年10月8日木曜日

リズム作り

今、自分のリズムを作っている。

食べる仕事と書くことの両立ができるよう、そのリズムを日々作っている。

書くことに全力を傾けられるよう、毎日家に帰ってから書く時間を設けている。

本当に書く必要のあるものはまだ着手していない。

でも、このブログともう1つのブログをひたすら綴る作業は、今日入れて丸4日続けている。

最初は、2つのことをやるなんて無理だと思っていた。

やれなくはないだろうけれど、すごく心にも体にも負荷がかかるような気がしていた。

無理に書くようになるのだけは絶対に避けたいとも思っていた。

「書かなければいけない」の「~ねばならない病」にだけは絶対にかかりたくないとも。

ところがあたふたと何のリズムもないままに始まった新しい生活の時間割。

「やればできる」ことが少しずつ体験を通じてわかってきた。

そして書くことも嫌になるどころかむしろ楽しく書いている。

もっと自分を追い込むのかと思いきや、そうでもない。

リズムは少しずつ変化しているけれど、今のところとりあえず元気だし毎日仕事も行って、

帰ってから文章書いて、そしてごはんも手抜きであっても作っている。

なんとなく、なんとなく、の小さなリズムを刻み始めている。

文章を毎日書こうと思っているのには理由がある。

以前、その時はどの位、「書くこと」から離れたのか思い出せないけど、離れたことで随分と感覚が

鈍った感じになった。

いつでも書けると思っていたのに、感覚は少し違う。

例えば今この文章を書きながら、わたしはほとんど頭を使っていない。

自分の中から出てきたものをひたすら打ち込んでいるだけ。

前回感覚が鈍ったと感じた時というのは、こういう感覚が薄れていた。

代わりに、1つ1つ言葉をするのに頭を使い、言葉も組み立てて、それで文章を書いていた。

あの感覚は気持ち悪い。

「書いている」というよりも、言うなれば子どもの頃に書かされたような読書感想文みたいな、

無理矢理何か枠に当てはめて文章を書こうとするような、あんな感じだった。

このブログもそうだし他のブログもそうだけど、すべて一発本番で書いている。

下書きもしないし、まぁたま~にするけれど、それは自分の中にあるものがあまりにごちゃごちゃ

し過ぎていて言葉にうまくできない時がほとんど。

言葉にできるのなら、そんなことする必要がないから下書きはしない。

浮かんだら浮かんだものをそのまま、ぴたっとくる言葉に置き換えてあげたらいい。

その感覚を保つために、とにかくこのブログともう1つのブログは書いている。

そしてそれが今のわたしの色んなことに結びつくことだから、そのためのリズムを作ることにも

珍しく積極的に動いている。

普段ならこのリズム作りは大嫌いなことの1つだ。

だけど、今はリズムを作る方が自分にとって心地良いと思っているから、自然とその方法を探り

そしてピンときたものを形にしている。

2015年7月30日木曜日

本のダイエットからの徒然

もう何回目の本の断捨離だろう。

だいぶ少なくなってきたとはいえ、まだまだ手元に残っている。

今回改めて5冊手放す。

今一体何冊あるのか数えてみたら、その5冊を除いて45冊だった。

最終的には30冊を目標にしたいなぁと思ってる。

この2~3年で行った物の断捨離を通して、どうしても手放せないものがあると気付いた。

死ぬ日の瞬間を思えば、本も、断捨離できずに手元にあるものも、何一つ自分と一緒に持って

行けるものはない。

本はなんとなくまだイメージが湧く。

いつかは全て手放すなり欲しい人に譲るなりするだろう。

わたしが手放せないものはそこにストーリーがあって唯一無二のもの、世界にたった1つしか存在

しないものたちだ。

思い出の品の時もあるし、10代の頃に着倒した服の場合もある。

服はもう自分で袖を通すことはなくても、布のデザインが気に入っていて2枚だけ手元にある。

元々60年代70年代の古着で買ったもので、わたしはそれを手にしてから今日に至るまで、

ただの一度も同じデザインの服を見たことがない。

断捨離関係の本を読むと、服にしても思い出の品にしてもそういうものこそ手放しなさいとある。

決して過去に執着しているとかではない。

それらを手放したところで、一瞬は心に隙間風が吹くかもしれないけれど、またいつもの日常に

戻っていくだろう。

書いていて嘘だと思った。

いつもの日常に戻るのは本当。

でも隙間風が吹くでは済まない。

執着しているのとは違って、言うなれば手元に残しているものは日記帳に近い存在だ。

その時その時で書き記した自分は、今の自分がどんなに記憶力を抜群に発揮したとしても、

やはりなれない自分だし戻れない自分だ。

普段はよく忘れるけれど、そしてこのブログを書いている時もそんな風に思うことは一切ない

けれど、日記を書く時だけは「今この瞬間しかない自分」をものすごく近くに感じる。

手放せない唯一無二のものたちにも同じ気持ちを抱いている。

別に過去に戻りたいとか、その時のことを今もずるずる引きずっているとかではない。

でも、もうその時にいた自分はそこにしかいない。

今のわたしではないし、未来のわたしでもない。

多分何かとても大きな変換でもない限り手放さないだろう。

それなら「手元に残す」ことを前向きに決断する方が早いかもしれない。

断捨離の本たちはたしかに色んなことを教えてくれたし、実際にそれであれこれ色んなものも

手放すことができた。

でも、それ以上はできないという自分の中の禁断の域がある。

それは手放すことで解決するものではなくて、残すことが逆に解決になるのかもしれない。

今書いていてそんな風に思った。

2015年6月15日月曜日

24時間365日自分じぶんじぶん

社会的役割から降りて、今月が10ヶ月目。

月を追うごとに会う人の人数が減る。

平気で2週間3週間誰にも会わない、ということも年が明けてからは増えた。

人と会うことも話すことも好きだけど、なんとなく今は別の風が吹いている感じがする。

言葉で表現するのは難しいけど、今毎日目にする自分自身は「こういう私は存在しないことに

したいです」とばっさりと切り捨てたくなる自分だ。

もう逃げられない、道は前にしかないのに後ずさりする、かと言って後ろにも戻れない、

前に進むのは色んな意味で怖すぎる、ダメな自分でいる方が気楽だったりもする、

そういう自分との時間が今のようだ。

これは一人でいてわかることだけど、わたしの場合は他人からの影響で気持ちが揺れ動くよりも、

自分自らの影響で気持ちが揺れ動く方が大きい気がする。

良くも悪くも、「他人は所詮他人」という考えが根強くあって、たとえ他者との間に不愉快なことが

あっても、最終的には「逃げる」手段もあるし、なんとなく適当にごまかせたりもする。

だけど、これが対自分の場合はそうもいかない。

自分から逃げるというのは手段としてあったとしても、24時間365日死ぬまで一緒な自分から

そんなに簡単には逃げさせてもらえない。

自分で自分をごまかしても、そのつけはしっかりと自分のところに戻ってくる。

要りません、返品します、というわけにもいかない。

受け取り拒否したところで行き場もないから、宙をさまよう結果になる。

今まさに「もういいよ、この自分でいいよ、この自分でこれからもいくよ」という覚悟を問われている

気がしてならない。

2015年6月9日火曜日

自分の書く文章

元祖ブログデビューは、実はこのブログじゃなくてmixiの日記の方。

今はmixiの代わりがこのブログのような感じになってる。

昨日mixiの方に書いたと思われるある日記を探していた。

日記と言うよりも、過去に一度だけお会いした人生の大先輩の言葉を探していた。

一発で探しあてられるようなものじゃないから、いくつかの日記を開いては閉じ開いては閉じを

繰り返した。

ただ開くだけのつもりだったけど、読み出したら面白くてついでに開いたものは読んだ。

このブログもそうだし、mixiのブログもそうだけど、基本的に力が入っていない。

mixiに書いていた当時は、今よりももっともっと力の抜けた感じで思ったままを書いていた。

それを読んでいて、自分の中でどうしよう状態になってるアメブロの問題点が浮き彫りになった。

アメブロの方は、ひたすらコーチングやNLP(神経言語プログラムという名の一種の心理療法)を

通して自分が学んだことを書いている。

実用的に、そして願わくばそれで自分の仕事の確立を!などと思って書いてるだけあって、無駄な

力をありったけ込め過ぎておかしなことになってる。

文章がおかしいとか内容がおかしいとかではなくて、書いてる自分の状態がおかしな感じ。

力がめきめきと入ってるのはわかる。

書いていて誰に書いているんだろう?と余計なことも考えてる。

そんなこと思ってるからおかしくなるんだろうと思う。

多分、わたし自身の一番の強みは、無意識でぽんぽんと発言している時だと思う。

他人の目も気にならず、支離滅裂だろうが気にならず、聞く人が聞いたらぶっ飛んでる内容でも

それでもその時に感じたことをそのまま口にしている時が一番ストレートなはず。

友達が時々教えてくれる。

「あの時のぶっしーが言った○○という話だけど・・・(続く)」

自分で言うのもおかしいけど、実に良い話をしている。

自分で自分がした話を第三者から聞いても、良い話だなぁと思ってる能天気さ加減。

何度か「それ、本当にわたしが言ったの?」と聞いて怒られたことがある。

「自分で言ったのに覚えてないの?」

「覚えてない」

といった具合。

mixiの日記を読んだ時に同じことが起こっていた。

わたしは何かを意図して書いたのではない。

なんとなく自分の中に残ったことをそのまま書いただけ。

起こった出来事を言葉に書き起こしただけ。

にも関わらず、それを読んでくれた人たちのコメントを読んで、それが第三者にはどんな風に

伝わっていたのかが今になってわかった。

どストレートに、直球一本勝負と言わんばかりに、ただただあったことを書く。

そういうスタイルで、どんなタイプ(内容)のことも書けたらいいなぁと思う。


追記:好評(?)だったmixiの日記⇒ 『胸キュンフレーズ』 2011.12.9

2015年6月8日月曜日

あれから18年

18年前の6月7日というのは、わたしの人生において大きな転換期の出発の日だった。

「門出」という言葉がぴったりな日だと今でも思う。

日曜日だった昨日は、すっかりのんびりだらけモードであまり意識することもなかったけど、

そういえば今日だったなぁと思った瞬間は何度かあった。

ただし、18年も経つと、当時のことは断片的にしか思い出せなくて、ところどころ印象的な部分

だけがそっと記憶に上ってくる。

あの時のわたしと今のわたしは、同じ部分もあるし変化した部分もある。

気付いたら今になっていたと思う時もあれば、18年前がうんと昔に感じることもある。

あそこにわたしは本当にいて、そして18年という歳月をしっかり歩んで、それで今という瞬間に

いるけど、時々自分がどこにいるのかわからなくなる時がある。

18歳のわたしが36歳のわたしの姿の想像なんて到底できるはずもなく、そもそも36歳という

年齢の領域なんて想像する対象にすらなっていなかった当時。

本当に知らぬ間に36歳になっていた、と言っても良い位だ。

18年駆け抜けてみて、この18年はひたすら何かに導かれてるように進んでいた感じはある。

他にも大きな転機がいくつかあったけど、そのひとつひとつなんて一体どうやってわたしは最初の

情報を得ていたのだろうと思う。

例えば、その2年後にわたしはまたもや大きな引っ越しをするのだけど、それだって最初どこで

その情報を手にしたんだろう。

そこに関わった人たちは憶えていても、最初の小さなサインはどうやってもたらされたのか、

今となってはさっぱり思い出せない。

周りでその情報を持っている人は誰もいなかったから、自らその情報に行き着いたはずだけど、

それをどこで見聞きしたのか記憶がごっそりと抜け落ちている。

そんなことの連続だった、この18年。

この18年、すっと飛び込んでくる情報は、いつも突然だし探してもいない時に来ている。

情報とぱっと出くわす、みたいな感じだ。

スーパーに買物に行って、「あら今日は○○が安いのね」位にその時になって突然知る、

そんな風だ。

ここ数ヶ月、自ら探して行き着いた情報たちがある。

なんだろう、探して行き着いているものは、いつもどこかが違っている。

探さないで勝手にやってきた情報とはだいぶ違う。

18年後の今は、なんとなく本命のものが来てない感じがしている。

それも手伝ってこの18年がどんな風だったかをあれこれ頭の中をひっくり返して思い出して、

その感覚と今とを比べて「多分何か違うのかな…」と感じている。

感傷に浸るでもあの時は良かったでもなく、とにかく「GO!」と感じるあの感覚を、自分の中に

ある感覚をひたすら探り当てている。

2015年3月29日日曜日

書くことの今

手相家の人に「武士俣さん、書くことをしたらいいですよ」と言われたのが多分3年前。

その時は、たしかに書くことは好きには好きだけど、

それと現実の中での方向性がさっぱり結びつかなかった。

3年程経った今、あぁこんな風に「書くこと」が変化するんだということを少しずつ実感している。

今3つのブログを持って、書くことに関しては知らないうちにそれが自然なものになった。

『光の図書館』はずいぶんゆっくりペースではあるけれど(汗)。

最初の違和感を思い出すと、今は書く時に違和感は一切ない。

パソコンを前に、下書きもせずただただ思うままに綴る。

回数重ねると習慣になるとは、本当にこういうことを言うんだと思う。

1回1回書く時間は少ないけど、これまで書いてきたすべての量を見ると、

こんなのを例えば1日とか1週間で書けと言われたら無理だなと思う。

それが小さなことでも積み重ねると、塵も積もれば山となる状態に発展してくれる。

で、今、「書くこと」に違う意味合いが加わってきた。

これまでの「書くこと」は、自分の中のものを伝えたり吐き出す手段というのが主だった。

もしくは、備忘録的な感じでしかなかった。

ところがここにきて、「書くこと」で人と繋がり出している。

書くことが人と繋がるだなんて思ってもみなかったから、とても驚いている。

まさか手相家の人も、そんな風になってるだなんて思ってなかっただろう。

本当にこの1ヶ月位の話だ。

2月に書いた『世界は繋がっている~シュウマイの包み方より』に出てくる方に、

わたしはあの後正式な読者登録の申請とメッセージを送った。

期待もしていなかった返事がもらえて、それだけで当時のわたしは舞い上がりそうだった。

その方から今日ブログの方にコメントが来ていて、

ブログを引っ越しました、ということで引っ越し先のアドレスがあった。

ものすごい読者数の方だと思う。

先日、たしかに今のブログを辞めるというようなことは書かれていた。

それっきりアップもされず、残念に思っていた。

元々のブログには、引っ越し先のアドレスなんかは一切書かれていなかったから、

もう読めないなんて残念・・・と思っていただけに喜びもひとしおだった。

どこの誰とも知らないようなわたしに、わざわざ引っ越しのブログを教えてくれたというのが

本当の本当にうれしかった。

こんな風に繋がるなんて、シュウマイの時には想像もつかない話だ。

さらにもう2人ほど、「書くこと」で想像もしていなかったことが起こった方がいる。

1人は『自分のできないことが財産になる』に登場するパソコンに詳しい方。

わたしはこの方のメルマガも登録して、今もあれこれと色んな情報を得ている。

いつだったか、その方のメルマガの感想をブログのコメントに書いてくださいというメールが来て、

それは本当に世話になったから書いたのと、1つ質問があってそれも含めてコメントを書いた。

質問にもご丁寧に迅速に対応してくれた。

ただコメント欄は、感想&質疑応答でいっぱいになっていたから(300近い数になってる)、

個人的にお礼のメッセージを書いた。

そうしたら即返信が来て、メルマガにわたしの感想を紹介したいとあった。

二つ返事で返した。

もう1人の方もそうで、今色んなことを形にしていくために必要な情報をメルマガで取っている。

その方にもお礼を書いて出したら、同じようにメルマガかブログで紹介したいと返事が来た。

こちらもこれから返事をする。

そもそも返事が来ること自体全く期待していなかったし、というか来るとすら思ってもなくて。

なんだったらこれから返す方なんかは、

「感想をいつもうれしく拝読していますが、返事が出せずごめんなさい」

ぐらいのことが書いてあったから、本当にお礼だけのつもりで書いて出しただけ。

だから、メルマガかブログで紹介したいと言われて、心底驚いた。

自分の思いを一方的に発信するだけじゃなくて、こんな風に人と繋がることがある。

わけもわからず始めたブログ。

わけもわからずに困ったから登録したメルマガ。

うまくできなかったシュウマイの包み方。

どんと落ち込んだ日に読んだブログの記事。

1つ1つは全く異なるものなのに、それらがいつしか絡まって別の世界をわたしに見せてくれる。

「書くこと」はこれからもまた、どんどん別の何かをわたしに見せてくれるような気がする。

2015年3月23日月曜日

勉強ができなかった子ども時代の感性

子どもの頃のわたしは、本当に勉強が全くできない子どもだった。

オール1の通知表がそれを物語っている。

昨日どうしてもその時のことが気になって、わたしはちょっとしたことをやってみた。



「7-4  5-3  8-2」

3つの引き算の問題を紙に書いた。

これを小学校1年生の自分になったつもりでやってみた。

色んなことを鮮明に思い出した。

まず当時のわたしというのは、数字を見てもその概念がさっぱりわからなかった。

7が何を意味していて、例えば上のように「7-4」なんて書かれてあっても何を聞かれているのか

すらわからなかった。

これは大真面目な話で、数字のそれぞれの持つ意味がわからなかった。

わたしが数字の数量を本当に理解できるようになったのは、

3年生でそろばんを習ってからだと思う。

そして今でも例えば上のような簡単な計算でも、わたしは頭の中でそろばんをはじく。

そうしないと安心できない。

今なら7-4が3だって見てすぐにわかっても、それでもそろばんをはじく。

改めてすごい習慣だと思う。

そうまでしないと安心できない自分って何だろうとすら思った。

もう一度「7-4  5-3  8-2」の問題に戻った。

「テスト」されているというのは子どものわたしも理解していた。

周りの子どもたちを見て、何かしら答えを書かないといけないというのもわかった。

何せ数の概念すらわかってないわたしは、指を使って計算することすら思い付けなかった。

よくわからない数字たちと、多分どこかには「けいさんしましょう」と書かれた文もあったと思うけど、

それでもわたしには何一つ意味を成さない言葉や数字にうろたえるばかりだった。

馴染みのない言語の文字を見る感じと同じだ。

わかる人が見たらわかるものでも、知識のない人が見ると何も意味を成さない。

わたしはできないことが怖いとかそんな風に思う余裕はなかったと思う。

できないことで母親なり先生に怒られるそのことだけが怖かった気がする。

わからないものはわからない、でもなぜそれがいけないことなのか全然理解できなかった。

子どものわたしに戻ってみると、わからないから最後はどうしたかというと、

目に入った数字をそのまま書くことだった。

だからすべて的外れの答えを書くことになる。

テストで○がついていた記憶がほとんどない。

子どもの頃の感情がリアルだった。

36歳の大人なのに、30年前に戻って小学1年になったみたいだった。


話は飛ぶが、学習塾で働いていた時、わたしの中で勝手に作ったルールがあった。

「わからない」や「できない」に関しては子どもを叱らなかった(と思う)。

でも、わからないのにわかるフリをすること、わからないできないのに「わからない」と言えないこと

言わないこと、そういうことは容赦なく叱った。

わからないから、できないから、来ているのであって、そんなのは恥ずかしいことでも何でもない、

でもわからないままにしておくこと、人に聞かないこと、それは後々にもっと恥ずかしい事態に

自分を追いやってしまうから、だからここで聞こうよと口を酸っぱくして言っていた。

平気で中学生の子に小学校低学年の勉強をしようと提案した。 
(もちろん保護者から了解を得てから)

実際に何人もの子どもたちをそうやってつまずいたところまで戻した。

できないにできないを重ねてもますます自信は失われるし、わからないが増えるだけ。

それであれば、できることをまずはする、そして次はちょっと背伸びが必要なことをする、

その繰り返しだった、特に学力的に大きく落ち込んだ子どもたちは。

当時は特に深く考えてそうしたというよりも、そちらの方が良いと判断し動いていた。

昨日小学1年のわたしの気持ちをリアルに感じた時、なぜあんなに塾の中で戻すことにこだわった

のか、ようやく1本の線で繋がった。

自分がしてもらいたかったことをやっただけ。

相手の気持ちよりも、自分の欲求に基づいた仮説を勝手に立ててやっていたと思う。

そうやって考えてみると、オール1とか2のような子どもが半数近くを占める不思議な教室だった。

たった1つ成功したと思うのは、多分どの子も「わからない」ことに対しての罪悪感や羞恥心は

持たずに済んだような気がする。

教室内はいつでも「わからない」「できない」という言葉がたくさん飛び交っていたし、

それを隠してるとわたしがどついて雷を落としていたし、

とにかくできなくても大丈夫、ということを伝えたかったのかなと今になって思う。


この自分の体験は今となってはすごく貴重だし、「わからない」感性を知っていて良かったとすら

思っている。

世界は混沌としていて、自分の周りの世界にうまくなじめない自分がいて、子どもの頃は今よりも

もっともっと生きづらさを実感していたように思う。

まだ答えは出ないけど、この子どもの時の体験は必要があっての体験だったと思ってる。

どう必要だったのかはわからないけど、この世界を知っていることで今生きてる世界に奥行きが

あるように思う。

「わからない」「わからないことで自分があれこれ困る」こんな体験がプラスに転じる。

2015年3月10日火曜日

35歳から36歳へ

今日が35歳最後の日だ。

明日の36歳の誕生日を心穏やかに迎えられるだけでも、本当に気持ちが良い。

そういう気分で迎えられるとわかるだけで、明日が楽しみなぐらいだ。

1年前の35歳の誕生日とは雲泥の差だ。

これまでの誕生日の中で35歳の誕生日が一番怖かった。

20代と34歳までのわたしは、あまり年齢を気にしない人だった。

周りが年を取るって嫌だ、と言っていた時も、わたしにはぴんと来てないことが多かった。

たしかに、体の方はあちこちこれまでとは違う症状や様相を呈する。

でも、それは元々予想の範疇にあることだったから、あまり気にならなかった。

痩せにくいとかは困ることでもあったけど、かと言って悩むほどのものでもなかった。

ところが、34歳から35歳になります、という頃になってわたしは急に35歳になるのが怖くなった。

35歳というと、いい大人だ。

もちろん34歳だっていい大人だけど、重みが全く違っていた。

35歳は明らかに重すぎた。

重すぎた理由のひとつに、結婚も仕事も何一つ「これだけは!」と言えるものを持っていなかった

ことも関係している。

あまりにも自分が過去に描いていた35歳とは大きくかけ離れ過ぎだった。

しかも、まさかの何も決まっていない生き方フラフラの自分、もう怖くならないわけがなかった。

だから35歳を迎える直前のわたしは、見事に恐怖におののいていた。

本当に、たったひとつの年を重ねることがこんなにも怖いと思ったことはなかった。

さてその35歳も今日で終わり、明日からは36歳になる。

社会の中での36歳は、ますます大人度が増す、当たり前だけど。

でも、もう1年前のように、戦々恐々とはしていない。

どんなにあがいても自分は自分、

そしてどんな自分でも自分の価値は変わらない、

そこが妙に腑に落ちて、36歳になることは怖くない。

逆に開き直って、ここまできたら自分のペースで進もうとすら思っている。

当然、こんな心境に至るまで相当もがいたし、必死だったし、無駄に色々傷ついたり、

発狂するほど怒ったり、相変わらず感情のアップダウンは激しかったけど、

激しかった故の今はとても穏やかだ。

結婚も仕事も決まったわけじゃない。

そういう意味では去年より危険度アップだ。

でも、自分への安心感?信頼感?これは何と表現するのがいいのかわからないけど、

そんなものがこの1年、もしくはこの35年すべてをかけて少しずつ手に入ってきた感じだ。

自分がこれから毎年どんな風に年を重ねていくのかわからないけど、

少なくとも今みたいに穏やかな気持ちで誕生日と新しい1年を迎えたいと心底思う。

2015年3月6日金曜日

繋がるもの②

『繋がるもの』を書いて半日経過。

今日またさらなる繋がるものが発生してびっくりしている。

さかのぼること1週間前。

数年来の友達から電話が来た。

電話が来たけど、その時ちょうど出れず、翌日メールだけ出した。

何の用事でかけてきたのかわからないし、気まぐれ?でかけてきただけかもだし。

ということでそのままメールだけ出して終わっていた。

返事もないから、あまり大切な用事ではなかったのかなと片付けていた。

それでさっきもう一度電話が来た。

わたしが出したメールは知らなかったらしい。

巨乳お姉さんの広告メールがばんばんくるから、メールを開けてないと言われた。

報告の方はとてもおめでたいもので、赤ちゃんが生まれたとのこと。

だけど本当の用事はそれじゃなくて別の用事と言われた。

ホームページやブログなんかでよく出てくる「→次へ」なんかのアイコンの作り方だった。

そんなのわたしが知るわけないじゃんと返した。

それで話をしていくうちに、これまたすごいタイムリーで昨日の夕方わたしが手にしたばかりの

無料版のホームページを作る情報が大いに役立った。

実はそれも試したけど、そもそもエラーが出て使えたなかったと言う。

どう考えてもわたしの方がパソコンの知識がないのにそれでも開けたということは、

開けないわけがない、とにかく開いて!の一点張りで詰め寄ったら開いた!と電話の向こうから

声がする。

お互いにゼロから作る。

何百キロと離れている土地で、それぞれがそれぞれのものを形にしていく。

すごい心強い。

昨日その作業を3時間ほどしたのだけど、パソコンをうまく操作できない人には非常に難しく、

本当にくじけそうだった。

自分のためとは言え、道のりがとてつもなく長く見える。

でも、全然別の場所で友達も同じように1からすべて作っていく、わからなければお互いに

フォローし合おうと約束して、本当にそれだけでどれだけの力をもらえたか。

心細さ満載の作業だけど、心もとないとも言える作業だけど、

それでも一緒に進もうとしている人がいるのって、本当に本当にすごいことだ。

前回タイミング悪くて電話に出れなかったことも今となっては良かった。

あの時では、今わたしが持ってる情報はなかったし、何の役にも立てなかったし、

ましてや友達がホームページ作りをしてることも知らなかった。

友達もまだ作業に取り掛かってほんの数日とのことだった。

先週ではわたしの方がまだそんな段階にはまったくなかったわけで、今のようなお互いに

フォローしようなんていう風にはならなかっただろう。

馬鹿みたいに、わたしは今もう一心にこういうタイミングを信じてる。

自分ではどうにもならないことが、何だか知らないけどタイミングを合わせてくれてる。

すっごい自信なくてすっごい不安ですっごい心配で、

何度も何度も挫折しかかってるけど、それでも進めるような後押しがくる。

数年前、出会った時にこんな風に未来が繋がっていくなんて想像すらできなかった。

今は離れてるからもう何年も会ってない。

連絡だって1年に一度あるかないかだ。

だけど、どんぴしゃのタイミングで繋がっていく。

これを信じて進むしかないんだと(小さく)思いながらまた今日も作業をする。

2015年3月5日木曜日

繋がるもの

点と点だったものが少しずつ繋がっている。

点は一瞬。

また関係ない点も一瞬。

昨日まで点は、まったくばらばらの物たちだった。

Aという点も、Bという点も、CもDも・・・、とにかく全部ばらばら。

ばらばらでも全然困らなかったし、気にもならなかった。

ただ、水面下で、わたしに気付かれないように点と点は繋がろうとしていた。

2月に毎日綴ったブログ。

ブログの機能が使いこなせず途方に暮れながら孤軍奮闘していた時間。

そんな矢先に出会ったブログ。

新しい情報。

1年以上前の飲み会。

3年前になるかと思われる人との出会い。

その間の日々の悩みに大きな迷い。

とにかく全部がばらばらのパズルのピースのようだった。

確実にばらばらのピースでしかなかった。

今だってばらばらだ。

だけど、ピースが少しずつ繋がりだした。

えぇ、これがここと繋がるの!?という感じに繋がり始めた。

それに伴い、体が痛くなり出した。

これまで体験したことのない背中の痛みだ。

最初痛くなりだした時はぎょっとしたけど、多分これはもう古いものを手放しなさい、

古いものにしがみついていても仕方ないでしょ?というサインのような気がしている。

全身全霊で、変化に向けての準備が始まっているようだ。

わからないし不安なことは山ほどある。

このままでいいのか?と思うことも当然ある。

でも、今自分の元に集まっているパズルのピースだけでもう十分動けるというところまで来ている

ようにも感じている。

怖いものも不安なものもあるけれど、GOなんだと思う。

「オーリング」と呼ばれる嘘発見器のようなテストがある。

その使い方はいまいちわからないけど、手順はこんな感じ。

親指と薬指でわっかを作って、今知りたいことの質問文を自分で読み上げて、

自分以外の第三者にそのわっかを外させる。

わっかが外れなければ答えはYES。

わっかが外れたら答えはNO。

私は絶対に外れると思いながら質問を読み上げた。

なんと外れなかった。

うそでしょ!?と思った。

自分で外れると思ってたのに、外れない。

指はくっついたままだ。

質問だってわたしが考えたわけじゃない。

話を聞いてくれた人が作ってくれた質問だ。

しかもその人からオーリングやってみようと提案された。

まじで!?冗談でしょ!?と思ったけど、もう自分の気持ちはそちらに向かっているらしい。

他人事みたいだけど、ほんとそんな気持ちでいっぱいだった。

ということで、これからは毎日目の前のことをひとつずつ形にする作業をする。

今日もあっという間に3時間ほど過ぎ去った。

これまでとは全然違う時間の流れ方にびっくりした。

とにかく1つ1つ繋げていこう。

2015年3月3日火曜日

さじ加減

最近、過去にやってきたことを振り返っている。

実際の職業とか業績とかではなく、やっていたことのその根底にあるものが何だったのか、

それを探っている。

その中で、今日注目したのは学習塾で働いていた時のこと。

たかが2年半という中で、数百人の小中学生を見たかと思う。

最初から最後までの付き合いの子もいれば、1回きりという子もゼロではなかったし、

ざっと見積もっても200人近い子どもを長期的に見たと思う。

中には同じクラスの子なんていうのも何人かいたし、双子ちゃんや兄弟もいた。

成績もオール1~オール5まで様々な子どもたちだった。

発達障害の子もいたし、不登校の子もいた。

昔で言うヤンキーみたいな子も、寡黙でほとんどしゃべらない子もいた。

学校の縮小版と言わんばかりに色んな子どもたちが来る場所だった。

一斉指導ではなく、1人1人の子どもの現状に合わせて、やることをその日その日で決める

やり方だった。

表面上は塾だったけど、実際にやっていたことは塾とはちょっと違っていたかなと思う。

例えば一卵性の双子でも、たしかに似ているけれど違う。

その違いはきちんと見ていないとあまりにも小さすぎるけど、

でも違う人間なんだということが見ているとわかる。

誉める時も叱る時もそれぞれに合わせていた。

双子だからおんなじね、ということではなかった。

ヤンキーな子と静かな子、わたしは1人だけどそれぞれ違う対応だった。

挨拶はみんな同じようにしたけれど、それ以外の部分は十人十色だった。

すべて微妙な「さじ加減」で回していた。

そう、あの時にわたしがひたすら観察して見ていたものは、そのさじ加減を決めるための

自分なりの理解の仕方だったのではないかと思う。

ぴしゃりと言い放った方が動く子もいれば、反対に誉めまくっておだてて木に登らせるタイプもあり、

でもそれはよく見ていないとわからない。

しかも、毎回同じじゃない。

同じ子でもその日その時の気分というものがあるから、それも見ながらさて今日のさじ加減は・・・

なんてやっていたように思う。

勉強自体が全然好きではない、そして会社からの命令でやる営業活動は大嫌いだったけど、

1人1人の違いや、その時々で変わるさじ加減の仕方なんかは面白くて好きだったなぁと思う。

そしてこのさじ加減は何も仕事だけじゃなくて、色んな場面で役立つものだったと思う。

あの時は無我夢中でそんなこと考えたりもしなかったけど、今となっては非常に貴重な体験を

させてもらえてたんだと気付く。

2015年3月2日月曜日

習慣のすごさ

もう2月は終わったからブログについては毎日アップしなくてもいい、ということには一応なってる。

別に誰との約束でもないから、自分の中ではそういう取り決めにしてある。

だけど、4週間も毎日せっせと書いていると、それが習慣となり、気付くと何書こうかなと考え、

気付くともうそれが文章として頭の中にさっと出てくる。

いつの間にか習慣として定着し、とりあえず今日もこうして書いてみる。

改めて書くことの偉大さを知る。

どんなタイプの書くもそうだけど、書くと頭の中の色んなことが整理される。

そして書くこと以上に、習慣の偉大さも知る。

毎日ちょっとした繰り返しでも、それを毎日続けるといつの間にか体はその習慣を覚える。

頭はその習慣を実行する時間を生み出そうとする。

不思議な回路だと思う。

本当に、せっかく生み出されたわたしの数少ない好ましい習慣なので、

これを本当に使いたいところに応用させたいと思う。

今新しいことに手を出そうとしているけれど、それをある程度定着させるのにどの位自分の気力が

必要なのか推し測っている。

いや、実際はなかなか定着せず・・・どころかまず一歩すらがでかすぎて、

その一歩をさらに10歩ぐらいに分けないと手をつけそうにもないから、

もうそんな低レベルなところから着手しないと・・・という感じだ。

これだけ毎日やれたんだから、新しいことだっていけるでしょ!と思ってはみたものの、

そんなに甘くはなかった。

もう筋金入りのぎりぎりまでやらない症候群だ。

子どもの頃の夏休みの宿題だけではない。

大人になってからも、何かとぎりぎりセーフで物事を片付けるのは相変わらずだ。

そんな人が、ひとつ好ましい習慣を習得できたからと言って、それをまた別のものにも応用!

なんていうのはそう簡単ではない、ということがよくわかった。

ここでぶつくさ文句を垂れていてもこれまたどうしようもないので、

その細かく分けた10歩のうちの1歩をこれからやってみようかな・・・???というところ。

新しい習慣は、本当に習慣として定着したら、どんな風にやったのか堂々と胸を張って

発表したいと思う。

思う前にまずは行動、行動・・・(汗)。

2015年2月27日金曜日

【継続は力なり】を実感!(ニヤリ)

気付いたら明日で2月も終わり。

今日のこの記事と明日の何かまだわからないけど何かの記事を書いたら、

とりあえず「1ヶ月ブログを毎日継続する」は達成できたことになる。

最初の1週間が過ぎた頃、「こんなことして何になるんだろう?」と正直思った。

絶対に誰かが読んでくれるとも限らないし、書いたからと言って何かが生まれるわけでもないと

本気で思っていたし。

今1ヶ月完了のところまできて、今月だけで約60記事アップしたことになる。

厳密に言うと58記事で、60にするにはもう2記事必要で、それは下書きで書こうかなと思ってる。

もう1つのブログの方もせっせせっせと書いた。

このブログもそうだったし、もう1つはもっとそうだったけど、

まず自分がどこを目指して書いているのかさっぱりわからなかった。

いくつか前の記事(書きたい文章)で、どんな文章を書きたいのかより明確になったことを

書いたけど、書きたいものが定まっても自分がそれを表現するスタイルの確立は、

また別物だということを思い知った。

色んな表現方法があるし、その方法は自分で選べる。

どういう方法・スタイルがわたしは好きなのか、目指したいのか、

考えてもわからなくて、とりあえず書いて書いて書きまくったのがこの1ヶ月。

書いていくうちに、自分の表現したいスタイルというのが、少なくとも1ヶ月前よりも明確になった。

今も手探り状態で書いてはいるけれど、とにかくありのまま等身大の自分で情報を発信しよう、

ということだけは定まった。

自分を大きく見せても仕方ないし、知ったかぶりになっているのはもっと格好悪い。

色々足りない部分はあってもそれが今の自分だから、その今の自分からあるがままを

発信したらいいと開き直ったのもあって、今は思い付くままに書いている。

話は変わるけど、この2年ほど色んな本やブログを読みまくったことはとても参考になっている。

目指したいスタイル然り、反対に絶対に真似したくないスタイル然り、

そういうものを読書から自然と感知していたんだなと思う。

感知することを目指して読んだわけではないけれど、結果としてそういうものが付いてきた感じだ。

真っ只中にいる時は、一体自分が何をしていて何のためにこんなにも夢中になるのか

さっぱりわからなことだらけだけど、例えばあの異常なほどの読書熱がこんな風に未来のブログに

貢献してくれるとはゆめゆめ思わなかった。

また話は変わるけど、「継続」の力を今回ほど実感できたことはない。

そもそももって、何かひとつのことをお金や何か特別なものをもらうわけではないのに

続けるというのは、わたしにとって、これまでにない体験だ。

仕事だからやる、という継続はあっても、仕事でもないし他の何でもない、

やってもお金も派生しない、だけどやり続ける、それも毎日毎日とりあえずその時間を作る、

これは夏休みの宿題をまともに終わらせたことのないわたしにとっては、

すんごい優越感と自信?自己肯定?みたいなのに繋がってる(笑)。

しかも、飽きずにやっている。

しかもしかも、気分がいまいち乗らない日でも、必ず書く時間は作る。

自分で自分がすごいと思ってる(笑)。

3月はどうするのか決めてないけど、とりあえず飽きるまで書いてみようとは思ってる。

強迫観念にならない程度にやり続けたいという気持ちが今はある。

こんな気持ちになるだなんて、1ヶ月前には想像もつかないことだった。

やってみないとわからないことだらけだなぁというのが、今の感想。

そして、やってみて良かった、というのも今の感想。

2015年2月25日水曜日

望んだ解決にはならなかったけれども・・・

2月の初めに撃沈した出来事の直後に書いた不安リストを今日見返した。

不安があまりにでかい時は、わたしはありとあらゆる不安をとりあえず箇条書きにする。

目的は、自分の中だけに留めておくと余計と不安が増幅されるから、

それを避けるために、まずは不安の材料となっているものを思い付く限り書き出す。

2週間以上前に書いたリストは、ただ書きっぱなしになっていて、

久しぶりにそのリストを開いて見た。

大学ノート1ページの3分の2ぐらいの量に匹敵するリストのうち、5個すでに終わっていた。

その後でぽんと解決したものもあるし、何かしらのとっかかりを得て次に進めたものもある。

5個のうち、1つだけ行動に移したものの、結果が非常におもわしくないものがある。

リストに書いた当時は具体的行動の手段すら思い付かずにいて、

でもいつまでもずるずるしていいことでもなく、さぁどうしようかというところだった。

ところがある日。

本当にあれは突然スイッチが入ったとしか言いようがない。

これをやってしまおう、やらなければ何も変わらない、ということでわたしは動いた。

動いて、結果としては、一番受け取りたくないタイプの結果がきてしまった。

異性への告白とは違うけど、告白をして相手は無反応だった、という状況にとても近い。

相手は無反応、という選択肢を頭に入れていなかったわたしは、

まず結果を受け入れる受け入れないという前に状況を理解できずにいた。

ようやく状況をのみこめ、そして「相手は無反応」ということにひどくショックを受けた。

ただ、2月の最初の撃沈を経験したおかげで、ショックの程度としては前回よりうんとましだった。

そしてそこからさらに3日経過した今。

そもそも、2週間以上前は、解決策すら思い付かず不安でいっぱいだった。

そしてその途中、スイッチが入って自分ができることをした。

結果、相手は無反応だったにしても、今はもうそれを受け入れようと思っている。

というのも、自分は変えられても他人は変えられない。

相手を変えるような魔法の杖をわたしが持っているわけではないのだから、

変わるか変わらないかもわからない相手に対して色々思っていても仕方ない。

この場合の仕方ないは、良い意味合いで諦めてる。

何でもそうだけど、自分以外の人の選択をわたしが決めることはできない。

今回のことも然りで、わたしが相手の選択や反応の在り方を決定するなんてことは不可能だ。

であれば、もう自分がやった、というそのことだけで十分だ。

そう思えるようになって、まぁいっか、という具合に達してる。

とりあえず「無反応」という形になってるけど、多分相手は無反応じゃない。

ものすごく反応しているはずだけど、それに対してどのように表現していいのかわからないか、

もしくはどうしていいかもわからないから、とりあえず放置なのかなと思う。

細かいところは想像でしかないけれど、いつまでも気に病んでいても仕方ないから、

それは新たな進展があるまではわたしも放っておこうと決めた。

気にする時間がもったいなくも思い、代わりにわたしは今できることをしようと、

気持ちが切り替わった。

望んだ解決や結果にはならなかったけれども、そのことにはショックを受けていない自分。

むしろ、もうやれることはやったから一旦は解決、とまで思えた自分、あっぱれと思う。

2015年2月23日月曜日

書きたい文章

次の記事でこのブログも100記事到達となる。

下書きも含めたらとうに100は超えていたけど、きちんと公開したものは次で100。

なので今回は99記事目のアップとなる。

この1ヶ月毎日ブログを書こうと決めるよりもうんと前に、自分の中で4種類の書きたい文章がある

ことにある日気付いた。

①日々の自分の記録
②これまでに習った使える知識や技術
③感動ストーリー
④コラム的な自分の興味関心が向いたもの

①はこのブログになる。

②はまだ公表はしてないものの、こつこつと別のブログでアップしている。

③は『光の図書館』の方でアップしている。

④だけど、意外にこれは自分の中で書きたいものなんだと認識したのは、

多分ここ半年1年の話だと思う。

色んな人のエッセイを好んでよく読む。

そういうものを読んでいると、自分の中にも特段役立つわけではないけれど、

何だか表現したい、言葉にして形にしたい、そういうものがあることに気付いた。

ただ、色々思うことはあるけれど、どんな形でアップするのがいいのかわからなかった。

投稿数にかなりばらつきはあるものの、すでに3つのブログを動かしている今、

新たにブログを立ち上げることは気が進まず、ずっと宙ぶらりんのままだった。

そんな流れの中で、今月毎日このブログをアップするにあたって、

そんなに毎日毎日自分のことばかりも書いていられないので、

それでふと雑感的なものをここで書き始めた。

書いてみたら、自分の中でそんなに違和感がなかったから、もうこのままこのスタイルで、

要はこのブログでは、自分のことと雑感と両方を綴っていこうと決めた。


これはすごくうれしい発見だったひとつだけど、

このブログを始めてから、わたしは自分が何を書きたいのかがものすごく明確になった。

これを始動する前は、要は上の4つが頭の中にすべてあって、

どれも書きたいのだけど、いかんせん内容もそうだし雰囲気も全く違う4つだ。

その4つを1つのブログの中で全て詰めこんで公表というのは、気が進まなかった。

そして、今ほどにその4つがどんな風に違うのか、自分の中で説明できずにいた。

だから、とりあえずこの『vivir空間』を始動させて、その上でまた考えようと思った。

多分やっていくうちに色々わかってくるだろう、と勝手に予想して。

予想した通りで、書いていくうちに『光の図書館』が発動し、さらにもう1つ別のものも加わった。

②に該当する、これまでに習った使える知識や技術に関しては、

始める当初、かなり勇気が要るものだった。

なぜ勇気が必要だったのかというと、悪用される心配のあるものだったから。

過去にそういう類いのことを書いた時、2人の人から変な風に真似をされて、

それがたまらなく嫌な経験だった。

2人ともわたしと同じところで同じ学びをした人たちだった。

同じ学びをしても、気付くものは人それぞれ違う。

わたしは自分自身を通して発見したことをありのまま書いたのだけど、

それを真似された時は、本当に腹が立った。

自分の力で勝負せず、他人の力を無断で利用するその根性がとっても気にくわなかった。

それが怖くもあったけど、今その人たちとは縁が切れて、

さらにいくら真似されても大元のわたしの中から出てくるものは、それはわたし自身しか

表現できる者がいないということに気付いてから、その部分は気にならなくなった。

代わりに、自分が知り得たことを色んな人に公開して、もしそれでヒントを得る人がいたら

それは本当にうれしいことだと、自分の中だけに留めておくのではなく、自分以外の人にも

伝わったらいいなぁ、という気持ちが湧いてきた。

その気持ちが十分になった時に、別のブログが動きだした。

まだ動きだして1ヶ月位だけど・・・。


ひとつひとつを形にしていくのに、どれもこれも時間がかかっているし、

この進み方がのんびりなところは、自分の責任なのにちょっと不満だったりもする。

でもこうして振り返ってみると、動き出したことで色んなことが形になってきたし、

そして思わぬ協力を得たりもした。

『光の図書館』に関しては2人の人が多大な協力をしてくれたし、

このブログに関しても、操作方法全般を友達が無料でちゃちゃっと講義してくれた。

つたないブログを読んでくれる人たちもいるし、本当に色んなものを得られた貴重な体験を

今している。

これからどんな風に発展していくのか未知ではあるけど、これからも綴り続けたいと思ってる。

思いがある限り、続けていきたいと思ってる。

2015年2月20日金曜日

すべて空回りだったけど後悔のない日

明後日、父の誕生日だ。

昨日誕生日プレゼントを探しに行ったけど、ぴんとくるものがなく。

とりあえず、最悪なければこれにしよう、というものを頭の片隅に置いて、

今日今度は別の場所へ探しに出かけた。

さっき、日曜日の午前指定でゆうパックで発送したけど、

今(金曜日の夜)からでは日曜日の午前は無理で、午後2時以降の時間帯しか

確約できないと言われた。

仕方ないので、それでお願いしてきた。

わざわざ遠くの24時間営業郵便局まで出向いて、結果は希望通りとはならず、

でも、まぁいっか、とすぐに納得して帰ってきた。

正直、行くこと自体も迷った。

行く前にいくつかのことをした。

まずはネットで、金曜の夜に発送すると、最短いつ到着なのかを調べた。

情報はまちまちで、拠点によっては夜中の便で配送され、

わたしが希望するような翌々日の早い時間に到着することもあるようだ。

あくまでお客さんの話だから、真偽のほどは不明。

郵便局に電話するも、営業時間外のアナウンスが流れて問合せできず。

24時間?フリーダイヤルは携帯からはかからないとアナウンス流れ。

ちなみに、窓口で聞いてきて判明したことだけど、日曜日午前指定で送りたい場合、

名古屋→新潟間だと、遅くても金曜日の通常営業時間内に発送要とのことだった。

ということは、わたしがそのプレゼントに決めた時にはすでに時遅しで、

さらにその後送るための適当な段ボールを2個探し、

さらには同じショッピングセンター内の別階に行ってメジャーで箱の長さを測り(×2往復)、

結局箱の長さが長すぎて使えずまた段ボール置き場に戻し(×2往復)。

実に無駄だらけの動きと、それらすべてが空回りし、結果も希望通りではなく。

でも、ひとつも後悔がなかった。

まず、郵便局に向かう前に、もしかしたら希望が通らないかもしれない、

単なる無駄足を運ぶことになるかもしれない、

それでも行くかどうかを考えた。

そこで、反対に考えて、ダメ元で行ってみて、それで万が一日曜の午前指定が通ったら

ラッキーと考えよう、と心の中で決めた。

ダメでもいい、でももしかしたらどこかの誰かの情報みたいに、夜行便に間に合うかもしれない。

小さな望みに期待しつつも、ある程度覚悟をして出向いただけあって、

あらそうですか、という感じで余計な感情も湧かず、またすたすたと来た道を戻ってこれた。

小さなことだったけど、これから自分がやることのヒントにもなってくれた出来事だった。

これから先、無駄になるだけで終わるかもしれないことをやる。

でも、やるだけやってみると、本当に無駄になっても後悔はしないような気がしている。

2015年2月19日木曜日

1月の予定を旧正月に実行する

年末に実家で川端誠さんの絵本を見てから、決めていたこと。

2015年年明けに投稿する『光の図書館』の記事は、川端誠さんの記事にしようと決めていた。
★(←リンク先)

年始めは、気持ちに強く響くものがいいなぁと思っていて、

その時にたまたま川端さんの絵本を開いて、これいいね、これ使おうとなった。

なったまでは良かったけど、どういうわけかわたしはすぐには書かなかった。

頭の中に言葉はもう準備されてる。

いつでも書ける。

なのに、何だかんだと理由をつけてやろうとしない。

2月に入って、まず最初の「やってしまった」の得意の後悔が始まり、

気付けばもう2月も半分終わった・・・となり、

そして今日2月19日が旧正月に該当する日だということを知った。

だから、旧暦では今日が元旦になる。

色々こじつけて、今日は何が何でもアップしようと昨日の夜から決めていた。

とりあえず、旧正月までに実行すれば良しかな?と自分にものすごく甘くして良いように解釈した。

身支度整った後の今日の最初の作業となった。

ものの15分20分で終わった。

実にあっという間だった。

数えると、西暦ではすでに50日経過。

50日×24時間が一体どの位で、それを分に直すとさらに何分になるのかなんて

怖くて計算できない。

書いて自己満足だけど、時々どうしてもう少し自分は早く取り組むことができなかったんだろう・・・

と思う自分もいる。

子どもの頃、毎年夏休み最後の日も宿題が終わらずひいひい言っていたわたし。

大人になればもう少しまともになるかと思ったけど、大人になってからも相変わらず。

じゃあ好きなことならすぐやるかと言ったら、そうでもない。

自分のこの癖を直す方が早いのか、それともこういう自分だと割り切って受け入れる方が

早いのか・・・何の生産性もないようなことを考えてしまった。