2019年11月22日金曜日

笑っちゃいけない





写真:部屋の天井の風景

天井を何度見上げたか知らない。
大抵行き詰まる時、天井を布団の中からぼーっと見る癖がある。 
そうだ、天井の写真撮っておこう!と思って布団の中で仰向けになりながら撮影した。
名古屋時代もよくそんな風に天井眺めたなぁ、何も動けなかったけれど、何も思いつかなかったけれども、とにかく天井をじっと見てたなぁなんて思い出した。
いつもいつも、次はいつどんなタイミングでどんなきっかけで私は動き出すんだろう…って山ほどの心配をした。
今思うのは、そんな日々を何百回と過ごして、それでも私は絶対の絶対に大丈夫だったということ。
迷惑かけたり非難されたり色々あったけれども、どんな時も、天井ばかり眺めて、嫌になると布団かぶってすべてから逃げようとしていた時も、私は全部大丈夫だった。
それをいつかの私も思い出せるように、写真に残したい、そう思って昨日は別に落ち込んではなかったけれども写真に収めた。




今さっき次の派遣先の企業見学に赴いた。

今は何の縛りもないから、今のうちに書こうという魂胆。

バリバリの地元大手企業みたいなところで、従業員も数千人〜1万人規模でいるでしょ、みたいなところだった。

企業見学で4人もの人たちが同席したのは初めてだった。

全体を通しての感想。

これはダウンタウンの年末の「笑っちゃいけない」なのかと思った。

総務的な人事的な女性のみが笑って、あとの男性陣はニコリともしない。

ちょっと薄ら笑いぐらいはしていた人もいたけれど、ぶっちゃっけ「感情が死んでる」と思った。

自分の中の色んなものを殺さないと生きていけないような雰囲気で、オフィスは広いし綺麗だし申し分ない感じではあったけれども、そして福利厚生とか安定なんてのはこの辺りじゃ超一流クラスだと思うけれど、しかも技術系の会社だからよほど世の中の需要が変わらない限り生き延びそうな企業ではあったけれども、史上最高に「笑っちゃいけない」職場みたいだった。

広々としているおかげで息は詰まらなくて済みそうではあったけれども、笑顔付けて喋ってる私が本気の場違いな人みたいだった。

笑わないの?そんな仏頂面して大丈夫?と心の声は止まらなかったけれども、その職場の男性陣は笑わないのがデフォルトらしい。

何せ広い職場だからオフィスに着くまでも長い廊下を歩いたけれども、その途中すれ違った若い世代の男性たちはすれ違えば柔らかい表情で挨拶もしてくれたし、喫煙コーナーの男性たちはまだリラックスした表情をしていて、それを見て少しホッとした(9割男性みたいなところだった)。

楽だったのは、仕事さえしてくれれば、私がどんな職務経歴であるとかは気にならないようで、かなり放っておいてもらえそうな雰囲気なのはものすごく良かった。

素性を明かさなくて良いのと、何せ仕事の質問以外喋ることを一切しなくて良さそうだったから、面倒な人間関係が無さそうなのも良かった。

行ってみなきゃわからないけれど、年度末という終わりが見えているのが救いだった。

そんな余裕があるかは知らないけれど、「人が感情を殺して生きた場合どうなるのか」をひっそりと観察するには、もってこいの場所という感じだった。

職場の案内をしてくれた定年間近みたいな男性が、最後だけ一瞬横顔だけどニコッとしたのを見て、それは社食が安くて種類があってみたいな話の終わりの方だったけれども、それ見た時に少しホッとした。

何様かという話だけど、私に笑わなくてもいいから、大切な人たちの前では笑ってね…とお節介みたいなことは思った。

超ニコニコしなくても、せめて違う表情もできると、さらに言うと緩みの方の表情が出せるといいよね、と思った。

ちなみに女性だけは、作り笑いとかではなく、多分普段からにこやかに対応されているんだろうなぁと思った。

それは男性と女性の性差なのかもしれないし、その女性の個性なのかもしれない。

人生でこんなにも「笑っちゃいけない」などと感じた場所は他にあったかな…なんて振り返りつつ、私もせめて病まないように自分の体調と心の管理だけはきちんとしようと思った。

ちなみに仕事は、基本ひたすら入力だから、「単調でつまらないと思いますが大丈夫ですか?」と聞かれた。

変なものを持ち込みたくなくて、とりあえず「大丈夫かと思います」とその場では答えてきた。

大丈夫かどうかは知らないけれど、とりあえず仕事のおかげで父といる時間の確保ができるから、その気持ちだけは忙しさに忙殺されて忘れないようにしたいなと思った。

派遣会社のお洒落な男性オフィス長(←私の担当者になる予定の人)と別れた後、道を出てすぐのところで、「311」のご当地ナンバープレートの車とすれ違った。

久しぶりにお目にかかった誕生日のナンバープレートだった。

しかもご当地ナンバープレート(普通の白いナンバープレートではなくて、地域の特色が描かれた特殊なプレート)での誕生日ナンバーは初めて見た。

「大丈夫」

そう思った。

2019年11月21日木曜日

米の仕事④お気楽な焼肉



呑兵衛と同じピッチで飲めた私…( ̄∀ ̄;)
8杯はグイグイ飲んだ気がする。




ヨシダさんと飲んできた(11/19)。

事の顛末はこうだった。

ヨシダさんに「それ私が代わりにパソコンで打つよ!」と申し出た、米でも野菜でも良く育つ方法の資料を、私は資料のままパソコンに打ちこんでそれを形にした。

形にしたものの第1稿が仕上がって、それをヨシダさんに届けた。

来月から年度末まで派遣の仕事に行きそうな流れになりつつある今、先々が読めないから、時間を確実に取れる時にヨシダさんに資料を渡してしまいたかった。

ヨシダさんはまだ枝豆の仕事をしていると言って、それが終わった後に会うことになった。

そうしたらヨシダさんから、夜は空いているのかと聞かれて空いてると答えたら「お前さんと飲みたい」と言われた。

代行代も全部出すから飲みたいと。

私は二つ返事で行く!!と答えて、それで前回と同じ待ち合わせの道の駅に行った。

その道の駅というのが使い勝手が良く、商談や打ち合わせに使えるタイプのテーブルと椅子のセットがある。

まずはそこで資料の確認をして、訂正部分や新たに追加で書くことをヨシダさんに聞いた。

1時間近くそれをした後、近くの焼肉屋に行った。

そこは約2年前の3月に、当時の派遣の仕事の県外への長期出張2人組の壮行会を兼ねた飲み会の時に行った場所だった。

タイトルを『お気楽な焼肉』にしたのは、その店の名前が『きらく』だから。

やっと念願のきらく飲みだった。

飲むことは大好きでも、車があるというだけで飲むのは新潟に帰ってきてから激減した。

今の身近な人間関係で飲むことはまずないから、そして友達の盆正月の帰省の時も最近はみんな子育てで忙しいからお昼食べるだけとかになっている。

そもそも私は地元の友達と呼べる人も極端に少なく、気付けば不定期に会う友達は2人のみで、その2人と飲むことは基本ないから、気付けばずっと飲んでない。

記憶を辿ると、多分最後に外で飲んだのは、その2年前の3月に一緒の職場だったSさんと会った時のような気がする。

Sさんとは今も不定期に年に1、2回は会うけれども、お互いに車で集合するからそれ以来飲んではいない。

それはそうと、前回の職場壮行会的な飲み会は、私はノンアル参戦だったから(周りは飲んでた)、いつかこの店にまた来ることがあればその時は飲みたいと思った。

そんなの叶うわけないと思ってはなから期待していなかったけれども、まさかこんな形で、そして思いもよらない人物と飲むことになるとは本当に驚いた。




〜2019/11/17に書こうとしていたブログより〜

今、苦手な図形やら線やらを挿入しながらWordと悪戦苦闘している。

特殊な図形をExcelで作ったのに、なんとWordにコピペできず(←30分近く格闘)、それだけでぐったりとした。

同じことがWordでできないかを試したらできて、最初からWordですれば良かった(涙)と後悔。

キレート?プレート?
プリオン?えっ?プリン?
アマイド?甘いぞー?

とか、最初のカタカナ専門用語(キレート、プリオンなど)はもはや私には宇宙語にしか見えず、どの世界も専門用語って知らない人からしたら単なる暗号だなと思った。




そもそもヨシダさんが何の資料を私に手渡してくるのかは全く想像もつかなかった。

ヨシダさんの説明では「米でも野菜でもよく育つ方法」で、それはヨシダさんが長年農業に従事したのと、早期退職後に養殖エビの機械修理で5ヶ国ほど回った時のその傍らでやっていた外国での農業と、そして当時はバクテリアの研究も兼ねていて、そうした全てを組み合わせての独自のやり方とのことだった。

ヨシダさんはその方法を農家の人たちみんなに紹介したいと言っていた。

ドキドキしながら資料を見せてもらうと、ヨシダさんは1枚は既に作られた商品の宣伝用紙と、他の3枚は本人手書きの紙を持って来ていた。

私は自分が1からまとめなきゃいけないのかと思っていたけれど(だからドキドキしていた)、ヨシダさんがまとめていて、それを基本的には打ち込んで資料にすれば良いだけだった。

ちなみに冒頭の悪戦苦闘っぷりは、手書きなら1秒ほどで終わるもの、例えば大事な用語を◯で囲むとかいう◯の部分をやっていた時の話。




ここからはこの話の続き(11/20)。

ヨシダさんが手渡してきたものというのは、有機JASの認定を取ったヨシダさんが知ってる農業の究極の方法だった。

それは農家にも消費者にも地球にもやさしい、本物の知識で本物のこれから先未来永劫使える実践法だった。

農業の知識が全くない私が聞いても話がわかる、それはすなわち本当に自然の摂理に沿ったこの上ないものだとわかった。

「有機JAS」はヨシダさんの開発部門では今は取れないだろうと話していたその有機JASが何なのか、前回ヨシダさんに会った後調べてみた。

農林水産省が出してる平成25年の資料をネットで見つけた。

それによると、有機JASの認定は本当に厳しくて、その厳しい審査を通過して認定されたとする農家が全国の全農家における0.5%、有機JAS認定を受けた作付面積は全国の作付面積の0.4%になっていた。

しかも有機JASは一度取ったら永久的に使える資格ではなく、毎年毎年細かな審査をサンプルの提出をして受けないといけない。

だから一度取れたからと言ってあぐらをかける資格ではなく、半永久的に毎年厳しい検査を受けて合格したら更新されるというものだった。

基準から外れたら資格停止になるし、資格停止後は3年間またやり直しとなるから、1からやり直してそしてそれで3年の実績を積まないといけない模様。

それでようやく次回の審査に申し込めるみたいだった、私の理解によると。

私の有機JASの認定プロセスの説明は怪しいけれど、とにかくとんでもなく大変な労力と知識とがないとやれないことだというのはわかった。

そんなすごいものなのに、ヨシダさんはそれらの知識をものすごくわかりやすく、私のようなど素人ですらわかるように話してくれた。

そして、ヨシダさんが資料として作ってきたものは、そうした知識を誰にでもわかるように、そして難しい技術や特別な材料がなくともすぐに実践できる形で紹介されていた。

私みたいなど素人でも、話を聞いてたらわかる、そういうレベルにまで話を凝縮して、言葉や説明も誰でもわかるレベルに落とし込んで、大事な部分だけわかるようにまとめて話してくれた。

本物というのは、誰が聞いてもわかる言葉でわかりやすく話す。

ヨシダさんは典型的なそういう人だった。




私の作った資料を見て、ヨシダさんはまず一言
「すごいな」
と感嘆の息をもらしながら言ってくれた。

実際はすごいことではなく、私はヨシダさんの資料とヨシダさんが追加で口にしていたことを形にしただけだった。

たしかに私は追加の話をヨシダさんから引き出してそれも別資料として新たにまとめたけれども、ヨシダさんはそれ以外の自分が渡した資料の完成品を見てまずは「すごいな」と言った。

Word自体はただ打ち込むだけだから大した技術ではない。

そして私が超悪戦苦闘していた専門用語を◯で囲むとかいうところ、所要時間1時間近くかかったものは全く注目されなかった(苦笑)。←私の中では作る前から一番手こずるのはわかっていたから、最大の難関なのは知っていた( ̄∀ ̄;)。

だけど、言われてみたら…と1つだけ誇れるものがある。

大学時代、私は話を聞きながら要点だけをひたすらノートにまとめるということを4年間ほぼ毎日やった。

授業のスタイルがそれだから当たり前なんだけれども、アメリカじゃみんなやっていたことで何も特別な技術ではないけれども、私はそこでとにかく徹底的にその技術を鍛え上げられた。

今回もそれが役立って、ヨシダさんの言葉は一切変えずに、順番を変えたり、変える際に一言副題を足したりして、見やすい形には変更した。

それは別に私でなくてもそういう資料作りに長けている人なら誰でもやれることだと思う。

ただそういうちょっとしたことにヨシダさんはものすごく感謝してくれて、そしてその功労を称えてもらえるというのは私にとって大きな癒しとなった。

忘れもしない某企業に派遣で行っていた時のこと。

トイレに行く時間もないくらいに本当に忙しい場所で、私の社会人履歴の中で最も色んなことが同時にたくさん求められた業務と言っても過言じゃないかと思う。

そこでも資料を作った。

今回のヨシダさんの資料の形とほぼ同じスタイルで、それのもっと簡易版だった。

私はその第1稿を見せに行った時、容赦なく注意を受けた。

少しでも見栄えが悪いとダメ出しされ、それは数ミリの右なり左なりに寄せるものだったり、文字の大きさだったり、はっきり言ってどうでもいいことだった。

私は未だに真相は知らないけれど、そこで私は視野が狭い人間だと言われ、うっかり者と呼ばれ、少しのミスは命取りと言わんばかりに叱責され(ちなみにそんなことはない)、そして色んな人たちのいい加減な仕事のツケが回ってきて武士俣さんがいい加減だからこんな結果だと言われ、そうした評価を上に上げられ、そして派遣会社からは「それの本当のところを教えて欲しい」とまで心配されて別途面談されていたくらいの、私からしたら仕打ちを受けていた。

派遣会社での実績があったから、派遣会社側の人たちはこれまでと180度違う私の評価を聞いても企業側の話を聞いたままにせずに、きちんと私に聞き取りをしてくれて対策まで立てて間に入ってもらって尽力してもらったくらいではあったけれども、とにかく企業の方からのいじめみたいなよくわからないことはいた間ずっと続いた。

最後の最後に、数部署が入っているフロア統括のトップの人が新しく着任して、その人だけは私のやってることをいつ見ていたのかは知らないけれども、見たままを正当に評価してくれて、私のできていることをものすごく良い風に評価してくれた。

それはそうと、そんな風なこともあったから、ヨシダさんがわたし作の資料を見て、細かいことは何も言わず、ひと目で気に入ってくれ、直しは内容的な部分数箇所だけだった。

そして、その私の労力を本当の本当にねぎらってくれたことはとっても嬉しかった。

さらにその資料はこれから先、誰かの役に大いに立つものだったり、100年先の人たちにだって引き継がれるような超本質のものだったりする。

そこに携わる機会を与えてもらえたこと、そしてそのために精を出した労力をありがたいと感謝されたことは、ものすごく嬉しいことだった。

お金には変えられない、素晴らしいものを私はヨシダさんと関わったことで得られた。

たしかにヨシダさんのための資料作りではあったけれども、それだけではなかった。

ものすごく私のためにもなった、なんなら何冥利かはわからないけれど、何とか冥利に尽きるとはまさにこのことを言うと思う。

本当の本当に、この資料作りを自ら申し出てやることになって良かった。




飲みながらヨシダさんは教えてくれた。

今回ヨシダさんが私に手渡した手書きの資料はかれこれ10年近くヨシダさんの手元にあったもの。

そしてその話を私だけではなく色んな人たちにこれまでもしてきたとのこと。

だけど、ただの1人もそれをきちんと資料にしようと声をかける者はいなかったそう。

ヨシダさんが誰かに頼めばいい話だけのようにも聞こえるかもしれないけれど、それだけではどうもないようだった。

ヨシダさんの提唱する内容は、ヨシダさんは実証済だし、なんなら農林水産省が定めるガイドラインに則った資格、有機JASまで取っている。

なんだけど、農業従事者の人たちは、ヨシダさんのその話を聞くとへ理屈を並べたり、半信半疑で聞いたりするのだそう。

私には並べるだけの理屈もなければ、半信半疑になれるほどの知識も全くない。

私のあまりの知らなさ加減に申し訳なさがあったけれども(なぜなら、漢字1つ、言葉1つ確認しなきゃいけないほどの手間暇がかかったから)、ヨシダさんはだからこそ良いと言った。

何の先入観もなく真っ直ぐに話が聞けて、聞いたままふんふんと自分の中に落とし込んでいくのが、私が無知であることが最大の強みのようだった。

無知という最大の武器を備える私に、ヨシダさんは教えてくれた。

この10年でヨシダさんに「じゃあそれを作ろう!」と本気で言って本気でやったのは私だけだったとのこと。

他の人たちでそう言ってきた人たちは誰一人いなかった、本当に私しかそれを言ってやってくれた人はいなかったと言った。

ヨシダさんはこれ以上ないくらい感謝してくれた。

私はヨシダさんに伝えた。

私は本当に知らない分野だけれども、ただ話を聞いてすぐにそれはやらなきゃいけないこと、形にして後世に伝え続けなければいけないことだと思ったこと、そしてヨシダさんの農家の人たちに伝えたいという意志もはっきりと知ったからこそ私にできることがあればやりたいと思ったこと、それを伝えた。

ヨシダさんは最初照れて、そんな大したもんじゃない、おまさん(お前さん)は上手に俺をのせすぎだとか言われたけれども、私はそれにさらに言い加えた。

私の場合、これまで何百人という人たちを見てきているから、その人が何を持っている人なのか、それはお金とか地位とかではなくその人にしかない強みを見ているから、ヨシダさんの持っているものは並外れてすごいことがわかること、そして1年くらい前に山で行方不明になった人を探して欲しいと頼まれた以降特に、本当の本当に「本物」と呼ばれる人たちの人生により一層関わるようになってきたこと、だから今回もヨシダさんのそれは本物だとわかることなんかを伝えた。

まがい物やいい加減なものは私のところには来ないから、来るのは本当の本物しか来ないような人生の仕組みだということも付け足して言った。

ヨシダさんも、それを冗談で私が言っているわけじゃないことはすぐにわかってくれた。

10年か…と思った。

10年駆け抜けた今の私でなければ、ヨシダさんにたどり着かなかったと思う。

そうした事の本質や人の人生を真摯に敬意を持って見るには、この超グチャグチャでツッコミどころ満載の色んな時を経ないと今の私にはならなかったから、だから満を持してようやく今なんだとわかる。

ヨシダさんからしてみても、私というのは人と随分と違うと言われた。

何がしたいのかと聞かれた時に、したいかどうかは定かではないけれども、私が残りの人生でやっていくことというのは、駆け込み寺的なものだと思う、それは何も誰かを家に泊めるとかいうことではなく、ある人の人生の窮地やどうにもならないような時、本当に大きな決断を前にした時、そういうような人生で誰しもが一度や二度迎えるような時に自分は居合わせる感じになると思うと言った。

ヨシダさんは黙って話を聞いていた後、
「俺はそれ需要あると思う」
と言った。

その前後で私はペンジュラムをヨシダさんの目の前で実演して見せたけれども、それを知っても尚ヨシダさんはそう言ってくれた。

なんなら具体的な物件まで知っているから、そこなんかすごく良い隠れ家的な場所だとさえ教えてくれた。




ヨシダさんと私とで、とにかく今の瞬間がとても不思議だと言い合った。

ヨシダさんは本当なら私が行った米の仕事の場所にいるような人ではなかったと思う。

事情さえ許せば、もっとスケールの大きな舞台で動く人かと思う。

ヨシダさんが今ここにいるのは、孫がいるからだった。

ヨシダさん夫婦が孫を生まれた時から育てることになったのは色んな事情があったからだというのは少しだけ聞いたからわかった。

ヨシダさんは、その時から海外に出ることも他のことも全部辞めた。

いつだったか「この子だけは俺が全力で守ってやらんきゃ(=やらなきゃ)」というようなことを言っていた。

それからヨシダさんは稲刈りの時期にだけ(あと大豆の時)、私が行った仕事の場所に期間雇用で行くらしかった。

もっとも見ていると、ヨシダさんはそこで全員の農家さんとやりとりするから、なくてはならない存在だと思う。

夏の暑い時、毎日日焼けの心配をしながら外に出ていた時のことを思い出す。

まさかそこでこんな風に誰かと一緒に飲むような仲に発展するとは思ってもみなかった。

ヨシダさんは言った。

「これまで色んな派遣の人たちや契約の人たちが来たけれども、こんな風に俺があの場所(私がいた受付係の待機場所)に行って話をするなんてのは初めてだった」

ヨシダさんは、手が空くとよく私のいた場所に来てくれて色んな話を聞かせてくれた。

日焼け防止のために、私は1人だけパイプ椅子を携えて日かげのところにいたこともあったけれども、そんな時もヨシダさんは来てくれたし、本当に色んな話をした。

「今年ほど俺は怒らなかった年はなかったし、今年はスムーズだったな、例年よりも」
とも教えてくれた。

自分で言うのもなんだけど、私が担当した受付係は本当に人に恵まれて、陽気な人や話し上手な人が集まって、さらには仕事をきっちりこなす人たちの集団だった。

状況を見て臨機応変に動ける人たちばかりで(1人だけ困ったちゃんがいたけれど、そこは適当にみんなスルーした)、だから受付がスムーズにいかないなんてまずなかった。

受付係に去年も来ていた人が1人だけいて、その人も去年とは比べものにならないくらい今年は仕事がしやすいと言っていた。

ヨシダさんもそう言っていた。

そんな風にして、よく見てもらえてた。

米の仕事に申込みに行った時のことを思い出す。

派遣会社が用意した職務経歴書に記入している途中だった。

米の仕事の営業担当が今近くにいてすぐこちらに来るので、武士俣さんは担当が来たらそちらで話をしてくださいと言われた。

程なくして担当者が到着して、担当者を私が用紙に書き終えるまで待たせて、書き終えると外のロビーの一角で面接のようなことをした。

書いている途中の段階で私の採用は決まってた。

そんなにも早く仕事が決まったのは、今回が初めてだった。

今思えば、ヨシダさんに出会うことも、ヨシダさんの資料作りを手伝うことも決まっていたと思う。

そして何が何でも行く必要があった。

今後どうなるかは知らないけれど、今回ヨシダさんとやりとりしたことで、ヨシダさんがすごい技術の持ち主だと知るエピソードがあった。

ある農業の手法で、その設計図とやらをヨシダさんは全部描けるらしい。

それは地球にやさしい循環型農業のとある特殊な方法らしく、その図面を描けるのはヨシダさんとそしてヨシダさんと一緒に組んでいたある大学教授だけらしい。

ところがその大学教授はすでに亡くなったから、どうやら今日本全国の中でその技術を持ってその図面を描けるのがヨシダさんただ1人だけのようだった。

発表できない理由として、学がないこともヨシダさんは挙げていたけれども、そこは何とかなる気がした。

どうしても学術的な権威が必要なら、私には2人ほど聞ける友達がいる。

今思い出したらもう1人当たれる友達がいる。

そしてこの話を占星術クラスメイトのノムにしたら、ノムからは想像を遥かに超えた提案をされて、それもヨシダさんに聞かなければどう言うかは知らないけれど、やり方としてはありだしむしろ面白い方法だから、それが実現したらどんなにか素敵かと思う。

ノムももしヨシダさんが興味を持てば、必要な人たちに繋げると言ってくれた。

図面を私が描くかどうかはさておいて(なぜなら、マニアックな図なら私がパソコンで作成するのは半永久的に完成しないから)、とりあえずできることならするし、できなければ次の手段を考えようと思う。

ちなみにヨシダさんが口にしていた単語をネットで調べたけれども出てこなかった。

私は専門的な知識がないけれども、勝手にノーベル賞やそれにノミネートされるぐらいのレベルのものをヨシダさんは持っているんじゃないかなと思う。

だって他にそのすごい設計図やそれにまつわる具体的手法は、この世でヨシダさんしか持っていないようだから、それはもうものすごい発見のものだと思う。

何でそこまで思うのかと言うと、ヨシダさんはその内容を自治体に掛け合ったらしい。

ところが自治体はヨシダさんのその内容を採用せずに、某企業にその内容を振ったらしい。

そしてその企業は今、そのヨシダさんの提唱したことを元に稼働している。

しかも今ささっと調べてわかった。

ヨシダさん、多分アイデアを盗られたかそれに近しいことをされたのではないかと思う。

ヨシダさんがそれを始めたのが10年ほど前からとなれば、その関連企業はほんの数年前に稼働で、さらに言うと資本にものを言わせてと言わんばかりに東京のよく知らない会社がその管轄をしているようだった。

実際の関連は詳しく知らないけれども、ヨシダさんはとてもじゃないけれども「信用ならない」と自治体については言ったし、そして稼働会社に関してもよくは言ってなかった。

自治体を巻き込めるだけのすごいものを提案したことは話からわかった。

どう凄いかはわからないけれども、ヨシダさんのそれは持続可能な循環型農業にまつわる何かで、それは地球がある限りその摂理に則っていれば無くなる事のない何かであるのは話の感じからわかった。

ヨシダさんにはとりあえず、そういう大事なものは次の世代に残さなきゃダメだと言った。

そんな大事なものは、ヨシダさんが亡くなったらもう誰も辿り着けないものになってしまうから、そうならないように形にして残すのが大事だし、それで私が何かできるのであれば、それについてもやれることはやると申し出た。

ヨシダさんとのあれこれはどうなるか知らないけれど、本当の本当に何かできることがあればできる限り手伝おうと思うし、それがどんな形であれ、本当に必要とする人たちに届いて欲しい、そう思っている。

2019年11月18日月曜日

かけ違い狂想曲


2019/11/18の夜明け



思い出す風景がある。

ワコと歩いた道。

歩き始めは6人だけれど、気付くとワコと私はいつも最後列で、気付けばみんながいなくなっていた。

歩くペースが同じの私たちは、ただそれだけで仲良くなるきっかけを得た。

私の人生でワコほど私のことを「不思議ちゃん」と呼んだ人はいない。

ふと気になって、今ほどLINEを入れた。

【すごいくだらない質問するけれど、ワコ私のこと今でも不思議ちゃんと思ってる?
今さらだけど、ワコほど私に不思議ちゃんと呼んだ人他にいなかったなぁと思って(笑)】

何て返事が返ってくるか楽しみ!

ちなみに私は自分がまともだとは思ってはいないけれど、かと言って不思議ちゃんとも全く思っていない、本気で!

ワコからの返事がきた。

「私、ぶっしーの事そんなに不思議ちゃんって呼んだかな?覚えてない💦笑
今はそんな風に思ってないよ。」

ほらほら、私は不思議ちゃんじゃない(笑)!!!

私は自分が本当にしんどかった時、小さなお金ではあったけれど、搾取されてさらには自分がそれを搾取する側から私が悪いと言われた時、ワコは言ってくれた。

「人を裏切るのも人だけど、人を救うのもこれまた人なんだよね」

どれだけワコに救われたかわからない。

ワコも相当な目に遭った時、先輩だか上司に言ってもらった言葉なんだけどね、と言っていた。

何があったのかを書きたいけれど、今回は名前さえもぼかして書いているから書けなくて、「小さなお金ではあったけれど、搾取されてさらには自分がそれを搾取する側から私が悪いと言われた時」と表現したら、実際は小さいことなのにとても重篤みたいな雰囲気で驚いた(笑)。

この話は今は笑い話な上、実際も当時からかなり笑える内容だから、重篤では全くない。

だけど中身を明かせないとなると、いや中身はいくらでも明かせるけれど、ワコとこれからもう1人話に出てくる里香のプライバシーを守るために、2人が身バレしないようにするには中身を隠すしかない。

どこから話が漏れても怖いから(←それを現在進行形で目の当たりにしてる人)、とりあえず隠してる。




続いては、真夜中のマクドナルド。

私はそのマクドナルドが未だにどこにあるのかを知らない。

当時、里香ともう1人の友達とが住んでいたそれぞれの駅の中間だったと思う。

ベビーカーでスヤスヤ眠る里香の赤ちゃんと共に、私たち3人は夜な夜な語り合った。

そこで里香が語った自分の人生に起こったことは、ものすごいことだった。

冗談抜きで私は「里香が今生きててくれて良かった」と思った。

今の日本で命からがら逃げるなんて体験する人なんてそうそういないと思う。

でも、里香が体験したのはそういうことだった。

そしてその日は里香の家に泊めてもらったけれど、里香は外に見せる顔と本当に親しい人にしか見せない内の顔とがあまりにも違いすぎる人だけれど、その日の里香は本当に素の里香で、おそらく外の里香の顔しか知らない人たちには信じられないだろうと思う。

里香もだしワコもだけど、今では2人とも超絶すごいキャリアなわけで、なぜこの2人と私とが今でも繋がっているのか世の七不思議状態だけど、なぜか繋がっている。

これはワコもだけど、私は双方の家に何回ずつか泊まらせてもらっていて、夜な夜なピロトークで語って、お互いに剥き出しみたいな顔や本音を知っている。

2人とも今じゃキャリアの方が凄すぎて、反対に私のような何も持たない人の方が双方の友人関係では珍しいと思う。

珍獣って言葉が出てきたけれど、珍獣でも絶滅危惧種でも、そういうタイプのポジションに私はちゃっかりといられたわけで、だからワコとも里香とも今でも繋がり続けるんだと思う。

私の周りはスーパー優秀な人たちばかりだけど、その中でもワコと里香は群を抜いて優秀且つこれからも独自路線で上に行くだろう人たちだったりする。

その2人が今回揉めに揉めて、もはや2人でのコミュニケーションは成立しないところに来ていて、それで弁護士から作ってもらった書類とやらを里香がワコ向けに送ろうと、あとはポストに投函するだけ、というタイミングで里香は私に連絡してきた。

私は全力でお願いした。

2人が水と油なのは今に始まったことじゃないから、そんなのは知っていた。

だけど、何を間違えてそんな怖い書類をワコに送りつけるのか、と半分呆れながらも真剣な声で「あと1日でもいい、それを待って」と里香を説得して止めて、そこが全ての出発点だった。

仕事が決まらない宙ぶらりんな時にこんなことしてる場合じゃない気がかなりするけれど、でも現実的に今がそうだから仕方ない。

今見てきたら、今日でちょうど10日ほどだった。




その後もとにかく色々あって、それでようやく着地点が定まって見えてきて、あとは着地点に向かって動けばいいだけになった。

私が今回、2人共には言ったけれど、この茶番劇に自ら首を突っ込む一番の理由は、2人の人生の道を守るためだけだった。

優劣をつけるつもりはないけれど、ワコも里香もそれぞれが日本で唯一無二と言ってもいいと思う、そういう分野に携わっている。

そして、それは2人でないとそれぞれできないことだったりする。

それは単なるキャリアではなく、2人それぞれが生まれてきて色んな幼少時から大人になってあるところに至るまでの全ての経験がないとできないことだから、私はそれを最初から知っているから、だから今回もここまで首を突っ込んでいる。

2人の代わりなんて誰もできない。

真似すらもできないと思う。

私から見て、2人のそれぞれの道というのは、やりたいからやるというよりも、道の方から呼ばれてやるようなことだと思う。

誰でもいいわけじゃない。

代わりのきかない道だから、2人のことは全力で守らなきゃダメだと思った。




数時間前にワコと2回目の電話をした。

その前に私はワコに長いメールを2通送った。

1通は、私の足らない頭では到底カバーできない実務的なヒントを、別の共通の友達に聞いて説明を書いてももらったし口頭でも電話越しであれこれ説明してもらって、それをひたすら書いたものだった。

もう1通は、ワコ個人に向けた私の気持ちだった。

とにかく私が動く理由はここに書いた通り、ワコと里香を守るための他ならず、だから色々厳しいことや納得のいかないことを私が言うかもしれないけれど、それは責めてるのでもワコを否定するのでもなく、本当の本当にワコとワコの人生にとって大事だと思うことを言ってるだけだということを書いた。

いつものごとく、あれこれ書いてたら長くなった…。

ワコにメールを送ると一言連絡を入れると、
「文章が好きなぶっしーのメールは喜んで拝読いたします…笑」
と返ってきた。

ワコの反応がすごい怖かったけれども、何ともなくて、その後私たちは1時間弱電話で話した。

ちなみに、ワコも里香も2人ともオール白で、一点の曇りもない。

曇りはないんだけれど、ちょっと事務的な落ち度があって、それがまた笑えるくらいにおかしなことがいくつも重なって、超とっ散らかってる。

で、そのとっ散らかってるのは今2人それぞれ整理を始めたからいいけれど、なんとそこをどこの誰かも知らない人が見つけてきて、それをまずは里香が大きな会議の場で追及されて、そしてそれの追及の先にはワコも名を連ねているものだった故に、それでワコの方にも飛び火した形だった、何百キロと離れたところで。

里香いわく、国会の野党追及みたいな有り様だったらしい。

もう一度言うけれど、2人は100%白で、本当に何一つ悪いものはない。

ただ、事務的なところにイレギュラーな落ち度が含まれていた、というだけ。

とかいうところが今回の火種で、私からすると「何だそれ?」って感じだった。

追及の空気を生んだ、要は今回の火付け役は超ケツの穴の小さい、志を捨ててきたんか?と言いたくなるくらいの人ではないかと想像している。

なぜなら、里香は今もって何でこんな事態になったのか、誰の先導でこんなことが生じているのかわからないと言う。

里香いわく「私のしてることに嫉妬してるんだと思う」と言っていたけれど、私もそう思う。

里香のしていることは代わりがきかないくらいに超専門的なことで、それを妬んで「それ何年前のことなの?」ということをネタにしてきている。

それが今回の茶番劇で、その追及の煽りを企てた人は今も身を潜めている。

おまえも前に出てこーい!!!と言いたい。

それはそうと、そういうチンチクリンな人がいたわけで、おかげで2人は今、落ち度のあったところをもう一度補強するチャンスに恵まれたわけで、そこはいいのだけれど。

ワコと話した時に「世知辛い世の中だね」とワコは言った。

「そんなにみんなね、ルールをたくさん敷いて、そこから1ミリでもズレてはいけなくて、そんなのみんな息苦しくなるだけなのにね」

本当にその通りだった。

何度も言うけれど、ワコも里香も完全なる白で、抜けていたのは単なる事務的なもの。

そんなのは他の誰かが代わりになれるからいいけれど、ワコの代わりとか里香の代わりなんて誰もできない。

2人の着眼点に基づいた活動は、ワコならワコ、里香なら里香にしかできないもの。

世の中のルールに則った事をきちんとしておくのは大事だし、今回の場合、その点において2人共が天才的なすごいありえない事務的な凡ミスをやらかしてくれたわけで(←だからややこしい)、そこは2人も大いに反省しているし、私もそれは2人に「とにかく誰に突っ込まれても大丈夫なように、そこだけはきちんとしよう」と伝えた。

それは落ち度あるところは仕方ない。

だけど、今の世の中はその凡ミスが命取りになったりもする。

凡ミスだけを見たら、誤解を生む可能性はたしかにある。

それは否定しない。

だけど、それはきちんと世に通る形にすれば問題ないわけで、本来ならそれが誰かの人生の命取りになるようなことでは絶対にない。

なのに、今回里香が出席したところの誰かがそれをスクープと言わんばかりに取り出して、そして里香がガンガン追及される事態となった。

里香はとりあえず、物が揃ったら、その物を持って関係各者に謝罪とお礼に行く。

1ミリもごまかさず、自分の至らないところも正直に話し、そして求められているものを提示する。

同じことがワコのいつかの未来にも起きないように、それでワコも今動くようになった。

ワコは当初里香の不手際として、自分が何でこんなことしなきゃいけないの?というスタンスだった。

それを周りから言われ、そして私が最後通告として、本気で危ないからやらなきゃダメなことを伝えた。

真っ白でも世の中はたった1つのちょっとルールから外れたことをつまんで、そこを追及するならまだしも人1人の人生を蹴落とすぐらいのことをしてくる。

ワコもワコにしかできないことをしているから、それを面白く思わない人たちも少なからずゼロではないと思う。

だから、本気で気をつけてと、そしてそのために面倒でも多忙でもそれはやっておけば自分の身を守れるからということを全力で伝えた。

本当に世知辛い。

社会のルールは一定の安全や安心を保つためには必要だと思う。

だけど、それをあまりにも細かくしてその細かさを絶対にした時に、それで大きな社会的損失も生まれると思う。

国の桜を見る会なんかは中止になっても本当に困る人やそれで不利益被る人はいないと思う。

開催先のホテルやそれに関連する業者は損失が出るかもしれない。

だけど、人の命レベルでの損失とは訳違う。

ワコのメールには書いた。

ワコや里香のすることというのは、これから何十年、2人が亡くなった後も継承されるようなものだということ。

2人それぞれのすることが何十万人、何百万人の人たちの人生のどこかを救うものだと私にはわかるから、だからこれは全力で2人からやんややんやと言われようが通さなきゃいけないことだった。

2人が自分のフィールドに立てなくなるようなことがあるのなら、2人も困るだろうけれど、それ以上にもっと困る人たちが出てくる。

だから、白のものを白だと証明するための手続きの抜け落ちたところを今やろうという段階。

で、肝心かなめの当事者2人が水と油すぎて円滑に物事が進まないから、これだけの大騒動になった。




ワコと話した後、里香に一報連絡を入れた。

今後諸々の事務的なプロセスを進める際に、何かどうしてもワコに話が通じないことが出てきたら、私がワコに話を通すから、その時は言って欲しいと伝えた。

ワコも里香も本当に助かっているのが、2人は私に互いの文句や不平不満を色々言うけれども、私がどちらに寄るのでもなく、どちらとも連絡するのを快諾してくれてる。

「私は相手と友好的なやりとりはできないけれど、ぶっしーは気にせずにどうぞ」というスタンスで2人共がいてくれるから、私も2人の間を自由に行き来している。

最も、自分で言うと卑しいけれど、今現在確実に2人それぞれとどちらに偏ることもなく話せて、本音を引き出せるのは私しかいない。

2人からしてみても、私を自由に泳がせておくことが一番良いこともわかっていると思う。

どちらかが「もう1人と連絡取らないで!」なんて言い出したら、そこはもういきなり里香の弁護士封筒に出番が回ってきてしまう。

今そうならない形での解決がかなり見えてきたから、そしてそこに他にも私以外に3人加わって形が落ち着くように尽力している。

だから、私は実務的なことはあまりにも知識がなさすぎて何の役にも立たないけれど、2人それぞれの為すべきことが為されるために必要なコミュニケーションは双方とようやく取れるところにまで来たから、それは事態収束の時まで必要な時は頼まれたらやろうと決めてる。

私はもう足場は固まったから、あとは必要に応じて動くだけにした。

何も動かなくてもいいなら、あとは見守るだけでいる。




風呂の中で変なことを考えた。

おばあちゃんになったワコと里香と私とが会した姿を思い浮かべた。

最初、もうワコと里香が生きているうちにお互い再会することは二度とないだろうと思った。

それは仕方のないことでもちょっぴり寂しいことだった。

こうやって出会っても、生きていても、互いに会いたくないとなれば会えないんだなぁと思ったら、それはお互いにストレスがないから一番良い方法だとは知っていても、私はなんとなく寂しくなった。

年を重ねて婆さんになった自分たちを想像して会うことを思った時、それもそれで私がストレスだと思った( ̄∀ ̄;)。

テーブルに3人で着いて、優雅なカフェタイム(ちなみに3人とも飲むから、実際はビアタイムだろう)は、優雅どころかバチバチと火花が散って、とてもじゃないけれど落ち着いてその瞬間を楽しむことなんか絶対にできない。

それもなしだなと思った。

双方から「ワコって元気にしている?」「里香ってどうなった?」とか聞かれることもまずないと思うけれども、もしいつかの未来に2人が柔らかくなってそういうことを聞いてきた時には、私は知っている限りのことを話そうと思った。




夜明け前にワコが私に長いメッセージをくれた。

事務的なものはさておき、今の自分が見ている世界がどんなものかを教えてくれた。

やっぱりワコは思った通り、事務的なことは喧々轟々としていたけれど(←里香に向かって)、それを取っ払ってしまえば、本当に志を持って自分のフィールドに専念していた。

日本全国どこを探してもワコがやっていることと同じ目線で同じようにできる人は誰もいない。

ワコのテーマは、命のある今をどう生きるか、というようなことをある特定の対象者に絞って見ていくこと。

そんなワコがこんな風に私に書いてくれた。

「今、哲学とか宗教とかちょっと見てるとね、人間が理不尽な出来事に出会ってしまった時、(法律なんて、よほど国が成熟しないと効力ないものだから)、霊性を見出し生きる術を模索したんだろうなぁ…と。

理不尽すぎる世の中ではスピリチュアルな世界観が求められる。経済の低迷や、災害が起きると宗教と哲学が台頭するらしいし。(もはや、ムハンマドやらキリストやらシャーマンも、私にとっては精神疾患患者なのだけど笑)でも、それで救われる人がいて、未来を見ようとすることができるなら、それは素晴らしい事だと思う。

だから、ぶっしーのように考える人が人の心の荒みを浄化するだろう…と思ってるよ。」

私も今自分の身の振り方をどうしていいものかわからず、右往左往している。

だけど、今回の一連のことを見ていても、里香も似たようなことを言ってくれたけれども、ぶっしーの役割は今ここでやったようなことで、それは他の人ではできないと言ってくれた。

どちらに偏るわけでもなく、全体を見て必要なところにテコ入れをする。

そして、自分から見てこれが大事と思うところはブレない。

とにかく、今回も、ワコと里香が最終的に解決するまでは、必要な時にまたのこのこと首を突っ込んでいこうと思っているし、要らない時はさっと身を引こうと思っている。

3人でのカフェタイムは無理でも、またいつかのタイミングでワコと飲み語りを、里香と飲み語りお泊まり会をそれぞれやろうと思う。



追記:タイトルは大いに悩んで、「狂想曲」にすることにした。
漢字を見ると、協奏曲と狂想曲がある。
Google先生によると、
協奏曲→独奏楽器と管弦楽とが合奏する形式の器楽曲
狂想曲→変化に富んだ自由な手法で作曲した器楽曲。
これが転じて、【特定の出来事に対して人々が大騒ぎする様子を比喩する際に用いられる言葉】
あらやだ、狂想曲、ピッタリじゃん( ̄∀ ̄;)…

2019年11月16日土曜日

2019/11/15 撃沈付きつれづれ

気持ち良く帰った時の夕焼け空
2019/11/15


久しぶりに超主体的に他人様(ひとさま)の問題に首を突っ込んだことの記録簿。

感想。

「超めんどくさ\(ΦдΦlll)/」

電話の最中、3人も電話がきて、さらには非通知での電話も!

カオス・カオス・カーオースー!

そして、学んだこと。

周りが首を突っ込んできてまで何かを伝えてくれている時は、自分や自分の状況を一度冷静に見る必要があるな、と。

想像以上に内容は大混戦、もはや素人が太刀打ちできる状況などとうに越えていた。

不謹慎すぎるけれど、思わず今回の騒動と星とを絡めて考えた。

双方の言い分もあるし、それぞれが細かいところでやらかしてることもあるから、そこはもうお互い様だと思う。

ただ、星と絡めて思ったことは、どういういきさつにしても、「今現在問題が勃発している」ということをどう捉えるか、それにどう向き合うかが大事だし、そここそ今回の騒動の結果がそうした個人の姿勢でどう変わるかの鍵を握る部分だと思った。




終わった。

怒涛の丸1日おしゃべりかLINE・メール業。

米の仕事ヨシダさんと占星術講座のクラスメイト・ノムとのやりとりは癒されたし面白かった。

ヨシダさんからは本物の「自然・生態系の循環」を教えてもらって、ノムからは共同執筆した書く仕事の担当者の人と町でばったり会って、今度いつかぶっしーと3人で会いたいと話してたんだよと教えてもらった。

その2人以外に今日1日だけで4人とやりとりして、そちらは内容がヘビーすぎて、これを書いている今グッタリ。

今はとても笑えないけれど、4人と同じテーマでやりとりして、それぞれのスタンスや考え方が見えて、これ「捉え方の違い」とかいうテーマでネタになりそうと思った。

おかしな感想だけど、同じものを見ていても、同じ出来事を体験していても、感じ方や捉え方は千差万別なんだなぁとわかった。

Aさんが共感するポイントはBさんにとって怒りのポイントで、Cさんにとってどうでもいいことで、Dさんにとって最重要課題で…みたいなことが4人とやりとりするとすごくよく伝わってきた。

感動したこともあった。

そのうちの1人に、私に知恵を貸して欲しいとお願いした。

ものによっては一般常識が大きく欠けている私に、その今回のやりとりの最大の争点にまつわる一般常識を知る必要が出てきた。

それを教えて欲しいとお願いした。

私はLINEにお願いは書いて、あとは電話で教えてねと言っていた。

そうしたらなんと、その貸して欲しい知恵に関して、この上なく超丁寧に文章での説明を電話の前に書いて送ってくれた。

私1人が必要としたものではなく、他の人も必要としたからこそ丁寧に言葉に起こしてくれたのかもしれないけれど、本当の本当にすっごくわかりやすい説明だった。

そして色々忙しいだろうにその合間にさっと時間を作って、即文章を書いて対応してくれた。

神ってる、本当にそんな風だった。

本気でありがたいことだった。

助けてもらえることの凄さも感じた。

私のこの辺りの腹黒さもどうかと思うけれども、私は謝ることに基本的には抵抗がない。

謝ることで丸く収まったり、状況が和らいだり、はたまた自分の得となることが先にあったら、抵抗を覚えるどころか超意欲的に謝る。

とにかく、ごめんなさいとありがとうは魔法の言葉で、その2つは言うだけで場が和んだり助けてもらえたりする。

私のは完全に安売り状態でも、何せ抵抗がないしおいしい思いもよくするから、ある種やめられない。

私にとっては「おはよう」レベルだから、もうじゃんじゃん言う。

今回の騒動も、ありがとうとごめんなさいが言えていたのなら、今はもっと違う結果なんだろうなぁと思う。




最後の電話の前に、長くなると悪いからと思って、布団を敷いた。

布団を敷きながら、カバンからペンジュラムの入った袋を出して中身を取り出したら、なんと青いラリマールのペンジュラムがない。

最初どこかに紛れているのかと思って、布団を戻して見たり、毛布をヒラヒラしたり、他にも物をどかして見たり、車の中を確認したり…というようなことを二度三度したけれど見当たらなかった。

たしかに出かけたけれども、今日は車の運転中以外にペンジュラムの入った袋をカバンの外に出していない。

あまりにも盛りだくさんすぎてグッタリしたところに、追い討ちでペンジュラム失踪事件でさらに撃沈。

翌朝も車の中もカバンの中も袋や思い当たるところもどこもない…(涙)。

どうか見つかりますように…。

お尋ねモノ:真ん中の青いラリマール
2007年より共生中

2019年11月14日木曜日

カオスな日常ー2019年霜月

父の体調のことを妹たちに伝えた。

私はその瞬間、冷静に話すつもりが泣き出してしまった。

姪っ子のズボンに飾りをつけようと手を動かしながら話したけれど、言おうとした瞬間、気持ちがいっぱいいっぱいになって普通には最初話せなかった。

私はそんな風だったけれど、妹たちには事の深刻さが伝わっていなくて、なんなら真ん中の妹は私の気のせいではないかというようなことまで次の日かその次の日言い出した。

大きなため息をつきたくなるような気持ちをはじめ色んな気持ちが噴出しまくりだった。

私1人だけが父の死を意識してる人なのかと思うくらい。

言うなら私は死を意識して、妹たちは一過性の体調不良ぐらいにしか思っていなくて、私の目が節穴で私の感じ方が大袈裟過ぎるのかと思ったくらい、ものすごい温度差だった。

感じ方の程度の問題だから、感じ方を私が変えることはできない。

私の心の中では何とも不思議な空気が流れていた。




妹たちがいる間に、父はいつもかかっている内科の先生から紹介状を書いてもらうためにクリニックに通院した。

2年前なのか3年前なのか、父は何かの精密検査のために今回同様、紹介状を書いてもらってそれを持って検査を受けたことがあった。

父いわく、大きな総合病院に紹介状を持ってかかっても、初日は内診を中心とした初診で、その時に精密検査の検査予約をして、後日改めて検査をするとのことだった。

だから
1、かかりつけの内科にかかって紹介状をもらう
2、紹介状を持って大きな病院へかかる
3、2とは別日に大きな病院で精密検査を受ける
の三段階があると知った。

そんな風だと時間がかかるから、とにかく早く紹介状を書いてもらって、早々と大きな病院を受診するのが先決だと思った。

ところが今回は、総合病院のシステムの変更なのか、それとも父の健康診断の数値が悪すぎるのか、理由は知らないけれど、なんと直で精密検査の予約も取ってもらっての紹介状となった。

かかりつけ医がそのようにした。

そんな話を父は帰って一番に顔を見た私にそれを言ってきた。

そして「最初言われた今週の金曜は仏滅だから縁起が悪いと思って、大安の来週の金曜にしてもらった」と言った。

うちの父ほどそうしたことに無頓着な人もいなくて、唯一葬式の友引だけを気にするのみで、あとは基本仏滅だろうが大安だろうが何も思わないようだし、そんなことに何かの願をかけるなんてことはまずしない人だとばかり思っていた。

何でそんなことを言うんだろう…と私は普段とは違う父のあり方を知って、またひとつ、胸がキュッとなった。

そんなこと気にしない人が気にするって…。

本人も相当自覚してるとしか私には思えなかった。

そして、さらに驚いたのは、どうもそのことを父が言ったのは、私にだけらしい。

母にその話をしたら、「そんなこと言ってたの?」と返ってきた。

妹にも聞いたら、医師側の都合で日にちが変更になったことは言っても、大安だの仏滅だのに父がこだわって日にちを希望したことは言わなかったようだった。

父は何十回と同じ話を繰り返す、典型的なおじさんあるあるだから、こんなこと普段なら何十回だって話してくる。

なのに今回は、そんなネタとしては面白そうな内容を父は私にだけ言って、他の3人(母と妹たち)には言わなかった。

いつもと違うことを今このタイミングでされるのは、変に疑ってしまう。

いつもと同じであることをこんなにも強く願ったことはない。

ちなみにかかりつけ医経由で検査予約をしたら、大病院の先生の都合で大安の日は学会なのか何なのかで不在、前の日の予約に変わった。

結局、父の検査の日は仏滅となった。




その病院に長いこと勤務していた友達(今は同系列の別病院に勤務)がいて、その子に紹介状付の初診でいきなり検査予約までできるのかを聞こうと思えば聞けた。

過去10年以上に渡り、何かしら体の不具合や家族の不具合があると、それについて専門的知識で答えてくれる看護師の友達がいる。

その子にも連絡を取ろうと思えばいつでも取れる。

だけど、私は今回どちらにも連絡を取らないことにした。

もうなるようにしかならない、そう思った。

そして、もし今回の流れが通常とは異なると知ったら、それの方が今の私には受け止められるキャパがないから、どっちみち近くに検査をするから、色々知るのはその時でいいことにした。

今普通に生きている父だけを見ていたら良い気がした。




姪っ子や妹たちがいた時に、私は普段なら絶対にしないことをした。

基本的に姪っ子たちがいる時、私は最低限の連絡を誰かと取ることはしても、長電話をすることはまずしない。

そもそも電話もしない。

しても、メールやLINEのみ。

目の前の姪っ子たちとの時間が大事だからそちらを優先する。

今回は、待ったなしの事情が急遽浮上してきた。

長いメールを書いたり、長電話を2人とした。

1人は全く電話どころか連絡を取る予定もなかった。

だけど連絡が来て、当初はLINEだけであっさり済ませる予定が、共通の友達2人の危機的状況をその人はその人でやっぱり心配していて、それがわかって私から電話を持ちかけた。

なんか電話した方がいい気がすると思ったから。

電話して大正解で、社会的立場で今回の事の次第を見ると、本当の本当にとってもやばいことがわかった。

私は事の重大さをかなり甘く見ていたけれど、今回電話で話した友達Aは、それがいかに危ない橋で今後どのような危険をはらんだものなのか、私にとてもわかりやすく説明してくれた。

今私たち共通の友達2人の人生そのものがかかった大きな局面にある。

プライベートな仲間内でやりとりをする範疇なんか、本来ならとうに越えている。

本当は正式な社会に通用するやり方で事を解決するのが筋だと思う。

それを私が「お願いだからもう少しそれを待って欲しい」と渦中の1人にお願いして、当事者のもう1人側にも話をさせて欲しいと言って、正式な解決方法ではない別の友好的な方法で解決できないものかと、今超ギリギリのラインに立っている。

それを私は自分1人でやるつもりでいたし、そんな細かなことは周りの他の友達は誰も知らなくていいと思っていた。

だけど、別の友達Aから連絡が来て、Aも2人の先を案じていると短い文面からすぐにわかった。

Aもわかっている。

今回のことが、本当に一歩間違えたら、2人の選手生命を絶つぐらいのレベルなことを。

だから私がそこに首を突っ込んでいることを知って、連絡をくれた。

Aが野次馬的な感じではなく、本当の本当に2人の先々を案じていることが短い文章の中で即伝わってきたから、私も連絡しようと思った。

電話して正解で、Aは専門知識と経験をたくさん積んでる人ゆえ、今回の問題点と解決方法をズバリと言ってくれた。

それは社会的な立場でずっと色んなことに携わってきたAでなければ助言できない内容だった。

渦中の2人のうちの1人に近々連絡をするけれども、今回電話をしたAにお願いをした。

もし話がそこそこきちんとできて、そしていざ実務レベルでの対応の話にまで事が上手く運んだ時、私は実務に関してはパーチクリン、本気の無知無能だから、その時にAのことを引き合いに出して、Aが知っている実務レベルでの専門的助言をその電話する予定の渦中の1人に提案してもいいかと。

そこはスーパー上手く言う予定で、私がお願いしたということ、本当にお節介もいいところだけど、私が自分の勝手な考えで足りない知識を補うために電話して確認したこと、確認したらAがこの上なく専門知識を持ってそれを知識のない私みたいな人にもきちんとわかりやすく説明できる人とわかって頼んだことを説明するから、本当にお願いできるならお願いしたいとAには言った。

Aは二つ返事でやりますよと言ってくれた。

自分ができることなら、それは2人の人生をも左右することだから、やれることはやりますよ、と快諾を得た。

私の中で希望的観測を立てた。

渦中の2人は、今まともに2人で話ができる状態にない。

友達Xと友達Yの間のことで、X側からは一通り話を聞いた。

Xがあとは対応するだろうと思ったのと板挟みは単に面倒で、私はYには一切連絡を取らなかった。

そうしたらYから連絡が何日か前に来た。

Yの短い文面を見たら、放っておいて事の成り行きを見守ればいいレベルにないことを察知した。

Xではもはや大事な部分が伝わらないのは確実で、だからそこが少しでも伝わるように、まずは大きな心的ダメージの部分を話を聞くことで緩和できないものかと思った。

そこが緩和しなければ、心が抵抗しまくって本当に大事なことが伝わらない。

私は専門知識はないけれど、感情を動かして物事を動かすことしか今は多分無理だとXには説明して、それでそうした切り口からYとやりとりしようと思うから、それが終わるまでは他の社会的手段に出るのを待って欲しいとお願いした。

社会的手段では、形は解決するかもしれないけれど、事の重大さや真意が伝わらなくて、最悪な結果を未来に招く可能性がある。

なんなら、X・Y共に、2人それぞれの超マニアックなキャリアの道が閉じる可能性だってある。

2人のそれぞれのキャリアは何千人、何万人の人たちをも救うすごいことで、それを今の小さな事でこんがらがって社会的損失を生み出す方が痛いのは火を見ずともわかる。

現にXは私と超寸前のところでやりとりしたことで、周りの専門家からのアドバイスではなく、私が大事だと言い続けた方のやり方を採用した。

XにはYにも同じように心理的な対応をまずは試みたいと伝えた。

そして今回Aから連絡がきてAと話したことで事の重大さをようやく理解した私は、AならYも実務レベルのやりとりを話せるだろうと思った。

そして、YはAの話なら聞くだろうことや、Aになら素直に甘えて実務レベルでの色々ぶっちゃけた質問もできるだろうと踏んだ。

そんなこんながあって、当事者の友達Xにも連絡をその後入れて、事の次第を伝えた。

もうやれるだけのことはやろうと思った。

謎のお節介おばさんになっているけれど、とにかくやるだけやってダメなら仕方ないけれど、今ならまだとてもやさしい方法での解決への道の可能性が残されている。

それに賭けるしかない。

私がやらかす可能性も多大にあるけれど、とにかく誠心誠意を持ってやれることをやるしかない。

私は心理的な部分のほつれを担当して、Aには実務レベルの部分を担当してもらうことで今のところ話がまとまった。

そんなことを、3歳児主催のパーティーごっこなんかと時々テンションを入れ替えながらやっていた。




自分の名前を冠した書籍が、担当者の方より月曜日に届いた。

本当は家族全員がいる前で披露しようかと思ったけれども、色々ありすぎて心が落ち着かず、まだ封筒を開けたのみで中身は開いていない。

近いうちにそれはドヤ顔でブログにアップする予定だけど、そのことを家族に何かしら理解されず、思わぬ方向で言葉が飛んできても嫌だと思って、それでみんなに見せるのはやめた。

家族こそ、こういう時に一番喜んでくれる可能性と一番辛辣なコメントを言い出す可能性の両方を持っているから、私は後者におののいて、今回はとりあえず自分1人が先に見て落ち着いたら家族にも見せることに決めた。

そうでなくても、上の友達の件や父の体調の件であれこれ心が重苦しくなっているから、そこは慎重にいこうと思った。




今日水曜日(11/13)、派遣会社から電話がきた。

先週の金曜日に英訳の仕事のエントリーをしたいと申し出て、それに対する調整が終わって連絡が来たのかと思った。

電話は全く想像もしていなかった展開となった。

まずは事務方の担当者の方が事の次第を伝えて、「相手企業さんと調整中でもう少しお待ち下さい」と言われた後に、武士俣さん久しぶりですから営業担当のWに代わりますと言われた。

私はこの派遣会社から2つの仕事を過去に繋いでもらって行かせてもらったけれど、一度として内勤と外勤(営業)の2人と同時に電話口で話したことなんかない。

すでにおかしいと思った。

外勤の人は、2年前の春先まで勤めたところの担当者の人で、私が基本的に何でもずけずけと聞くのも、派遣先の企業と派遣元の会社のやりとりなんて本来私が聞くような立場に全くないのに、そういうことも聞いちゃう人だというのを知っている。

だからWさんは今回ももれなく、聞いてもないのに現在どのような事態に転じているのかを教えてくれた。

社会人をしている中で、初めて聞いた話だった。

今回エントリーしている会社は、地元では超がつく優良企業、大手企業。

これを書くにあたり、私は従業員数とか設立年月日とか調べてきたけれども、雇用形態は不明だけど従業員数は余裕の1万越え、設立もその業界ではおそらくものすごく古い歴史のある部類に属すると思う。

世界的に有名な某メーカーに某部品を9割以上提供している会社で、そんな凄い技術の会社がなぜこんな片田舎にあるのかは知らないけれど、とにかくある。

何が言いたいかと言うと、派遣先企業には潤沢な資金がある。

そして、世界的メーカーがこれから先も100年以上存続するような部門のものだから、余程のことがなければ倒産しない。

そういう企業への今回は応募になった。
(派遣会社に問い合わせた時は、会社名が伏せられていて仕事内容しか書かれてないから、電話するまでどの会社の仕事かは知らなかった。)

さてWさんの話。

Wさんいわく、先方の企業が、年度の途中、実際残すところあと4ヶ月ほどなわけで、そこに私1人を派遣で雇う資金源について、話し合われているとのこと。

同じ金額を捻出するなら、事務方よりもエンジニアを雇いたい(派遣会社の情報にはエンジニアの募集はない)、今現在、部門の部長レベルで英訳事務を雇うか見送るかの話し合いが行われている、だからそれ次第でそもそも私の雇用に向けての面談をするしないも変わってくるとのこと。

現実に、そのポジションに入っていた前任者がなかなかやらかしてくれて、本人ももたなかったのと派遣先の会社側も希望しただろう雇用打ち切りみたいな感じで終わったことは金曜日に聞いていた(内勤の人から)。

だから私は、前任者が実際にやらかした事態になった時どう対応するかを内勤の担当者から金曜日の時点で聞かれた(←こんなことも初めて)。

その部分はクリアできそうだったけれども、英語力の面でどの程度何を求められているのかわからなくて、企業さんの希望に合わない可能性もあります、というのは私の方から言った。

そうした前例もあって、そして私の履歴書的なものもさぞかしやばそうな感じで紹介されているだろうことも想像がつくから、色々難航しているのだろう…とは思った。

ヤバイというのは、転職しまくりな私の履歴書は一般社会からは見栄えが悪い。

今は就業期間や年齢を書かないことになっているらしいけれど、そうであっても私に積極的に会いたいとは、優良企業であればあるほど抵抗を覚えると思う。

そして、本当に何が真実なのかは知らないけれど、もしその資金云々の話し合いが本当であれば、それさえも私からすると「変」と感じた。

そんな派遣先の企業が雇う気があるのかないのかわからない仕事だと派遣会社は知らずに募集をかけてるわけがない。

少なくとも、派遣先の企業からこういう人材が欲しいと打診があって、正式な契約も交わして、派遣会社は募集をかけているわけで、何この訳の分からない実際は!?と思った。

派遣先企業が雇いたくて派遣会社に求人を出してるはずなのに、何で今さらになって雇用するためのお金があるとかないとかいう、そんなレベルの話なのか、はっきり言って支離滅裂な事態になっている。

もはや神ってる異常事態で、私にはとにかく「不思議」としか映らなかった。

そこまで来た時に、ピンときた。

行ってはいけなければ、今回は確実に落ちる。

反対に、絶対的に行く必要があれば、予算だの他の懸念事項だの全てクリアしてでも私は行くことになる。

そんなの神々の審議会レベルのことだから、私はもうどっちに転んでもいいと思っている。

ただ落ちるなら落ちるで、私の生活や親との諸々の(面倒な)やりとりがあるから、さっさと落としてねと思った。

落ちたら落ちたで私はすぐ次を探す必要がある。

もし採用の方向で話が動いたら、それは行って大丈夫だから何もごちゃごちゃ考えずに引き受けようと思った。

ということで、先々のことは今もなお宙ぶらりん街道をひた走っている。

そういう状況だけあって、そりゃ派遣会社も2人揃って状況説明を懇切丁寧にするよねーと思った。←こういうネタだけは、私の場合事欠かない。




姪っ子と妹たちを駅まで送った後、家で久しぶりにのんびりして、ドクターXの再放送を見て、少し昼寝しようかと畳の上にひっくり返っていた時だった。

米の仕事でお世話になったヨシダさんから電話がきた。

今は枝豆に関する期間雇用で同じ敷地内の別施設にヨシダさんは行っているけれど、それが明日で終わるとのこと。

飲み会があるから来ないか、代行代は俺が出すと言われたけれど、20キロ近い距離の代行なんて金額の想像もつかないから、それはお礼を言って、行くなら私は飲まずに顔を出すし、他の人たちにも声をかけて行けそうなら行くと伝えた。

それとは別に、本当の用事の、農作に関する資料作りのために金曜に集まりたいと打診があった。

ヨシダさんの方も資料の整理が終わったとのこと。

それはヨシダさんが何十年という農業技術に関して色んな角度から携わって、そこから導き出したこれからいつでもどこでも誰でも活用できる虎の巻みたいなもので、ヨシダさんはそれを自分が関わった何百軒という農家を回って配り歩きたいとのこと。

そのために見える化した資料が必要で、パソコンを使えないヨシダさんはずっとそのままにしていたけれど、私はそれをヨシダさんに代わって作るところだけ担当すると1ヶ月ほど前に会った時に申し出た。

それのための第1回目のミーティングを金曜にしたいとヨシダさんは言った。

私も、何せその英語の派遣の仕事が宙ぶらりんだから金曜などまだ余裕で空いていて、二つ返事で空いてると伝えた。

ということで、金曜日にヨシダさんと会うことになった。




現実的なお金を稼ぐ仕事の話は全くまとまらず先行き不透明だけど、そうではない超プライベートだけど人の人生がかかっている方の話はどんどん進む。

ものすごいカオスだけど、そして相変わらずはたから見たら引きこもりニートなわけで、それに対して弁明などする気もないけれど、とりあえず来たものから着手することにした。

プライベート側は、今のうちに積める徳は積んでおこうと思うv( ̄∀ ̄)v←色々考え方が腹黒い。

結婚とか、パートナーとか、そういうことに邁進したいのに、相変わらず逆走してるとしか思えないことになっている…(  ̄Д ̄;)|||

自分のことにも足踏みしている。

それでも今来たものは、個人的な何かや人でも、それはやっぱり今生縁があってこのようになっていると思うから、それだけは後悔のないように自分の最善は尽くしたいと思う。




今日の夜、大根をすって大根おろしにした。

焼肉に大根おろしをつけて食べたらおいしいだろうというのと、大根おろしは父の好物だからそれなら父は確実に食べてくれるだろうと思ったから。

大根をおろしながら、私はこの3年近い自分のやってきたこと、正しくはやってこなかったことをものすごい後悔いっぱいの気持ちで振り返った。

父は偏食大魔王で、そして好き嫌いも激しい。

大根おろしが大好きなのは子どもの時分から知っているけれど、私は大根おろしをするのが基本的に面倒だと感じる。

これまでなら面倒がって大根おろしなんか用意しなかった。

だけど今は違う。

父の好きな肉でも、今の父が食べるか食べないかはわからない。

何でもいいから、食べれるものを食べて欲しい、そう思うようになった。

もういつかは、どんなに食べさせたくても食べれない時、食卓を共に囲えなくなる時がくるから、だからもう今は何でもいい、食べれるものを1つでも2つでも増やしたい、その一心で作っている。

本当に私はそこだけは大変幻した。

私の変なこだわりはどうでも良くなった。

私のこだわりよりも優先させるものが出てきたから。

命があとどのくらいあるのかは知らないけれど、それに対して私は自分が「あの時こうしていたら…」というものだけは極力避けたい。

大根おろしを用意してもお父さんは食べなかったねー、の方がいい。

大根おろし面倒だから用意しなくて、当然用意されてないものはお父さんも食べないよね、なんてのは私が嫌なんだとわかる。

だから、用意できる今、食べても食べなくてもいいから、大根おろしを準備した。

大根を雑におろしながらそんなことを思った。

さすが牛肉も大根おろしも好物な父は、今日の夜両方をきれいに平らげた。

そんなに好きなら、父の牛肉だけさらに枚数を増やせば良かったと思った。

私のごはん作りのスタイルは変わった。

今は確実に父が食べるものを必ず1つは献立に含めるようにしている。

食べないかも知らないけれど、「確実に食べる可能性」のあるものを用意するようになった。

食べることは生きること。

大病をして何年間か食べられない経験をした私の好きな料理ブロガーさんの言葉が、今ならよくわかる。

父の食べる行為は、そのまま父が生きる今日や明日に繋がる。

そう思って今はごはんを作っている。

2019年11月12日火曜日

頼られること VS 使われること

今日洗い物をしていた時に思ったこと。

前々から、前々というのは何年も前から、私は同じ行為をする時でも、それに対して気持ち良くやれる時と反対に怒りが沸いて仕方ない時とがある。

家族の人数が増えた時の洗い物がまさにそうで、これこそ過去に何度も何度も怒りが沸いた。

洗い物そのものに怒りを覚えてるのとも違うし、量が増えたことに怒っているのとも違う。

量が増えて面倒に感じても、それがすなわち怒りにはならない。

そんなこと考えながら洗い物をしたら、はたと気付いた。

私の怒りの沸点は、内容云々ではほとんどなく、相手側から自分がどう扱われるかでガラリと変わる。

無意識に相手側が私を使おうとする時、それが洗い物でも仕事の場面やプライベートの場面でも、それは確実に私の中の怒りが一気に湧く。
(「湧く」はないところに突然何かが現れることを指して、「沸く」は元々あったものの状態が変化する、例えばお湯が沸くようになることを指すとのこと。この場合は、「湧く」の方。)

よーくよーく思い返してみると、私の怒りのポイントはまさにそこだということがわかる。

例えば「人の話を聞く」ことを挙げるなら、私は聞いてて怒りが湧く時と、素直に親身に聞いている時とがある。

相手が私を利用している、私を意識的にも無意識的にも使っていると知ると、私は後からフツフツと怒りを覚える。

他にも何か頼まれる時、さらりとやれる時と何か言い訳をつけてまで避けようとする時とがある。

その時も相手のあり方だというのがわかる。

何か私がすることに対して、それが当たり前のように扱われたり、私が相手のためにそれをすることが当然のことのように思われると、怒りは一気に沸点に達する。

過去のイライラはそれですべて説明がつくと言っても過言ではない。

反対に、同じ行為でも、相手から頼られているとわかると私は気持ち良くやれる。

そして、そういう時、相手の人というのは私のやること、それが1枚の皿洗いでも、話を聞くことでも、そこに対して当たり前という風には捉えていない。

ありがとうの言葉やねぎらいが欲しいというのじゃない。

そういうのは肌でわかる。

相手が本当に必要としていて、たとえ小さなことでも当たり前と捉えていないか、反対にそんなのは取るに足らないことで私がすることが当たり前でどうでもいいように考えているのか。

必要とされても、利用されてるとわかるケースもある。

その差を言葉で示すのは難しいことだけれど、自分の反応を見ていたら少なくともわかる。

私がムッとしたり感情的にわだかまりを覚える時は、必要とされる以上に使われている。

そしてありがとうと言われても、ねぎらわれても、私には違う感覚が伝わってくる。

だから、ありがとうの言葉やねぎらいじゃないことは、そういうことに繋がる。

表面だけいくらきれいに取り繕っても、必ずほころびが出てくる。

むしろ、「ありがとう」がなくても、この人は私を必要としてくれていて、私のすることが当たり前ではないこともわかっている、というのは何となくわかる。

頼られてることと使われてることの差、そしてその差が私の怒りの原点であるってわかってかなりスッキリとした。

2019年11月11日月曜日

オンタイム徒然(11/9〜11/10)

11/9〜11/10にかけての徒然。

先週から続いている友達とのやりとりがこの週末にかけてあった。

姪っ子や妹がいる中で、限られた時間での話だった。

このまま事が丸く収まるのなら、私は何も言わない気でいた。

今、形そのものは丸く収まりそうな感じになってきて、事の次第も友達が当初望んだようなものになりつつある。

それで良いわけだし、そこに首をつっこむのもどうかと思ったけれど、やっぱり釈然としない。

自分でも何にそんなにこだわり出してるのかわからなかったし、でも確実にそれを友達に言えるのは私だけだと思った。

友達の周りには専門家たちがたくさんいる。

今回のことも専門家たちの何人かが手を差し伸べていて、または友達が頼って、専門的な解決法や対策を具体的に伝えられている。

そしてその準備は整って、あとはもう実行するだけ、という超ギリギリの段階で友達は私に連絡してきた。

私は当初から、具体的手法に対して異論を唱えて、それ以外の方策を探そうと提案した。

それは最終手段で、それ以外の方法で本当に解決できないのかを問いて、それでようやく同じゴールを目指すものの、別の方に舵が切られることとなった。

話を聞けば聞くほど、何か大事なところが置き去りにされている感じがした。

私がどうしても気になったところはそこで、そして解決の見通しが立ったことでそこがさらに際立ってきた。

だから私は限られた電話の時間の中で、その気になったことを正直に話した。

批判とかではないことも伝えた上で、私は自分が一番初めに連絡をもらった時に思ったことを正直に率直に話した。

そして、今回のことというのは、表面の対外的にきっちりとしたことをやるのももちろん大切だけど、それ以上に心を伝えること、たとえ相手に伝わらなくても相手が受け入れなくても、どうであったとしてもとにかく誠心誠意を尽くして心を伝えることがテーマじゃないかと言った。

友達の周りにいる人たちは専門分野の知識を持って対処法を伝えてくれるかもしれないけれど、その中の誰一人も心を伝えることを教えていないことが気になったことも言った。

そして、友達の立場では、今後ますます役職だの肩書だのが増えて、それを友達に指摘してくる人などまずはいないだろうことも私は感じてることを言った。

友達1人の働きかけや発信が、何百人、何千人、何十万人という人たちを助けることになる。

友達がしていることというのは、それくらいすごい影響力があって、それをするには専門知識や技術ももちろんだけど、信念なくしては絶対にやり遂げられない。

そして、友達に協力を買って出る周りの人たちというのは、最後はその友達の人間性や信念に対して色んな形での支援を申し出ているわけで、その立場が強まれば強まるほど、そしてその友達のプロジェクトが価値を提供すればするほど、「成功事案」となり、ますます周りは友達に何も言わなくなるというか言えなくなるのは明白だった。

だからこんなことを「心を伝える」みたいな、専門家の人たちからしたらちゃんちゃらおかしいみたいなことを、友達にズバッと言うのは私だけだろうし、そして、論点が超ずれたことをいつまでも言い続けるのも私だけだと思った。

そうではあるけれど、私の中で「言わなきゃいけないこと」っていう感じがした。

伝わる伝わらないはさておいても、大切なことだと感じてる限り、黙るのは違うように思った。

私は仲を修復するとか、誤解を解くとか、そういうことを目的にもしてなくて、だけど今ここでこのことを形だけ解決して本当の人と人との部分を大事にできなかったら、そういう事がいつか足元をすくうようなことに発展しかねない、それを懸念していると言った。

友達のしていることがどれだけ素晴らしくて、それは日本中探してもそう何人もやれるわけではなくて、本当に友達にとってはそのことが生きる道だと思う。

道の方から友達が選ばれていると言っても過言ではないくらい。

だからこそ、対外的なことも大切なんだけど、それ以上に目には見えないけれどもおろそかにしては絶対にまずいことをとにかく誠心誠意尽くしてやるのが大事だと感じた。

友達は最後ようやくわかってくれて、こんな風に言った。

「利益のある人たちにばかりきちんとするんじゃなくて、そうではない人たちにもきちんと礼を尽くすこと、そうだね、そこだね、そこが抜けていたんだね」

その話まで終わって少しすると、姪っ子が寝るために部屋に来てそこで電話は終わった。

友達にかけ直すと言ったら「大丈夫!もう大事なところがわかったから大丈夫!」と言って、それで終わりになった。




今日(11/10)の昼間、米の仕事の時にお世話になったヨシダさんから電話がきた。

ヨシダさんが自分の人生をかけて見つけた、米でも野菜でも農作物がよく育つ方法について今資料をまとめ始めたから、それを本当にワープロで打ってくれるか?という電話だった。

打ったものは、コピーしてヨシダさんが関わり続けている全ての農家、何百軒とあるだろう人たちに配り歩く予定でいる。

私は二つ返事でやると言って、準備が整ったらまたいつでも連絡をちょうだいねと言って電話は終わった。




私は自分の今後の働き方がどうなるのかはわからない。

何かしら派遣をしつつ…というのがしばらくのスタイルになるとは思う。

だけど、こうして昨日今日と2人の人とのやりとりを経て、やっぱりそうだと確信した。

とにかく人の人生において、その人にとっては一生に一度みたいな何か大事なことに私はなぜか立ち会う。

それはもう自分から何1つ宣伝などしなくてもそのように人生は勝手に運ばれていて、そうしたものは自動的にもたらされる。

私の生き方は本当に不器用極まりないし、上手く立ち回れないことも多いし、はたから見て「あの人は何してるんだろう?」ということになっていると思う。

今回妹の友達が結婚式で妹は帰ってきたわけだけど、妹の話を聞いていて、私は妹の話に出てくる少し年下の同世代女性たちとはおおよそ違う人生に自分がいることを今回ももれなく目の当たりにした。

でも、私はそういう人生にならないことへの嘆き(苦笑)とは別に、自分の今ある地点が自分の今の人生なんだと少しずつ思うようになった。

私も子育てや夫のサポートなどに精を出したいと相変わらず思うけれども、そして友達の一件なんかは積極的に首を突っ込みたいことではないけれど、もうそういうことではないんだと思った。

そして、よくよく考えてみて、こんな状況下にあって、私はそれが人生で何度もあることじゃないことに気付いた。

友達からしても、今回のことは人生で最初で最後のことだと思う。

友達とは10年以上の付き合いになるから、そういう意味で新鮮さがないから、今回も数ある電話の1本くらいに思ったけれど、冷静になってみると数ある1本ではなく生涯で一度きりの相談だろうと思った。

少しずつそういう自分の人生の流れを受け入れ始めてる。

それをどう仕事にしていいのかは全く私はわからないけれど、そもそもそれを仕事としてやるのが妥当なのかどうかも私なんかはそこからつまずいてたりするけれど、そんな形云々はさておいても、私は「こうしてきたものに関してはそこに向き合う」、それだけは自分の中で決めていることに気付いた。

友達のこともヨシダさんのこともお金を取ることは絶対にないけれども、例えばこうしたことにお金を絡ませて考えようとすることに私はそもそも抵抗を覚えていて、その辺りを普通にやってる人たちというのはすごいなと思っている。

そこは今すぐ結論を急いで出さなくてもいい気がしていて、そこだけは本当に私が一番抵抗ない方法でやれる案やヒントが来るといいなぁと思う。

なぜなら、そこを難しくしたり抵抗したりするやり方で進めた場合、私は多分逃げるから、「やらない」という選択側に逃げると思うから。

だからもう少しグルグルしても彷徨ってもお金稼がなきゃいけないなぁの強迫観念に迫られても、自分の中で曲げたくないものはやっぱり貫き通そうと思う。




とそんなことを考えて風呂から上がったら、友達が今回色々ドンパチしているもう1人の相手から連絡が来ていた。

私はあえてそちら側は触れないようにしていた。

なぜなら2人の板挟みなど面倒くさいから( ̄∀ ̄;)。

2人とも私並みにもしくは私以上に頑固なのも知っているから、そんなところの板挟みなど絶対に嫌だと思った←自分ファースト。

とりあえず危機的状況は脱して、表面上の解決は図れそうというところのタイミングでもう1人から連絡がきた。

それを読んで、私は私の見ている風景をメッセンジャーのように伝えようと思った。

もう1人の方に確認してからにはするけれど、頑固2人組(←私に言われたくないだろう…)は、お互いの主張が相手には全く違うように伝わっている模様で、そのそれぞれの主張や実際にあったことはきちんと純度100%の素晴らしいことをそれぞれがしているにも関わらず、誤解だらけの曲げられた事実が伝わっているみたいなことになっている。

だからその事実が歪むことほど悲しいものはなく、そして歪みはそれぞれの心に深い傷を残している。

だから私は自分の知っている事実(=解釈が歪む前のもの)を伝えようと思った。

それが伝わることで、多分今日連絡してきたもう1人が自分の人生に悩まずに済む。

悩みは継続しても、悩みを1ミリ軽減するぐらいの情報を私は持っているし、さらにそこに個人的感情抜きで説明ができる。

だから、そのまま真っ直ぐに伝えたい、そう思った。

その友達もその友達にしかできない凄いことをしている。

その凄いことに対して、そしてそれをお役目のようにやっている友達に対して、誤解から始まったもので自分を変な風に思って欲しくないと思った。

友達のしていることも、その電話で相談してきた子同様、本当に凄いことで、そちらも信念なくしてはやれない。

だから、私の知っていることを伝書鳩のように伝えるのは何てことないわけで、それで変な誤解が解けてくれるのであれば、私は喋ろうと思った。




そして私事だけど、明日ないし明後日の最大ミッションは、妹たちに父の様子を伝えること。

どのタイミングで話すがいいのかよくわからない…( ̄∀ ̄;)。

今日の日中、私は原因不明のすごく痛い頭痛に見舞われて、数時間横になったけれど、夜になって父から「頭痛いの大丈夫か?」と聞かれた時に、大丈夫と答えながらも変な気分だった。

本来大丈夫かを聞かなきゃいけないのは私の方なのに、私はその質問をとにかく避けている。

避けている代わりに、父の様子や食べる量なんかを注意深く見るようになった。

関係ないけれど、薬を飲んだ程の頭痛はやっぱり異常で、その頭痛の元になっている原因の分析も同時進行でやっている。

これまでの経験から言うと、間違いなく何か大事なことに気付いたか、そうでなければ何か変化を迎えての頭痛だと思うから、それが何なのかを突き止めようと思う。
(気付けばきれいに痛みが消えるから)

この文章自体変な終わり方だけど、本当は終わりなんてなくて、すべては流れているだけのこと…、そう思えたらどんなに楽だろうと思う。

仏壇を見て、おこしやヤマザキのスイーツが置かれていて、今日(11/10)がばばちゃん(母方祖母)の命日であることを思い出した。

そんなことすっかり忘れていた。

ばばちゃんがこの一家の行く先を見守ってくれないかと、また調子の良いお願い事を思い浮かべた。

ばばちゃんが見守ってくれるといい。

ばばちゃんの命日にまさか家族全員が揃うなんて初めてのことだった。

ばばちゃん守ってね、と仏壇のお菓子を見て祈った。