18年前の6月7日というのは、わたしの人生において大きな転換期の出発の日だった。
「門出」という言葉がぴったりな日だと今でも思う。
日曜日だった昨日は、すっかりのんびりだらけモードであまり意識することもなかったけど、
そういえば今日だったなぁと思った瞬間は何度かあった。
ただし、18年も経つと、当時のことは断片的にしか思い出せなくて、ところどころ印象的な部分
だけがそっと記憶に上ってくる。
あの時のわたしと今のわたしは、同じ部分もあるし変化した部分もある。
気付いたら今になっていたと思う時もあれば、18年前がうんと昔に感じることもある。
あそこにわたしは本当にいて、そして18年という歳月をしっかり歩んで、それで今という瞬間に
いるけど、時々自分がどこにいるのかわからなくなる時がある。
18歳のわたしが36歳のわたしの姿の想像なんて到底できるはずもなく、そもそも36歳という
年齢の領域なんて想像する対象にすらなっていなかった当時。
本当に知らぬ間に36歳になっていた、と言っても良い位だ。
18年駆け抜けてみて、この18年はひたすら何かに導かれてるように進んでいた感じはある。
他にも大きな転機がいくつかあったけど、そのひとつひとつなんて一体どうやってわたしは最初の
情報を得ていたのだろうと思う。
例えば、その2年後にわたしはまたもや大きな引っ越しをするのだけど、それだって最初どこで
その情報を手にしたんだろう。
そこに関わった人たちは憶えていても、最初の小さなサインはどうやってもたらされたのか、
今となってはさっぱり思い出せない。
周りでその情報を持っている人は誰もいなかったから、自らその情報に行き着いたはずだけど、
それをどこで見聞きしたのか記憶がごっそりと抜け落ちている。
そんなことの連続だった、この18年。
この18年、すっと飛び込んでくる情報は、いつも突然だし探してもいない時に来ている。
情報とぱっと出くわす、みたいな感じだ。
スーパーに買物に行って、「あら今日は○○が安いのね」位にその時になって突然知る、
そんな風だ。
ここ数ヶ月、自ら探して行き着いた情報たちがある。
なんだろう、探して行き着いているものは、いつもどこかが違っている。
探さないで勝手にやってきた情報とはだいぶ違う。
18年後の今は、なんとなく本命のものが来てない感じがしている。
それも手伝ってこの18年がどんな風だったかをあれこれ頭の中をひっくり返して思い出して、
その感覚と今とを比べて「多分何か違うのかな…」と感じている。
感傷に浸るでもあの時は良かったでもなく、とにかく「GO!」と感じるあの感覚を、自分の中に
ある感覚をひたすら探り当てている。
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