オール1の通知表がそれを物語っている。
昨日どうしてもその時のことが気になって、わたしはちょっとしたことをやってみた。
「7-4 5-3 8-2」
3つの引き算の問題を紙に書いた。
これを小学校1年生の自分になったつもりでやってみた。
色んなことを鮮明に思い出した。
まず当時のわたしというのは、数字を見てもその概念がさっぱりわからなかった。
7が何を意味していて、例えば上のように「7-4」なんて書かれてあっても何を聞かれているのか
すらわからなかった。
これは大真面目な話で、数字のそれぞれの持つ意味がわからなかった。
わたしが数字の数量を本当に理解できるようになったのは、
3年生でそろばんを習ってからだと思う。
そして今でも例えば上のような簡単な計算でも、わたしは頭の中でそろばんをはじく。
そうしないと安心できない。
今なら7-4が3だって見てすぐにわかっても、それでもそろばんをはじく。
改めてすごい習慣だと思う。
そうまでしないと安心できない自分って何だろうとすら思った。
もう一度「7-4 5-3 8-2」の問題に戻った。
「テスト」されているというのは子どものわたしも理解していた。
周りの子どもたちを見て、何かしら答えを書かないといけないというのもわかった。
何せ数の概念すらわかってないわたしは、指を使って計算することすら思い付けなかった。
よくわからない数字たちと、多分どこかには「けいさんしましょう」と書かれた文もあったと思うけど、
それでもわたしには何一つ意味を成さない言葉や数字にうろたえるばかりだった。
馴染みのない言語の文字を見る感じと同じだ。
わかる人が見たらわかるものでも、知識のない人が見ると何も意味を成さない。
わたしはできないことが怖いとかそんな風に思う余裕はなかったと思う。
できないことで母親なり先生に怒られるそのことだけが怖かった気がする。
わからないものはわからない、でもなぜそれがいけないことなのか全然理解できなかった。
子どものわたしに戻ってみると、わからないから最後はどうしたかというと、
目に入った数字をそのまま書くことだった。
だからすべて的外れの答えを書くことになる。
テストで○がついていた記憶がほとんどない。
子どもの頃の感情がリアルだった。
36歳の大人なのに、30年前に戻って小学1年になったみたいだった。
話は飛ぶが、学習塾で働いていた時、わたしの中で勝手に作ったルールがあった。
「わからない」や「できない」に関しては子どもを叱らなかった(と思う)。
でも、わからないのにわかるフリをすること、わからないできないのに「わからない」と言えないこと
言わないこと、そういうことは容赦なく叱った。
わからないから、できないから、来ているのであって、そんなのは恥ずかしいことでも何でもない、
でもわからないままにしておくこと、人に聞かないこと、それは後々にもっと恥ずかしい事態に
自分を追いやってしまうから、だからここで聞こうよと口を酸っぱくして言っていた。
平気で中学生の子に小学校低学年の勉強をしようと提案した。
(もちろん保護者から了解を得てから)
子どもの頃の感情がリアルだった。
36歳の大人なのに、30年前に戻って小学1年になったみたいだった。
話は飛ぶが、学習塾で働いていた時、わたしの中で勝手に作ったルールがあった。
「わからない」や「できない」に関しては子どもを叱らなかった(と思う)。
でも、わからないのにわかるフリをすること、わからないできないのに「わからない」と言えないこと
言わないこと、そういうことは容赦なく叱った。
わからないから、できないから、来ているのであって、そんなのは恥ずかしいことでも何でもない、
でもわからないままにしておくこと、人に聞かないこと、それは後々にもっと恥ずかしい事態に
自分を追いやってしまうから、だからここで聞こうよと口を酸っぱくして言っていた。
平気で中学生の子に小学校低学年の勉強をしようと提案した。
(もちろん保護者から了解を得てから)
実際に何人もの子どもたちをそうやってつまずいたところまで戻した。
できないにできないを重ねてもますます自信は失われるし、わからないが増えるだけ。
それであれば、できることをまずはする、そして次はちょっと背伸びが必要なことをする、
その繰り返しだった、特に学力的に大きく落ち込んだ子どもたちは。
当時は特に深く考えてそうしたというよりも、そちらの方が良いと判断し動いていた。
昨日小学1年のわたしの気持ちをリアルに感じた時、なぜあんなに塾の中で戻すことにこだわった
のか、ようやく1本の線で繋がった。
自分がしてもらいたかったことをやっただけ。
相手の気持ちよりも、自分の欲求に基づいた仮説を勝手に立ててやっていたと思う。
そうやって考えてみると、オール1とか2のような子どもが半数近くを占める不思議な教室だった。
たった1つ成功したと思うのは、多分どの子も「わからない」ことに対しての罪悪感や羞恥心は
持たずに済んだような気がする。
教室内はいつでも「わからない」「できない」という言葉がたくさん飛び交っていたし、
それを隠してるとわたしがどついて雷を落としていたし、
とにかくできなくても大丈夫、ということを伝えたかったのかなと今になって思う。
この自分の体験は今となってはすごく貴重だし、「わからない」感性を知っていて良かったとすら
思っている。
世界は混沌としていて、自分の周りの世界にうまくなじめない自分がいて、子どもの頃は今よりも
もっともっと生きづらさを実感していたように思う。
まだ答えは出ないけど、この子どもの時の体験は必要があっての体験だったと思ってる。
どう必要だったのかはわからないけど、この世界を知っていることで今生きてる世界に奥行きが
あるように思う。
「わからない」「わからないことで自分があれこれ困る」こんな体験がプラスに転じる。
できないにできないを重ねてもますます自信は失われるし、わからないが増えるだけ。
それであれば、できることをまずはする、そして次はちょっと背伸びが必要なことをする、
その繰り返しだった、特に学力的に大きく落ち込んだ子どもたちは。
当時は特に深く考えてそうしたというよりも、そちらの方が良いと判断し動いていた。
昨日小学1年のわたしの気持ちをリアルに感じた時、なぜあんなに塾の中で戻すことにこだわった
のか、ようやく1本の線で繋がった。
自分がしてもらいたかったことをやっただけ。
相手の気持ちよりも、自分の欲求に基づいた仮説を勝手に立ててやっていたと思う。
そうやって考えてみると、オール1とか2のような子どもが半数近くを占める不思議な教室だった。
たった1つ成功したと思うのは、多分どの子も「わからない」ことに対しての罪悪感や羞恥心は
持たずに済んだような気がする。
教室内はいつでも「わからない」「できない」という言葉がたくさん飛び交っていたし、
それを隠してるとわたしがどついて雷を落としていたし、
とにかくできなくても大丈夫、ということを伝えたかったのかなと今になって思う。
この自分の体験は今となってはすごく貴重だし、「わからない」感性を知っていて良かったとすら
思っている。
世界は混沌としていて、自分の周りの世界にうまくなじめない自分がいて、子どもの頃は今よりも
もっともっと生きづらさを実感していたように思う。
まだ答えは出ないけど、この子どもの時の体験は必要があっての体験だったと思ってる。
どう必要だったのかはわからないけど、この世界を知っていることで今生きてる世界に奥行きが
あるように思う。
「わからない」「わからないことで自分があれこれ困る」こんな体験がプラスに転じる。
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