最近、過去にやってきたことを振り返っている。
実際の職業とか業績とかではなく、やっていたことのその根底にあるものが何だったのか、
それを探っている。
その中で、今日注目したのは学習塾で働いていた時のこと。
たかが2年半という中で、数百人の小中学生を見たかと思う。
最初から最後までの付き合いの子もいれば、1回きりという子もゼロではなかったし、
ざっと見積もっても200人近い子どもを長期的に見たと思う。
中には同じクラスの子なんていうのも何人かいたし、双子ちゃんや兄弟もいた。
成績もオール1~オール5まで様々な子どもたちだった。
発達障害の子もいたし、不登校の子もいた。
昔で言うヤンキーみたいな子も、寡黙でほとんどしゃべらない子もいた。
学校の縮小版と言わんばかりに色んな子どもたちが来る場所だった。
一斉指導ではなく、1人1人の子どもの現状に合わせて、やることをその日その日で決める
やり方だった。
表面上は塾だったけど、実際にやっていたことは塾とはちょっと違っていたかなと思う。
例えば一卵性の双子でも、たしかに似ているけれど違う。
その違いはきちんと見ていないとあまりにも小さすぎるけど、
でも違う人間なんだということが見ているとわかる。
誉める時も叱る時もそれぞれに合わせていた。
双子だからおんなじね、ということではなかった。
ヤンキーな子と静かな子、わたしは1人だけどそれぞれ違う対応だった。
挨拶はみんな同じようにしたけれど、それ以外の部分は十人十色だった。
すべて微妙な「さじ加減」で回していた。
そう、あの時にわたしがひたすら観察して見ていたものは、そのさじ加減を決めるための
自分なりの理解の仕方だったのではないかと思う。
ぴしゃりと言い放った方が動く子もいれば、反対に誉めまくっておだてて木に登らせるタイプもあり、
でもそれはよく見ていないとわからない。
しかも、毎回同じじゃない。
同じ子でもその日その時の気分というものがあるから、それも見ながらさて今日のさじ加減は・・・
なんてやっていたように思う。
勉強自体が全然好きではない、そして会社からの命令でやる営業活動は大嫌いだったけど、
1人1人の違いや、その時々で変わるさじ加減の仕方なんかは面白くて好きだったなぁと思う。
そしてこのさじ加減は何も仕事だけじゃなくて、色んな場面で役立つものだったと思う。
あの時は無我夢中でそんなこと考えたりもしなかったけど、今となっては非常に貴重な体験を
させてもらえてたんだと気付く。
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