>>>2017年9月XーDay水曜日
朝出勤する。
正面玄関の貼り紙を見て、その人の名前を確認する。
私がその職場で誰よりも先に見て覚えた名前だった。
勝手にイメージで私より10歳以上は年上の人を想像した。
その貼り紙がいつもと同じようにあって、「まだいる」と思った。
車もある。
今日は多分朝からいるはずと思った。
まさか最終日にどこかに出るとは考えにくい。
でも胸中は複雑だった。
どこでもいいから出かけてくれてる方が最後の日じゃないみたいで、まだいるみたいでいいのに…私は本気でそう思った。
事務所に行くといた。
もう挨拶が返ってこないとかもどうでも良くなった。
挨拶はいいから、その人がそのままそこに残ってくれるなら他は何でも良かった。
机周りは相当きれいになった。
その人の机は常にごちゃごちゃしていた。
下手するとなだれが起きそうだった。
どうやって机の上で仕事をしているのかよくわからなかったけれど、あんなにごちゃごちゃしているのに仕事ができるというのが不思議でならなかった。
私は自分が整理整頓ができない人だからそのごちゃごちゃ感に親近感を感じていたし、それがその人のトレードマークのようでもあったからそのままでも良かったのに、終わりは確実に近付いていた。
机周りのごちゃごちゃ感がどんどん消えていく感じが、もういなくなりますのアピールと一緒で、私はあまり見ないようにした。
見たくなかったから。
昼休みから戻ると、その人だけがいた。
もちろん話しかけたりしない。
いたのはわかっていてもチラチラ見ることもない。
いつだったかも、室内が暗くて誰もいないのかと思ったらその人がいて度肝を抜かれたことがあった。
声が出そうなぐらいに驚いた。
その人しかいないし、話しかけようと思えば話しかけられる身体的距離にあるのに話しかけられなくて、目に見えない距離を前にやり切れなさを感じていた。
そして普段そんな時間に席に座っていることなんかほとんどないその人がいる、そのことがもういつもとは違うんだよと示されてるみたいでそれも悲しかった。
1つまた1つと片付いていくその席。
そういうの見たくなくて、目に入れないようにした。
頭では今日が最終日とわかっていても、心では全く受け入れられなかった。
時計の針が進んでるのを見ては、止まらない時間が本当に恨めしかった。
その日はその人は事務所内を出たり入ったりしていた。
段ボールに荷物を入れて運んだり、よくわからないけれど何か別用で出たりを繰り返していた。
その人が立ち上がって動くタイミングと私がコピー機か何かに用事があって立ち上がるタイミングが多分同時だったんだと思う。
いつもならタイミング合いそうと思うとわざとずらしていたけれど、今回は不意にやってきたのと、もう明日からはいないからせっかくのチャンス!と思って、そのまま私も前に進んだ。
うちわが2本刺さった段ボールを両手で持つその人の少し後ろを歩いた。
歩いたのはほんの数歩。
もうこれが最後だから!と思って、それまでは気まずくて見るのを自粛していたけれど、その時は後ろからガン見した。
私はいつもその人と重なりそうになると、わざとタイミングをずらしてた。
だけどその時はそうしなかった。
もうこんな風に真後ろにいることはできない、そう思ったら少しでも長くそこにいたかった。
いつかこのブログにも書いた記憶があるけれど、とにかくその人とのタイミングはビックリするほどによく重なった。
元々人と重なって同じ場所にいるのがなんとなく苦手な私は、重なりそうになるとタイミングをずらす。
その人は違って、重なるのが苦手なんじゃなくて、むしろ重なりたいけれど恥ずかしすぎてわざと避けてた。
ただ、それはいつ気付いたか忘れたけれど、その人とのかち合うタイミングは異常なぐらいだった。
他の人たち全員とのかち合い数を全部足しても、圧倒的にその人とかち合う回数の方が多かった。
毎回ずらしていたからあまり気付いていなかったけれど、他の人とはその人みたいにかち合うことがほとんどなかった。
別にタイミングを合わせようとしているわけじゃない。
私だって同じ仕事をずっとするわけじゃないから、使う道具も変われば、必要な物がしまわれてる場所も異なる。
それでもよく重なってた。
だからその時タイミングが重なったのも、今思えばいつもも本当はそんな風だったんだと思う。
本当に久しぶりにその人をじっくりと見れた。
その人に遠慮することなく見た。
もうこんな風に近寄れないんだな…と思いながら。
16:05頃、時計を見た。
あと1時間と少しでお別れなんだとぼんやり思った。
外部の会社の人たちが次々にその人に挨拶して行った。
机の上は送る物以外はすっきりしていた。
後輩くんがプレゼントを渡してる風な会話が耳に入ってきた。
そんなことできる間柄なのがうらやましいと思いつつも、そのプレゼントを渡すなんていうイレギュラーなことが普段と違いすぎて、そして別れのカウントダウンの強調みたいで、悲しさはさらに増すばかりだった。
最後の挨拶のシーンは、今回書き飛ばそうと思っている。
今回けっこうリアルに時間を追って書いているけれど、やたらと細かな部分が当時を喚起させるし、そしてなぜか泣けてくる。
もうその時に自分はいないし、今は全く別の日常に身を置いているのに、心は覚えてる。
無視されてたのもたしかにきつかったけれども、それよりもその人がいなくなったことが何よりもきつかった。
自分でもこの1年本当にがんばったと思っている。
寂しいとか悲しいとか、そういうのはずっとあったと思う。
だけど、生きるのにそういう気持ちはあればあるほどしんどくなるだけだから、私はそれを消すようにして1年過ごした。
そして今回しっかりと振り返ったら、そこの部分のごまかしが効かなくなって、だからやたらと涙も出てくるし、色んな気持ちも飛び出してくる。
挨拶して、その人の後ろ姿を最後見納めて、職場を後にした。
その人が数分前に登ってきただろう階段を下りながら、そしてその人がその後どこかのタイミングで下りるだろうことを想像しながら、玄関に向かった。
私はまた明日もくぐる扉が、その人はもう明日はくぐらない。
明日だけじゃない、明後日も、来週も、来月も…ずっとずっとくぐることはない。
その人の車はまだ駐車場にあった。
その何日か前、私は遠くから駐車場を写真に収めた。
その人がいた風景を撮っておきたかった。
たくさん写っているけれど、どれがその人の車かわかる。
車は小さくしか写ってないけれど、たしかにその人もそこにいたんだとわかる。
職場には2箇所離れた場所に駐車場があった。
女性陣の車は同じ所に停めていたから知っていたけれど、男性側はその人の車以外は知らなかった。
うんと後になって何人かの車は何かの折にすれ違ったりして知ったけれど、よく考えたらその人の車だけは早い時期に知った。
停める場所も違っていたし、出勤も退勤も時間が全く違っていたから、普通には見れないはずだった。
なのに2回か3回本人が運転してるのを見ることがあって知った。
っていうか、よくそんなにタイミング良く見れたなと思う。
偶然とは言え、他の人たちとは起こらない偶然だった。
車を見て、心に重たい鉛をぶら下げたみたいな気持ちで自分の車に乗り込んだ。
サヨナラなんていう気持ちには全くなれなかった。
涙はものすごい勢いで出たけれども、どこかで「これが最後じゃない」って私は思った。
自分の願いみたいな発想だったけれど、でもどこかでこの瞬間が終わりだなんて信じられなかった。
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