振り返りノートの途中、話が脱線しそうだったから、つぶやきに切り替えることに。
その人は仕事の時は役職名で呼ばれていたけれど、そうでない時は、事務さんたちから下の名前にちゃんを付けて呼ばれていた。
それの裏話でもないけれど、私的に困ったことがその夏あったことを思い出した。
実はその人のそのあだ名的な呼ばれ方は、男友達を呼ぶ時の呼び方と全く一緒だった。
10年近く友達のその彼とは、途中絶縁のような状態になった。
5月の結婚式の時に3年か4年ぶりぐらいに再会した。
最後は非常に気まずい感じでバラバラになったから、それ以来の再会で、ある意味自動的に舞い込んできた仲直りのチャンスだった。
その時に多少話はして、8月の結婚式で会った時は2人で式の前日にガッツリ話すぐらいまた気持ちの良いコミュニケーションが取れるように戻れたのは良かったけれど、良くないのはその呼び方だった。
実は出会った当初、他の人たちが呼ぶ呼び方は、私が苦手とする人と同じ呼び方で、それだけは絶対に避けたかった。
本人にもそれは言った。
私の女友達2人はその人を苗字に君付けで呼んでいたけれど、私からして君付けは変だった。
同い年で誕生日が4日しか違わないのに、君は変だった。
しかも私からして、その友達は君で呼ばれるようなキャラじゃなかった。
そこで本人とも相談して呼び方を下の名前の最初の2文字にちゃんを付ける呼び方にした。
そんな呼び方他の誰もしていなかったけれど、私の中では一番呼びやすくて良かった。
そんないきさつのあるあだ名が、まさかその人の職場内の親しい呼び方と全く一緒だなんて、当然そこに行くまで知る由もなかった。
8月の結婚式の時に会った際、私はもうその呼び方で男友達を呼ぶのが嫌だった。
目の前に男友達がいるのに、その呼び方を仮にしてしまうと、今度はその人の姿が思い浮かぶような感じで、その人のことはそうは呼べない関係だし、じゃあだからと言って付き合いの長い男友達をそう呼べるかと言うとそれもできない。
呼び方1つにすごく頭を悩ませた。
そこで私がしたのは、男友達の呼び方を変えることだった。
男友達の苗字にさん付けで呼ぶことにした。
幸いにして、周りの友達も時々そうやって呼んでいたから、大きな違和感はなかった。
私としても時々冗談でそう呼んでいたから、全くの真新しい呼び方ではなかった。
本人から突っ込まれたら事情を説明しようと思ってはいたけれど、何も言われなかったから私もそのままを通した。
元々細かいことによく気付く人だし、気付いてないとも思わなかったけれど、何も言われないことをいいことに、説明もせずしれっと呼び方を変えた。
そうして、とりあえず呼び方変更は事無きを得た。
LINE上でもそうやって苗字にさん付けで呼ぶことを始めたから、そうやって私の中のモヤモヤを解決したんだった。
ということをさっき振り返りノートを書いていて思い出した。
ちなみに、事務さんたちがそうやってその人を愛称で呼べるのが羨ましかった。
あだ名と言うより「愛称」という感じが私にはした。
だから余計とそうやって呼べる関係が羨ましくて仕方なかった。
私はと言うと、その会社が役職名で呼ぶことには気付いていたけれど、その人のことだけは絶対に役職名で呼びたくなかった。
私にとっては役職の〇〇さんではなかった。
役職が付く前に1人の人だったから、そしてその人の立場もわかっていたけれどもそういう風にその人のことは見てなくて、本当に純粋に1人の人として見ていたから、呼び方だけはこだわり続けた。
一度だけそうやって呼んだ方がいいのかな?と思った時があって呼んでみたけれど、私の方で「なんかイヤ」という理由でやめて、その1回以外は〇〇さんの呼び方で最後まで通した。
本人が呼び方について何か思っていたのかどうかは全然知らないけれど、そんなこと思わなさそうだけど「役職名で呼ばなくて失礼な人だな」とか思われてた可能性だってゼロとは言い切れないけれど、それでも私は苗字にさん付けで呼びたかったからそうした。
なんならずっと日記帳の中でも、今でも〇〇さんと書いている。
私の中では愛称並みに愛着のある呼び方になっている。
その後後輩くんがその人の役職を引き継いだ時はそんなこだわりはないから、後輩くんのことは普通に役職名で呼んでいた。
ちなみに妄想劇の中で、もし付き合うことになったら何と呼ぶのかを想像したことがあった。
男友達の絡みもあったから、私の中で1つ出ていたものは、事務さんたちが呼ぶ呼び方はできれば遠慮したい、そのことだけがはっきりと出てきた。
それ以外なら何でもいいなぁと考えたりもした。
こうやって言葉にすると、私の妄想劇は、良く言えば常におめでたい感じになっているし、悪く言うと単なる痛い人になっている(汗)。
もう1つ、私は呼び方で気になっていたことがあった。
その人は事務さんたちを下の名前にさんを付けて呼んでいた。
もうそれが猛烈に羨ましすぎて、私は密かに「史子さん」って呼ばれる日が来ないだろうか…なんて考えたこともあった(←気まずくなる前の話)。
私男の人から「史子さん」って呼ばれたことないから、もうそれはそれは斬新だし、そんな呼ばれ方された日には人生で一度も出したことのない鼻血が出るかも!というぐらいに興奮しそうな自分の姿が思い浮かんだ。
あの素敵な声で史子さんなんて呼ばれたら…と本当に楽しい妄想をしていた時もあった。
もっともその人から呼ばれたのは1回だけだった。
「武士俣さん」でも良かったから、もっともっと呼ばれたいなぁとはよく思っていた。
ちなみにそのたった1回の武士俣さんの時は、名前をきちんと覚えてもらえてたことが何よりも嬉しくて、それだけで私は心の中で大喜びしていた。
名前って不思議だなぁと感じる。
その人の苗字で言えば、けっこうな数でその苗字の人はいるけれど、その人を呼ぶ時は(リアル・心の中問わず)その響きは特別なものになる。
反対に「武士俣さん」とその人から呼ばれた時も、その武士俣さんは特別だった。
っていうか、苗字は佐藤でも鈴木でももはや何でもいい気がする。
その人を呼ぶこと、その人から呼ばれること、それが特別なんだと思う。
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