>>>回想
3、4年前、家系図を何代もさかのぼって調べてた人がいて、その方から面白いことを言われた。
どの家系においても何代にも渡って家系の中で引き継がれてることがあり、それを良い方向に流れを改善するために生まれてくる人がいるということ。
その役割を担って生まれてくる場合、もちろん本人がそれを希望して生まれてはくるけれど、とりあえずこれまでの流れとは180度違う方向に行こうとするわけで、それ相応の生きていく上での試練や修行的意味合いの強い強烈な環境を体験したりする、と説明された。
そして同時に、この話を聞くことになったというのは、おそらく私自身が家系の中のその1人である可能性が高いと言われた。
面白そうと思ったけれど、色々手続きも面倒だし(役所に出向いて戸籍か何かを出してもらうらしい)、父方に関しては父の両親から上の世代の情報がなくてそこまでして調べるのはいいかな…と思って調べなかった。
ちなみに父自身も自分の両親とその親戚ぐらいは知っていても、実質関わり合いがなかったようで、付き合いのある数少ない親戚以外は知らないらしい。
その話を耳にした時、もしかして私かもしれない…というのは何となく思った。
どうしてそう思えるのかその時は上手く言葉にできなかったけれど、言われたことに対して「絶対に違う」というものは出てこなかった。
代わりに「そうかもしれない」という予感めいたことは心に浮かんだ。
そんなことは忘れ去って、去年(2017年)の秋のこと。
私の目を見て、そこから感じたメッセージを書で書いてもらうということをしてもらった時、その書家の方は私にこう言った。
【絶対的な意思の強さがある。
それは絶対的だから、曲げたりできない。
先祖からなのか世代からくるものなのか、とにかく脈々と流れてるものから来ている絶対的な強さの意思。
そこに使命と繋がってるものがある。
自分の中の絶対を追求する、自分の中の納得を大切にする、もうそれ以外の生き方はできないし、逃げられない。】
この中の先祖や世代を超えて脈々と流れてるもの…のところが実はかなり引っかかった。
この頃には自分のよくわからない人生の流れが嫌でたまらなかった。
もう本気でこの訳のわからない流れを止めたかった。
私は単にある1人の人と一緒に過ごす時間が欲しいだけだった。
それさえも叶わないような人生の流れに本気で嫌気がさしてた。
その年の12月に通算数回目の占い師のおばちゃんの鑑定に行ってきた。
実はこのおばちゃん、私は毎回聞き流していたけれど、先祖から引き継いでるものと先祖から守られてるものが私の場合ものすごく多いから先祖供養だけはしっかりしなさい、とやたらと言われていた。
今当時のメモを見たらまたもや「先祖供養」と書かれていたから、あぁと納得した。
今年(2018年)の5月、今受けてるホロスコープ講座の先生が、今はカルマ的な膿出しの時期というのは言っていた。
6月、ヒーラーのOさんからも同じことを言われた。
そして7月、ホロスコープ鑑定を受けた時のS先生にも言われた。
つい先日、ホロスコープ講座のU先生に気になったポイントを質問した。
その時に【その「不安感」や「安全への飢餓感」はご先祖様のどなたかにも関係があるのかもしれません】と返ってきた。
さらにU先生にお礼と感想を書いて送ったら【やはりそういったご先祖様がいらっしゃったのですね。史子さんがおっしゃるように、受け継がれてきたこのテーマ、史子さんご自身が終止符を打たれるのだと思います。そういった意味での「ご先祖様からの保護」があるのだと解釈することもできそうですね】と返ってきた。
ずっと継続して似たようなメッセージが来ていて、そしてU先生からのお盆前のメールが決定打となった。
>>>2018年お盆
15日、両親と妹と姪っ子は母の実家に行く計画を立てた。
私は家でのんびり過ごすつもりでいた。
今なんて行ったら、私が何してるとか色々突っ込まれた挙げ句に正論を言われてこちらも多少はへこむ構図が思い浮かんで、行く気はゼロだった。
ところが妹が、もしいとこたちも誰もいなければ自分も1人でそこに居るのはしんどいから一緒に行って!と懇願してきた。
妹の言い分もよくわかったから、私も行くことにした。
去年の秋、母の兄である叔父が亡くなった時以来の母の実家だった。
母の実家には、いとこ2人とその子どもたち4人、おば夫婦とバツイチのおじ、そして去年の秋に亡くなった叔父(跡取り)の奥さんがいた。
10人すでにいるところに、私たち家族も出向いて合計15人いた。
母の実家は、私から見て祖父にあたる人が7代目当主、と墓に刻まれていた。
家自体は、その部落で一番古いらしく、築100年を超えていると今から10〜20年前に聞いた。
いとこたちは3人兄妹で男、女、女だけれど、長男は跡を継がない予定だと思う。
そして、下2人の仲良くしてたいとこたちは嫁に行って家にいないから、実質今は30人泊まろうと思えば泊まれそうな大きな家に、おじさんの奥さんが1人で住んでいる。
世代交代というより、本当に厳格な世代の男性陣がいなくなって雰囲気は変わった。
子どもの頃は何とも思わなかったし、元々の人見知りも手伝って近くに行かなかったこともあるけれど、この家というのは古くからのしきたりをしっかりと守る家だった。
わかりやすいのがご飯を食べる場所。
本当の親戚一同で集まる時でない限り、なんと成人男性と女子供とでは食べる場所も食べる物も違ってた。
母の実家なのに、母の方が下で、母の夫である父の方が偉いみたいなそんな風習が当たり前に慣例としてある家だった。
本当にそれがとても変わってると知ったのは、私の場合、社会人になってからだった。
母は戦後生まれにも関わらず、勤労することが当たり前の前提として育てられている。
この2年ぐらいのいつかに母の小学校の文集を読んで、私は読んでいて苦しくなった。
大人への不満や怒りを表現していた。
家では折檻(虐待)当たり前、当主が偉い、大人が偉い、子どもは大人の手伝いをする要員としてカウントされ…そんな中、自分のことも思うように外には出せなかったと容易に想像できる、母は文集の中で先生を題材にして自分の向けるところのない負のエネルギーを出していた。
父方は父方で、世代を引き継いでいくことが大事な家系だった。
妹が10年ぐらい前に結婚式を挙げた時、初めて武士俣の本家が16か17代続いた家だと知った。
(「武士俣」の名に相応しく、大元のルーツを辿ると先祖は武士だった模様)
今の当主は父のいとこにあたる人だけれど、その人は独身で跡取りがいない。
だから現当主が最後でここで武士俣は途絶える。
うちの父は分家で、多分うちもうちで終わる。
ちなみに現当主の人は独身を貫きたくて貫いたわけでもなければ、長男でもなく、さらに継ぎたくて継いだわけでもないらしい。
長男は「おまえに家督を全部譲る」と言って、若い頃家を出た。
(そしてまだ若いと言われるような年齢で亡くなったとのこと)
勝手に家督を受け渡された現当主には好きな女性がいたらしい。
だけど相手の女性の出の身分が武士俣の家には不釣り合いという理由で結婚は許されず、その人は生涯独身を貫いた。
父方の方は、身分だの社会的なものだのと、とにかく体裁を良くすることにこだわった家系だった。
片や母方の方は、昔の日本の古いしきたりを守り抜いた家系だった。
私からすれば、どちらも偏りのある家系で、そのひずみは父母の代とその下の私たちの代、さらにはいとこたちの子どもを見ているとそこにも新しい形の苦しいところが引き継がれている、そんな風に映った。
だから私が育った家庭の中で落ち着かなかった環境そのものは、そうした世代を超えて引き継がれているものがかなり大きく影響を与えていると思う。
いとこたちや妹たちを見て、またさらにその下の世代の小さな子どもたちを見て、私には明らかに感じる共通のテーマがある。
心の拠り所が基本的にない、もしくは変な生き癖みたいなのが知らぬ間に身についていて生きづらさを覚える。
2歳の姪っ子だけはその中で1人大きく例外で、この子は完全にその負のエネルギーから解放されている。
余談だけれど、2歳の姪っ子が家系的なものから解放されてるのはきちんと理由があると思っている。
姪っ子のホロスコープを見た時にパッと見て感じた。
姪っ子は、人間関係や家族関係というものに関しては、ほとんどテーマとして持ち合わせていない形のホロスコープになっている。
むしろ、そこはあまり神経を使わなくてもいいように恵まれてると思う。
代わりにこのすごい安心感と受け入れられ感を土台にして、姪っ子にしかできない何かを生涯を通じて打ち出していく、そんな風に私には映った。
いとこたちの小さな子どもたちももちろん愛されているし大切にされている。
だけどこの小さなうちに既に生涯付き合わないといけないものを持っていたり、お母さんであるいとこが丁度世代交代の境目にいるから、それを見て育つことになる。
生涯付き合わないといけないものは体に関することだから、子どもたちは人懐っこくて愛くるしいけれども、そのことで悩むこともこれから益々増えていくのは間違いないと思う。
いとこが相当頑張って今の暮らしに落ち着いていることも多少は知っている。
だけれど、私なんかよりもさらに抑え込むことを子どもの頃から日々目の当たりにして育ったから、私とはまたちょっと違ってくる。
妹2人と私を比べても違う。
私はそれぞれの人生を最大級尊敬している気持ちはある。
それは本気である。
だけど、妹たちやいとこたちと私の大きな違いは、私はこの変に萎縮して自分の気持ちを押し殺して生きているのが辛すぎたから、私はそこを抜けるべく術を意図的に求めたことだった。
他の4人は、自分1人で抱え込むか、もしくは見ないことで自分を守ってるかのどちらか。
私はどうしてそれがわかってしまうのか自分でもわからないけれど、それぞれの人の本当に苦しい気持ちが見え隠れしていた。
その苦しい部分をお盆の時に見てきた。
>>>2018年10月
この話は、お盆の時に書いたままになっていたもの。
この時は見たもの感じたものをそのまま書いた。
今思うと、書いといて良かった。
冒頭の家系図の話は2014年とか15年頃に聞いたものだったと思うけれど、あの時には知らなかったことたちがこの数ヶ月ほどで次々と明るみに出てきた。
そして自分では勝手に、そろそろ家系的なもので引き継がれた負のもの、ないしはカルマの膿出しと呼ばれるものが終わりに近付いている気がする。
この話はまだ続きがいくつかあるけれど(書いたものもあるし、書いてないものもある)、少しずつ状況が変化してきた。
まだまだ過渡期だから相変わらずなところもあるけれど、私の中では十分終わりにしてもいいというところまで来ているし、そう思えるだけの材料的なものを目にするようになってきた。
流れが変わってきたことを感じる。
おばから、丁稚奉公をしていた17歳の時に、仕事の休みをもらってまで、生まれたばかりの私を祖母と見にきたという話をおととい教えてもらったばかり。
その話の中でも世代を重ねるにつれて、悪しき慣習が薄まって来ていることを色々知った。
さらに、そんな子ども時代を送った今の母やおばたち世代の親族たちが、真剣に私たち子供世代を必死に守って大切にしてくれてたことも今回色々知った。
書くか書かないかはわからないけれど、4つ大きな変化があった。
・母方実家の亡くなったおじの長男が戻ってくるかもしれないこと
(このことは書きたい。この家系の中では画期的な理由で戻ってくるから、書きたいと思う。
私は日本特有の家を継ぐ文化の意味が全く理解できないからそれまでは否定的に見ていたけれど、今回の話はそういう視点とは全く違っていたから、その世代的変化を書きたい)
・母たち姉妹の旅の計画
・おばの家での近い未来にあるだろう葬式のあり方
・いとこの九州転勤
上の3つのことも書きたい。
確実に流れが変わって来ていることと、なぜか私は今そんなことを目にしていることと、その冒頭の家系の流れが変わる話とがそれぞれ繋がり始めてる。
着地点もどこに向かっているのかもわからないけれど、ただ1つわかっているのは、そうした家系的に緊張を強いられていたところの部分が、私の場合徐々に癒され始めていること。
時代が変わったように、100年以上の単位で引き継がれた苦しいものたちも今解き放たれようとしている。
できればその辺りはこのブログに書いて残したいと思う。
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