最終日の振り返りの一環の時にコメダに行って、雑誌ananを手に取って、そこで見つけた言葉。
===以下、引用【】
【Q好きな人がいます。
でも、傷つきたくなくて告白できません。
A
3回までは、玉砕するつもりでぶつかっていきなさい。
彼は、よくあんなに勇気を出せるな、とあきれるかもしれないが、記憶に残る。】
続けての質問に対しての答えに
【本気で恋をしなさい。
そういう恋は、人生の財産です。】
引用元:anan 2018.10.17号
『秋風羽織の教え 人生は半分、青い』
秋風羽織/北川悦吏子
私が号泣したのは、最初の質問の答えの中の『記憶に残る』の文字を読んだ時だった。
下↓は、最終日の最後のやり取りを振り返りした時に書いた言葉。
『自分で書くのも嫌だけど、冷静になって考えると色々おかしい。
・38歳の独身女が
・相手のことをほとんど知らないのに
・まともに会話もしたことがないのに
・相手を誘い出し断られ
・さらには相手からも避けられたのに
・長くて重たい手紙を書いて渡し
・全く連絡が取れないのに1年以上も想い続ける
ストーカーとも取られかねない内容だったりもしくは完全に頭のいっちゃった人と思われても仕方ない。』
上に書いたことは、この1年ずっとずっとどこかで引っかかっていたことだった。
得意の勘違いや思い込みということにして緩和できていたし、自分のしたことに後悔はないのは本当だった。
でも後悔がないから何も気にならないかと言えばそんなことはなく、自分でも本当に自分が起こした行動が良かったのかどうかなんて分かりようもなかった。
正解なんてないのも、間違いではないのもわかっている。
でもやっぱり心の中では気にしている自分がいた。
私の中で、振り返りを重ねていくうちに、覚悟が決まったことがあった。
書くだけ書く。
そしてそれでも何にも起こらなければ、もうその時はそれが答えだときちんと受け取ろう、と。
それはすなわち、その人とは交わらない人生だということを心から受け止めよう、ということでもあった。
振り返りを書く前までは、私は本気で再会するんじゃないかととても小さな願いではあったけれど、本気でそう思っていた。
そして振り返りを重ねて、そこで気付いたことを書き続けるうちに、本当の本当にすごい出逢いだったことに改めて気付かされた。
間違いなく特別な出逢いだった、それは言い切れる。
だけど、もしかしたら、出逢うこと、そこから私が何か大切なものを感じ取ること、それが大事なんじゃないかと、そしてそれがこの出逢いにおける目的や役割なんじゃないかと感じた。
どんなに振り返っても、どんなに書き連ねても、一緒にはならないのが魂の計画なら一緒にはなれない…、そう思った。
魂の計画…聞き慣れない言葉だと思う。
でも、私はよくわからない自分の人生の流れを20代の終わりから10年位体験して、それを観察し続け、そして今年に入ってホロスコープというツールが来て、確信に近いものを持つことになった。
魂が計画したことならどんなことでも叶うけれども(99%起こらないようなことでも)、反対に計画に含まれないものは努力や思いは関係なく叶わない仕組みになっている
(99%起こる予定のものがなぜかそうならない)、ということ。
私の場合は、それが特に顕著で、思いに沿って動くことはできてもその先の結果は私自身は関与できない。
だから、その人とのことに関しては、思わぬ展開が出てきても不思議ではないし、反対に伝えたところで魂の計画と異なれば今の状態から違う展開は生まれないと思っている。
私は、後悔の無いように書こうと決めた。
書いて伝えるところまではする。
書いて書いて書きまくって、そして最後が、本当の最後が近付いているのを感じながらこれまで書き続けている。
(今は、最終日+つぶやき4までアップし終えて、あとは最後のやり取りを振り返る文章が書き途中のところ)
そんな折にやってきたメッセージだった。
メッセージの中でもとりわけ響きまくったのが、『記憶に残る』の部分だった。
たしかにその人は呆れたのかもしれない。
ここまでどうして私がやってくるのか、全く理解できなかったかもしれない。
変だと思われたかもだし、迷惑や負担でしかなかったかもしれない。
その部分はもう何でも良かった。
その人の人生の中で、その人の記憶の中に残れたとするのなら、御の字だった。
どういう残り方でも良くて、残ってくれたとするなら、もうそれで十分だと感じた。
そして、答えと同じ3回は達成した。
あまりのテンパリように自分でも気付いたのはうんと後だったけれど、私はものすごい短期間のうちに3回その人にアプローチをしている。
3回して玉砕。
ドン引きだったかもしれないな…とも思わなくもないけれど、それで相手の中に残れたとするなら私は単純に嬉しい。
そして、次の質問の答えにあるように、その人に出逢えてそこから体験できた色んなことは「一生の財産」だと感じている。
そんな風に誰かを想ったり感じたりするのは、そんなにたくさん経験できることじゃない。
2018.10.18(木) 9:16
本気で恋しよう!と思ったことはなかった。
私はもうずっとずっと怖かった。
そして、もう誰のことも本気で想うなんてしない、そう信じてた。
もし結婚できたとしても、今度は年齢を重ねた分、落ち着いたような気持ちでするのかと思った。
予想を遥かに裏切る形でその人は突然現れた。
そして、とても良い意味でその人が私の予想を裏切ってくれた。
私はまた誰かのことを想うこともできれば、もうあれほど諦めていた恋愛もまたできると知った。
そして、それはどこかに探しに行かなくても、婚活!とか言いながらがんばらなくても、来るものは来るってわかった。
それは頑なに閉じた私の心を開かせてくれた。
結果だけ見たらさんざんでも、私個人の体験としてこれ以上ないぐらいのものをもたらしてくれた。
しかも相手がグイグイ来ないのが余計に良かったのかもしれない。
その人は一度だけさらりと自己PRした後は、何もなかった(本人からしてそれが自己PRとしてやったかどうかは知らないし、単なる気遣いでしかない可能性が高い)。
しかも私は、最初「その人だから」自分がドキドキしてるのを、「イケメンだから」又は「その行為だから」ドキドキしたのかと勘違いした。
だから気持ちはそのうち静まるだろうと楽観視していたし、あまりにもドキドキしたのが久しぶり過ぎて、その久しぶり感が過剰に反応してるんだと思っていた。
その人をごはんに誘う前、私は相当な数の男性心理の記事を読んだ。
暇さえあれば調べていた。
ちなみに最初はごはんではなく、連絡先の交換をお願いしようとしてた。
だけど男友達と友達の旦那さんからのアドバイスで、「ごはん誘え!そっちの方がわかりやすいし絶対にいい」ということで、それでごはんの方になった。
元々そうしたことが不慣れな私は、男の人をごはんに誘ったことが一度もなかった。
友達なら普通に誘うというか、「次いつ〇〇に行く?」と女友達と同じ感覚で日程調整してたから、あれは誘うとかに入らない。
しかも、まともに話したことなくて、(仕事の絡みは一切ない)職場の上司で、さらにもっと嫌だったのが自分の立場だった。
派遣なのは普段全く気にならないけれど、その人からしたら、派遣に狙われてる、私=危険人物と見なされてもおかしくなかった。
もちろんそんな気はさらさらないけれど、相手がどう採るかはわからない。
いきなりハードル高すぎだわ、と思った。
私は誘い方に関しても、相当調べた。
調べたけれど、どれ1つ使えそうな方法がなかった。
男性心理は読めば読むほど脈なしだと思ったけれど、その一方で自分の中でその人が一瞬見せた表情で腑に落ちないやり取りのこともあったから、とにかく第三者の視点はあまり参考にならなかった。
ちなみに、仮にOKが出たらどこに行くのかも悩みの種だった。
ここは田舎。
適当な店も知らず、その時になったら考えようとそこはもう断ち切った。
そんな風だったから、私も私で相当な不器用さを露呈する他なく、もうなるようにしかならない、と腹をくくった。
今振り返ると、もうあんなことは1つとしてできない、と真面目に思ってる。
そこから始まり手紙を書いて渡すところまで、私は今でも穴があったら入りたいぐらいに恥ずかしかったしやらかしたと思っている。
その人からしてみても、全く理解できなかっただろうなぁと思う。
でも、記憶に残ったとするなら、たとえそれが変な人でも迷惑な人でも意味不明な人でもいい、その人の中に残るならいい、本当にananの記事様々だった。
いつだったかモテ期到来した男友達が私に「その時7人に告白されてさぁ〜」なんて話してきたことがあった。
失礼ながら、私はその友達の素の姿ばかり見ていたから「なぜこいつがモテる?」と思って聞いていた。
でもほぼ同じ時期に7人に告白されても記憶に残るんだから、言われたらそうなのかもしれない。
告白とは違うけれど(私はごはんに誘ったのとラブレターではない手紙を書いただけで、「好きです♡付き合ってください」みたいなことは言っていない)、同じ人が2回3回と来れば記憶には残るかな…と思う。
どんな風でも、その人の人生の中に足あとを残すことができたとするなら、それはそれでいいなぁと思っている。
今でもその人の何がそんなにも良くて心が止まらない状態だったのかはわからない。
でも狙ってもいない、なんなら私は最初圏外の人だと認識していたから意識して見ることもなかった(自分の無意識の行動には全く気付かなかった)。
なのに、その人はただそこにいるだけで、私にものすごくたくさんの影響を与えた人だった。
本人にしたら「俺はそんなこと1つもしていない」となってもおかしくないと思うけれど、何がすごいって、何もしてないのに私の心を目覚めさせるパワーを持っていたこと。
これはオマケの話だけど、私はその人とのことがあったおかげで、もう一度自分が夢見ることができるようになった。
今どハマりしているブログがある(1日前に見つけた)。
多分ブロガーの方は年齢的に私ぐらい。
元交際相手にストーカーされて男性不信に陥った女性が、今の旦那さんに出逢ってずっとラブラブな日常を送っている話(出逢って15年ほどとは思えないぐらいにラブラブ夫婦)。
この女性、当時のことがトラウマで、15年近く経つ今も男性と2人きりなのはダメで、家に修理とか立入り検査的な感じで業者さんが来る時は、旦那さんが有休取って一緒に対応するというすごい徹底ぶり。
(大げさなんじゃなくて、この方そんな状況に1人でいたら本気の発作起こしてその後メンタルと体と両方に支障をきたして命の危険まで出ちゃう人みたいだから、旦那さんの行為はそういう意味ですごく真っ当)
とにかく旦那さんに愛されまくってる。
今の私はそれ読んで、自分もそういうパートナーと出逢ってもいいんだなと思えるようになった。
これまではもうそういうことをあきらめていた。
そういう人と二度とは出逢えない、そう思っていた。
そしてそんな風に誰かを好きになれる自分も想像できなかった。
もう行くところまで行った私は、そうした気持ちを自分が持つことも、そして自分に持ってもらうことも、どうしても想像ができなかった。
10年近く、完全に心が閉じていた。
だけど、その人に出逢って、とりあえず自分側の可能性を見た。
もう誰にも気持ちが向くなんてないと思っていたのに、そういうこともあるんだと知った。
しかも自分のタイプがあるのかと思えば、そんなこともないとわかった。
タイプという意味で1ミリもかすらなくても、それでも自分が惹かれる人なら惹かれる。
頭は色々ジャッジするけれど、心は素直だということもわかった。
心は本当に心1本で「この人」という人を私に知らせてくれる有能な秘書みたいなものだった。
だから、頭では「タイプではない」とバッサリ切っていた人を、心は「この人だよ!」と教えてくれてた。
そこが大きな転換点になった。
今は、もしかしたら生きているうちにお互いに大切にし合えるパートナーと出逢えるかもしれない、そう思うようになった。
その人でないのは残念だけれど、そのブログの旦那さんを見て、そういう男性も世の中にいるよね、とまた素直に思えるようになった。
これは長いこと鉄の意志で絶対に信じようとしなかった私からしたら、大大大進歩だった。
その人が登場してくれたことで、私は自分の殻に閉じこもっていた部分から顔を出すようになった。
そして、見ようとしなかった可能性を見れるまでになった。
頭じゃなくて、きちんと自分の心と体で体験したから、本当に理解できるようになった。
その人に出逢わなければ、私は今そのブログは読めなかった。
過去の傷が一気に出てきて読めなかった。
その人とは上手くいかなかったけれど、代わりにそうした人生の可能性を見れるようになった。
冒頭のananに書かれたように、一生の財産を私は手にした。
その人のおかげで本当に色んなことが癒された。
あきらめるんじゃなくて、希望があることを教えてもらった。
もう少し究極の域の話をしたい。
今手元には、一目見た瞬間「〇〇さんのオルゴナイトだ!」と思って家に連れ帰ってきたオルゴナイトがある。
来年の春になっても手元にあったら、オルゴナイト作家さんにその頃会う約束をしているから、その時こそ忘れずにそのオルゴナイトが本人に渡らない場合どう現実的に対応したらいいかを聞こうと思っている←後先考えずに動くからこういうことになる。
(ちなみに、かなり捨てづらい)
もちろん本人に届いて欲しい。
再会したい気持ちは今もある。
だけど。
もし、オルゴナイトがその人の元へ行くことがなくても…
もし、その人とは再会できなくても…
もし、その人の中で私は黒歴史になっていても…
もし、その人の中で私は抹消されていても…
もし、そもそもその人の中に私は残らずあったことさえ忘れ去られていても…
それでも私は究極いいと思っている。
私は忘れないし、一生の財産を手にしたし、そして多分私はその人に出逢えたことで自分を取り戻せたんだと思う。
私はその人との時間が本気で欲しかったけれど、それを目当てに近寄ったのじゃない。
その人に想いを伝えるためだけに手紙を書いたのじゃない。
この振り返りノートを書いているのも、絶対に届くはず!なんて思って書いたのとは違う。
どれが叶わなくても、究極本当に大丈夫!という域になぜか到達できた。
そして、結果を問わず自分の中でその想いも時間も大切にできることがわかった。
結果が同じなら、ごちゃごちゃと書かず、一言「一緒にいたいです」とだけ言えば良かった。
素直に一言、自分がどうしたいのか、それをストレートに告げたら良かった。
一緒にいたいです。
本当にただただそれだけだった私。
2018.10.24(水) お昼前
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