2018年10月26日金曜日

振り返りノート【番外編】

>>>言い訳
『振り返りノート【番外編】』は、元々途中まで書いてあった。

だけど、番外編に相応しく、内容がかなり関係なくて、これはいつか気が向いたらアップするか、もしくは破棄するかどちらかだなぁと思っていた。

だから本来は、最後の振り返りだけが残っている予定だった。

気が変わったのは、日付を見て。

仮にそのままアップだと26日が最後。

もう1つ記事を挟めば、27日が最後のアップ。

私の中でちょうど1年1ヶ月とキリの良い日になるとわかって、じゃあ27でしょ!、もうつぶやきは終わったから入れるとしたらこの番外編。

ということで、番外編投入。

せっかくだから、余計な部分はカットして、多少シリーズものに相応しくなるように途中から書き直した。



>>>本編

振り返りノートを書いていた最中に、私は婚活ブログをいくつか読んだ。

婚活する・始めると勘違いされたくないから言うと、私は少しでも興味の湧くタイトルが付いていると、そのブログを読む。

開いたら闘病日記、不妊治療、ゲイカップルの日常、大食い、グルメ、食べ歩き、レシピ、子育て、夫婦の関係…と色々ある。

だから今回も婚活日記を読むぞー!ではなく、気になったタイトルを見たら婚活だったという。

婚活と名前が付くだけあって、本当に「活動」なんだなと思った。

39歳独身女がこんなことボヤくと火に油、そして説得力ゼロになるけれども、婚活って恋愛するんじゃないんだな…って。

条件がある程度合うと、次に進むらしいけれど、まずは条件ありきなんだと。

そんなの上手くいくのかな…なんて思った←「お前が言うなー!」という声が聞こえてきそう。

読んでいると悲しくなるぐらいに、細かなところや重箱の隅を突つくようなことが書かれている。

たしかに読んでいると「それはないわー」とは私も思うけれど、なんだろう、そういうことじゃないよね?という感覚が否めない。

ダメなところを見つけに行くみたいな、そういう時間ばかりが書かれていて、この人たちどこまでも条件が高すぎて、それで結婚できる方が不思議…とこれまた失礼なことを感じた。

私は自分が今回体験してわかったことは、条件なんて関係ないんだな…ということだった。

頭でいくらこういうタイプの人がいいと思っていても、それに全くかすらないどころか真逆の人でもいいと感じる時は、理由なし理屈抜きに勝手に惹かれるとわかった。

ありえもしないことだけれど、もしその人と私がそれぞれ同じ婚活サイトなり相談所なりに登録してたとしても、絶対に出逢うことはなかった。

私側の人物像もさることながら、相手のプロフィールも私は見てもスルーしたと思う。

例えば、写真があれば、第一印象でその人はもう落選。

なぜならさわやかイケメンだから。
(その人の第一印象がとても良かったのは、さわやかだからでもなく、イケメンだからでもなく、その人が放ってる安心感や信頼感、空気感、そして笑顔が良かったから)

さわやかイケメンは、友達なら自慢するし、見る分には目の保養でいいかもしれないけれど、本気の相手としては選ばない。

さわやかなのもイケメンなのも世間一般受けはいいかもだけど、私は興味がない。

さわやかよりも、男くさいみたいな感じの方が好きだし、さわやか過ぎると自分の身だしなみや体の手入れのいい加減さが際立って落ち着かない。

そしてさわやかイケメン過ぎると浮気の心配も出てくる(笑)。

本人が浮気しなくても女の人は寄ってくる。

しかもさらにタチが悪そうなのが、その人、自分がさわやかイケメンと自分のことを思ってなさそうなところ。

さわやかイケメンとは私だけが言ってるのではなく、事務所の女性陣全員が言っていたし、男の人の外見見ていちいち「イケメン」とか「さわやか」なんて思わない私が思うぐらいだから、普通に印象は相当良い人だと思う。

基本的に物腰柔らかだし、穏やかだし、本人の自己認識がそうでなくても周りの女性から言い寄られる…、ということが常について回りそうな人という感じはする。

少なくともそういう心配をしなくていい人がいい、という意味ではその人は不合格すぎるから選ばない。

(お前何様だ?発言しばらく続きます)

職業欄は意外に私はあまりよく見ないかもしれない。
(これまでの婚活イベントでもきちんと見てなかったし、他のところばかり見てた気がする)

代わりに、嗜好(酒・タバコ)・趣味は見る。

次に趣味。

私は今回その人に出逢わなかったら一生勘違いしていただろうものがある。

私はその人が好きなものを、本当に数ヶ月前までものすごい軽蔑してた。

何でそれが職業として成り立つのかそれさえも理解できなかった。

だからその人の趣味を最初知った時、それがマイナスポイントになったほどだった(←当時は自分の勘違いでその人をいいと思ってる…とかなり疑いまくっていたから、その人への興味が失せるものなら何でも良かった)。

私がその人の趣味を最初知ったのは、何か届け物のお願いの電話がきて、それを取った後輩くんが誰だったら行けるかみたいな話になって、〇〇〇さんたしかにその近くに今日行くんすけどね、まさか本人楽しみにしている☆☆☆☆の前に行ってくださいなんて酷すぎて頼めねーっす!とか言って知った。

私はその時、本当に「無理」と思った。

苦手の範疇を越して、どうしてそんなものが世の中に存在するのかさえ理解できなかったレベル。

私はたしかにジャッジはキツイけれど、特定のものに対して「それは絶対に無理」と思うことはあまりない。

普段の私は、その良さはわからないけれど、それを良いと思う人も当然いるよね、というぐらい。

そういう意味ではわりかし許容範囲広めだと思う。

だけど、その人の趣味だけは、それを良いと思う人もいるよね、ではなく、絶対的に無理・理解不能の領域だった。

書きながら気付いた。

私が無理だったのは、その映像と自分の体験が重なるからダメだったんだと思う。

もちろんそんな過激な体験はしてなくても、動きから伝わるものと自分の体験が重なってしまって若干パニックになるから、それで苦手意識がものすごく出てきていたんだと思う。

具体的なシーンまで思い浮かぶぐらいだけど、私がそこからこれまで長い間感じ取ったメッセージは、「逃げ場がない」「逃げられない」「どこから攻撃が飛んでくるかわからない=怖い」、そうしたことをものすごく思い出させるものだったから、私は見ないようにずっとしていた。

でもそれもよくできているもので、その人と趣味つながりのSさんがそれにまつわる話を色々教えてくれて、見方が変わった。

Sさんなくしては私は自分の思い込みや考え方を変えることはできなかった。

Sさんのおかげで私の視野はぐっと広がって、これまで勘違いしていたあれこれをごめんなさいと謝りたいぐらいだった。

そして、それは別物という位置に置けるようになったことにも、今書いていて気付いた。

Sさんから色々聞いて、それを本気で仕事にしている人たちにはもちろんその哲学や生き様があって、そこに目を向けるようになったら、勘違いしていてごめんなさいと思った。

むしろ、私の勘違いで勝手に思い込んでいた色んなことが恥ずかしくなった。

逆に聞いてみたい。

何でその趣味が好きなのか、どういうところに惹かれるのか、その人の中を知りたい。



話が飛んだけれど、そんなこんなで結婚相談所的な感じでは絶対に出逢えなかったと断言できる。

出会いの場として、これまで体験したものと組み合わせたらどうだったんだろう…。

ちなみに迷子になってその職場の前に着いた時に行った婚活イベント。

絶対に仲良くなれなかっただろうなぁと思う。

私はその中でも年齢が高く、さらに来ていた女性が本当に可愛いとか綺麗な子が多かった。

久しぶりに外見コンプレックスがガンガン刺激されるぐらいのレベルの高さだった。

その中で自分がその人の目に止まるなんてのは考えられない。

そこで仮に顔を合わせたとしても、イベント後に約束して会うなんて絶対になかっただろうと思う。



いつか書いた記憶があるけれど、私はその人が行きつけだったお店の求人に応募しようとしていた。

そこで働いたと仮にしても、すれ違うことすらなかったと思う。

店員とお客さんとしてさえもお互いに会うことはなかったんじゃないかなぁと思う。

当時深く考えていなかったけれど、私その仕事仮に受けて就いていたなら、裸の男性も相手にしなきゃいけなかったんだろうか…(汗)。

私は技術の方にばかり目が向いていて、肝心の客層なんて全く考えなかったけれど、よく考えたら服の上からオイル垂らすなんてあるわけないから…。

(行きつけと言っても色んなサービスを提供してるところで怪しい店ではありません)

今さらだけど、iPhone壊れてくれてありがとう!と思った。
(電話が直った後かけたけれど、ハテナがいくつも飛び交う話だったから進めること自体断った)

そこに就職したとも思わないけれど、仮にそこに行っても知り合うことはなかっただろうなぁと思う。

そう思うと、本当にベストな形で出逢えたとわかる。

職場だったから、私は出逢いなんてそもそも全く期待せずに行くことができた。

胸は期待ではなく不安で膨らみまくっていた。

だから何の先入観もなければ、気負いもなくその場に行けた。

私が人間関係で唯一願ったことは、私の教育係の人や他の女性陣が面倒な人たちではありませんように…だけだった。

事務所の大きさも良かった。

いくつか派遣に行ったことで、あと塾の時も、最後まで名前の知らない人というのが規模が大きくなればなるほど必ずいた。

退職前菓子配りを無言の慣習にしているところでは、お菓子を配った時にはじめましての人もかなりいた(←70個近く用意した)。

こじんまりとした事務所は、適度に距離も近く、チラ見するには丁度いい距離感だった。

しかも部屋はそこしかなかったから、基本的に事務所の中にいればその人にきちんと会えるのも良かった。

私だけが一方的に名前を知っているのではなく、その人も私の名前と顔が一致するぐらいの距離感だったから、本当にその感じが良かった。



世の中には色んな出逢い方がある。

その人に関して言えば、実際の出逢い方以外には方法はなかった、そう思っている。

もしタイミングがズレていたとするなら、絶対に出逢えなかった。

現に、私がいたポジションには今別の人が入っているとのことだけど、その方は当然その人とは時期がかぶっていないから出会えない。

趣味もかぶりそうにもなく、趣味の場では出会えなかった。

場所もタイミングも良かった。

仲を深めるにはかなり役不足な場ではあったけれど、黙っているからこそ知れる姿や気付くこともたくさんあった。

本当にベストな状態で出逢えた。



>>>名言集


【デスクの上が散らかっている人は、案外、「ありのままの自分」を表に出し、「他人からどう見られても構わない」と開き直っているところがあります。つまり、メンタリティが強いことが多いのです。】


『空間心理カウンセラーの「いいこと」が次々起こる片づけの法則』
伊藤勇司



空いた時間にツタヤに行った。

その時いた場所から

A店…1㎞圏内
B店…次の目的地の1㎞圏内
C店…現地点からも次の目的地からも外れている

3つの店舗の候補があった。

私はA店かB店に行くつもりだった。

でもペンジュラムはC店のみYES。

時間的に間に合うから、何だかよくわからないけれど、C店に行った。

実は探してる本があって、普段通らない通路を通った。

一瞬タイトルが気になって手に取り、パッと開いたら上の文章が書いてあった。

その人の机の上が思い浮かんで、なるほど!と思った。

ちなみにこの空間心理カウンセラーの方いわく、上のタイプは組織の中でも大丈夫なタイプで、むしろ気にかける必要があるのは机の上がきれいな人だと言っていた。

それは本当に綺麗好きならいいけれど、そうではなく実は自分の隙を見せることができなくて悩んでるタイプなら要注意とのことだった。

それを読んで、たしかにその人はたくさんお喋りをして自分をわかりやすく外に出すタイプではなかったけれども、自分を大きく見せたり良く見せたりとかいうことも私から見てしていなくて、本当にそのままだったなぁなんて思った。

本人がどこまで自分をそんな風に見ているかは知らないけれど、その人の机の上はその人のトレードマーク的な感じだったし、取り繕ったりせずにありのままを出してる感じはした。

言葉数が少ないのも、人見知りとか内向的とかいう風にもとれるけれど、それがその人らしさでもあったし、そういう自分を隠さない強さみたいなのを私は感じた。

だから、初めて仕事に行った日、その人を見て安心しきったのかもしれない。

言葉数は少ない人ではあったけれど、静かにドシッと構えてるところがあったから、だから組織として落ち着いていたことも頷ける。

無理に取り繕うと必ず無理な雰囲気が出る。

私はそういうのは敏感だから、わりかし気付きやすい。

でも初めて行ったあの日、すごく緊張もしたし不安もいっぱいではあったけれど、無理に取り繕われてる感じは一切しなかった。

あの安心感の根底にはその人の目に見えない積み重ねがあったんだろうなぁ…と今さらながらに気付いた。

結局私は、その部分だけささっと読んで、本来の目的は次回持ち越しになった。

ペンジュラムは今日も間違いなく私をドンピシャのところに導いている。

なぜなら、私は他の2つの店舗ならその探し物の本のあるだろう場所がなんとなく予測できたから。

今日の店舗だけは予想がつかなくて、とりあえず新刊本コーナー、ビジネス書コーナー、心理コーナーを回ってそれでもなくて、途中文庫本棚の前を通ってエッセイコーナーに行く時に見つけた。

文庫本コーナーは基本どこの店舗でも行かないから、そういう意味でC店でなければいけなかったし、本もパッと目に付く位置にないといけなかった。

ものすごく上手くできていた。

次の約束の時間が迫っていたから、本当にその本だけを今日は見ることになった。

おかげで、その人のことをまた1つ知れた。

そして私が上手く言葉にできなかったその人の良さを代弁してくれてた本だった。

変な知り方だし、それで合ってるかどうかも知らないけれど、少なくとも私は大きく頷くぐらいにその通り!って思ったし、そして何よりもその人のことをまた新しい視点で見れるのは嬉しい。

今さら知っても何にもならなくても、完全なる自己満でも、やっぱり嬉しい気持ちには変わりない。

そして、番外編を思い付いて良かった。

じゃなかったら、今日今ここに書いたことは永久に語られることのない話になってしまったから。

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