2018年10月25日木曜日

振り返りノート#9

本当に最後のつぶやき。

とうとう最後1つの振り返りノートだけになった。

猛烈に寂しすぎて、あまり書きたくない…。

書いたら終わるっていうのが頭にあるから、早く終わらせたいなんて全く思えない。

最後の振り返りノートは、思い出じゃなくて自分のことの振り返りだから、その人がたくさん登場するような文にはならないと思う。



ちょっとだけ寄り道。

「勝ち取ったんだ…」

出てきた言葉。

どハマり中の仲良し夫婦の会話(ブログ)を読みながら、過去の自分が出てきた。

怖い選択だった。

これで人生が終わるんじゃないかというぐらいに怖かった。

だけど、今のような関係を、これから何年、何十年と続ける自信がなかった。

自分が潰れるのがわかっていた。

自分が望むようなしあわせも多分手に入らないことも。

いつか変わる、もうそういうのは信じられなかった。

そして、相手は変わらなきゃいけないとは思っていない。

受け入れて一緒にいるか、離れるかの二択で、受け入れられないなら当然後者になる。

別れる以外の選択肢はないのに、私は延ばしに延ばした。

やっと別れたいと言って終わりになって、それで楽になるかと思ったら、そんなことはなかった。

その後、私は自分のことをすべて肯定、すべて受け入れてくれる人に出逢った。

そのままハッピーエンドの予定だった。

ハッピーエンドとはならず、私はその後ものすごく長い時間、その自分の気持ちと起こったこととに向き合わざるを得なくなった。

なんだか色々と苦しかった。

苦しいのは自分が選んでいます、なんていうスピでも自己啓発でもよく見受けられる言葉だけど、バカ言ってんじゃないよ!と殴りたくなる。

こんなの苦しくありません!なんて割り切れるぐらいならさっさと割り切ってるわ!、苦しくなるぐらいに思いもたくさんあるからこうなるんだよ、と言いたくなった。

ようやく抜けたかな…となった時に、その人が現れた。

だから、人生のご褒美だと思った。

ここまでよくがんばりましたね、これがご褒美です!と言って差し出されたような出逢いだった。

私はその時その時の自分に心底感謝している。

その先の素晴らしい出来事に繋がっているなんて全く想像すらしたことなかったけれど、結果的にそういうものに繋がっていた。

「勝ち取った」は、当時は暗中模索で先も見えない、なんなら出口なんてないんじゃないかという中にいて、その中で選んでもそれでもずっとグルグルして、そんな時の自分を思い出したら、私はそこにいることじゃなくて自分にとって少しでも楽に息ができる世界を選んだんだなと思った。

そして選んだずっと先に、ここで体験した色んなことを手にした=勝ち取った、勝ち取れたんだなと思った。



ここまで書いて、見ないフリしながら書いていたけれど、やっぱり最後なら書こう。

私は当時から変わらずに思っていることがある。




本当はその人は何を思って何を感じていたのかを知りたい。




書きながら何度も思った。

これまで書いたことが仮にも「当てつけのこじつけのストーリー」だとするなら、そんなにもたくさん奇跡が起きるのかと。

天気も日程も会社の決定も第三者の人生もそれら全てを渾然一体としてこれだけのストーリーを意図的に作ろうとしても作れない。

私は1つ1つ検証しないと気が済まなかったからこんな風に検証しまくりだったけれど、本当のところその人は色々気付いていたんじゃないかなと思う時もある。

起こったことの色々ではなくて、その人から見て私がなんか他の人と違うかも…みたいな感じ。

それは私に恋するとか好きになるとかそういうことじゃなくて(そういうことなら尚嬉しいけれど)、何かが違う感じ。

未だに自分でも説明できないような感覚もあるから、その人ももしかしたら似たようなもしくは同じような感覚になっていたのかもしれないなぁ…なんてちょっとだけ思う時もある。

私はたしかにペンジュラムも使うし、それで物とも対話するし、他の人のメッセージもキャッチしたりはするけれど、これが自分のことになるとさっぱりわからなくなる。

普段メガネをかけてる私がたまにコンタクトをすると、私は無意識にメガネがズレたと思い(←もうこの時点でおかしい)、メガネを直そうと目の辺りに手を持ってくると「!、ない!、メガネがない!」とよくなる。

しばらくして、「(視界が)見えてる」「うわっ、コンタクトしてた」となるけれど、それぐらいに自分のことがよく抜ける。

コンタクトだけじゃなく、全般的にこういう現象が発生しやすい私の日常。

自分の心や感情も同様で、自分のことは本当によくわかっていない。

だから、その人のことも、自分では最初の頃全然わかっていなかった。

その人の仕事ぶりを見ていつも思っていたことだけれど、その人は基本的に細かいことにすぐ気がつく。

私は自分の気になるところだけを見るけれど(そこだけ細かくあとは大雑把)、その人は多分もっと俯瞰的な感じで、なのに瞬時に細かいことにも気付けるタイプの人だと思う。

私にしてくれた気遣いも、よく気付いたね!っていうぐらいの小さなことで、私は自分のことなのに気付いていなかった。

無視された時も、私はその人の席に向かってはいたけれど、絶対に私がその人に話しかけるとは限らないのに、その人は私が近付くかも…と察知して、まだそこにさえ到達していないのに、早くも無視の体制に入るため、タイピングのペースを急ピッチで上げだした。

っていうぐらいに気付く人。

そんな人が何も気付かないなんて、ちょっと考えにくい。

外に出す言葉数があまりにも少なすぎて全くわからなかったけれど、本当は何を思って何を感じていたのかな…とは思う。

なんとなくだけど、多分私よりもその人の方が色んなことを感じる感度や感受性が強い気がする。

その人が感じていたことを知りたかった。

今でも知れるのであれば知りたい。

私は1人で大盛り上がりしたけれども、その人の普段の様子を見ていると、きっかけとなった気遣いは、普段の様子からはだいぶ考えられないものでかなりレアだったと思う。

そもそも私の状態に気付く方が難しかったと思う。

普段気遣いができる一緒に動いていた女性さえも気付かなかったのに、その人だけはどういうわけか気付いた。

しかもその人は常に近くにはいなかったと思う(←誰とも関わらなくて済むように、私は作業に集中するフリして背中を向けて周りを遮断してた…、だから周りの様子は全然見えていなかった 苦笑)。

一体いつその私の状態に気付いたんだろう?って思う。

他の時も、素っ気なかったりするのはある意味その人らしい感じはしても(他の人たちにも基本的に愛想振りまくことはしなかったから)、そうではない時の感じはいつもとは違っていた。

そういうのを思うと、その人ももしかして何か別のものを感じてたのかな…なんて想像する。

「すっごい変な感じ」でもいいから教えてもらいたかった。

その人の目に映るものを知りたい。

「知りたかった」じゃなくて「知りたい」。

過去形ではなく、今も現在進行形。



振り返りを終わらせることに後ろ髪引かれる思いもある。

だけど、この振り返りノートシリーズを完結させたら、あとはもう神のみぞ知るの領域だから、一旦は手放そう。

その人と繋がりたい。

10月25日(木) 満月の夜 1:56



>>>追記

午前中、名古屋にいた頃ものすごくお世話になった方と電話をした。

その方が知り合った人の話をする中で、年齢や職業が自分も名古屋で会ったことのある人と同じ感じがして、もしや同じ人だったりして?フルネーム聞けばわかるかな?と思って聞いた。

「佐藤さん(仮名)のフルネームは何て言うんですか?」

「佐藤〇〇〇さんって言うのよ」

別人だとわかったけれど、それよりもその名前に驚いた。

その人と同じ名前だった。

もちろんそんなつもりで聞いたわけじゃなかった。

無限大にある種類の中で、そんなピンポイントでその名前って、毎回凄すぎる(笑)。

そこに何の意味もなかったとしても、その状況を楽しめる自分でいられるのは良かったなぁと思っている。

意味が有る無しはどうでも良くて、その名前が耳に飛び込んできて驚いたり、ニコッとしたり、こうやって書いて残したり…。

完全な自己満でも、幸福度はものすごく高い。

意味はなくても、その人が私にもたらしたものはそういうものだった。

幸福王子なんて呼んだら可笑しいかな?、でもピッタリのネーミングだなぁと思う。

名前聞くだけで幸福度が上がるなんてそうそうない。

つぶやきを締めるにあたって、いい感じの話で締めくくれて良かった。

この1年、本当にそんな風にして私はラッキーハッピーシンクロニシティに囲まれていた。

その人を知った世界は、やさしくて温かくて幸福に満ちたものだった。

それは多分これからも変わらない。

10月25日(木)  まんまるお月様の夕方

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