2018年10月16日火曜日

振り返りノート>>>最後の月曜日

>>>2017年9月最終週の月曜日

ラスト3日になった。

その前の週、妹と1歳の姪っ子が実家帰省をしていた。

本当は有休を取ろうと思っていた。

3人で平日どこかに出かけてもいいなぁとは思ったけれど、突然の異動に私は妹には「仕事休めなくなった、ごめんね」と言って、有休を取ることをやめた。

少しでも長くその人がいる空間に自分もいたかった。

仕事に興味を抱くことはなかったけれども、その人の近くにいるための手段だったから、私は毎朝張り切って仕事に行っていた。

今日は待ちに待った旅行!ってなる時の朝の高揚感に近い。

旅行じゃなくてもいい、コンサートでもスポーツの試合でも飲み会でも、とにかく心が躍る感覚となるものならなんでもいい。

そんな風な感じで仕事に行っていた。

それまでの私なら週末や休日は楽しみで仕方なかったのに、去年は違った。

週末はやたらと長く感じた。

そして、日曜のサザエさん症候群と呼ばれる社会人が感じる憂うつが、私には月曜の朝のカウントダウンが始まったみたいでウキウキしていた。

本当に毎週月曜日が待ち遠しくて仕方なかった。

ただ、最後の月曜日は違った。

とうとうその日が来てしまった…、その現実を受け入れることができなくて、会える楽しみ半分意気消沈半分という、色んな感情で自分の体をいっぱいにして仕事に行った。

よもやま話だけど、私はその夏、1年越しぐらいに手の指のイボ治療を始めた。

最初は1つだったのが4つ5つに増えて、さすがにこれ以上増えたらまずいと思って重い腰を上げた。

とりあえず有名な皮膚科に通った。

そしてその皮膚科の最大の魅力は、土曜にしか通えないことだった。

平日は終了時刻=仕事の終業時間で、そこは激混み医院のため時間内しか受付しないシステムになっていた。

だからおのずと土曜通院になった。

笑われるかもしれない。

私はあえてその土曜日通院を狙ってその皮膚科に通った。

もう一つ別の医院もあったけれど、そこは平日夕方に行けたけれども、それでも私はあえて土曜通院の方の医院を選んだ。

なぜならその皮膚科はその人が住む市の中にあって、当時は詳しい住所は知らなかったけれど、バッタリすれ違うとか、バッタリ道で見かけるとかあるかもしれない!と思って喜んで出かけていた。

結局、そんなことは一度も起こらなかったけれど、代わりに仕事で一番やり取りのあった男性には、そのイボ治療の延長でバッタリ出くわしたことがある。

私はその日のことをものすごくよく覚えている。

その日は777と7777のナンバープレートをたかが15分20分ぐらいの間で5台見た。

その辺りからぞろ目を見ることが飛躍的に増えたけれど、その時は異常だった。

しかも我が家から皮膚科までの田舎のローカルな道で見かけて、何かあるのかも…と思った。

そうしたら皮膚科の後に寄ったスーパーでその職場の人に出くわした。

「武士俣さん!」と呼ばれた時には度肝を抜かれた。

その人ではなかったことが残念ではあったけれど、そうした誰かに遭遇することが増えたのもその辺りからだった。

本気で何かのタイミングが合い始めてる、ということだけはわかった。

私はそのタイミングの合い方がその人に繋がるものならいいのに、と大真面目に祈った。



最後の週末を明けて迎えた月曜の朝、本当にあと3日なんだと気付いた。

朝仕事に行くと、その人はすでにどこかに行っていていなかった。

いなくてがっかりしながら、あと3日後にはこれが日常になってしまうんだと思うと胸の奥がキュッとなった。

哀しい想像だった。

時が止まらないかと本気で祈った。



ごはんに誘ってからの気まずさと言ったらなかった。

ものすごい無視をくらって、最初の時は仕事中なのに泣き出すかと思ったし(ぐっと堪えた)、それ以降ももはや挨拶さえもできないという状況だった。

そこにおいかぶさるように異動の話を聞いて、そこから私はまた動くけれど、もう事態は最悪な様相を見せていた。

気まずさも半端なくて、それまではコソコソとその人のことを見まくっていたけれど、無視されてからは自粛するようになった。

見ては悪い気がした。

すっごい見たいくせして、なんか申し訳ないやら何やらで見れなかった。

何でだろう…、今思い出しても胸の奥の方がキュッとする。

あの時の感覚に近い。



その人にバレないように私がチラチラと見ることを始めたのは6月の終わりだった。

それまでは慣れない仕事にアップアップしていたけれど、小さなきっかけを境に、いきなりその人は私の毎日の中にドンと存在するようになった。

最も初期の頃は、私は自分が久しくそういうトキメキを感じたことがなかったから、それで勘違いを起こして相手を見てるだけかもしれない、と思っていた。

気のせいかもしれないし、相手はイケメンだからそうしたちょっとした優しさを提供するなんて慣れていて、相手からしたら何の意味もないだろう…、そう思うようにしていた。

記憶が曖昧だけど、その前後でその人の上司?に当たる人が来たことがあった。

私は時期こそ忘れたけれど、その時のことをよく覚えている。

そんなこと一度きりだったけれど、その上司なのか何なのか、その人のことだけはみんなの前で紹介した。

その紹介する時に、超がつくぐらいの笑顔で紹介していて、その頃にはその人があまり笑わないし、感情を表に出さない人だというのは気付き出していたから、私はその笑顔を見て営業用の笑顔だと思った。

そして、私に初日に見せた笑顔もあれは営業用だったんだろうか…と思って、一瞬暗くなって胸がチクリとした。

だからその時のことをとてもよく覚えている。

その人のそのすごい笑顔は、初日とその上司みたいな人を紹介した時しか私は見ていない。

もちろん多少の笑顔はその後も色々見たけれども、本当に(^人^)←こんな感じの笑顔を見たのは2回だけだった。

ちなみに他の時は(^^)この程度。

今となっては笑顔の真相もその人の心の真相も何も知らないけれど、私の中でその人の第一印象の残り方は尋常じゃなかった。

私は記憶障害かと思うぐらいに、初対面の人の名前はもちろん、顔もすぐに忘れる。

名前と顔が一致するまでものすごく時間を要する。

私はその職場の時もまずメモ帳にメモしたのは、席順と名前だった。

そうやっても平気で忘れるから、私の記憶力のなさと言ったらない。

そんな中、その人のことだけはものすごく印象に残った。

当時はイケメンが爽やかな笑顔で挨拶してくれたから記憶に残った、ぐらいの認識でしかなかった。

私は相手に失礼なぐらい、初期の頃は「イケメンだから」という理由で全部片付けていた。

でもそうじゃない、と気付くのはもっともっと後になってからだった。

今ならわかる。

だって、「イケメン」に分類される人たちならこれまでにもたくさん会っている。

友達の彼氏(現旦那さん)や義弟もそうだし(義弟は今は家族だからイケメンとは全く思わなくなったけれど)、他にも男友達にも何人かいるし、仕事や何かの縁で会った人たちの中にもイケメンはいた。

だけど、私は義弟のことさえ最初会った時のことは覚えていない。

その人がイケメンだから記憶に残ったのとは違う、と私が気付いたのはその人がいなくなるとわかってからじゃなかったかな…と思う。

今でもはっきりと覚えているけれど、その人に最初会った時のことをよく覚えているのは、私がその人を見て絶大な安心感を覚えたからだった。

事前に面接を兼ねたような顔合わせ的なもので足を運んだ時は、その人はいなかった。

その時すでに色々と不安要素を感じ取っていたから、私はけっこうな覚悟を決めて当日を迎えた。

そんな風に色々不安しかなかったその職場に初日行った時に、私はその人のその笑顔や雰囲気を見て「大丈夫」と思った。

その職場が社会人になってから通算9ヶ所目にあたる職場だったけれど、そうした安心感を覚えたのはその時だけだった。

もっと言うと、私生活も含めて、初対面で安心感を覚えてそれが強烈に記憶に残ったのは、人生でその人しかいない。

安心感なら他の人たちも与えてくれた人は多いと思うけれど、記憶に残った人は誰もいない。

だから最初からその人はものすごく特別だった。

その笑顔の話をその人がいなくなってかなり経ってから、職場で唯一仲良くしていた人にちょっとだけ言ってみた。

そうしたら、私の苗字がその人にとってとてもツボとなるようなもので、それが嬉しかったんじゃないかという予想になった。

最後のギスギス感を思えば、苗字の1つで何かニコッとなれるものをその人に1つでも提供できたとするなら御の字だなと思った。

それがその人の笑顔の理由でもいい。

とにかくその笑顔を出逢ったその時に見れたことは大きかった。

この人がいたら大丈夫!って思えた最初の感覚は今でも覚えている。



仕事中にその人を見るのは少し技術が必要だった。

私の席からは普通には見えなかったし、もう一つの作業机から見るのは明らかに体の向きがおかしかった。

だからその人が歩いて室内を移動している時とか、室内の机以外の場所にいる時とか、ちょっとした動きを見落とさずにチラチラと見ていた。

相手が動いている時は見ていたけれど、反対に相手が席に着いていて私が動く時は全く見れなかった。

どんなに近くに行っても、半径1mぐらいがせいぜいの近さにしかならなくても、それでも私はいつも心臓が飛びでそうと思ったぐらいにドキドキしていたし、本当ならガン見できるのにそんなことする勇気がなくてできなかった。

たまに私の作業机の向こう側に座ることがあった。

間には色んな作業道具があって、もろに向かい合う風にはならなかったけれど、そんな時の私は本当にどこを見ていいのかわからず、絶対に視界に入れないようにしてた。

だからその人が向きを変えて私に背中を向けているとわかると、今度はガン見して、我に返って「私、何やってんだろう?」と思ったことは数知れずあった。

その人がちょっと特別だと気付いたのも、実はそうやってチラチラと見ている時だった。

我に返って、私は自分がその時に思ったことを振り返って、「えっ(´⊙ω⊙`)?」ってなった。

何を思ったかは口にすることがはばかられるから省略するけれど、私がぼーっとしながら思い浮かべていたのは、とんでもなく異様で、何をどうしたらそんな思考回路になるのか、自分でも「異常」だと思った。

私何か頭のネジでも飛んだんだろうか?と思った。

あまりにおかしな発想だったから、私はその時も「気のせい」にすることに落ち着いた。

これも後になってから気付いた。

発想自体がおかしくて私は否定することに力を注いでいたけれど、本当はそうじゃなかった。

そんな発想に至ること自体が普段はないわけだから、そんな発想を抱く人だったんだと、後から冷静になった時に思った。



こうして書いていると、どんどん当時のシーンが蘇る。

私は業務上コピー機の前を占有することがしばしばあったけれど、その時に時々その人が自分が印刷かけたものを取りに来ることがあった。

その人はいつも小さな声で「すみません」と言って自分の印刷物をさっと私の邪魔にならないように取って行った。

そのすみませんの感じが良くて、私はなんかいいなぁと思っていた。

その会社が派遣では4社目(実際同じ会社の別部署に行ったから、部署でカウントしたら5ヶ所目)で、私はコピー機はじめ共有のものの使い方に関して、大手企業のびっくり仰天エピソードが色々あったから、「すみません」って当たり前のことかもしれないけれど、その当たり前を普通にしているその人にとても好印象を持っていた。

もちろんみんながそうではないけれど、「あのー、小学校って行きましたか?」と嫌味たっぷりに聞きたくなるぐらいに失礼というか無礼な人たちも、しかも決まって男性陣がいて、この人たちは今すぐ新人研修を受け直してくださいと言いたくなる人たちというのが一定数いた。

共有の場を使うのに社員も派遣も関係ないから!と言いたくなる。

ちなみにそういう人は絶対に仕事ができない人だと思う。

そんな当たり前のことを当たり前にできない人は基本的にネジがぶっ飛んでいるから、態度だけ偉そうだけど中身は大したことない。

人間観察だけは趣味でどこでもやっていたから、仕事できる人たちの特徴はすぐにわかる。

コピー機とかどこにでもある風景だけど、ああした誰もが使うものとかにはその人の人間性が出る。

コピー機だけじゃなくて、小さなコツコツとしたもの、その人はそういうところをものすごくキッチリとしている人だといなくなってからもっと知ることになった。

私は書類関係の整理もけっこうな量で仕事として回ってきたけれど、その人がいた時代と代替わりしてからとでは、書類の完成度が明らかに変わった。

その人は断トツできちんと書類系の管理をしていた。

そんなの誰も見ないよ、っていうようなものにまできちんと書き込みや印やサインやらしてあった。

私は色んなものを点検したり整理したから、それは一目瞭然だった。

しかもほぼ全員が携わる類いの書類を見た時に、初めて私はその書類の本来の姿を見た。

誰しもが飛ばしたりするようなところを、その人は全部書き込んでいた。

それ見て、やっぱり思った通りだったと確信した。

仕事で絡むことがなかったから、私が見えるのは外に出ているコミュニケーションスタイルとか、そうしたコピー機の前でのやり取りみたいなのしか基本的にはなかった。

それでも私はその少ない情報からその人は仕事がすごくできる人だと感じた。

そしてそれを後から証拠を見て知ることとなった。

自分の思った通りだったのも嬉しかったし、自分のことではないけれど、なんだか嬉しかった。

他にも、その人の普段の動き方はとてもスムーズだった。

とにかくさっと動く。

これは人が替わってからとにかく周りの人たちが口を揃えて言っていた。

前はすぐに動いたり助けたりしてくれたのにね、って。

私は絡みゼロでもそれは見ていて気付いたし、その後人が何人か替わった時にそこはもっと顕著になったから、あぁやっぱり周りを見ながらすごくテキパキと動く人だったんだなぁと思った。

関係ないけれど、私が職場で男性を異性として見ることがそれまでなかったのは、2つの理由からだった。

私はまず男女関係なく、基本的に仕事ができるできないを見てしまうクセがある(自分のことは棚に上げて、他の人たちはそうやって見てしまう)。

女性は置いといて、男性の場合の話をしたい。

だからまず、男性としてと言うより人として、仕事ができることを絶対の条件として見て判断する。

そして、次の段階として、仕事ができる男性をどう見るかと言うと、「人」として見る。

私は他の社内恋愛をする女性陣がどんな風に男性を見るのかは知らないけれど、私は仕事ができるからと言って、カッコいい♡なんて思わないし、付き合いたい♡なんてのも思わない。

どんなにフォローしてもらっても全く恋愛感情なんて湧かなかったし、人としてはカッコいいと思ってもそれ以上は何とも思ったことがない。

尊敬している上司とか同僚とかなっても、異性として見ることがない。

そういう面から見ても、その人はイレギュラー過ぎた。

ちなみにこれは現実とは違うから少し想像が難しいけれど、仮にその人が仕事ができない人でも私は多分その人に惹かれたと思う。

私はその人が仕事ができる人だからいいと思ったのでもないし、どちらかと言うとそれはついでの要素みたいな感じだった。

私はその人の仕事っぷりに惹かれたのとは違う。

純粋にその人という人間に惹かれたから、だから仕事のできるできないとかは重要ではなかった。

むしろその人の肩書が声をかけるのにかなり邪魔だった。

立場があまりに違うから、私の方が近寄りがたく感じる硬い肩書におののいてた。

実際に、言葉でのコミュニケーションはそんなに得意な人ではないと思う。

でもそれさえももうどちらでも良かった。

私は話上手な人が自分のタイプなのかと思っていたけれど、そうでもないんだとわかった。

その人の場合、そうした好みもとことん真逆だったから、普通には近寄ろうとさえ思わない人だった。

でも私は単にその人をもっと知りたい、もっと近くになりたい、そういう気持ちだけだった。

だから何でも良かった。

その人が何であってもその人がその人である限り、私には他の細かい事は全て二の次だった。

そういう気持ちになる自分のことも不思議だったし、知らないのにそこまで想うのは思い込みじゃないかと当時はよく思っていた。

でも、今だからこそわかる。

本当に会いたかった人だったんだと思う。

その人とは、「出逢うこと」が最大の目的だったのかもしれない。

それなら私が感じた諸々の気持ちにも納得できる。

私は子どもを産んでいないからわからないけれど、自分の子どもが元気で生きていてくれたらいい、その想いにとても似ている。

2歳の姪っ子に感じる気持ちとその人に感じる気持ちはとても近い。

姪っ子は実に色々やらかしてくれるけれど、何をしたところで嫌いになることも拒否することもない。

拷問のようなエンドレス同じごっこ遊びとかはあっても、それで姪っ子を嫌いになることはない。

その人もそんな感じ。

仕事以外の面は色々不器用な感じだし、言葉足らなさすぎて私わからないよー!と文句の1つも言いたかったけれど、でも嫌いにはならなかった。

わかりやすいほどの無視をされて、最後も相手からして逃げ場なくて挨拶せざるを得なくなって無理やり挨拶してます感はあったけれど、そういうことでは残念ながら気持ちは冷めてくれなかった。

生きているうちに会いたかった人にきちんと出逢えた、そういう感じに近い。

だから魂繋がりと言われる方がまだ救われる。

だって、私普通に結婚したいし、そんなこじれにこじれてる関係みたいなの嫌だもん(笑)。

自分が頭に描く関係からはおおよそ程遠い結果を手にして、それでも今もなおその人がずっといるみたいな日々で、私は冷静に自分がおかしいのかと思ったこともものすごい回数である。

今も時々おかしいと自分で思う。

でもそこまで影響が及ぶってことは、ちょっと世間一般の価値観からしたらかなりズレてるわけで、それを「魂の繋がり」だからそうなってると思う方が私も幾分か救われる。

本当か嘘かは知らないけれど、魂は2万6千年生き続けるらしいから(魂は同じで、生きる人間の体や時代はその時々で違う)、今がどの程度の年齢域にいるのかはわからなくても、それだけ長い魂の歴史の中で今のこの体で今の人生で出逢えたとするなら、そりゃ感動もするでしょうー!と思う。

今計算した。

12ヶ月/年×26000年=312000ヶ月

30万以上ある月の中でたった3ヶ月だけでも人生が交われたとしたら、それは奇跡だと思う。

そうやって考えたら、他のことが何でもいいとなった私の気持ちもわからなくもない。

だってそんな天文学的な数字の中で出逢えるなんて本当に凄すぎる。

話を広げずに今生だけで計算しても、仮に80歳まで生きたとするなら、960ヶ月。

その中の3ヶ月ほどを共にできたなら、それだけでも奇跡だと感じる。

たった3ヶ月でも、人生への影響具合は無限大だった。

そして今現在の状況を前にしても、私は心の底から出逢えて良かったと思っている。



その最後の月曜日の夜、車のメーターが77777㎞を記録した。

それを見た瞬間、車を最初に手にした時に想像したことが走馬灯のように思い起こされた。

新潟に戻ることには最後まで抵抗し、最後まで自分の過去の色んな選択を悔やみながら帰ってきたのが、その前の2016年の初夏だった。

車が来た時の絶望感と言ったらなかった。

私は何も決められない、新潟にしばらく居るのかどうかも決められなかった時に、車だけが来てしまった。

65000㎞前後走行した車だった。

私はその時に「77777㎞を走る時、そこにはもしかしたら今は想像もできない素晴らしい未来のストーリーがあるかもしれない。その時を楽しみにしよう」、そう思った。

それは何にも明るい展望が抱けなかった当時の私が、唯一ちょっとした未来の楽しみとして抱いたものだった。

そして現実にその数値を打ち出した時、それはその人が私の毎日の中にいる時に起こった。

77777㎞を迎えた時は想像以上に奇跡の中に存在していた。

別れのカウントダウンが始まっていても、その人に出逢えた事実は変わらなかった。

私はその人に出逢えたことと77777㎞の重なりとを思って、生きていたら良いことも必ずあると確信できた。

人生の中でもとにかくあらゆる歯車が狂いまくって、自分の人生が不可抗力的に破壊していくような感じだったあの時。

そこを過ぎたら、私の前には生きる喜びを感じさせてくれる人との出逢いが待っていた。

ラッキーセブンどころではない、7が5つも並ぶ特大ゾロ目の時を、その人に会えなくなる日のカウントダウンの終盤で見れたことは本当に嬉しかった。

その時だったのか、もう少し後だったのかは忘れたけれど、その直後、その人と同じ名前のラーメン屋さんを信号待ちの時に見た。

それを見てハッとなった。

私は全部で50人はいただろう前の職場で、休憩は二交代で取っていて、そんなある日、どうしても優しい味のラーメンが食べたくてそこに行った。

そうしたら、そこでその人と同じ苗字の退職後再雇用になった男性もたまたまいて、お昼を一緒にした。

その当時は気付かなかったけれど、その苗字の人とその後の人生で縁がありますよ的な事前のお知らせのようにも見えた。

他の人とは昼休み1人で出る時一切すれ違ったことなかったのに、その男性とだけはあった。

そしてその初回のすれ違いが、その名前のラーメン屋だったんだから、よくできたシナリオだなぁと思う。

そんな風にして、その人との出逢いの周りには奇跡がたくさん転がっていた。

普段「生きていること」そのものに対して特段思いを馳せることは、少なくとも私はない。

だけど、その人が現れた時間は、生きていることが毎日すごいリアルだった。

当たり前のことなんて1つもなかった。

生かされていると思ったし、お互いに生かされて会わせてもらえてる、そう思っていた。

だから、あまりに突拍子もない私のアピールに向こうも大層困ったとは思うけれど、私が欲しかったのは一緒に過ごす時間だけだった。

一緒に過ごす時間=共に生きる時間。

それだけが本当に欲しかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿