薄々は気付いていたけれど、服を整理しないと日常的に困るということがわかって(今朝出勤前、服を探すのに5分かかった)今日は服を整理した。
服は必要性が高いとわかっていても、それを仕分けるのは発狂レベルだった。
昨日の初日は、思い出深いものがたまたまスタートだったから楽しく物と向き合えていたけれど、今日の服関係は自分の弱点ともろにかぶっていて楽しいどころかさっさと終わらせたいの一心だった。
私が物を少なくしたいという理由の1つに、極度の整理整頓が苦手ということがある。
過去にテレビで整理整頓が得意な人と不得意な人とでは、脳内でどのような処理が行われているのかを対比させる番組があって、私はそれを見てものすごく納得した。
色んな種類の本と4段ほどの本棚、全く同じものを、整理整頓が得意な人と不得意な人に渡して、それぞれの人がどんな風に片付けるのかを実験するという内容だった。
得意な人というのは、最初から本全体と棚とを見て完成図が頭の中に浮かんで、あとはその完成図通りに高さも大きさもばらばらの本たちを順序良く並べていくのだそうだ。
「~だそうだ」と書いたのは、私には全くない能力だから、完成図が頭の中に浮かぶ感覚もわからないし、実際に映像を見ていてもその人の動きそのものが私には全く理解できないプロセスだった。
反対に不得意な人は、とりあえず本を手に取って適当に並べ始めるけれど、途中からわけがわからなくなって、そして最後は押し込むようにして何の秩序もルールもなく本棚に置いていく。
こちらの方は自分そのもので、「そうそう、いつもそうなってるからわかるよ!」と思わずテレビに話しかけたくなるほどだった。
で、整理整頓がとても苦手な私が行き着いたのは、「物を少なくすることで整理整頓の量を減らす、またはその整理整頓そのものを生活の中から省く」ということだった。
これは画期的な方法で、私が唯一何年も続けていられる整理法(?)になっている。
余談だけど、今の仕事はものすごく大量の書類関係を整理したりファイリングしたりするのがメインになっている。
何の仕事かもよくわからずに始めただけあって、入ってから「自分にとって最高に苦手な作業満載」ということがわかった。
数ヶ月かけて自分なりのルールを作って、とりあえず今は困らない程度にはできるようにはなった。
そのルールが、
1:細かく分類する(クリアファイルやファイルで全部分類。基本書類同士を一緒にはしない。使う道具たちも事細かに分けて保管している)
2:仕分けたものに関しては「ふせん」を必ず貼る。そしてふせんには、いつ読んでもわかるように文章で何がどうなっているのかを書いておく(当初一言だけにしたら、下手すると翌日でさえもう何のことを意味しているのか自分のメモが理解できずに困ったから、とにかく文章で書くことを徹底している)
話が色々それた。
今日の服の仕分け・整理整頓は、途中からイライラする位に耐えられなくなってきた。
そしてイライラの大元となる原因がわかってはっとした。
整理整頓が苦手と言えども、私はこれがノートとか自分の書いたメモとかだと話は違っていて、それらはどれだけ大量にあっても苦にならない。
今日の服もイライラするものとそうでないものとがはっきりと分かれていた。
自分がそもそも気に入って手にしたものは、それこそ今すぐの置き場所が決められなくても全然気にならなかった。
反対に得だからとかただ同然でもらったり譲ったりされたものになると、途端に行き場がない×その個数分だけイライラすることがわかった。
結婚式でもらって帰ってきたナプキンとかはその最たる例だった。
自分がそもそもその物と出逢った時にどういう気持ちを抱いたかとか、その物に対して自分がどう使っていきたいかとか、そういうことが時間を経ることでより一層はっきりと出ることがわかった。
今回人からもらったハンカチタオルを3枚手放した。
もう十分すぎるほど使い込んだから平気だったし、最後はタオルに染みついたにおいが取れなくてそれが何よりも不快だったから、だから手放す時に何のわだかまりも生まれなかった。
反対に、多分もう10年以上前に購入したすごく気に入って買った大判のハンカチがある。
それは残したし、状態も10年以上前に買ったとは思えないぐらいにすごく良い。
本当に気に入っていて、特別な時にだけおろしてアイロンをかけて使っている。
デザインも肌触りも好きで、もし同じデザインのものが復刻版として出回るなら私は間違いなく買う。
それぐらいに好きだから、だから今手元にあって居場所が決められなくても全然気にならない。
断捨離2日目に学んだこと:
『最初手にした時の気持ちが大事!』
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