今日個包装されているオリジナルクッキーをいただいた。
製造者を見ると、どこぞの福祉施設で作られたものだということが判明。
それだけで私の期待は一気に高まった。
私が人生で一番おいしいと感動したクッキーが、それこそ山梨県だったかにある福祉施設で作られたクッキーだった。
私自身は甘い物ずきではないし、スイーツにも疎いけれど、唯一人生で一番感動したそのクッキーのことだけは憶えている。
名古屋に住んでいた頃、家から徒歩で40分ほどのところの雑貨屋に行くのが好きだった。
その雑貨屋さんは本当に自分たちが良いと思うものだけを置いていて、居心地も抜群に良かった。
変な敷居の高さもなくて、その絶妙な空間や雰囲気の作り方に私なんかは毎回うっとりしていた。
そして道側の窓に面したカウンター調のテーブルと椅子のところで、飲み物を頼んで飲めるようになっていた。
こだわりの珈琲が1杯200円というありえない価格設定で、そしてオーダーが入ってから1杯1杯丁寧に淹れてくれるというところもすごく良かった。
自分でクッキーを買うなんて発想がない私を思うと、最初にそのクッキーを食べたのは、珈琲と一緒に添えられて出されたからだと思う。
食べた瞬間、「これ美味しい!」って即座に思ったほど、とにかく感動の味だった。
特別な感じではなさそうなのに、本当にこんなに美味しいクッキーが世の中に存在してるだなんて、スイーツ通ではない私にもわかる美味しさだった。
それでお店の人にそのクッキーの出どころを聞いて、それならお店にありますよと言われてそのクッキー売場を案内されたのだった。
またパッケージもシンプルながらもおしゃれで、私はその日買って帰ったと思う。
店で見たのか家で見たのかは忘れたけれど、パッケージを見てそれが福祉施設で作られたものだということを初めて知った。
その後もそのお店でそのクッキーはよく買った。
また別の時、大きなイオン系のショッピングモールで、福祉施設で作られたクッキーや手作り品を売り出す出店(でみせ)があった。
そこはクッキーに関してはどこも試食を出していて、私は気になったクッキーは全て試食した。
そこでもクッキーたちは美味しくて、福祉施設で作られるクッキーって何でそんなにも美味しいのか不思議でたまらなかった。
その時も気に入ったクッキーをいくつか買って帰った。
そんなことを思い出しているうちに、1つのことを思い出した。
2015年の春、私は経営コンサル的な個人セッションを一度だけ受けた。
その時に私はそのお気に入りの雑貨屋でその美味しいクッキーを買って、そのコンサルの人に持って行った。
みんな差し入れするのが通例らしく、その人のブログを見るとクライアントさんからもらいました!みたいなことが良く書かれていたから、私もそれで迷ったけれど大きなものでなければいいかと思い、ほんの気持ちという感じでそのクッキーを選んで持って行った。
クッキーの包装に関してはこちら
私が人生で一番感動した包装でもあった。
当時のブログ(★)ではかなり濁して書いたけれど、本当はすっごく雑な扱い方をされていた。
「渡された後のプレゼントの置かれ方がとても適当」と書いたけれど、実際はこんな風だった。
そのクッキーの包装は、普通に立つ状態になるし、わざと横にしない限り100%転ばない。
しっかりとした安定感があるから、とにかく横にすることはできない。
それをそのコンサルの人は、もらったらそれを本当に雑に机の空いたスペースに置いて、さらにはわざとなのか癖なのか、その包み自体を横にした。
しかも置き方もそっと置くんじゃなくて、投げるまでいかなくてもぽんと片手で適当に投げやるみたいな、渡した者としては不快に感じるレベルの雑さ加減だった。
私はそこでまずはものすごく違和感を感じた。
その後のセッションに関してはもっと違和感だらけだったけれど、自分でもそれを認めるのが嫌で、しばらくは悶々としてしまった。
そんなことずっと忘れていたけれど、今日仕事中にそのクッキーをつまみながらその当時のことをあれこれ思い出し始めた。
そして私は「まさか」という感じではあるけれど、あながちまさかでもないかなと思うことに1つ行き着いた。
私はその人のブログも本も読んだ上で、その人が書くことがすごく自分の中にすっと入っていって、それでその人のセッションを申し込んだ。
だけど実際に会った時に、そしてその人が口を開けば開くほど、文章の中のその人と実際のその人とに大きなギャップを感じていた。
過去にmixiを通じて、私はそこで最初に知り合った人たちと実際に会ったりmixiで募集がかけられていた朝活に参加したことがある。
朝活では相当な人数の人に会ったから、最低でも10数人には会ったと思う。
だけど、その人たち誰ひとりに対しても、本人が書く文章の中の本人と会った時の実際の本人に違和感を感じた人はいなかった。
mixi経由だと本名よりもハンドルネームを先に知るから、そこに書かれている文章は本名を名乗っての文章でなくても、それでも違和感はなかった。
なのにそのコンサルの人は、違和感だらけだった。
で、私が今頃になって思ったのは、もしかして私が読んでいた文章は別人の誰かが書いていたんじゃないかということ。
あまりにも気になって、私は今日家に帰ってから、その人のブログをそれ以来約3年ぶりに開いて読んでみた。
直近のやつは全く心に響かない。
そしてその人も新年のメッセージを1人1人に書くというサービスを提供していて、その例を見たけれど、それが実にしょぼかった。
本当に失礼だけれど、内容が薄かった。
私はこんな感じの文章に心が動かされたんだろうか??と思い、それで過去のブログにさかのぼろうとした。
そうしたらすごいことがわかった。
私が読んでいた当時のブログは全部消失していた。
それが機械的なエラーで消えてしまったのか、それとも本人がわざとそうしたのかはわからない。
だけど、私が受けた後の3~4ヶ月後が、その人が書くブログの一番古いブログになっていた。
そしてとにかく文章に心を動かすような力がない。
何かが違うし、何かが全体的におかしい。
私はこんなにも力のない文章に当時心を動かされたとは思えなかった。
さすがに10年以上色んな人の色んなジャンルのブログをあれこれ読んでいたわけだから、私の感覚がその違和感をキャッチできなかったとはいまいち思えない(思いたくない 苦笑)。
私は気に入ったブログを見つけると、下手したらその人が書く文章を全部読むという快挙にさえ出る。
それぞれの人に書き方の癖や言葉の選び方に個性が出るから、同じ人が書くものには文章の雰囲気みたいなのが一貫している。
言うならば、ひとりひとりの書く手書きの文字ぐらいに差がある。
それが久しぶりに読むブログでも、基本的には同じ印象を受ける。
なのに今回は、何かが違うと感じた。
消えてしまったブログと今のブログとが確実に違っている。
なんだかもっと気になって、私は当時のその人が書いたブログ内の文章をノートか何かに書き写していたことを思い出し、今度はそのノートを引っ越しでごちゃごちゃになっている荷物の中から探し出した。
ノートにはなく、そこで「そうだ、スケジュール帳だ!」と行き着き、スケジュール帳を見たらビンゴ、出てきた。
そして写経のごとく彼女の書いた本の中の気に入った文章を書き写したはず!と思い、それも他のノートをたどって見てみた。
出てきた。
こんなこと言いたくないけれど、多分ゴーストライターじゃないけれど、別人が書いたかもしれないと思う。
書いたのは本人かもしれないけれど、書いた内容は本人のものじゃない、そんな気がしている。
そう思うと、当時の違和感もしっくりくる。
ブログ上では本人が大切にしたい思いとかを色んな形で発信していた。
だけれど、実際のその人は人からの手土産1つ大事にできない人だった。
手土産を大事にして欲しいと言いたいのじゃない。
その人は、日常であるとかそこで出逢う人たちだとかを大切にしたいという思いをそれこそ色んな言葉で言っていた。
だから、人からのもらい物だってそこに至るまで色んなプロセスを経るわけだから、少なくとも文章上のその人はそういうことも大事にしそうな雰囲気だった。
だけれどそれは違っていたらしい。
後日その人のブログに、最近もらったお土産ということで紹介されていた。
写真もついていた。
そこには豪華絢爛というか、いかにもデパ地下やスイーツ特集でテレビで放送されたような名店のお菓子みたいなのがいくつも映っていた。
だけどその中に私が持って行ったものは映っていなかった。
私が持って行ったのは、それらに比べたら華やかさはない。
だけれど、唯一無二の一期一会的な感じの包装や人のぬくもりは確実に感じられる。
それは大量生産されている商品には見られない。
ましてや本当に人の思いが込められているクッキーだと思う。
そのお店に運び込まれるまでにどれだけたくさんの人が関わって、どれだけたくさんの人の力が集まっているのか、1つ1つをたどったら相当な数や大きさになっている。
防腐剤とかは使わず、本当に素材をそのまま使っていたと思うから、そしてそれを商品として出すためには、相当な研究や試行が重ねられただろうことも容易に想像できる。
そしてあんなにも物にこだわりを持ったオーナー夫婦がよりすぐって置いているだけあって、本当においしいクッキーを採用している。
その人は見た目の華やかさばかりを追い求める、そういう風な人なのかもしれない。
少なくとも、私は当時のそのおみやげの記事を見てそう感じた。
そしておみやげの記事を見た時に、その人の本性みたいなのもより一層はっきりくっきりと出ていた。
食べたらわかると思う。
私はそのクッキーを他の人たちにも配り歩いたけれど、誰もがみんな「美味しい」と大なり小なりの感動をしていた。
それが伝わらなかったことが、どこか私としては悲しくそして腹立たしかったんだと思う。
2017年の冬に届いた1枚の手作りクッキーは、私にこんな風にして過去の場面を思い出させてくれた。
私は見た目の華やかさよりも、そこには見えないぬくもりだとかストーリーだとか、そういうものにやっぱり惹かれて仕方ない。
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