名古屋メモリーズを書くことと匿名で新たなブログを開設することをこの1ヶ月ぐらいの間でこのブログで宣言していたことは今も日々頭の中に入っている。
自分の名前の意味の紐解き作業の学びも覚えている。
日々の出来事を記すノートも、そして今度は新たに記録に残したいことも全部全部頭の中にある。
そしてこれだけはどうしても時間を作ってでも書きたいことが「今年の一文字」。
その文字は11月中には決まっていたし、そしてその文字にした理由がどんどん後付けのように増えていっている。
それはきちんと残したい。
どれもしたいこと。
そこに加えて、引っ越しによる荷物の片付け作業と大規模断捨離活動も待っている。
あと11日もすれば2017年も終わるのに、やりたいこととそのための時間の比率がおかしなことになっている。
名古屋メモリーズと新たな匿名ブログの両方は、来年以降に持ち越そうかなと早くも思っている。
実はさっき、今思い付いた名古屋メモリーズのある1つのストーリーを途中まで書き上げた。
6年半の名古屋生活の中で、そして私の人生そのものの中で、最重要事項となるような人との出逢いがあった。
それは私の心の恩師のような人との出逢いで交流だった。
書きながら、当時は何とも思わなかったことたちが、今振り返るとそこに至るまでに実に有り得ないトラブル的なことがいくつも重なっていて、多分普通に考えたら考えられないようなことたちがたっくさん起こっていたことを改めて知った。
人生で大切なものに行き着く時というのは、そういうものなのかもしれない。
予め予定して段取りや計画もきちんとしたところではなく、そうしたことをしてなかったり、もしくは予定が不可抗力的に書き換えられたりしたところに、ひょっこり現れる、そんな風かもしれない。
そしてその心の恩師的な人に出逢った日、私は人生で自分の人生を変えた本にも出逢っている。
その本はちょっと変わった本で、私の恩師いわく「この本に出逢う人は、本屋で出逢ったという人が多分皆無に近いくらいに少なくて、みんな一風変わった形でこの本と出逢う」と説明していた。
高価な壺でも売られてしまうんじゃないかと思った位に殺風景だった、名古屋の一等地にあるビルの6階の部屋の中のホワイトボードにその本は置かれていた。
その部屋で後に私はコーチングもNLP(神経言語プログラミング)も両方学ぶことになるけれど、その本は常に置いてあるわけじゃなく、むしろ置いていない時の方が多かったことも後々知った。
この本を私は何人かの人にプレゼントしたことがある。
最後にプレゼントしたのは何年前でそれが誰だったかも忘れた。
忘れたけれど、私は久しぶりにその本をプレゼントしたいという人が今目の前にいることに今日の夜道の運転中に思い付いた。
今行っている職場に新入社員の子が1人いる。
私が仕事を辞める時、又は彼が今のところから異動で去る時にプレゼントしようと決めた。
はっきり言って、ほとんど話したことがない。
話したことはないけれど、面白い感性の持ち主だろうなぁと思って見ている。
そしてせっかくの素敵な感性が社会という組織の中で埋もれそうになっているのも見ていて伝わってくる。
周りの人たちからよく「ぶっしーは人の何を見ているの?」と聞かれるけれど、自分でもよくわかっていない。
よくわかっていないけれど、何かを感じることは感じるし、そして何かを発している人に対してはやたらとアンテナが立つ。
その子にも何だか知らないけれどアンテナが立つのと、今思い出した、私はその子がする挨拶を見てその子の挨拶には人を癒す力があることをすぐに知ったんだった。
なんなら本人にもそれっぽい感想を直接伝えたことがある。
ぱっと見は新入社員ゆえの元気で礼儀正しい挨拶のように映る。
だけど彼の挨拶はそれ以上のものを持っている。
これはみんなが持っている力じゃないから、彼独自の才能みたいなものだと思う。
だけれど今はそれが委縮しているのか、若干歪んだ大人社会の中に染まりつつあるのか、その部分が曇り始めている。
もちろん挨拶の仕方なんて本人の自由だし、本人が自分で決めてすることだから、私がとやかく言うようなことじゃないのはよくわかっている。
本当におせっかいおばちゃんだと思う。
しかも私は何様なんだと、自分の立ち位置も考えたらさらにおかしいのはよく知っている。
だけど、そういうその人個人が持っている才能がしぼんでいく姿を見るのは、決して気持ちの良いものじゃない。
本当にちょっとだけ手を出したくなっている自分がいる。
(手を出したいと言うとセクハラみたいだ 汗)
それが「そうだ、あの本を渡したらいいんだ」というところに行き着いたんだと思う。
そんなこんなのことを考えていると、年末までのやりたいことスケジュールだけじゃなく、先々のやりたいこともぽろぽろと出てくる。
しばらくは、やりたいことの採算や必要性は考えず、思い付いたことは順に着手してみようかと思っている。
例えば今先延ばしにしているブログの開設がある。
こういう時、以前の私なら「あぁやろう!って決めたのにやってない自分…。なんか口ばっかりで嫌だな」とか「やるやる言って結局やらなかったりして」とか、そういうことをしょっちゅう思っていた。
今は少し違っていて、然るべきタイミングでやることになると思っているし、又はやらなかったとしたらそれはやる必要がないからやらないと思っている。
やるようになっていることは、どんな手段を使ってでもやるし、時間を置くことがそれを始めるベストタイミングになるということもこれまでの経験で学んだ。
ちなみに新ブログについて言えば、まだ自分の中でどういうスタイルで書くのかというのが定まっていない。
書くは書くと思うけれど、どんな視点から言葉を紡ぐのかはちょっとまだ定かじゃない。
そのうち明らかになるだろうし、その時のタイミングを待ったらいいとも思っている。
ということで、残りの2017年私は何を詰め込むのか楽しみだし、反対に何をしないと決めるのかも終わってからの楽しみだなと思っている。
(2017年12月20日)
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