「……1……」
思った以上に長い。
もう1回。
「……1……、……2……、……3……」
長すぎる。
多分それ以下だ。
もう1回。
「……1……、……2……、……3……」
iPhoneの時計の中に入っているストップウォッチを作動させた。
4歳か5歳だった自分が誘拐されかけた時のことが思い起こされて、ふと「これって、もしかして1分ではなくて1秒のタッチ差で私は助かったんじゃ?」と思って、それで時間を計ってみた。
ゼロコンマ数秒でさえ長くて、やっと1、◯◯秒になった。
3秒は長すぎて、多分3秒もあの時はかかっていない。
たった1秒だったんだと思う、私が助かる助からないを分けた瞬間は。
その瞬間はこうだった。
父とその友達は家で飲んでいた。
私は近所の和菓子屋さんに用事で出かけた母を迎えに行くと一言言って家を出た。
出て隣りの家を過ぎて、そのまた隣りの木工屋さんの前の方には行かずその手前の小さな小路に入って3軒目ぐらいのところが和菓子屋さんだった。
私は小路の方にまではたどり着けず、本当にその小さな1メートル2メートルぐらいのところで若い男の人に捕まった。
その人は私に近づいてきて犬を見に行こうと言った。
私は嫌だと言うと、有無を言わさず抱きかかえられて連れて行かれてしまった。
私が声を出さないように口は手で塞がれた。
そこから直線距離なら家3軒分、でも大回りすると数分の距離になるその数分側の方の道をその人は私を抱えたまま歩き続けた。
そして、例の1秒のスポットに着いた。
町の小さな書店のおばちゃんで、ちょうど店じまいするのに外に出てきた。
そこでおばちゃんと私を抱きかかえた男の人が遭遇して、「何やってんのよー!」と猛剣幕で男の人をおばちゃんが怒ったことで、男の人もビックリして、私をすぐに下ろしてそれで走って逃げ去った。
うちのご近所さんということもあったし、両親が本なんかを取り寄せてもらう店でもあったし、父親は時々私たちを連れ立って本を買いに行っていたから、よく知っていた。
私が武士俣さんちのふみこちゃんということも知ってくれていたから、だからあの時ものすごいタイミングで私は事無きを得た。
何せ町の書店だから、例えば8時閉店でも8時ピッタリではなく、なんとなくその日の感じで8時過ぎる日もあれば8時少し前から店じまいを始める日もあったと思う。
そして、大回りしてくれた数分のおかげで、おばちゃんと鉢合わせすることになったけれど、直線距離の方なら書店の前を通ってもおばちゃんはまだ店の中だっただろうから、私はそのままどうなったかはわからない。
そうやって助けられた時のことを突然思い出して、それでストップウォッチで時間を計ってみた。
1秒でさえ長く感じた。
そしてあの店の前なら1秒で通り過ぎる。
3秒もかからないだろうなぁと思った。
私の命は、1秒というすごい確率をくぐり抜けて助けてもらったんだと知った。
後年、その書店のご夫妻は首吊り自殺をして亡くなられた。
私の命の恩人のおばちゃんは、そんな風にして最期の時を迎えた。
もちろん残念ではあったけれども、私はそれ以上にそのおばちゃんの笑顔や助けてくれた時のやさしい感じを真っ先に思い出した。
記憶が曖昧だけど、そのすぐ近くだったのかもう少し経った時かに職場の宿泊旅行があった。
そこで男の子と女の子の木の人形があって、私はそれを買って帰った。
本当は墓参りに行きたかったけれども、両親に聞いてもうちは親戚でもないから墓の場所などわからず、それで私はその人形を2人に見立てて目のつくところに置くようになった。
名古屋の時も、いつも出かける前に目につく玄関の棚に置いて飾っていた。
いつも家を出る前は、そちらに目を向けて心の中で「いってきます」と言っていた。
今も部屋のすみに飾ってある。
残念な終わり方ではあったけれども、そのおばちゃんの人命救助の事実は変わらないし、私の中に一生刻まれている。
今この人形は、姪っ子が来ると毎回おもちゃのターゲットにされている。
私に片方の人形を手渡してきて(私は男の子の方)、メイはもう片方を持って、私に言う。
「どんき・ほーていきましょ!
トコトコトコ、トコトコトコ」
人形を手に持って本当に畳の上を人形が歩いてるかのように動かす。
私もメイに倣って人形を歩かす( ̄∀ ̄;)。
じっとしていると、2歳児(今は3歳児)から「ふみこも!」って指導が入るから、やらざるを得ない。
何ともシュールな遊びが毎回繰り広げられる。
メイの家の近くにドン・キホーテがあるから、それでメイの頭の中はそこに買物に行くことになっている。
30年以上前、メイより少しだけ年上の子どもの私が心ある大人に命を助けられて、その10数年後その命の恩人のご夫妻に見立てた人形を私が手にして、今度は平成も終わる頃、次の世代の新しい命の手の中でその人形は遊ばれている。
命のバトンを回してるみたいだなと思う。
ある夏の終わりのシーンが出てきた。
私の当時の日課はせんべいをチェックすることだった。
朝昼晩と何度となく遠目にチェックした。
せんべいをチェックすることになるなんて、当初予定になかった。
すぐに食べることはなくても1日2日では机からなくなる予定だった、私の頭の中では。
なのに、いつまで経ってもせんべいはそのままどころか、気付けば隣りの人の席との境界線あたりに移動するというすごい事態になっていた。
私は青ざめた。
せんべいはただのせんべいじゃなかった。
後ろに仕掛けがあった。
仕掛けはいつからか爆弾状態になった。
その机はいつでもなだれの起きそうな状態で、そこに置かれたせんべいの袋はプラスチックですべすべしていた。
うっかり間違えてせんべいが滑って、隣りの席にダイブしたらどうするの???と思った。
多分仕掛けに気付いてないから、そんな訳の分からないすごい危険地帯に置けるんだと予想した。
仕掛けに気付いているなら、そんな危なすぎるスポットに99.9%の人は置かない。
気付いてないと私は踏んだ。
せんべいチェック数日目、私は意を決して本人に問いただすことにした。
バカみたいな質問だったけれども、背に腹は代えられない。
なだれが起きたら、悲劇は私に降りかかる。
それを避けるためなら、聞いて確認する他なかった。
私はせんべいに気付いたかだの、仕掛けに気付いたかだの、本当にこんな質問一生のうちで最初で最後だわと思いながら聞いた。
いきなり話しかけてきたと思ったら、せんべいの質問。
心の中は「はぁー?」とか思ったかもしれない。
(  ̄Д ̄;)とかΣ(゚д゚lll)とか(・Д・)とか( ̄◇ ̄;)とか。
でも、その人は嫌な顔1つせずどころか、微笑むような表情さえ浮かべて、普通におかしなせんべい質問に答えてくれた。
それが最後に見た、私に向けられたその人の笑顔だった。
ここ数日、神戸の友達とメールでやり取りをしていた。
返答にだいぶ困る内容のものが来た。
得意の沈黙を通すことを最初は考えた。
でもそうしたら、友達の方が察してくれて新たにメールをくれた。
沈黙を通そうと思った私の浅はかさを反省し、友達のおかげできちんと伝えようと気持ちが切り替わった。
「和解」が訪れた。
12年前の春になるんだ…、と今何年のことだったかを数えたらそうなってた。
その友達は、協力隊の訓練の時に、同じ生活班で部屋が隣りの隣りぐらいだった。
2ヶ月ほどしか近くにいた時間はなかった。
なのに、すごく仲良くなった。
今でも覚えてる。
何かの用事で彼女の部屋に一度おじゃましたことがある。
部屋はみんな一緒の造りになっていて、6畳ほどの部屋だったと思う。
彼女の部屋のセンスの良さに目を見張った。
訓練は、集団生活だしやることは満載だしで、私は日々その流れについていくのに精一杯だった。
部屋を何とかするなんて発想は皆無だった。
その中で彼女は、日々の生活空間を彩ることがとても上手かった。
本当に素敵な空間になっていて、入るだけで居心地が良くて、同じ部屋が与えられてるとはとても思えなかった。
彼女は何年か前からカフェを営んでいるけれども、そこに一度遊びに行った時も彼女のそのセンス溢れる空間に感動した。
そうしたセンスに触れる、彼女にしか出せないセンスに人生の中で巡り合わせてもらえる、それってどんな確率だろう…って昼寝する直前のまどろみの中で思った。
3年前の春にSさんと囲んだ食事。
下に敷いたテーブルクロス調の布は、浜松の伝統工芸の機織りで、モダンな感じのデザインが気に入って買った。
在庫一掃と言わんばかりの食事たち。
・きゅうりともやしのサラダ
・身欠きニシンと車麩の煮物(←新潟の郷土料理なのかもしれない)
・ひじきの煮物
・ぎょうざ
を私が大量に用意して(ひじきなんか誰がそんなに食べるの?という感じ)、Sさんが家から2つ素敵なもの作って持ってきてくれたのが、
・たけのことワラビの煮付け
・たけのこご飯
この食卓は一期一会だったんだなぁと今になって思う。
当時はしょっちゅう行き来していたから、その貴重さが今ほどにはわかっていなかった。
Sさんは本当に料理上手で、数々の美味しい手料理を私にたくさん食べさせてくれた。
私のはザ・適当な有り物で作る料理ばかりだったけれども、どんな時もSさんは喜んでおいしいおいしいと言って食べてくれた。
いつかは実家から送られてきたふきのとうに飽きて、「ふきのとうのグラタン」とかいう怪しげな料理を実験のように作ってみた。
それにも箸をたくさん伸ばしてくれて、ありがたいばかりだった。
冒頭の1枚目のカラーの花の写真は、Sさんが3年前の私の誕生日の日にプレゼントしてくれたもの。
無罪なのに罪を問われ、警察に事情聴取に呼ばれた日が私の誕生日で、Sさんはその帰りに真っ直ぐうちに来てくれた。
カラーの花と前日に焼いてくれた手作りのケーキと美味しい大福を持って。
ただの花ではなかった。
その時の強烈な体験の中で、Sさんが私を想って色々用意してくれたんだと思ったら、私は今でも胸がいっぱいになる。
一生忘れることのない花の贈り物になった。
そして、モーニングの写真は、うちの近所にあった行きつけの喫茶店のもの。
そこは手作りのパンとサンドイッチ、そして新鮮なフルーツ盛り合わせを、コーヒーとか飲み物を頼むといつも写真のように付けてくれるお店だった。←無料!
本当においしくて、そしてそこのご家族みんながいつもとっても素敵な笑顔で出迎えてくれて、ものすごく居心地の良い空間だった。
私たち2人は何度そこでモーニングをしたかわからない。
写真は私が名古屋を出る日の朝、Sさんが見送りに来てくれて、そしてそれが名古屋で食べた最後の食事になった。
その後もう1軒別の喫茶店に入ったけれども、私の中に残った最後の食事風景はそっちの方だった。
忘れられない、名古屋での最後のシーンになった。
その後名駅(「めいえき」と名古屋市民は言う)こと名古屋駅に行ったはずなのに、私が覚えているのは自分の家の周りの風景とSさんとの最後の名古屋時間の風景だけになっている。
今日は日長1日寝たり起きたりを繰り返して(←時々やってくる異常に眠い日)、その起きている合間に1つ面白いネットの記事を見つけた。
「ご縁」についての記事だった。
ご縁とは一体どういうものなのかという内容で、それを透視なのか霊視なのかができる人がわかる範囲で説明しているものだった。
その方いわく、それぞれの人にはその人特有の周波数、オーラ、念とかがあって、そして「縁」が生まれる人たちというのは、その周波数同士がお互いに合うということらしい。
それ読んで納得した。
せんべいチェックの人も神戸の友達もSさんも、一対一ではなくて人数が集まった集団の中で出会っている。
そういうたくさん人がいる中で、縁のある人とない人とがいる。
いわゆる気が合う合わないということなんだとは思うけれども、その時ピッタリと重ならないと互いに反応することはできない。
冒頭の書店のおばちゃんと私があの1秒という奇跡の時間の中で重なり合えたのは、まさにそういうご縁が重なった=気持ち的なものがお互いに通じ合ったんじゃないかと感じた。
『奇跡の果実』のきっかけとなった山で行方不明になったおじいちゃんとも、多分そういう原理がお互いに働いたんだと思う。
生前に出会うことはなかったけれども、色んな概念を超えて、一瞬でパッと結びついた、そんな風に思う。
そうした巡り合わせを、他の人は【魂の記憶】が呼び起こされる感覚に基づいていると説明していた。
もう1つ頭をよぎった最近の記事。
私たちの心臓は、1日に約10万回鼓動を打つとのこと。
そしてその1回1回に、生きる意味や目的が刻まれているという。
大ざっぱに計算すると、1秒に1回心臓は鼓動を打つことになる。
今日1秒をストップウォッチで計った時、1秒の長さと重さを感じた。
その生きている中で、たった一度の鼓動が、誰かの命を救ったり、素敵な空間を見せてくれたり、食卓を囲んだり、ヘンテコ質問を前に笑顔を向けてくれたりする。
シュールなトコトコトコ遊びの時にも、鼓動は打たれている。
もうどの時も戻ってこない時なのに、記憶は私の中に永遠に残る。
そういうのが魂の記憶なんだとわかる。
そして魂の記憶を頼りに、違う体を持った者同士が引き合って出逢う。
互いにこの人だと深い部分でわかるんだと思う。
そしてご縁に繋がる。
今回特別出演のメイとも、互いに何かしら繋がっている。
忘れもしない正月のこと。
カルビーが新潟県内限定で、厚いポテトチップスを販売した。
みんなで食べてみようということになった。
メイが鍋奉行ならぬポテチ奉行をした。
みんなにまずは1枚ずつ配って、その後2枚目か3枚目を配ってる時だった。
メイはみんなに配ってるのに、私がちょうだいと言うと、
「ふみこは食べすぎだからだめー!」
と言って私にはくれなかった!(◎_◎;)
母方の実家にその前の日に行って、そこで自分より年上の子どもたちに「メイちゃんは食べすぎだからだめー!」と言われておやつをもらえなかったらしい。
その仕返しを私にするという、何これ状態だった( ̄∀ ̄;)。
こういうくだらないことも魂の記憶に残るのかは不明だけど、あまりに可笑しかったから我が家ではこの話が何度となく上っては毎回笑いを誘う。
鼓動の使い方としては、とても良い凡例だと思う( ̄∀ ̄)。
メイと共演しているぬいぐるみたちは、1996年生まれ(うさぎ)と1997年のクリスマス生まれ(クマ)。
私が一度もテディベアをもらったことがないと言ったら、クリスマスイブの翌日(=クリスマス)、ホストファミリーがわざわざ買ってきてくれたものだった。
思い出は、その約20年後に誕生した新しい命へと引き継がれていった。
巡り合わせの威力だなぁとしみじみ感じる。
本物の縁なら、どんな風でも繋がるんじゃないかと私は思っている。
出会う人みんなにみんな魂の記憶が反応するわけじゃない。
反応できるのは、本当に縁のある人たちだけなんだと思う。
今回おじいちゃんと繋がったことで、そして今日30数年前の1秒の巡り合わせに気付いたことで、余計とそう思った。
本当に縁があるとするなら、どんな風でも繋がる。
特に、1秒で明暗を分けたあの時のことを思うと、余計にそう思う。
あの時私は命を繋いでもらっただけじゃなかった。
命を繋いでもらったことで、その後出逢うべくして出逢う人たちと巡り合えるように、その流れも同時に作ってもらった。
だから、そうまでして助けられた命だからこそ、生きているうちに本当に繋がる人たちとは繋がるようになっている、心からそう思っている。
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