今度はお母さん側のストーリー。
[写真説明]
1枚目:Aくんがリクエストしたごはん
2枚目:Sさんがいつか送ってくれたAくんに作って持って行ったお弁当
3枚目:東大入試過去問
>>>1月29日
私はAくんへの『癒しのレシピ』を書きながら、ちょっとだけ変な感じがした。
Aくんへの『癒しのレシピ』の中にやたらと「お母さん」が出てくる。
最初それは私がお母さんであるSさんを知ってるからだと思った。
Aくんが11人か12人目の癒しのレシピを私が渡した人だけど、その中の誰一人として他の人が出てきたことはなかった。
もちろん中には、自分を取り巻く人間関係に悩んでいる人たちも中には含まれていた。
だけど、みんなどの人も周りの人たちがどうだとか、その人たちから何かをしてもらうとか、そういうことは一切出てこなかった。
1人だけ、ある分野における専門家を訪ねることも必要かもと書いたけれど、それはレシピ全体の流れを組めば自然なことだった。
『癒しのレシピ』というのは、相手が今の状況について私に話すだけで、相手側の潜在意識や魂から私に向かってメッセージが来る。
超具体的なメッセージばかりで、ある種生きるヒントみたいなものから日常生活で注意するべき点まで様々だったりする。
私はキャッチするだけだから、私の方で内容は決められない。
『(18)ギフテッド〜天からの贈り物』の最後にAくんの癒しのレシピを載せたけれど、例えばAくんには『才能』や『今後伸ばすと良い力』を書いたけれど、あれも初めてだった。
中には、強烈な言葉ばかりがいく人もいる。
書き方も私はある意味決められなくて、出てきたように書くしかない。
なんとなくわかってきたのは、その人自身の自分への扱い方で変わるということ。
自分に強く当たっている、自分を責めている人にはそれ相応のメッセージがいく。
書いてる私も苦しいし、非常に重い。
一方でAくんのは、非常に軽やかで何か新しいはじまりを予感させるような空気感をまとっていた。
内容はいいにしても、どういうわけかお母さんが出てくる。
『Aくんへの癒しのレシピ』の中のお母さんの部分だけ抜粋すると。
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・お母さんに自分の食べたいものをリクエストして作ってもらって、2人で家で食べる
→これに関してはお母さんにすでにお願いしてあります。お母さんには、妹やお兄ちゃんは抜きで、Aくんと2人だけ、その時はAくんだけのお母さんになってくださいとお願いしました。
一生の中で、意図してそういう時間をどこかで持つというのは、何か特別なものをその時や後々に運んできてくれると思います。
・お母さんに全てを任せて、お母さんから潜在意識のブロックを再度取ってもらう。
やり方や数は、完全にお母さんに任せてしまう。(←私はその方法でやってもらって、それが効果てきめんでした!)
なんなら遠隔で受けてもOK。
→これもお母さんにすでに上の件と一緒にお願いしました。ブロック取りのワークに関しては、Aくんから一言お母さんに「ぶっしーさんから聞いてると思いますが、潜在意識のブロック取りをお願いします」と連絡を入れてください。
・社会的価値観に一切重きを置かないお母さんを持てることの幸運。
(塾の仕事をしたおかげで何百人のお母さんと会って話をしてきたけれども、あんなにも外の情報や社会の中に普通にある歪んだ価値観とかに動じないお母さんって他にいないです!)
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Aくんへの癒しのレシピを書きながら、私はこれだけは確信していた。
Sさん側はもしかして自分の子育てを気にしていても、Aくんは絶対にお母さんを悪く思ってもいなければ、親子問題で心を悩ませてるなんてこともないことを。
むしろ親子関係はすごく良好だし、そこそこの年齢に差し掛かった成人男性が母親と何のてらいもなく、普通にモーニングもランチもするから、どう考えても仲良しなのはわかる。
Sさんもしょっちゅう私に「Aと今会ってきてね」なんてことを普通に言っているから、密にやりとりをする親子だというのは知ってる。
今から1年前、Aくんのものを含めたオルゴナイト(=本人専用お守り)の小包がSさんの元に届いた日、Sさんは重症の体調不良で熱も出始めていた。
カイロを貼って温めた方がいいとは言ったけれど、今家にカイロの在庫がないのと外に出る元気もないとのことだった。
私は速攻でAくんに連絡をして、カイロを持っているかを聞くとあると言うから、それをお母さんのところに持って行ってとお願いして、その時にそのままオルゴナイトを取りに行ったらいいよと伝えた。
Aくんは二つ返事で快諾してくれて、10分もしたかしないかのうちにAくんはお母さんの家に行ってカイロを届けてオルゴナイトを受け取っていた。(当時は徒歩数分の距離に住んでいた)
そういう仲の2人だから、何も特別にお母さんと何かをする必要はないはずだったんだけど、やたらとお母さんがAくんの癒しのレシピに出てくる。
何かな…と思った。
もう1つ私が思ったのは、単純にAくんが自分の感性を開くためにはお母さんの力が必要なのかもしれないということ。
お母さんとしての力もそうだし、Sさんにしかできない心理療法もそうだし、それらが必要なのかな…と思った。
気にしたところで答えはわからないから、私も忘れてそのままにしていた。
私はその時何をしていたのかは覚えていない。
突然なぞなぞの答えがひらめいた、そんな風だった。
さかのぼること数日前、Sさんは私にポロっとこぼした。
「私、娘が何で外に出ないのかわかったの。娘じゃなくて、私が心配だから娘を外に出したくない、そう思ってる自分に気付いたの」
続けて言った。
「Aも多分大学に行かず近くにいるのは、何か私にとって都合の良いことがあるからなんだよね」
こんな会話をしていた。
Sさんは私に質問を投げかけたわけじゃないけれど、妙にその会話が残った。
その答えが突然やってきた。
『お金』
ただ『お金』とだけ私のところには言葉としてやってきた。
しばらく待ってみたけれども、それ以上のヒントは来なかった。
だから私は仮説を立てた。
多分、「お金」のたった一言が、Sさんへの「癒しのレシピ」であること。
通常、癒しのレシピは、ものすごいたくさんの情報量が私のところにやってくる。
基本的に箇条書きのような感じでやってきて、それじゃあ意味が通じないから私がそれぞれの人に合わせて文章に書き起こす。
上のAくんへのものなら、「お母さんにごはんをリクエスト」「2人で食べる」とかそんな風にぶつ切りの状態で情報が来る。
だけど、Sさんのことは「お金」の一言だけで、あとは何も来なかった。
お金じゃないことがわかった。
話の入口としては「お金」かもしれないけれど、実際の心の奥でSさんが握りしめているものはもっと違うもの、それだけはわかった。
そして、わかった。
何でAくんの癒しのレシピにはお母さんであるSさんの話がやたらと出てきたのか。
「お金」という言葉から想像した私のちっぽけな考えはこうだった。
Sさんはもう何年もの間、自分の身辺整理をして色んなことを手放し、そしてようやく全てがきれいに片付いて自分のことだけに専念できるようになったのがこの1年ぐらいの話だった。
Sさんにとって、待ちわびたその時がようやく到来したのは、普段から色々話を聞いているから知っていた。
Sさんは一度本人の意思とは関係のないところで全財産も失った人だから、家族を養いつつもやっと生活再建し自らの足で再起され、それでようやく心穏やかな時間が訪れたのは、本当に最近だった。
私が感じた「お金」というのは、お金云々ではなく、Aくんが東大に合格する=最低でも4年間は経済的なサポートが発生する=それがSさんにとって何かしらの負担・足かせとして感じてるのかも!?、それはこれから何かを始めようというSさんにとって大きな負担だからこそ、Aくんが不合格続きで近くにいてくれた方がそういう未来の責任が生じなくていいと思っているのかも…、そんな風に私は思った。
でも、もしそうだとするなら、AくんのこととSさんのことは切り離して考える必要があるし、親である以上はAくんのことを無視というわけにはいかないにしても、それと自分の生き方を混同するとわけがわからなくなるからそれぞれ別テーマとして向き合うのがいいのかもしれない、そう思った。
あと、何よりも私自身が「ギフテッドであるAくんを社会に出していかなきゃいけない」とそれはものすごく強く思った。
ここでギフテッドの特徴。
Wikipediaより
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・先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を持っている人のこと。または、先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を指す。
・ギフテッドは、外部に対する世間的な成功を収めることではなく、内在的な学習の素質、生まれつきの学習能力を持つことを指す。
・ギフテッドとは、同世代の子供と比較して、並外れた成果を出せる程、突出した才能を持つ子供のことである。
・ギフテッドにおける高度な知的能力の傾向は、誕生時点から、生涯にかけて見られる。
・ギフテッド (gifted)は、贈り物を意味する英語の「ギフト (gift)」 が語源であり、神または天から与えられた“資質”、または遺伝による生まれつきの「特質」と言える。「ギフテッドの才能を伸ばす」という言い方はできる。しかし「こうすればギフテッドになる」とは言わない。
・ギフテッドは早期教育や、他人よりも早く多く習得する先取り学習によってギフテッドに成長するようなことはない。ギフテッドは自ら常に多様な「知的刺激」を切望して満たし、自分の好みの学習方法で、自分の興味のある分野を極めて深く掘り下げて探求する傾向にある。
・一般的にギフテッドは同年の人間より速く、深く、広く学ぶ。
・高い論証能力、独創性、好奇心、想像力、洞察力、芸術性、共感的理解、豊富な語彙、優れた記憶力を持つ傾向にある。わずかの反復で全体概念を修得しやすい傾向がみられる。
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それだけの才能を授けられたのは、どう考えてもそれを世のため人のために使うためだろうし、そんな子をこのまま静かな町の一角にじっとさせといていいわけがない。
本人がやるやらないはもちろん選べばいいけれども、まずは選ぶための土俵に上がるところまではある程度周りの協力も必要だと考えた。
そのためにはSさんにキーワードを伝えてきちんと話を聞くことが私がやることなんだろうと思った。
わざと私の考えを今回書いた。
なぜなら「お金」というキーワードからは考えられないストーリーがこの後繰り広げられ、そしてSさんにとってとても大きな転機を迎えることになったから。
>>>1月30日(水)
Sさんに連絡をした。
内容は言わず、私の方で質問を1つ用意しているから、Sさんのペンジュラムを使ってYES NOを見て欲しいと。
それは今回、私だけではなくSさんも関係しているものだから、SさんにとってYESかNOかを見て欲しい、そう説明した。
仮にYESなら、土曜日までに2〜3時間私と電話する時間が欲しいということも書き添えた。
年明けあたりからSさんは、人間関係の整理をはじめ、自分自身の身の回りのことを整理していた。
そして口癖のように「節分までに私は整えて、節分から新しいスタートが切れるようにしたいの!それまでに煩わしい関係や気が重たくなるものを整理してきれいにして新しいスタートを迎えられるようにしたいの」と言っていた。
だから私は節分が日曜だったから、それまでに何とかSさんと話すなら話すで片をつけたいと思っていた。
そうすると、Sさんが次のスタートをきれいに切れると思ったから。
ただ、私は自分がキャッチした「お金」というSさん向けのキーワードに関しては、半信半疑なところがあった。
これ私の個人の問題と混同していないかも確認したし、本当に癒しのレシピなのかどうかもかなりな回数ペンジュラムで確認した。
ペンジュラムは絶対にYESしか出なかった。
それでも自分の自信のなさは相変わらずで、その気持ちのまま車を運転して用事を足そうと出かけた。
今日3/8現在、あの日から5週間以上経った。
それでも私はあの日のことを忘れられない。
やたらとゾロ目ナンバーばかりとすれ違う日だった。
30分近く運転していた中で、数えられないぐらいのすれ違い率だった。
ゾロ目をたくさん見る=私の中のタイミングが合っている、のサイン。
バイパスを降りて信号待ちをしようと右折レーンに入ろうとした直前のことだった。
1月とは思えないぐらい、車の中はポカポカ暖かくて、陽の光がさんさんと降り注いで、とにかく小春日和のごとく気持ち良い空気が流れていた。
空気がキラキラしていた。
人生で多分3回目ぐらいのキラキラ感だった。
何がどうということもないけれど、とにかく生きていることそのものが奇跡で、これ以上ないぐらい何か本当に心の奥底から満たされて、何かに守られているし自分もそのままでいいんだな、みたいな普段感じない感覚が出てきた。
至福感、多幸感、福の頂点に立って、幸多い感覚に包まれる、としか言いようのない、とにかくすごく満たされていた瞬間が続いた。
そこで私は「大丈夫!絶対に大丈夫!」と心から確信した。
そして、このすべては「良くなるために起こっている」と何の理由も根拠もなくそう思えた。
Sさんのペンジュラムは多分YESになるだろうこと、仮にならなければ私は1からすべて学び直しがいるな…と思ったけれども、仮にNOが出てもそれはそれであったことそのまま話せばいいだけだから、何も心配することはないと思った。
そしてその頃には、私のやり方も決まっていた。
仮にSさんのペンジュラムがYESになった場合。
私はただただ話を聞くことだけに徹しようと。
小難しい手法は要らないから、私がするのはただ1つ、Sさんの言葉に耳と心を傾けること。
>>>1月31日
Sさんと電話をした。
電話の向こうで、「(ペンジュラム)YES出ましたよ」とSさんが言った。
Sさんに切り出した。
これからセッションしますと。
合っているかどうかはわからないけれども、SさんがAくんを手元に置いておきたい理由が「多分これ」というのが出てきてそれが私のところに来ました、と説明した。
(注釈:Sさんが数日前に私に自分の質問を口にしたことで、その答えと思しきものがSさんの潜在意識から私の方に向かって飛んできたと思われる←私特有の体質)
Sさんは「何でしたか?」と聞いてきたから、気を悪くしないでくださいね、私もその本当の意味はわからないので多分Sさんならそこから何を言われているのかわかるはずですと前置きしてから、「お金」と出てきましたと。
あと、上の方に書いた私の個人的な思考の部分も付け足して言った。
さらに、とにかく「お金」の一言以外何もヒントが来なかったから、癒しのレシピとしては初ケースだけれど、Sさんは自分で自分の中を見て吐き出せる人だから、多分それでその一言しか私の元へは来なかったと思うことも言い添えた。
Sさんは最初「お金」にまつわる話をしてくれた。
1年前まではたしかに経済的な不安が大きくて、もし受かったとするならどうなんだろう…と考えていたと。
ところがこの1年で経済がきちんと回せるだけじゃなくプラスαで作れるようになったから、仮にAが今年合格したとするなら今なら55:45でOKが出せる、本当に2日前に「どうしよう…」という不安がなくなっていることに気付いたと話された。
ということで、お金の話はあっという間に終わってしまった。
そうとなれば、Aくんが今年東大に合格するなら、経済的なことは心配しなくても済む。
私はその後どういう切り出し方をしたのかもしくはしなかったのか忘れたけれども、SさんがAくんに関してのエピソードをあれこれ話し始めた。
Aくんのギフテッドの話もした。
色んな話をする中でSさんは告白を始めた。
「いつも笑ってる天使の笑顔、いつも正義の味方、その彼を泣かせたくなった…。
すごい意地悪をして彼を無理やり泣かそうとした…。
彼の泣いた顔、苦しい顔が見たかった…。
でもなかなか泣いてくれなくて、ますますエスカレートしていった…」
Sさんは電話の向こうで泣きながら、言葉も何度も詰まらせながら、告白をしていた。
話はこうだった。
Sさんは30回ほど色んな病気による手術を受けた方だった(今は元気)。
Aくんが5歳くらいで保育園に行っていた当時もそのうちの1回で、体の方は無理が利かない、仕事や家のことは色々とある、とにかく体も心も全く余裕のない状況だった。
Aくんはいつもいつもお母さんの前でニコニコしていたという。
今もだけど、正義感が強くて純粋で真っ直ぐなAくん。
色んなことに余裕のなかったSさんは、そのAくんの笑顔を見て泣かせたくなった。
わざと意地悪をして泣かせたくなった。
泣くまで意地悪をして、泣かないとどんどんエスカレートした。
今こうして言葉にして書いても私は何ともならないけれど、話を聞いた当時は私も一緒に泣いた。
もらい泣きとも違う、自分でも何で泣くのかわからなかったけれど、Sさんの心の奥にずっとしまいこんでいたものが私にもものすごくよく伝わってきた。
責任感の強いSさん、そして親として子どもにそんな意地悪をしては絶対にいけないと思っているSさんにとって、そのAくんに向けてやった行為は自分の中で到底許されるものではなかった。
Sさんは電話の向こうで泣き崩れていた。
本当にあの子にしてはいけないことをしてしまった、取り返しのつかないことをしてしまったと、そのような言葉をずっと繰り返していた。
私はどんな言葉を返したか忘れたけれど、もうそんなにも自分を責めなくてもいいのにとは思った。
多分そう言った気もする。
そこまで負い目を感じる必要がないと私がはっきりと思えたのは、それはAくんを知ってるからだった。
たしかにSさんがした行為は今さらなかったことにはできないけれど、やった割にAくんはそんなことされたなんて微塵も感じさせないぐらいスーパー良い子に育っている。
お世辞とかではなくて、本当の本当に良い子なのがわかる。
作った良い子じゃなくて、生粋の根っからの良い子だというのは私も何回か会ったし、英語でもものすごい回数をやり取りしたからわかる。
Sさんにはそんなに気になるなら、本人に直接謝ったらどうですか?と提案したら、「毎年あの子の誕生日に謝ってるの、当時のこと」と言う。
えっ!(◎_◎;)
Aくんは何て答えるんですか?と聞いたらこうだった。
「もう母さんいいよって毎回言われるの。それでも私はやっぱり申し訳ないから謝るんだけど、あの子は何ともないのか、いいよ、もう本当にいいよって半分呆れるじゃないけれど、本当にそうやって言うんだよね」
その謝罪は毎年誕生日にすでに数回繰り返されたと言う。
私は言った。
「Aくんの性格を考えると、本当にもういいんだと思いますよ。あの子はそんなこと本当に気にならない子なんだと思います。なんなら覚えてないとか、覚えてたとしても気にならない、本人がそう言うなら本当にそうですよ、あの子だったら」
Sさんはまだ納得いかないみたいではあったけれども、どう考えても第三者的に聞いていると、Aくんはそんなこととは言わないにしても多分「そんなこと」状態で全く気にしてなくて、Sさんだけが積年それをずっとずっと気にし続けてきたんだろうなぁと思った。
「私の中でその時のことがずっとあったから、あの子に対して負い目があったんだよね。酷いことをした分、何かしてあげなきゃとか穴埋めしなきゃって。
だから、あの子には時々お弁当届けたりしてあげてるんだよね、そういう穴埋め的な気持ちで…」
やっと私の中でAくんの『癒しのレシピ』の中にやたらとお母さんが出てくる本当の理由がわかった。
あれはAくんの癒しのレシピでもありながら、お母さんであるSさんの癒しのレシピでもあったことを。
【お母さんに自分の食べたいものをリクエストして作ってもらって、2人で家で食べる】
正直私の中で「これは何だ?( ̄O ̄;)」と思ってた。
内容は悪くない。
だけど、「ギフテッド」ということをAくんに伝えることと、その才能・資質を活かすことを視野に、お母さんに自分の食べたいものをリクエストして一緒に食べるの意味がわからなかった。
でも、Sさんの話を聞いてわかった。
あれはAくんだけじゃなく、Sさんにも必要な癒しであることを。
AくんがAくんに与えられている資質「ギフテッド」を受け取ることが必要なように、SさんはSさんでAくんのこれから歩む道を今以上に全力で応援できるようになることが必要だと悟った。
SさんがAくんに対して後ろめたさや罪悪感を抱き続けるぐらいなら、Aくんにしてみたらお母さんがそこに注ぐエネルギーを自分を応援するエネルギーに変えてくれる方がありがたいのはわかる。
Sさんに伝えた。
「Aくんがごはんをリクエストしてきたら、Sさん、それを穴埋めする気持ちではなく、本当にそれを“してあげたい”という気持ちでやって下さい!
Sさん、元々尽くすのとか何かしてあげること好きじゃないですか?その気持ちだけでAくんのごはん作りをして下さい!
もう今、罪悪感や後ろめたさの正体がわかったので、これ絶対にこれまでとは違う気持ちでやれるんで、その自分の気持ちを見てあげて下さい!」
私は確信していた。
AくんはAくんでお母さんに普段することのないリクエストをすることが、彼にとっての何かしら癒しやこれまでとは違う行動ゆえの違う結果を生み出すためのものだということ。
それとは別に、Aくんがするリクエストにより、SさんはSさんで自分の心の中にあった積年のわだかまりを完全に解かし、純粋な気持ちでAくんに対してAくんのお母さんをして、自分の中にある「尽くしたい」気持ちを真っ直ぐに出してAくんを喜ばせる、Aくんの胃袋を満たすことが大事なこと。
親子2人で共同作業をすることによって、2人ともが癒やされる、すごいヒントになっていることが私は即座にわかった。
それが写真1枚目のお弁当。
Sさんは家で作って、それをお弁当箱に詰めて、Aくんに届けに行ってそこで2人だけの時間を過ごした。
Aくんは、唐揚げ、エビフライ、炊きたてのご飯、アボカド、豚汁系の味噌汁をリクエストしたとのこと。
余談だけど、Sさんは頼まれる前から言ってた。
「あの子がリクエストしてくるとしたら、唐揚げとエビフライと…って揚げ物だわね。そして彩りとか要らないから、全部茶色でいいからって言う子なんだわ」
このSさんの言葉が私はとても好きだった。
これはお母さんしか知らない親子の会話で、お母さんしか知らない子どもの好物だった。
聞いてて私の方がジーンとしてしまった。
Sさんは持って行った当日、私に朝LINEをくれた。
「頼まれるって、嬉しいね♡
本当にね。
ぶっしーちゃん素敵な機会をありがとう♡」
写真をゲットしたのはこうだった。
Aくんに、つかぬことをお願いしたいんだけど…と言って、お母さんとリクエストごはんを食べる時、そのごはんの写真が見たいと言ってみた。
本当に見たかったから!←私もSさんのごはんが大好き♡(((o(*゚▽゚*)o)))♡
Aくんは二つ返事でOKしてくれた。
そして当日、食べ始めてすぐに、「そう言えば、ぶっしーさんに写真欲しいって言われてたんだった!」と言って、食べるのをやめてすぐに写真を撮ってくれたとのこと。
そのエピソードをSさんから聞いて、私はますますAくんのファンになり、ますますAくんにメロメロになった(o´艸`)。
Aくんからもこんな風に写真と共に来た。
「ぶっしーさんの助言のおかげで楽しい時間を過ごせました!ありがとうございます😆
実はあれ1口食べてしまっていたのですが、そこは隠して写真とりました 笑」
AくんからもSさんからも実に素敵な連絡をもらって、私も1人でほくそ笑んでいた。
とにかく、こんな風にして、Sさんの長年ずっと抱えてきた罪悪感や後ろめたさが解消され、AくんはAくんで本当に楽しい時間をお母さんと持てた。
そんな風にして、Sさんの「お金」から始まった話は終結した。
その日の夕方、SさんからLINEがきた。
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雨も強くなってきたからUターンの為、たまたまコメダの駐車場に入った
そこに
手荷物のビニール袋を大切に抱えたお婆さんの登場(娘さんか誰かと待ち合わせなのか、、我々と間違えて声かけてきた)
その時、その様子は明らか誰かが寄越してくれたお婆さんと感じた。
すぐに母を思い出した。私が傲慢な時だった時
家にネギとか、野菜をいっぱい持ってきてくれたのに。ありがたいんだけど、その時は素直に喜べなかった事を思い出した。
帰りの運転は、ごめんね、ありがとうで号泣
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Aくんへに対して15年以上抱いていた後ろめたさが解消され、その数時間後にあった出来事を教えてもらった。
Sさんのお母さんは何年か前に亡くなられた。
私もこの話を聞いて、お母さんが来てくれたのかな…と思った。
それはSさんに自分の素直ではなかった当時の自分を彷彿させるためじゃなく、「見守ってるからね」というお母さんからの合図だったんじゃないかなと。
そして「大丈夫」とSさんが私によく言ってくれてるみたいに、お母さんがSさんにそう伝えるために登場したおばあさんだったのかな…と思った。
>>>Aくんのエピソード
私は、Sさんの昔むかしのAくんへの意地悪をひたすら声を震わせて謝り続ける言葉を聞いていた時も、「それ大丈夫でしょう!」と確信していた。
Aくんという人物を知っていたからこそで、ここではそのAくんを表すエピソードを3つ紹介したい。
1つは、Sさんが教えてくれたエピソードだった。
Aくんが小学校2年生の時、Sさんは入院をした。
当時、上のお兄ちゃんは野球のために県外の全寮制の学校に行っていた。
Sさんいわく、「お兄ちゃんがいないから、僕がお兄ちゃんの代わりになるんだ!」とAくんは思ってくれてたはずだと思うと話していた。
退院の前日、家の電話番号でSさん宛てに電話が来た。
入院中、家から電話がかかってくることはまずなかったらしい。
電話の主はAくんで、Aくんは電話の向こうでワンワンと泣きながら「お母さんごめんなさい」と謝っていたとのこと。
本当は退院するお母さんをAくんは迎えに行く予定だったらしい。
ところが車にはねられて怪我をして行けなくなってしまった。
「明日ぼく、退院の時、お母さんを迎えに行けない。行けなくなった。大事な約束を守れなくてごめんなさい」
そう言って謝ってきたとのこと。
自分の大切な人との約束を、無事だったとは言え事故のせいで守れなくなり、Aくんは自分が事故に遭ったことよりも大事な約束を守れなかったことの方が重大で、それでやむを得ず電話をかけたようだった。
2つ目のエピソード。
Aくんに、私が昔お母さんから聞いた話を別のブログに書いたものを、例のごはんのリクエストの前に渡した。
その話はこんな風だった。
Aくんの保育園時代に仲良くなったお母さんで、そのお母さんはこの1年ぐらいの中で成人してすぐぐらいの息子さんを自殺で亡くされた。
一緒には住んでいなくて、それで時々お弁当を作って持って行くことに対し、周りの人たちは甘やかしすぎだと言っていたところ、Sさんはこんな風にそのお母さんとやりとりした。
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「私は、子どもが風邪引いた時だって水1つ飲ませることができなかったの。だから、事情はどうであれ、今お弁当作って渡せる環境があるなら、そしてそれをやりたいならやってあげたらいいじゃない?今しかできないんだからさ」
(注釈:Sさんの上の2人の子どもたちは本人たちの希望で全寮制の学校に中高通ったから、だから「水1つ飲ませられなかった」というのは本当に物理的にできなかったという意味)
あの時、Sさんが子どもに弁当を作ることを後押ししてくれたこと、そのおかげでお弁当を作って渡せたこと、今となってはどんなに作ってあげたくてももう作ってあげられないこと。
あの時に周りの声に合わせず、自分が子どもに対してしてあげたいことをして良かった、そうAさん(=息子さんを亡くされたお母さん)はSさんに感謝の言葉と共に伝えたようだった。
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それを送ったら、Aくんからこんな返信が来た。
「それと、ブログ読ませていただきました! 息子さんが自殺された方が後悔なくいられた、というのは本当に良かったと思います。 僕が母に何をしてあげられるだろうか、考えてみるいい機会になりました。ありがとうございました😆」
Aくんの視点はいつも対他者に向いている。
目の前の大切な人たちに自分は何ができるだろう?、その視点をいつも持っている。
こんな素敵な返信を私のところで留めておくのはもったいないと思い、本人に断りもせず私は勝手にSさんに転送した( ̄∀ ̄)。
そうしたら、この素敵親子はさすがで、Sさんは私にこう返信してきた。
「Aは、Aでいてくれたら
それが1番の嬉しい事だよ!」
さすがにAくんにAくんの書いたものをお母さんに転送したとは言えず、Sさんの文章は私のところで止まっている。
Sさんには、次の誕生日からそれをAくんに伝えてくださいとお願いした。
最後3つ目のエピソード。
冒頭の3枚目の写真は東大入試の過去問で、その過去問の英作文を私はずっと添削していた。
[1問目]
(写真の)二人のあいだの会話を自由に想像し、英語で書け。
ーーAくん解答
「木の上に止まってる赤い鳥を見て!」
「うーん、どこ?見つけられないんだけど」
「木が赤い葉っぱで覆われてるところよ」
「赤い木が2本あるけど、どっち?」
「左の方よ!」
「見つけた!すごいきれいな鳥だね。
すごい混乱したよ、だって木と全く同じ色じゃないか!」
「そう?私は簡単にすぐわかったわよ。
今日はラッキーな日になるわね!」
「そうだね。」
[2問目]
これまで学校や学校以外の場で学んできたことのなかで、あなたが最も大切だと思うことは何か、またそれはなぜか。
ーーAくん解答
「学校で学んだことの中で最も大切だったことは、早起きが僕にもたらした恩恵だった。
例えば、朝の僕だけの時間を勉強にも使えたし、家族と話すための時間にも使えたから。
だから、早起きしてその時間を有効的に使うことは、僕がより幸せに生きるためのエッセンスが含まれていた。」
(補足:Aくんは高校時代、全寮制の学校に通っていて家族には長期休みの時にしか基本は会えなかった)
東大の英作文の入試は、こんな風に考え方を求めてくる。
物事の捉え方、自由な発想力、着眼点、洞察力、観察力、そういうものをひたすら求めている。
Aくんの色んな英作文を読ませてもらったけれども、本当に人を和ませる温かさや思いやりに溢れ、情や懐が深くて、いつも慈愛に満ちている。
自由度100%の東大英作文において、何を書いたっていい。
どんな考えや意見が採用されたっていい。
そんな中で、Aくんが書くものはいつもいつも上に書いたみたいに、本当にやさしい。
これは愛溢れる環境で育たないと絶対に育たない感性なのがわかる。
Sさんは自分の子育てをものすごく長い時間悔いていて、こんなに立派に育った今でも、Aくんの素晴らしさを認めつつも、自分の中の許せないところを毎日心の深いところで責め続けていた。
それを20年弱、1日も休むことなく続けていた。
たしかにAくんは中高と全寮制のところにはいたけれども、あの感性は中高時代に育ったものじゃない。
あの子が持って生まれた素質そのものをSさんが実に上手く引き出したのと、Aくんもそれを自然に出せるぐらいに安心して自分をSさんの前でさらけ出せたんだと私は分析している。
そしてその自然な姿は、成人した今もずっと根付いていて、誰の前でもその人柄を余すことなく発揮している。
Sさんは自分はそういうことは一切教えていないと言う。
教えてはいなくてもそれ以上にもっと難しいのは、自分の考えや価値観を押し付けず、その子のあるがままを受け入れる、その子の素質そのものを純粋に出せる土台をずっとずっと作ってきたことだと思う。
Aくんは類まれな正義感とやさしさ、情の深さを内包してるだけじゃなく、それをさらりと外に出す。
そういうところは、小さな男の子がそのまま大人になったみたいな子で、本当に純真無垢だといつも感じる。
Sさんに今回のこと、特にSさんが話してくれた自分のやらかしたことを私が書くにあたって若干渋られた。
「心が痛む」と言われた。
そりゃ良いことを書かれるわけではない上に、自分じゃ非情なことをしたと思っているから、余計と抵抗が出るのも無理がなかった。
それでも私は使わせてもらいたかった。
Aくんの上に書いた英作文をもらって、より一層その気持ちは強くなった。
Sさんは了解してくれて今があるけれども、私が当時Sさんに書いたままのLINEを紹介したい。
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私はAくんがギフテッドなのは、単に知的能力や知的探究心が特異だということだけではないと思っています。あの子の心根に宿ったものがあるからこそ、ギフテッドが与えられたと思っています。
そこを育てたのはSさんです。ひどいこともしたかもしれませんが、それでも真っ直ぐに育ったのがAくんです。
他にもAくんに近い学力の人たちには私は何人か会っています。なぜ彼らを見てもギフテッドとは思わずAくんはそう思ったのか…。
それはやっぱりあのAくんの心意気の部分に大きな理由があります。
そして、その部分を育てたSさんには母としての葛藤もたくさんあって、上手くないこと、やってはいけないと感じていることをやってしまったこと、色々あったと思います。
が、私はそれをあえて出してそれでも今のようなAくんがいる、その裏側を私の視点で書きたいのと、そしてそれがSさんの言う「生き様の貢献」の1つだと思っています。
なぜなら、Sさんの葛藤は多くのお母さんが直面する葛藤だからです。私はSさんだけが何も特別だとは思いません。みんな多かれ少なかれそうした部分を体験されてます。24時間365日聖母マリアみたいなお母さんは1人もいませんから!
なのに、あの日本の恐ろしい「聖母」的な母親像、あれは大間違いだと思います。
(塾の)懇談で色んなお話を聞きまくっただけあって、Sさんがひどいとは私は思いませんでしたよ、本気で。
多分、Sさんの話は、「なんてひどいお母さん」っていうよりも、「あぁ、そんなすごい子どもを育てたお母さんでもそうなるのね!」という共感を生むものだと思います。全員とはいかなくても、子育てで追い詰められたお母さんたちの心に光がさっと入ると思います。
だから使いたいんです。
あれ、Sさんをおとしめるための話じゃないんです。
あれこそ、色んな人たちに勇気や元気、希望を与えるものです。
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▷タイトルウラ話
当初この記事のタイトルは『ギフテッドのお母さん』だった。
だけど、なんかしっくり来なくて、他のタイトルないかな…と思った。
次に来たのは、『天からの贈り物を授かったお母さん』だった。
「天からの贈り物」と「お母さん」は良かったけれど、「授かった」がちょっとニュアンスが違う。
Aくんは22歳で、授かっただと妊娠発覚から出産までの期間しか指さない感じがして、これもまた違うなと思った。
そして、今も授かったままと言えばそうなるけれども、Sさんは子どもは子ども、私は私ときっぱりと線引きするから、Sさんのそうした毅然とした姿勢を見ても「授かった」だとしっくりこなかった。
【預かった】、これだ!と思った。
Sさんは元々責任感の強いお母さんだから、「育てる」ことに関しては普通にされている。
あえて「育てた」なんて言わなくても、すごい人材を育て上げたというのはわかる。
じゃあ何かな…と思った時に「預かった」だった。
Aくんという1人の人間が世に旅立っていくその時まで大事に大事に預かって育てた人、そして世に出た後もいつも心の支えであり続けるんだろうなぁと思った。
Sさんは、自分の子どもと自分をきっちりと切り離して考える人で、「たしかに子どもたちは私の子どもではあるけれど、その前に1人の人間だからね。子どもの人生は子どもの人生だから」といつも言う。
そういうSさんだからこそ、Aくんのような特殊な能力を持った子が預けられたんだろうなぁと思った。
親のエゴではなく、子どもが子ども自身の人生を自分で切り拓いていけるように、子どもが親の目を気にせずに自分の見るもの心が動くものに集中できるように、そういうことを心から理解してそのようにさせてくれる親の元に生まれた、そんな風に思う。
【次回予告】
Aくん(子)とSさん(親)親子と私が、今回どうしてこんな風に関わることになったのか、その話をする。
これは単なる人生物語ではなくて、「リアル・ストーリー」で、私だけじゃなく誰しもに起こりうるすごい奇跡が後ろに隠れていたから、それを書く。
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