今日(3/16)は短めのウラ話を。
『奇跡の果実』も残すところあと少しにはなったけれども、ここから先は書くのにめちゃくちゃエネルギーが必要なものばかりで、書いてはいるけれどもペースがだいぶゆっくり。
さらに春分の日の前だからだと思うけれど、体がけだるい。
小さな不調も出ている。
今年がこんななら、来年2020年はどうなるんだろう((((;゚Д゚)))))))…と今から心配しても仕方ないけれど、心配したくなるぐらいに今年もじわじわと体調不良系のアラームが鳴っている。
(来年の春分の日の天体配置と私個人の天体配置が異常なほど重なっているから、とにかく無事を祈るしかないぐらいに強烈極まりない)
今日は、40歳の誕生日プレゼントを買いに行ってきた。
ずっとどうするか迷っていたけれども、色んなことが重なって、もちろんこの『奇跡の果実』のこととも超リンクしていて、それで昨日の夜決めて今日買いに行ってきた。
これも近いうちにシリーズに入れてアップしたいと思う。
奇跡の果実のきっかけにもなったもので、まさかそれが自分の誕生日プレゼントになるとは思わなかった。
家に帰ってきてから、プレゼントのお出迎えの儀式を執り行った後、それを買った瞬間の時間に合わせて出したホロスコープを読み解いてみた。
最初私のホロスコープとは微妙に全てずれていて、「重ならないんだなぁ」と残念に思っていた。
でも、よくよく見ると、重なってないことでお互いがお互いにないものを補い合っていて、そしてさらには相乗効果までもを生み出していた!!!
しかもそれぞれの角度が1度としてずれてないから、余計ときれいな角度差を生み出して、お互いに影響しまくりな感じの配置になっていた。
(注釈:きれいな角度差であればあるほど、二等辺三角形や正三角形、長方形や正三角形ができて、新たな意味が加わる。今回は誤差1度未満の二等辺三角形と正三角形ができた)
それ見てたら、来るべくして来たプレゼントだと確信した。
想像を遥かに超えた重なり合いと天体のメッセージで、どうしてそんなにもドンピシャの角度でお互いに影響し合うのか不思議で仕方なかった。
話がまたすごい飛ぶけれども、私はつい最近、自分がある日のホロスコープを見る時に間違えたデータを見ていたことがわかった。
12月に私は過去のホロスコープと自分のホロスコープを重ねて読み解くことにハマっていた時期があった。(過去のホロスコープは20年分以上の春分の日のホロスコープのデータを使って、重なり具合とその1年に何が実際にあったかを見比べていた)
「魂的なご縁・運命的な出会いを意味する星の配置」と鑑定士さんから言われた人に出逢った瞬間のホロスコープを、私は間違えて同じ日の満月の時間に合わせて作ったホロスコープで見ていた。
間違えたまま見ていた時は、あんまり天体上の影響がなくて、ゼロではないけれども、私の引きの良さを思うとそこまでの影響がなくて、どうしてかな…と思った。
魂的なご縁とか、言葉が盛られたのかとさえ思った。
もしくは私ではなく相手側のホロスコープにすごい影響が出ているのかもしれない…、と思った。
ところがそれは満月の時間に合わせたもので、本当に出逢った瞬間の何時何分の時間に合わせたホロスコープにすると、私は卒倒するかと思うぐらいにすごいことになっていた。
地平線軸に自分の月が、子午線軸に私のキロンが重なっていて、さらに私の冥王星と空の冥王星が実にきれいな調和を見せていた。
私の12月のホロスコープ探究の際に1つわかったことは、その日その瞬間の地平線軸や子午線軸に自分の天体が重なると、めちゃくちゃ重要な出来事が起こる。
それも生涯を通じて記憶に残りそうな出来事が起こる。
月は、無意識・魂の領域・過去世を表すもの。
キロンは魂の傷として持っている今世生きている中で癒す必要があるとされるテーマを表している。
冥王星は徹底的な変容、破壊と再生を意味する。
そういうものたちが一堂に集まっていたと初めて知った。
全部掛け合わせれば、魂的なご縁、それも相当強いというか最強のご縁、自分自身も大変容を遂げるし、魂の傷にも徹底的に働きかけられ癒される方向に働くし、自分の中の深い意識の部分、魂の記憶の部分が呼び覚まされる、そういう意味合いを持った出逢いの瞬間だったと知った。
場所(緯度経度)だって、時間(仕事の始業時間)だって、なんなら日にちだって私が決められたわけじゃない。
今もしかして…と思って、日にちをずらしてホロスコープを出した。
なぜなら、私の初日は話がその場で会社の担当者側の都合で二転三転して、それで最終的にその日になったけれども、第1案は週明けだったから。
しかも今書いてて思い出した。
今なら2人ともを知っているから「なるほどー」と思うけれども、当初私の勤務開始はもっと早い時期が想定されていた。
なんなら1週間ほど以上前の月初めを最初は双方(会社側)が希望していたにも関わらず、派遣会社の担当者も派遣先の会社の担当者も、連絡がうまくなくてそれで延びた。
「連絡がうまく付かない」と当時の派遣会社の担当者から言われたけれども、2人の性格や仕事の仕方が今はわかるから、うまく付かなかったんじゃなくて時間があったにも関わらずお互いマイペース過ぎる2人ゆえずれにずれて、それで月の中頃までずれ込んだのが本当のところだと思う。
またホロスコープを出した。
月初めにするともう全く配置が変わって、私が上に書いたような意味ではなくなっていた。
冥王星は冥王星のままだけど、月とキロンの位置は変わる。
特に超スピーディな天体周期を持っている月の位置がガラッと変わる。(冥王星が太陽の周りを1週するのに249年かかるのに対し、月は28日で1周する)
その日の月は、苦手意識やタブー意識を意味するリリスというものとピッタリくっついている状態で、恋愛や自己表現を意味する場所にある。
そしてその月を私側のホロスコープに重ねると、パートナーシップ及び死と再生を意味するエリアにまたがっている。
その日の冥王星に関しては、職場を意味するところに位置していて、そのまま読み解けば、「職場や日々の仕事において、破壊や再生を体験する」という風にもなる。
なるべくしてなった、それも魂的な事情が最優先されてたんだと今の今知った。
誕生日プレゼントもそうだし、その1年半前にさかのぼるある夏の日もそうだけど、何1つ狂ってはいけない、そういうものだった。
これ以上ないタイミングでのそれぞれの出来事が起こっていた。
すべては何か計算されたかのごとく、物事は起きていた。
ホロスコープは、ある日のある瞬間がどんなメッセージが込められた時間なのかや、自分自身の人生においてどんな意味をもたらすものかを教えてくれる。
それを今回みたいに詳しく知ると、驚きで言葉を失くす。
人間の小さな頭で考えられたことや人間の思考で組み立てられた計画なんて、もう一瞬でぶっ飛ぶ。
だって私が計画できるわけもない。
「自分の魂の傷を癒すことを目的とした運命的な出逢いを果たすために、何年何月何日何時何分に緯度何度経度何度の場所に行く」なんて計画のしようがない。
なのに、そういう意味をどストレートに持ち込む天体配置の中に私もその人もいた。
その人のホロスコープ超見てみたいv( ̄∀ ̄)v
これで相手のものも何かあれば、学会に提出できるんじゃないかというぐらいの超強力な証拠になる( ̄∀ ̄)、何学会に提出するのかは知らないけれど。
上の部分は半分寝落ちしながら書いていて、気付けばホロスコープに関して熱く語っていた。
本当に書こうと思っていたのは、未来の自分に宛てて手紙を書くのいいですよ!、ということだったのに…。
26歳の当時、私は急遽3連休か4連休が浮上した。
正しくは、用事があったけれども、そちらを欠席したから、それで降って湧いた休みだった。
忘れられない用事だった。
当時付き合っていた人の弟さんが結婚式を挙げることになった。
その式に参列して欲しいと向こうのご両親から招待を受けた。
うちの親に言ったら、「そんなのは絶対にダメだ!何かあった時にどうするんだ?」と厳しく叱られ、それで私は辞退を申し出た。
今考えたら、親が本気で止めてくれて良かったわと思った( ̄∀ ̄)。
それで私は時間もお金も浮いたから、急遽1泊2日の1人旅に出ることにした。
人生で初めての1人旅だった。
1人旅初心者は観光スポットを回る以外何をしていいかわからず、たまたま道中で見つけた花の絵のポストカードを4枚購入したものを、未来の自分に向けて手紙を書いたらどうかと思ってそれで書いた。
30歳、40歳、50歳、80歳の自分に宛てた。
枚数の関係で60歳と70歳は省いた。
今年の誕生日、40歳の自分に宛てた手紙を手にした時、そして他の手紙たちも、見ただけで泣けてしまった。
あの頃から14年も生きたとはとても思えないぐらいに色んなことがあっという間だった。
26歳の私は40歳の私に問いかけてる。
「あの頃は若かったではなく、そういえばあんなこともしたわね、でも私その後でもっともっと愉しいことたくさんしたわ、と言える歳月を過ごしていたらいいなぁと思っています。」
色んなことがいっぱいあったけれども、愉しかったよと言えることも嬉しかったし、26歳の私が紡いだ手紙を前に言葉にできない色んな想いが自分の中を行き来した。
40歳、相変わらずすごい不安定な感じの足元グラグラなスタートではあったけれども、それでも私はそれも含めてそこに至るすべてに対して、それで良かったんだなと思えた。
強がりじゃなく、本気で、色々山盛り過ぎるけれども、それでも良かったし今いる場所からまたスタートしたらいい、本当にそう思えた。
4枚のうちどうしてその絵葉書にしたのか、今となっては理由はわからない。
だけど、40歳の私にピッタリの言葉を選んでいた。
「冬枯れの林に
息をのむほど
美しき
ムラサキシキブ」
30代は本当に冬枯れみたいな時間だった。
本気で色々強烈過ぎたし、今もその強烈さが続いているものもある。
一言で言うなら「闇」の時間で、トンネルどころかどこに自分の人生があるのか、何で生きているのか、とことんわからなくなった時間が圧倒的に多かった。
それでも私は息をのむほどの美しさにも出会えた。
闇の中に突然現れた光もあった。
生きる喜びや命に本気で感謝できる出逢いにも恵まれた。
冬枯れの中にも希望があって、美しきものがあった。
色々あったけれども、それでも私は今も息をしていて、そして笑ったり怒ったり泣いたりしている。
何もなくても自分だけは残ったし、その自分でまだまだ色々体験できることも知った。
体験できるというより、巡り会わせてもらえるという感じに近い。
未来の自分に短い手紙を書くのは、あの当時はわからなかったけれども、今はすごく良さがわかる。
身に沁みてわかる。
すっかり味をしめて、50歳の自分に短い手紙書きたいな…と思って物まで用意したけれど、そのままになっている。←いつするかは不明( ̄∀ ̄)。
今日こそはヘビー級の本編かLessonのどちらかをアップしたいと思う( ̄∀ ̄)!
タイトルは、ホロスコープの話にちなんで『魂のタイミング』にした。
それは私だけに向けた言葉じゃない。
もう1人の人にも向けている。
〇〇さんにとってもそれ魂のタイミングだったよ、って。
得意の『未来事典』(松村潔・著)の中から、いかにもその日っぽいなぁと感じる言葉を引用。
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【クローバーが咲いている芝地に足を踏み入れる】
【昔からなじんだ関係性の中で豊かな時間を共有できる】
【ごく日常的な毎日の中に、喜びと恵みを感じとる】
【過去を清算し、新しい未来にむかうこと】
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「昔からなじんだ関係性」という部分、私はそれは過去世のことを今回の場合は指していると感じる。
今世は全く馴染まず、はっきり言って奇跡的にしか超短時間のやりとりが現実的には為されず、私なんかは常に緊張してばっかりいたけれども、でもこれだけ強固な出来事を運んでくるというのは、いつか生きていたお互いの過去世の人生の中で重なり合っていたんだと思う。
出逢わなければゼロだった。
たとえ1分程度のやりとり数回でも、そこにその人も私も居合わせなければ、その時に生まれた出来事は知らないままお互いに人生を歩むことになっていた。
お互いに出逢うこともお互いの存在さえも知ることなく、それぞれがそれぞれの世界で生きてそして死んだと思う。
私が入っていたポジションには、私が辞めた後別の方が入られている。
もしその方のタイミングで私がそこの職場と縁があっても、もうその人はいない。
あのタイミングでしか出逢えなかった人だということ。
それは人間の私やその人が計算して諮らう(はからう)ことのできる出逢いじゃない。
魂側が互いに計画をして協力し合って初めて実現した出逢いだった、私はそう思っている。
それは私側だけが意図してもダメで、相手側も意図しないといけない。
たとえそんな気は1ミリもなくても、双方の合意がないとそうした魂のタイミングは引き起こせない。
私がここまで書くのは、文明の機器のおかげで、その人も私と同じぐらい何かを色々感じているとわかったから。
じゃなきゃここまで書かない( ̄∀ ̄)。
私は〇〇さんが口を開いてくれるのを待っている。
あんなに赤裸々に色々書くのをやめて下さいでも、プライバシーの侵害になるからこうした発言は控えて下さいでも、内容は何でもいいと私は思っている。
何でもいいからとにかく本人の言葉を聞きたい。
もし今喉の調子が悪かったり意味不明な咳が出ていたら、それは体が外に言葉を出したいのサインだから。
[写真説明]
1枚目:40歳になった瞬間のスクリーンショット
2枚目:毎年誕生日の日にだけ付ける日記帳。何がすごいって、「史」と書で書かれた風のデザインのこのノート、日本じゃなくアメリカのロッキー山脈近くにある小さな田舎町で見つけたこと!
3枚目:26歳の私から40歳の自分に宛てた絵葉書の模様
4枚目:40歳の自分に向けた短い手紙
5枚目:同じシリーズ一堂集結
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