2019年3月29日金曜日

奇跡の果実▷ウラ話⦅19⦆長所をもっともっと伸ばす

10数年前の会話の一部を切り取って残した

初代言霊帳(2003〜2011)
『いちにちのごほうびにきらきらをあげる』
もし今日お誕生日の方がいたら、
きらきらをプレゼント
☆*:.。.\(*⁰▿⁰*)/.。.:*☆



短所を直すんじゃなくて
長所をもっともっと伸ばせばいい。
俺はそっちの生き方の方が好きだ。
200X年12月21日
ショウ(中2)



[才能・資質・強み]の話をする中で、ショウの話をどこかに入れる予定でいた。

でもこれは独立させて書くことにした。

この言葉がどうしてこんなにも残ったのか、今ごろになって気付いた。

上のショウの言葉には、生きることへの可能性がそこに託されていたから、生きることへのあきらめない気持ちがのっていたからだと気付いた。



ショウは父親から半端ない心理的虐待を受けた子どもだった。

完璧主義で威圧的な父親は、少しでも何か自分のやり方に合わないことをショウがすると、全部いちいち言葉にしてショウを責めて、本人を追い詰めるようなやり方をした。

それこそ、食事で使う箸の位置が茶碗1つの位置がおかしければ言うぐらいの、そういうところから始まり、性格や勉強のことなんかはもっともっと言われる。

母は他のきょうだいを連れて県外へと出て行った。

ショウからしたら、母から捨てられたも同然だと思う。

そんな状態で、ショウは本来なら反抗期の全盛期のような時期に施設に入ってきた子だった。

(注釈:当時の全国的な統計で、児童相談所に相談が寄せられて施設入所に至る子どもは10人に1人の割合だった。それは施設の定員の問題でそうなっていて、だから入所に至るケースは本当にシビアなケース=子どもにとって非常に不適切なもしくは非常に危険な養育環境と判断されないと入所できない)

入ってくる前の情報で、どれだけ難しいタイプの子どもが入ってくるのかと思ったら、拍子抜けするぐらいに明るくて、学校では周りの同級生たちとも良好な関係を築ける子だった。

そういう環境下に普段いただけあって、流すことにはものすごく長けていて、飄々としていた。

ショウなりに身につけた護身術だったと思う。

あの時は今ほど深く物事を見なかったから気付かなかったけれど、多分ショウは母親から愛情たっぷりで育てられた気がする。

根っこの部分が育っている、そんな感じが今思い出してもするから、多分そうだと思う。

ただ、本人の記憶にある家庭生活は、父親との暮らしで逐一駄目出しされる、自分が否定されるところの方が色濃いと思われる。

ある時の夜勤に入った日のショウとの会話だった。

何を話したかは忘れた。

でもショウはいつもみたいな飄々とした感じじゃなくて、私の方を向いて緩みながらも真面目に言い放った。

「短所を直すんじゃなくて
長所をもっともっと伸ばせばいい。
俺はそっちの生き方の方が好きだ」

その言葉は、ショウが生きてきた世界の中でも見失うことなくショウが静かに温め続けた想いの部分だった。

そういう父にショウは反抗もせず、黙ってその時をやり過ごしていたようだった。

ショウから一度も家族の話は聞かなかったし、本人も話したくないんだと思う、何も言ってこなかった。

私は会議で聞いた話しか記憶に残っていない。

それでもショウは小さな希望を見つけて、それを自分の道しるべにして大切に温めることのできる強さのある子だった。

ショウの言葉と次回あたりに書く予定の才能や強みの話とがリンクする。

凄まじい否定だらけの環境下に身を置きながらも、それを上回るほどの自己肯定感の高い子だったなぁと今になって思う。

しかも無理して装った強さではなくて、その極限みたいな状況下で身につけた強さのように見えて、あの飄々としていたところもそして時々真面目な顔して何かを言う時もそうした強さがいつもショウの根底を支えていたと思う。



『奇跡の果実』を連続して読んでくれてる方からすると、どうして[才能や強み、資質]を私が書くのか、又は傷を癒すだの自分を知るだのという内容を書くのか、その繋がりがよくわからないように見えるかもしれない。

これは実は全部繋がっている。

『奇跡の果実』の大元には、私のペンジュラムが関係している。

もしペンジュラムを私が持っていなければ、この話には絶対に繋がっていかない。

この話を本当にすべて体験するには、ペンジュラムを持つこととそしてそれを使いこなすことが絶対条件になる。

ここではそれを資質と呼ぼう。

私はその資質を、まずは「受け取ること」から始めている。

その次に「育てること」。

そして最後に「活かすこと」。

自分の才能を見つけよう!とかいう大々的な目標を掲げたのではなく、興味を持ってひたすらペンジュラムとやりとりしたことがこの今に繋がっている。

私がこのシリーズを通して伝えたいメッセージは、誰の身にも奇跡が起こるし、誰にもみんなユニークなその人にしかない強みや才能、資質、魅力があるということ。

今回生きる命の中で奇跡は誰の身にも起こるし、それはありえないぐらい悲惨な状況や立ち直れないぐらいの心的ダメージを受けても、それでも奇跡が起こる。

そして今回の命を生きるにあたって、みんな誰しもがその人にしかない唯一無二のものが与えられている。

本人がどんなに否定して認めなくても、全員もれなくある。

ここ最近、私が伝えたい部分はそこなんじゃないかと感じるようになった。

それを表現するために、ここに色んな話を織り込んでいる、そんな風に感じている。

自分のところに順番に来たものを書いているけれど、才能や資質についてももうずっとずっとメッセージが来ていた。

来た当初は『奇跡の果実』との関連性がいまいちわからなかったけれど、忘れないようにキーワードを書き残したら、あっという間にノート4ページになった。

キーワードが集まる=私の中のGOサインになる。

これも書くことなんだな、とわかった。

そして今はもっとはっきりとどうして書くのかがわかってきた。

これは傷を癒したり自分を知ることだったりとも全部繋がってくる。

細かいことは、次回(?)の[才能・資質・強み]の記事に書く予定。




私は人生の中で前半戦、30歳になるまでは自分もそうだったし、関わった世界もすごい特殊な世界だった。

今小学校4年生の女の子が父親から虐待されて殺されてしまったニュースが数週間に渡って報道されてる。

私が関わった世界はそういうニュースになってもおかしくない体験をする人たち、私はそこまでではなくても私自身も色んな痛みを体験することが多かった。

不可抗力だった体験もある。

でも私が思うのは、人間して何年目とか成人する前に生涯残るようなトラウマを体験した場合、強烈ではあるもののそれでも生きていかなきゃいけないからその生きていくための強さも身につけていく。

だから、世間から見たら病的な環境下にあっても、その中にいる人たちは意外にも強さがあったりする。

それは色んな子どもたちや小さかった私自身が教えてくれた。

ドミニカにいた頃は、首都のスラム街に毎日通ってた。

資本主義社会でお金がないって致命傷みたいに見えると思うけれど、私はそこでも何百人の人たちとやりとりして、底抜けの明るさや人に良くしようとするお節介焼きや困った時はお互い様の精神を日々見せてもらってた。

明日のごはんのお金がないのに、今日はフミコをごはんに呼ぶって約束してたからそれを大事にしたいの、と言われた。

お金を無心されてもなければ、向こうは招待してる側だから私がみんなで食べるものを持ち込むことも快く思ってなくて、だからいつも最小限のみんなで分けるジュースを持って行った。

本当のもてなしを私は何回となく受けていた。

豪華さに欠けたとしてもその食卓にのるものは、私の中でも人生で5本の指に入るごちそうだった。

見かけ倒しの豪華さではなく、本物の豊かさを私は見せてもらっていた。

スラム街へは犯罪に巻き込まれては困るから私は毎日同じようなシャツを着て行った。

質素を公約に掲げているような出で立ちだった。

相当お金がないと思われたようで、私より断然お金をもらってない現地の同僚の人からバス代を出してもらったこともあった。

そういう親切も色々してもらっていた。

だから、世の中で報道されてることと実際の中はずいぶんと違っていた。

それは間違いなく「貧困」というくくりにはなるけれど、少なくとも私が見たものは貧困と一緒に成り立っている人間の営みだった。

そしてない中でも最高のもてなしや気配りを私は施してもらっていて、心にはとても大切なものをいつも届けてもらっていた。

何かと比べて酷いとか低いと思われる環境下は、実はそこの中に入るとそこにいる人たちも何ら変わりない人間だから、普通に人間同士の営みが存在している。

色んなマイナスとなるものを持っていると、その代わりのプラスのものもものすごくたくさん持っている。

精神性とかメンタルの強さはずば抜けてたり、生命力が逞しかったりする。

もちろん問題も色々あるけれども、何せ問題が常に横たわっているだけあって強い。

本当に強さを感じる。

時々私のことを強いと言ってくれる人たちがいるけれど、私の強さはどうにもできなかった状況を山ほど体験したことの強さで、そうした体験がもたらしてくれたものだと思っている。

そんな体験を山ほど持って、30代の10年間、私は日本の一般社会に出た。

ここから先に書くことは、完全に私の主観だし、それが合っているかどうかというのは計れない。

だけど、これが私が本当に感じたこと。

私から見て、日本国内の一般社会の方が病んでると感じた。

一般社会には、ある程度世の中でスタンダードとされる枠組みがある。

一般常識だったり普通さだったり、そういうものが当たり前にあって、その当たり前の中で生きている。

この枠組みというのは普段はボワーッとして掴みどころがないくせして、少しでもそこからはみ出すと途端に非難を浴びたり周りからつまはじきにされたり、非常に扱いづらいところがあると思う。

さらにその枠組みは窮屈さや生きづらさなんていうものも生み出すもので、感じ方は個人個人違うにしても、みんな大なり小なり感じてはいると思う。

だから、普通になんとか収まろうとするし、とりあえず普通にしておけば可も不可もない日常は保てる。

勤勉さや正確さ、効率・能率、成果、経済的豊かさ、そうしたものが普通に日本の文化の中に横たわっている。

先人の人たちがここまでの国を作ってきたことにはもちろん敬意を持っている。

そしてそれを引き継いでさらに発展させている世の中の大勢の人たちにももちろん敬意を持っている。

だけど、そうした社会構造の中で人が病んだり気持ちが死にそうになったりしている事実も確実にある。

30歳で学習塾に勤めたことで、一般家庭の子どもたちや保護者たちに初めて接触した。

ショウみたいな家庭環境の子どもとか、貧困の中で暮らす子どもとかではなく、本当に一般家庭の子どもたちとその保護者だった。

もうその頃は中学生から携帯を持つのが当たり前になりつつあったし、物はいくらでも与えられて育った子どもたちだった。

私がそこで見ていたものは、みんなではないけれども、多くの子どもたちがやり場のない気持ちを持っていたりとか、枠からはみ出すことを悪いことのようにしつけられて苦しくなってたりとか、人との密な繋がりを求めていることだった。

オール1からオール5の小中の子どもたちを見ていたけれども、オール1に近い子どもたちの方が性格的に何とかなる感じがあった。

何とかなるというのは、大人になった時に、頭脳以外の何かでカバーできるものを持ち合わせている。

反対に一番危ない感じがしてたのはオール2からトップには届かないその下の頭の良い子たちの層だった。

いわゆる「普通」の子たち。

知能と自己肯定感は決して比例するものでもないとわかったのもその時だったし、色んな形で競争原理が働く中でそして色んな枠組みの中で、周りと歩を合わせつつも自分のことのバランスを取ることの難しさみたいなのも見え隠れしていた。

年齢的に色々悩む時期も重なっていたにしても、どこか危うさがあったり、自分というものと対友達・対社会とどう付き合うか試行錯誤していたり、それは人間の成長の上で当たり前のプロセスかもだけど、それを上手く外に出す場所がないのかな…と感じた子はけっこういた。

それまでは状況そのものが過激だったから、ある意味問題も不具合も外に見える形で出ていた。

だけど、塾に行って驚いたのは、普通枠だからこそのやり場のない想いとか気持ちとか、きちんとすることへの違和感とか、そういうのが見え隠れしていたことだった。

これが保護者懇談になるともっとその部分が露呈していた。

一般社会の中できちんとしているのに、見えないところでは大人たちも色んなことと対峙したり戦ったりしてるんだというのをひしひしと感じた。

勉強のことと子どものエピソード程度で終わる家ももちろんあったけれど、そういう家は少なくて、ビックリするようなエピソード満載の話もたくさんあった。

正解のない人生の問題集と言わんばかりのことたちが次から次へと飛び交う感じだった。

そこを見た時に、初めて「一般的な人たちの方がもしかして本人さえも気付かない形で生きづらいのかもしれないな…」と感じた。

それはその後、派遣に行ったり、コーチングのスクールに通ったり、一般人の方たちから話を聞いたりしていく中でますますそう感じた。

枠の中である特定の役割とかある特定の結果とか在り方とか、そういうものが求められる。

それは生きていたら当たり前にあるものだから、そこを否定するつもりはない。

だけど、そちらを優先するばかりに自分の中にある素直な気持ちとかひねくれた気持ちとか、もしくは外には出さない自分の顔とか、そういうものが居場所を失くすとキツイのかな…と感じる。

30歳以前の世界は、特殊な世界ゆえ「問題ありき」みたいな視点でいつもいたから、当事者たちもその認識だけはしっかりしていることが多かった。

30歳以降の一般社会は、「普通」だと思いながら日常が営まれていて、私から見ていると「実は苦しいよね?」と思ってもそれさえもこちらからは言いにくい、当事者たちも自分の苦しさやちょっとした問題は些末なことと捉えている傾向が強い感じを受けた。

普通に生活が送れているから本人たちも「大したことない」ぐらいに思っていても、実はすごい深いよね…と感じるものがある。



ここから先は少し過激な話をする。

過激に聞こえてもデマとかではないから、私が見ているもの・知っているものを少し話したい。

これから社会のシステムやこれまで当たり前とされてきた社会的な価値観は完全崩壊に向かっていく。

ホロスコープでその相ははっきりと出ている。

崩壊する理由は、崩壊して新しい時代を、もっと個人個人がそのままでいられる世界に移行していくために起きる。

それもはっきりと出ている。

でも、それはいきなり今日寝て明日起きたらそうなるわけじゃない。

そこに移行するまでは何年単位か知らないけれど相当な時間がかかるし、その移行期間、要は破壊期間は世の中は超混沌とするし混乱を極める。

これは遠い世界の話ではなくて、今もすでにその中に徐々に入っていってるし、さらに近未来ではもっと誰の目にも明らかにわかる形で起こる話で、今ギリギリ旧体質的なものが成り立つことの方が不思議なぐらいだと感じる。

良い変化もあって、今は良いこと・人のためになることは、ものすごい速さで実現する。

それこそ驚いたのが、先に書いた4年生の女の子が亡くなってしまった事件の後日談。

国の命令で全国の児童相談所を中心に、所在不明の児童とか、見守りが必要とされる児童が一斉に調べられて、そしてあっという間に全国で100人超えてたと思うけれど、施設入所になったり児童相談所一時保護になった。

厚労省と文科省がたしか協力して、児童の安全を確保する何かしらの決まりだったかガイドラインだったかを出した。

私が現場にいた10年以上前には考えられない、異例のスピードで対応が為されている。

ちなみに昨日のニュースで、女の子が父親から暴力を受けたと告白したアンケートを父親に渡してしまったとずっと問題視されてた野田市の対応に関して、野田市の管理職の人たちの降格や停職数ヶ月が決定したことが出ていた。

1人の子どもの命がこれだけの物事を動かしている。

亡くなった命はもう戻ってこないけれども、小さな女の子が命と引き換えに残したメッセージは、国をも動かす力があって、そしてその動きが他の100人以上もの子どもたちの命を救うことになった。

今の天体配置をよく表してることだと感じる。

ダメなものには容赦なくメスが入る。

だから一度は崩れる。

だけど、その後に良くするための新しいものが創成される。

この破壊と再生のプロセスは、これから益々強まるし、来年2020年は今年以上、そして2023年あたりまでは何だかんだとその傾向が続くと思う、天体配置からいくと。

これは何も国レベルだけじゃなくて、組織や個人レベルでもすでに起こっている。

友達の勤めている団体は、昭和みたいな体質のところだと常々言っているけれど、この話をした時に「それってもしかして…」と言って教えてくれたことがある。

不正行為に近いようなことがこれまで普通に横行していたけれども、それができないやり方が採用されたことと、どう漏れたのか知らないけれど監査が入って是正勧告が出たと言っていた。

こんなこと初めてだと話してた。

個人レベルだと、合わないものはとことんそぎ落としされるし、本当に必要なものしか残らないようにますますなっていく。

そんな風にして、全く新しい時代に移行しようとしている今、色んなことは目まぐるしく変わるし、破壊と再生のプロセスは継続して徹底的に働く。



これだけ情報が蔓延している世の中で、情報が信用できないということが世の中に広く知れ渡る時が来るのも近いと思う。

冬のある日、ニュースの中で2日後に東京で雪が降るかどうかが取り上げられていた。

ワイドショーとニュースがセットになってるような番組だった。

司会の人が気象予報士の人に「これは『降る』ってはっきり言えないんですか?みんなが知りたいのはそこだと思うんです」と問いかけていた。

記憶が曖昧だけど、その前に東京で雪がそこそこ降った時に、JRはじめ私鉄が電車をある時間以降全て運休して大混乱を招いたから、それに備えるためにも降る降らないを予測できないのかと言っていた。

気象予報士の人は「できない」と答えていた。

私が驚いたのは、こんなに技術が発達して、システムとかで色んなシミュレーションを行えて、人間以上に計算や予測の速いテクノロジーを駆使して色んな方向から予測を立てても、2日後とかの雪は予想できないんだということ。

自然には勝てないなとも思ったけれど、それ以上にこのニュースが伝えてくれてるメッセージはもっと大きいものだった。

【外からの情報ではなくて、自分で判断する力、自分で感じて考える力をつけなさい】

そういうメッセージが向けられてると私は思った。

色々便利になるのは良いけれど、あれは人間本来の力を同時に奪うものでもあると思う。

考えなくてもワンタッチで情報が入る今の時代は、情報との付き合い方が本当に大切だと思う。

だけどそんなことは普通に教えられる教科ではないし、みんな各自が自分の感覚でするものになっている。

雪程度なんて言ったら怒られるかもしれないけれど、雪が降る降らないはその時だけで終わってくれる。

だけど、社会システムが崩壊する時はその時だけのことじゃない。

ずっとしばらくは続く。

その時は、もう情報はあてにならない。

もちろん私が今ここに書いていることだって、「情報」でそれが絶対なんてことはない。

少なくとも私は天体の運行状況を見て話しているけれども、そして自分だけでは心もとないから占術家たちのブログなんかも読むけれども、とにかくもう「個の時代」に入るのは天体がそうだから確定している。

その混沌としたこれからの何年かは、信じられるのはもしくは大切なのは自分の感覚なんだ、という考え方が台頭してくる、と私は思っている。

そうしたことと、この『奇跡の果実』シリーズは不思議な感じだけど、私からすると連動している。

特に2月の終わりぐらいから、このシリーズの書く内容の方向性が変わってきたのは感じている。

今ごろ本当はシリーズは終わっている予定だった。

本当はギフテッドのAくんとお母さんである長年お世話になっているSさんの話を書いた後は、おじいちゃんとやりとりしたことで受け取ったメッセージを紹介することと、2月の初めにアップした『⑧覚醒』を拡散して集まった色んな人たちの人生の物語を紹介して終わりにする予定でいた。

そのようにノートにも書いているし、それ以外の予定なんて頭になかった。

だけど、3月は本来の目的からは大幅に外れていることばかりが情報や体験として来た。

実は私は自分の個人的な話を『奇跡の果実』に含んでいいのかわからなかったから、最低でも3月に入ってからアップした分は全部ペンジュラムに『奇跡の果実』に含むかどうかを聞いてからアップしていた。

しかも、傷を癒すとか自分を知るとか、そんなのどう関係するの?と思っていた。

でも今終わりに近づいてきてわかってきた。

1月におじいちゃんの霊魂が出てきた時に、家族向けに1つ本当に託されたメッセージが出てきた。

それは、家族だけというよりも、今生きているみんなに向けられたようなメッセージだった。

たださすがにそれはご家族向けのメッセージだから、公表はできない。

だけど、私はそこで聞いたことをこのシリーズの最後にそのメッセージの意図をのせて書く予定でいる。

それができるのは私しかいないのもわかっているし、それがおじいちゃんが伝えてくれた現実に生きる私たちへのメッセージだと思うから。

しかももっとわかりやすい形で話が私のところに集まったから、私はそれをただ書けばいいだけになっている。
(ただ書けばいいだけだけど、情報量が膨大だから数日かかるとは思う)

これは時代の流れも汲んだ話だし、その時代の移り変わりを思う時に特に3月に集中的にアップした私個人の話や見解は、その次の時代に繋がる大切な部分だと私は思っている。

このシリーズを書き始める前に、『メッセージは詳細に宿っている』みたいなガイダンスをカードから受け取った。

だからここまで細分化して書いたわけだけど、今終わりが見えてきて、これは2018年に始まったことだけではなく、これから先の未来に通ずるメッセージが含まれていたんだと今は感じる。

単なる出来事ではなくて、その奥にもしくは全体にある普遍的なメッセージ、そこに辿り着いて発信することが求められていたのかな…なんて思う。

そして私はメッセージのターゲットは、私が30歳以前に関わっていたような特殊な世界ではなくて、世の中の大半の人たちが属する一般社会なんだと思う。

そこが多分一番これからの時代の変遷の影響を受ける層だとも思う。

これは私が感じたことだけど、普通に社会生活を送っている人たちの中でも敏感な人たちはすでに色んなことを感じている。

この1ヶ月〜1ヶ月半くらいの中で8人の人から質問を受けた。

個人的な質問だけど、みんな共通しているのは、自分の生き方だったり自分の感じ方に関する質問だった。

本当に天体の流れと連動している。

気付きの内容に関しては人それぞれだけど、みんなそれぞれ今までの在り方に違和感を感じていたり、自分の感じ方で合っているかどうかの確認みたいなことだったりする。

こんなことは未だかつて私には起こらなかったことだった。

ということはそれだけ目には見えないけれども確実にある部分を感じる人たちが増えてきたということでもあると思う。

つい昨日、朝の5時に目が覚めて、寝ぼけたまま携帯メモに打ち込んだのがこれ↓。

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人には言えない見せられない自分
そういう部分と向き合う
だから、人の生と死というのは、もしかしたらそういう意味かもしれない。
普段は死んだようにひっそりとしている本当の自分、そこの再生を図る時に、人は必ず誰かの後押しとか賛同がいるんだと思う。なぜなら1人じゃ心細いから。そんな自分を出して大丈夫?ってなるから。それはこれまで出したことのない自分で、その自分が受け入れられた体験を一度として持ってないことが多いから、余計と怖い。
その時に、そこに私は居合わせるんだと思う。おそらくそれが自分の星回り的なものなんだと思ってる。(←鑑定の先生と講座の先生の両名から言われた)
私ができることは、その時にその話をただただ、うん、うんと聞くことだと思っている。そのままのその人をそれで大丈夫と言葉でも言葉でない何かでも伝える努力をするだけと思う。

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そして、ちょうどこのタイミングで今年の占星術講座のお知らせが来た。

去年みたいに7回もなくて2回だけの講座になる。

習うのは、過去から未来にまたがる天体の読み解き方。

特に未来の読み解き方は、これまでの我流ではなくきちんとした読み解き方を習ってくるから、それがこれから必要なんだと思う。

最終回の時に先生が、次は何にしようかな…とぼやいていたことを覚えている。

ちなみに、過去から未来にまたがる天体の読み解き方は、記憶が違わなければ、先生はあまり乗り気じゃなかった。

情報が膨大過ぎるから、それを講座でするのは大変だと言われてた気がする。

だから他のテーマで講座を組むような、そんなお話をされてた。

だけど、それが来た。

しかも、今回の講座は去年の初級講座を受講した人たち限定で案内が出されているから、もし私が去年受けなければ機会さえもらえなかった。

1時間おきぐらいにキャンセルが出ないかと携帯を睨んでいた時間が懐かしい。

そう、私は本当は満員御礼で申込できなかったのに、奇跡的にキャンセルが出て、それで受けられるようになった。

私に必要なものだったから、空きが出たと私は思っている。

そして今年は過去から未来にまたがる天体の読み解き方がテーマ。

2018年ではなく2019年の今年だから、それがすごく時代の流れとマッチしてるにおいがプンプンする。

「今」知る必要があって、やってきた機会だと感じる。



私の中でもまだ色んなことが混沌としているけれども、少しずつ自分のすることに輪郭が出てきた。

私が担当するのは、陰陽の陰の部分だと思っている。

みんな誰もがそういうものを持っている。

でも普段はそんなの外に出すことはない。

その陰の部分に対して、私はそれをただそうであることを真っ直ぐに受け止めるだけの器を自分で作ったと思っている。

そして、陰から大切なメッセージに気付くこともできるようになった。

そうやって自分を癒し続けて、それでやっとその器が完成したように思う。

目の前の人が語る話は、もしかしたらその人は1人で死ぬまで抱えていくものだったのかもしれない。

もしくは、自分だけが感じているものだと勘違いして隠し通そうとしたものかもしれない。

そういうものを聞く、聞いて大丈夫だよと伝える、それなんだと思う。

そして、心や自分と向き合うことをひたすら追い求めて早20年近くになったけれど、私は1つだけ法則を見つけた。

冒頭のショウの言葉は、今から15年以上前の言葉になる。

色んなことが目まぐるしく変わって、心理や精神世界の方にも新しい手法や新しい考え方がどんどん入ってきている。

その中でも、心の深いところに響くものは、時代の流れや世の中の発展具合とは関係なしにずっと残り続けている。

そして絶対に古くならない。

いつの時もその言葉は力をくれるし、そして時間や経験を重ねることで、また違った側面も見せてくれる、そういうものなんだと知った。

ゴッホは「100年後の人たちが見た時に、絵の中の人がそこにいるような肖像画を描きたい」そう言い残した、とゴッホ展に行った時に流れていた映像で知った。

私が色々集めまくっている言葉たちもそれに近い想いがある。

どんなに時間が経っても人の心に響いて、力だったり勇気だったりやさしさだったり感動だったり、そういうものを感じる言葉を集めて綴りたいと思っている。

ショウの放った言葉は、100年後の人たちの心にも勇気や希望を与えてくれるものだと思う。

未来永劫、人から人に引き継がれていく言葉として生き続けるだろうと思う。






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