[写真]
1枚目:『奇跡の果実』シリーズが生まれる部屋の風景
(写ってない部分はカオス( ̄∀ ̄;))
2枚目:私がいつも見ている世界に1つだけの絵や書(左側2枚を除く)
左より
>藤城清治 氏『生きるよろこび』
>藤城清治 氏『月光の響』
>私の話を聞いて、そこからその話からイメージした絵と詩を描いてもらったもの
(don cajon 氏)
私の船よ
風の吹くとおり
進んでいけ
私のマストよ
小さな風を
感じていけ
>私の目を見て出てきたメッセージを書で書いてもらったもの
(稲葉尊治 氏)
絶対的な意志の強さは、
使命と共に、
生き続けます。
納得を追求して、
自分の心の人生を。
>当時74歳ぐらいのおじいちゃんが描いた菜の花の絵。その方は、小さな町工場を経営されてて、引退後、工場を工房に生まれ変わらせて、自分の大好きな絵を描きまくって過ごしていた。
去年の秋ぐらいに亡くなられたことを新聞で知った。
>ドミニカ共和国で出会った、旧ソビエト連邦のどこかの国の出身のきれいな女性の陶芸の作品。裏にメッセージが書いてあるけれど、解読できないのが残念。
>ドミニカに渡る前、社会人1年目からずっとお世話になった先生の旦那様から書いて贈ってもらった書。旦那様は書家の方。
「翔
夢を追ってはばたく」
3枚目:『奇跡の果実* Lesson5 傷を癒す』に出てきたノートの中身。
34歳最後の日から、毎年誕生日前後に1年ごとの振り返りをして書いたりするんだけど。38歳はオサボリしたようで、「38歳の軌跡」と題して、一言「〇〇〇〇さんに出逢えたこと♡♡」しか書いてないという…( ̄∀ ̄)。
〇〇〇〇さんは、今回の話の最後の方に登場。
>>>1月27日
Aくんから連絡が来た時、正直驚いた。
連絡くれるのは全く構わないし、英作文も添削の手伝いが必要ならする。
そういうことではなくて、「Aくんから連絡が来る、しかもしばらくはまたやりとりをする、そのこと自体がどうして今のこのタイミングで起こっているのか?」、それが気になった。
今年は、年明けから山で行方不明になったままの方の霊魂が登場されたことで、未だかつて体験したことのないゾーンに身を置くことになった。
私は霊感がないからさっぱりわからなかったけれど、霊視ができるヒーラーのOさんのおかげでその方の存在を知って、そしてそこからは摩訶不思議なことがどんどんやってきた。
相変わらず家にほとんどいる生活=人にはあまり会わなくなる中で、Aくんから連絡が来たことには本当に驚いた。
今日3/9現在は当時のエネルギーとは違う感じだけど、あの時は本当に「繋がる人たちとしか繋がらない」というエネルギーがMAXに強かった。
当然そんなことは知らないAくんが私に連絡してきた。
今年3回目となる英作文の添削を今回も引き受けた。
これまでの2年と今年の大きな違いは、今回ははっきり言って私は添削する必要がなかったこと。
東大の過去問の直しをするのに10分もあれば終わるというのは、Aくんみたいな子だから有り得るんであって、普通の人ならない。
1年ブランクがあるにも関わらず、Aくんは全くブランクを感じさせない英語力を発揮していた←こういうところが凡人とは違う。
だからやったはやったけれども、どう考えてもそれが必要でAくんと私とがこのタイミングで繋がったとは一切思わなかった。
むしろ、もっと別の意図があってこうして繋がっているだろうと思った。
しかも、私から連絡したのではなくAくんから来たから、より一層何かもっともっと別の意図があるんだろうと。
話が先に飛ぶけれど、前回の記事『奇跡の果実(20)天からの贈り物を預かったお母さん』に関しても、まさかこのタイミングまで引き延ばしになるとは思わなかった。
もっと早くにアップしたかったけれど、どんどん別の出来事が浮上してくるから、それで気付けばこのタイミングまでに引き延ばされた。
これも意味があるんだろうなぁとはずっと思ってた。
まだ100%のしっくり感はないけれど、少なくともこういう理由で延びたんだろうなぁというのがあるから、先にそれを1つ紹介したい。
>>>3月8日
Sさんから、私と個人セッションみたいなことをした後の変化を聞いた。
セッションをする前とした後で、自分の中の罪悪感やAくんに対しての後ろめたさが消えて、自分の本当にやりたいこと・本気で向き合いたいことに向くことができるようになれたかを最初に質問した。
Sさんはこんな風に答えてくれた。
「あの時にもうそこにこだわり続けなくていいとわかって、これまでずっと持ってきたAに対して感じていた罪悪感とかを手放して、そこにエネルギーのスペースができたんだよね。
それまでは子どもに向けていたエネルギーを今度は自分に向けられるようになったの。
今回のことでわかったの。
親子だから、Aとの間のこと、もう2人の子どもたちとの間のことには【答え】がない。親子となると自分以外のことだから、終わりがないんだよね。これは死ぬまで続いていくテーマだからね。
でも、昔Aが小さい頃に私がやってしまったこと、それに対して“終わり”を今回決められたの。もう、ここまでがんばったんだからいいなって、終わりにしていいなって。
ようやく終わりが決まったんだよね。
対家族は『こうなったらいい』が究極ないんだよね。
だってお互いに生きていたら色々あるし、家族ゆえ、何かしら関わりは否が応でも出てきてしまう。それはこれからも多分変わらないでしょうね。
でもたとえそうであっても、私は私で自分の人生を生きていいんだって、今に向かっていいんだってわかったの。
埋められないからこそ、それはそれで良かったんだって、ようやく腑に落ちたの」
Sさんは言葉を続けた。
「Aに対しても、私は今はあの5歳の頃から今に至るまで負い目があって良かったと思っているの。
負い目があったから、あの子にはあの子の自由にさせよう、私がガンガンと関わるんじゃなくてそっと見守っていこう、そう思ってここまで来たの。
負い目がなかったら、私のことだからズケズケとあの子の人生に入っていって、とんでもない過ちを犯したかもしれない。
負い目があったから過干渉にならなくて済んで、こういう関わり方をすることになって。
あの子の人生や性格を考えたら、過干渉になっちゃいかんかったんだよね。『見守る』というスタイルが、あの子にはピッタリでそして必要だった、それが今ならよくわかる」
Sさんはそんな風に話してくれた。
2日前の3月6日、天王星が夕方18時台に牡羊座から牡牛座に移動した。
そしてそれから約6時間後の7日の夜中の1時過ぎに魚座の新月を迎えた。
この辺りで自分の人生のテーマとか魂からのメッセージを受け取る人が多いとされていた。
気付くレベルはそれぞれだけど、スコーンと抜けるぐらいの状態になった人も多かれ少なかれいると思う。
(私はひたすら具合悪くしただけで、そんなスコーンな気付きはなかった( ̄∀ ̄;))
そのタイミングで、Sさんは前世療法の中でも特に心惹かれて仕方ない活用法に行き着いた。
前世療法を受けに行くにあたり、場所の確認をしようと思って地図や位置の情報を探していた最中だったとのこと。
とあるサイトか何かがヒットして見てみたら、前世療法は前世療法でもすごい具体的な活用法だった。
それはSさんから見ても私から見ても、色んな人たちが確実に必要とするものだった。
その内容にSさんはこのタイミングで行き着いた。
Sさんが前世療法にこだわり続ける理由がある。
もちろんそれ以上にもっと大きな意図が裏側で働いているとは思うけれども、Sさん側の体験としてSさんが前世療法について言われることがある。
Sさんが前世にこだわるのは、興味関心が単にあるからじゃない。
Sさん自身が前世を知ってとても楽になれたこと、そして今世だけでは完結しようと思っても無理がある問題に自分自身もだし他の人たちもだけれど、直面したからだった。
Sさんほど色んな出来事を人生で体験している人を私は他に知らない。
それだけ人生にものすごくヘビーで重大なテーマを掲げて生まれてきた人だと思う。
Sさんは、現実的にもスピリチュアル的にも色んな手段・方法で数々の問題を解決してきた。
だけど、それをある程度極めるところまで来ても、それでも今尚まだ未解決というか未完了感が残り続けているものがある。
その未完了の部分でSさんが最終的に「これだ!」と感じられたのが前世療法だった。
Sさんは言う。
「魂の記憶というのは、それを持ってどうかなるというよりも、魂が覚えていて魂レベルでわかること、それなんだよね」
魂の記憶を知ったからと言って、いきなりその瞬間から人生バラ色になるとか、いきなり人生が変化するとか、そういうことじゃない。
だけど、それを知ることで深いところで自分自身がわかったり自分の人生の流れやテーマを理解できるようになる。
普通の気付きと比べた時に、魂レベルで気付いたことは全然深さが違う。
Sさんが本当に大事にしているところは、そこだった。
魂の願い、魂の意図、そこを知ってより良く人生を生きること。
すごい強引なまとめ方だけど、SさんがAくんの子育ての中でずっと抱いていた罪悪感を手放したことによって、Sさんは自分の人生にその分のエネルギーを向けられるようになった。
そして、そこに向き続けた中で、Sさんはとうとう自分の人生にとって本筋となりそうな予感のするものを手にした、この数日の間で。
これはSさんと私がセッションをした節分前には一切わからなかった未来であって、今いる地点に辿り着くにはやっぱりあの不要な罪悪感というエネルギーを終わりにする必要があった。
「お金」というたった一言のヒントが、Sさんの20年近く抱え込んできた罪悪感を手放し、そこからさらにSさんは自分の人生に向き合うための自分側の状態を整えたことによって、自分の魂の願いを聞き届けるところに今いる。
自分を生きるために、自分の魂の願いに沿って残りの人生を生きるために、今Sさんは一生懸命自分と向き合っている。
ーーーつぶやき・予告ーーー
今これを書いているのは、3月10日、30代最後の日。
一番下の『タイトルのウラ話』はおおよそ書き終えている。
ここから先が、私がAくんとSさんと関わらせてもらって気付いたこと、強いては自分の人生においてとても大切な気付きに繋がっていく。
(わかるように、3月10日今これから書く分は『☆☆☆サブタイトル☆☆☆』という風にします)
ただ、頭の中で書き方がまとまらないから、今回は出たままにそれぞれ完結スタイルで書き出すことにした。
書き方の構成案を待ってたらいつまでも終わらないから…( ̄∀ ̄)。
タイトルは最終的にどうなるか知らないけれども(今現在の有力候補は『30代の自分からの贈り物』)、とにかくこの色んなことから私が気付いたこと・感じたことを書いていく。
かなり読みにくいかと思いますが、良かったらお付き合いください。
私なりの変なこだわりで「30代のうちに書き終えてしまいたい」から、その願いだけは自分のために叶えようと思う。
☆☆☆『執着』という名の愛の形☆☆☆
SさんがAくんが5歳の頃、どんな時もニコニコ笑顔でいるAくんを泣かせたくなって色々意地悪をした。
そのことをSさんはつい最近までずっとずっと引きずっていた。
その話を聞いて1ヶ月ぐらいした頃、私のノートにはこんな風にメモが書かれていた。
「SさんがAくんに対してここまで執着する理由」と題して、5行ほどのメモが書かれている。
・相手を大切に想う気持ちが溢れている。
・その想いが、たとえSさんにとって罪悪感とか、罪悪感に対してますます執着するとかいうものであっても、裏を返せば「愛」だということ。
要は、罪悪感でも後ろめたさでも、大元は「愛」から派生したもので、それらも「愛の形」の1つであること。
・AくんはSさんにとって本当に大事だからこそ、その罪悪感も後ろめたさもSさんは大切にされていた。
・愛をずっと注がれてきた彼は、そのお母さんの愛を感じていたんだと思う。
だからあのやさしさが表現できる。
そして今書きながら私の中から出てきたこと。
こんなの私の勝手な予測だけど、もしかして…と思ったこと。
SさんがAくんを泣かせたくなった、その気持ちの裏側にあったもの。
もしかしたらSさんは、色々意地悪してAくんのことを見ていたのかもしれない。
Aくんの泣き顔を見たかったとは言葉では私にそう言っていたけれども、Sさんが本当に求めていたもの…。
それは、泣かせようとしてしまう母親だけど、Aはそれでも母さんの味方でいてくれるの?母さんを好きでいてくれるの?、というような確認行為だったのかもしれないなぁと思う。
こんな私でもAのお母さんでいさせてくれるの?
こんな私でも愛されるの?
Aはこんな私でも愛してくれるの?
なんとなくそういう言葉が今書いてて思い浮かんできた。
違えば違ったで、Sさんならこれを読んで「ぶっしーちゃん、あれどういうこと?私全然納得できないんだけど」とか何とか言ってくると思う 笑。
だから、あえて書いちゃえ!と思って書いた。
☆☆☆怖さを乗り越える☆☆☆
・Aくんに『ギフテッド』と伝えること
・頼まれてもいないAくんへの『癒しのレシピ』を書いて送ること
・前世療法に興味があると言うSさんの背中を押すこと
・「Sさんはやりたいやりたくないに関わらず、見えない世界のお役目を残りの人生でやっていかなければいけない人」だと、Sさんに直接言うこと
・「お金」をテーマにSさんにセッションをしますと提案すること
上に箇条書きしたことは、この1ヶ月ほどでやったことだけど、実は私にとってどれもこれもものすごく怖いことだった。
どれもやりたい!どころか、やりたくないことばかりだった。
私は元々、自分のことは自分以外には理解できないとか、自分の人生は自分しか生きられないという考え方が根強くて、それは裏を返せば、自分以外の誰かのこともその人以外には理解できないし、その人の人生はその人しか生きられないという考え方に行き着く。
そして第三者である自分が他人のことをとやかく言える立場にないし、他人の人生に深入りするというかお節介を焼くなんて言語道断だと思っていた。
海部舞さんの著書『神々の星』の中に書いている私の持っている天体の1つの特徴がまさにドンピシャで、さっきさらりと読んで驚いた。
(以下引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・他者に深入りしてはいけないというタブー意識
・自分を発揮することや人前に出る、そういったことにタブー意識
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この上の2つを私はとても強く持っている。
特に上のものは、本当に強烈な苦手意識がある。
そこに加えて、私は「聞かれない限り何も言わない」というスタイルを基本的に貫いている。
色々気付いても、相手との関係性や相手の私への心の開き具合を見て、言う言わないを長いこと判断していた。
それは言って嫌な思いも色々したからだし、言っても通じなかったこともあれば、言って余計なお世話だとかそのようなことも言われたりした。
Aくんはまだしも、Sさんみたいに年上で人生経験豊富な人たちに何か物申すなんて、自分の立場もわきまえずバカじゃないかとさえ思ってる節もあった。
ところが、色んなことが起こるにつれ、傍観者にばかり徹していられる状況ではなくなり、言わなきゃいけない場面が増えてきた。
しかも私が立ち会う場面は、圧倒的にその人の人生の中でも相当大事な局面であることが多い。
AくんとSさんに関わらせてもらって、ごちゃごちゃと考えてる暇もなく、遠慮してる場合でもなく、「やらなきゃいけない」という状況の方が近かった。
実際にやってみて、やって良かったと思うと同時に、「やらない選択はなしだった」ことにも気付かされた。
Sさんの例を見たらわかる。
もしあの時私が「『お金』のことを私が指摘するなんてとんでもなく傲慢だわ」とか思って、せっかくSさんの側からヒントが私の方に来ているのに、それを無視したとするなら今あるSさんの状況は多分起こらなかったんじゃないかと思う。
最初の方で紹介したSさんが『子どもに向けていたエネルギーを自分に向けられるようになった』という変化は、私が出し惜しみすることで起こらなかった可能性も多分にある。
AくんSさん親子とのやりとりは、2人にとっても必要だったことだけれど、私にとっても私が私の怖れを克服するために必要なことだった。
☆☆☆自分を出し惜しみしない☆☆☆
上の話に関連して、自分を出し惜しみしないことの大切さも学んだ。
これはこれからもっともっと学ばないといけないと思う。
Sさんの例を見てみる。
Sさんにセッションを持ちかける前、私には2つの選択肢があった。
・私のような立場の人間が他人様の人生に口を出すなんておこがましいから、黙って見守る(=自分の持っているものを出し惜しみする)。
・Sさんの潜在意識側からヒントをもらっているから、私がどう思われるとかは脇に置いて、とりあえずSさんに伝える(=自分の持っているものを相手に差し出す)。
2つを比べるとわかる。
前者の方がどう考えても相手にとってマイナスになる。
仮におこがましくても、相手からヒントをキャッチしてしまった以上は、私が口を開かなければ、永遠に相手には伝わらない。
ここも1つ自分の中で大きく変わった点だけど、 相手にどう思われるかよりも伝えるべきことを伝えることが何よりも優先されるようになった。
「相手のために」という私なりの視点を持って、それに沿って結論を出している。
相手が私をどう思うかよりも、本当に大切なものを真っ直ぐに伝える、それが何よりも大事だと今は思っている。
そして、そのために自分を出し惜しみしてる場合じゃないんだと今は思っている。
とにかく自分がキャッチしたものは出す。
それは相手のために必要な行為なんだと今は思えるようになった。
そしてそれは、私が絶対にやらなきゃいけないことだと思っている。
☆☆☆自分側の覚悟を決めた☆☆☆
以前の私は、「聞かれない限り言わない」スタンスの人だった。
聞かれてもいないこと、例えば今回ならAくんが「ギフテッド」だの、Aくんの癒しのレシピだの、そんなのは1つとして頼まれていない。
だけど、私の中で1つだけ変わった部分がある。
相手の潜在意識や魂からもたらされた情報に関しては、たとえ相手から一切頼まれていなくても、それを言う言わないは私は決められない。
決められないというよりも、決めてはいけないと思っている。
キャッチした時点で、相手の人が聞く聞かないを決める権利はあっても、私側が言う言わないを決めちゃダメだと思っている。
なぜなら、それは相手の情報だから。
言うなら、目に見えない形で私の元に相手宛の郵便物が紛れ込んだみたいなもので、その郵便物を私が勝手に処分したり届けるのが面倒だからと言って放置していいものじゃない。
どういう仕組みなのかはわからないけれども、とにかく相手側から私に向けて何かしらその人に向けての大切なヒントがやってくる。
その時は「伝える」以外に私には選択肢がない。
その部分の自覚と認識が私の中にはっきりと出てきた。
そして、AくんとSさんとのやりとりを通して、私の中で「やる、これからもやっていく」覚悟が本当に決まった。
☆☆☆自分の才能・資質を認めた☆☆☆
これはすごいハードルが高かった。
これは私の固定観念だったけれども、そうやって他の人たちからその人自身のガイダンスを受け取る時というのは、「瞑想して、精神統一して、そこで他の声や天啓みたいなのが浮かび上がるまで待って…」という手順を勝手に思い浮かべてた。
少なくとも、私に私向けにガイダンスを下ろしてくれた数々の方たちや、公開ガイダンスセッションみたいな時は、みんなそんな風だった。
目を閉じて何かと繋がってとか、目を閉じて私の手を触ってとか、目は開けていても私の自筆の署名とか物を見てとか、とにかく各自が独特のスタイルでそういうことを為されていたから、そういうのが普通なんだと思っていた。
私のは全く違う。
話してる最中、もしくはメールやLINEがくるとそれを読んでいる最中に、普通にやってくる。
目も閉じないし、瞑想なんてするわけもないし、違う声が聞こえるとかいうのとも違う。
「ケーキ食べたいなぁ。どこのケーキを買おうかな?」とか考える時に何かしら思い浮かぶ、あの感じに近い。
計測すればまた違うのかもしれないけれども、私本人としては相手からのメッセージをキャッチしている時も、反対にそういう行為に全く関わっていない時も、私は全く同じテンションでいる。
なんなら自分の具合が悪くてもキャッチする。
だから、私はこの1年近く前まで、相手から何かをキャッチしている体質そのものに全く気付いていなかった。
1年前に突然その体質になったのではなく、前からそうだったけれども、そういう体質だと気付いたのが1年前だった。
だからいつからそうなのかは正直わからない。
私はそもそもそういうことが自然にできていたわけで、何も特別なことではなかった。
ここに来て色々特別感というか専門性が増したのは、私がキャッチしているものが相手の人生にとても強く影響することと、その情報が私を介して本人の元へ戻されると本人が何かしらの変化を体験することがわかったから。
そういう役割を帯びた自分の資質なんだと、私自身がこの1年をかけてようやく認めることができた。
それは別の言い方をすると、私が私自身から逃げなくなった、ということ。
☆☆☆才能は自分しか受け取れない☆☆☆
☆☆☆活かし方も自分しか知らない☆☆☆
☆☆☆才能を育てられるのも自分しかいない☆☆
元々本人に備わっている資質や才能は、その人に備わっているものだから、当然本人しか受け取れない。
言葉通りではあるけれど、そもそも自分の資質を受け取るというのはとても難しい。
まずは、自分の資質に気付くまで、私の場合はものすごくたくさんの下準備をしなければいけなかった。
具体的に何をしたかは今度別記事で詳細を書こうとは思っているけれど(←私的にはすごく使えるし、各自がそれぞれ応用して使える手法だと思う)、一言で言えば、受け取るための器を用意した。
「一言で言えば」そうなるけれど、実際にやる手順はものすごく多い。
私は足掛け10年というところ。
受け取るとわかるけれども、その活かし方は自分で試行錯誤を繰り返しながら探っていくしかない。
私はこの辺りはまだまだこれからもっとしていかないといけないことだと思っている。
さらに、自分の資質や才能を育てられるのは自分しかいない。
これは自分の身に起きて、やっとわかった。
この三点セットはまだこの1年で始めたことばかりだから、そういうことを始めたことでようやく自分のことを他の人たちのニーズに合わせて使えるようになってきた。
この辺りはとりあえず後日のLessonにて詳細を。
今は、資質を
1受け取る
2活かす
3育てる
ということを自分がしないことにはどうにもならないことはわかった。
それは私だけじゃなくて、誰しもがそうだと思う。
先にもっと知りたい人がいるかもだから、ざっくりとヒントを。
「自己受容」「自己対話」「自己肯定」
この3つは資質・才能に関しては、絶対的に必要なもの。
それらをすることが、才能や資質を受け取る器を広げる手助けになる。
そして朗報は、時間はかかるものの、何せゆっくりとしか基礎固めは進まないだけあって、非常に頑丈で強固な器が出来上がる。
だからちょっとやそっとじゃ壊れない器を自分のために用意して、その器で自分のことを受け取っていける。
☆☆☆Aくんへのメッセンジャー☆☆☆
今回のタイミングでAくんに「ギフテッド」だと知らせることができたのは、私自身がそもそもそういう沢山の準備期間や精査期間を経て、ようやく今できるようになったからだった。
>2016年度の受験の時(初回)
この時はAくんの英語力の底上げがテーマだったから、ひたすら英語の添削に明け暮れた。
Aくんの資質だの私の資質だの、そんなのは全く気付いていない状態だった。
(東大入試の傾向すら把握できないぐらいに、とにかく来た英作文の添削に必死だった)
>2017年度の受験の時(2回目)
1年前に比べて楽にはなったけれども、依然として大変は大変だった。
それにプラスして、私はオルゴナイト(持ち主専用のお守り)の代理購入を頼まれて、そちらに忙しくて、他のことに目を向ける余裕は皆無だった。
プラス、毎週のごとくやってくる大寒波に、日々の通勤も毎日往復3時間コースみたいな感じでぐったりとしていた。
だからAくんの内面に切り込むような話は一切しなかった。
>2018年度の受験の時(3回目&今回)
今年の添削は各回10分程度で終わるという、はっきり言って私は要らないレベルだった。
そして今年は、「癒しのレシピ」を作る時間的余裕があったのも本当だけど、それ以上に私自身が自分のメッセンジャーとしての役割や自分の資質を理解し始めた頃だから、それでようやく私側の準備が整った。
それでようやくAくんに私はAくんの資質、多分だけど本人から情報がもたらされたものを伝えることができた。
☆☆☆陽の意図を持つ☆☆☆
Aくんに伝える時もSさんに話を切り出す時も、これが他の人の癒しのレシピや話を聞いて出てきたことを伝える時も、私が絶対に守っていることがある。
それは、相手が良くなることのみにフォーカスして、何かを伝えること。
相手にとって良いと思うものを渡す。
決して相手を落としたり惑わせたりするものは渡さない。
必要な混乱とかであれば別だけど、それだって陰陽の「陽」側の意図を持って伝える。
とにかく、「その人にとって本当に良いか」というところだけは、いつもしつこいぐらいに自分に尋ねてから、相手からやってきたメッセージを伝えるようにしている。
☆☆☆相手の力を信じる☆☆☆
相手が今身を置いているのが、どんなにマイナスな状況の時も、全てなかったことにしたい時も、もう何もかもが嫌になってしまう時も、私はとにかく相手の力を信じる。
強烈なこととか、相手を傷つけたりするかもしれないこと、そういうものが情報としてやってくる時。
私自身が自分を信じられない時がある。
だけど、私の特技として、自分が怪しくてもなぜか相手の力は信じられる。
私はAくんとSさん2人とやりとりしてみて、2人のことを心底信じている自分、全く疑いを持たずに真っ直ぐに相手を信じることができる自分というものに気付いた。
これは、自己疑心の強い私には、それをカバーできるほどの素晴らしい才能で、相手の力をとことん信じられるというのはものすごく心強い。
これは今後ますます強くなっていく力だと思っているし、今後も大事に育てたい力。
☆☆☆自分の資質を大切に扱える☆☆☆
私が自分の資質を大切に扱える1番の理由は、私の資質は常に他者と関わるから。
それも他者のとても大切な部分に関わるものだから。
相手の人の潜在意識や魂から情報やヒント、ガイダンスをキャッチする時。
キャッチするのはいいけれど、その後本人に伝える時、私はいつも怖い。
たとえ良い内容に見えても、それでも怖い。
それは相手にとって本当に必要なのかどうかがわからないとか、相手の人生に踏み込んでいいのかとか、まぁとにかく色んな理由で怖い。
あと常々、自分は相手からの情報だと思っているけれど、その中に自分の考えや価値観が紛れ込んでないかも相当見ている。
キャッチする内容によっては、自分の意見なんじゃないかと思うものもある。
(ペンジュラムで伝える伝えないは、すべて逐一確認する)
でも、私はこの怖さは悪くないと思っている。
この怖さがあるおかげで慎重になれるし、1つ1つを大切に扱える。
そして、自分の資質がダイレクトに相手に渡るものだとわかっているから、大切に扱うだけじゃなく、大切にこれからも育もうと思える。
この訳の分からない資質に関して、最初は本当に嫌だったし、積極的に育みたいだの持ちたいだのと全く思えなかった。
だけど、これが人の人生に直で関わってくるものだと知ってから、怖いけれども大切にしようとものすごく前向きに取り扱おうとする自分が出てきた。
これから先も傲慢になることなく、自分の資質に、そして資質を通して他の人たちに、真摯に向き合える自分でいたいと思っている。
☆☆☆自分が39年間かけて得たもの☆☆☆
10日のうちにアップしたいから、ここはサクッと。(後日、もっとガッツリと書く予定)
私がAくんとSさんと関わって、その合間合間にも色んな人たちとやりとりして、そしてさらに自分自身のこれまでのことを振り返って感じていること。
私が関わるものは、答えのないものだけど、人生で大切なものだということ。
そして何か不具合があっても、これから先も続いていく人生に対して、少しでも心地良く、自分と一致させて生きていけるか、そこが私にとっては大切な部分になっている。
それは関わる相手にとっても、その部分を大切にできるような関わり合いをしたいと思っている。
そんな風に思った時、そのための土台作りを私はこの39年間でやってきたんだなと感じる。
色々未熟だしまだまだかなり荒削りではあるけれど、それでももうそういう自分を外に向かって出してもいいなぁと思えるところまで来た。
そういう自分で生きていく覚悟みたいなのもできつつあるし、その覚悟に至るまで色んなものを私は積み重ねてそして自分の色んなことを受け取ってきた自負がある。
この世で自分ほど取り扱い辛い人も他にいなかったけれども(←多分みんなそう)、その自分と手を取り合って生きていく覚悟ができてきた。
この辺りはもっともっと深く書きたいところだけれど、今はあと40分ほどで日付が変わるから、とりあえずここでおしまい。
▷タイトル裏話
あさって11日に40歳になる。
1年前の3月10日、Sさんから電話をもらった。
8日の日、23時過ぎにSさんから着信があった。
私は出られなかった。
「報告あります。」
とLINEに書かれてきた。
23時過ぎにわざわざ電話してまでも伝えなきゃいけないことは、1つしか思い当たることがなかった。
Sさんは普段そんなこと、というよりこれまでの付き合いでそんな時間に突然電話してきたことなんか一度もない。
だからわかってしまった。
翌日9日は都合がつかなくて、それで38歳最後の日に電話できることになった。
「ぶっしーちゃん、やっぱりそうでした」
これがどこまで本当で嘘なのかはSさんも私もわからない。
でも話はこうだった。
Sさんの知人の方で、特殊な任務を遂行することを選んできた人生(魂)なのかどうかを調べられる人がいる。
名前と生年月日を伝えて調べてもらうらしい。
Sさんは何か私の人生を決めてしまうようなものを言うことは基本的にしない。
だけど、その時は「多分ぶっしーちゃんもそんな気がする」とボソッと言ったような気がする。
私も冗談半分で調べてくださいと言った。
さすがに本人の了解なくしては調べられないから、それでひとまず私の了解が必要だった。
それも何週間か間が空いていたから忘れてた。
でも「報告あります」の一言で、ただ事じゃないのはわかったし、なんとなく予想がついた。
そうなんだろう、と。
案の定そうだったと言われた。
そしてそちらのミッションに関わった場合、今生が人間として最後の人生になることも伝えられた。
私はあまり驚かなかった。
それはそんなことになるうんと前。
秋だった。
2017年の秋。
異動でいなくなった当時の職場の上司が私にとって只者ではないと気付きだしたのが、その人がいなくなる1週間か10日前ぐらいだった。
当時は渦中過ぎてそして日々無視されまくることに本当に凹みまくっていたから、なんか何も考えられない感じだったけれども、それでも情報を調べれば調べるほどあまりにも色んなことがその通り過ぎて絶句ものだった。
そこにも書かれていた。
本当にその上司と私とが魂的にこれ以上ない結びつきの強い関係であるなら、人間として生きるのは今生が最後であること。
だけど私なんかは基本何でも疑いまくりだから、それもスルーしてた。
だけど、その人がいなくなって2回目ぐらいの週末の時。
夕刻時、突然車を運転している最中に出てきた。
「私、多分今世が最後だ…」
これは何の根拠もないし、本当にとんだ勘違いかもしれない。
いや、その可能性が大いに高い。
だけど、あの日、「最後だ」と思った感覚は今もずっと覚えている。
その時の感覚だけで1記事書けそうだから細かくは書かないけれど、私はその時色んなことが一気にものすごい強烈な感覚でやってきた。
目に映る景色は常に一期一会であるけれど、その一期一会にもう二度と会えないという感覚や、今日出会った誰かとはもう次の人生がない私にとっては最後なんだろう…という感覚、ものすごく強くてそして感じたことないぐらいに色んなことが寂しくなって私は車の中で1人号泣してた。
の割に、その後も色々不具合があると、「人生そんなに大変なの困るから。もうそういう痛みとかやめてください」と思ったりして、そしてメンタル的に辛いと布団に逃げ込む癖も相変わらずで、だからあの日のことば幻だったんじゃないかと思うことも多々ある。
普段はそんなこと忘れているけれど、時折ふと出てくる。
この1年はすったもんだ祭りのごとく、色んなことが怒涛のように起こった。
そしてここに書いたように、私の能力的なものもよりはっきりとしてきたし、そしてそれがはっきりすればするほど起こってくる出来事ももっとはっきりとした形のものが増えた。
もう止まらないし、何か違う次元の磁場みたいなのが働き出してるのはなんとなくわかる。
天体の配置から未来を見る方法まで知れば(起こることは予測できないけれど流れはある程度読める)、よくわからない自分と何かを繋ぐ回路みたいなのは開くし。
あくまでリアルなのが大事だから、あまりおかしなことは言わないように気をつけてはいるけれども( ̄∀ ̄)。
今世が最後でもおかしくない、それぐらいに半分人間界・もう半分は見えない世界みたいなところにいる感覚がある。
それは今年の年明けに、山で行方不明になったおじいちゃんの霊魂が私の前に現れたことによって(←私は見えないし感じないけれど)、私を取り囲む何かが勝手に変容していったことで生まれた感覚だった。
今世が最後だとかはどうでもいいけれど、もし本当にそうなら、私はもう肉体を持って生まれてくるということがない…。
肉体云々もはっきり言ってどうでもいい。
そんなのはわからないから。
だけど、もし本当にそうだとするなら、私が唯一嫌なのは、会いたい人たちに自分の肉体を持ってもう会えなくなること、会って笑ったり涙流したり一緒にごはん食べたり、そういう今当たり前にできていることができなくなること、ただそれだけ。
そしてその中でも、私がただ1つだけ本気でこだわっていることがある。
それはその上司のこと。
その上司こそが38歳の軌跡として唯一私が挙げた出来事の人。
私がその職場の上司との時間が欲しかったのは、その時は単にその人に興味があるからだとばかり思ってた。
それも否定しないけれども、大元はもっと違ってた。
男友達に相談して、友達のMちゃんが旦那さんに聞いてくれて、そうして男性の意見を聞くと、ごはんに誘う方が良いとなったからごはんに誘ってみたけれども、私の素案はそうではなかった。
その人とまずは個人的に連絡が取れるようになりたかった。
だから私の素案は、連絡先の交換を希望するだけだった。
自分でも、仮に交換できたとして次どうするの?と思ったけれども、この手のことはあまりに不慣れすぎて、どうしていいのかわからなかった。
連絡が取れるようになりたいの奥は、その人と言葉を交わしたかった。
どんな形でも何でもいいから、とにかくその人と交わる何かを私は欲しがった。
それは言葉でなくても良かったのかもしれない。
今ならわかる。
私は連絡先の交換とかごはんに行くとか、形は本当に何でも良かったこと。
私はその人にただただ会いたかっただけだと思う。
それは時空を超えて何か訳の分からない理屈なんかも超えて、本当の本当にやっと会えたねという人だということを、あの時の私は本能的に感じ取ってた。
そりゃ訳の分からない感覚も甚だしかったし、1分1秒の世界で物事はすべてその通りに歯車が狂うことなく動いて、奇跡的に絶対に仕事で絡むことのないその人と私とが小さなやりとりができる機会がいくつか設定されてた。
私がその職場に勤めた全体の期間において、その人が異動した後の時間の方が長かったから、次の長との時間の方が物理的に長かった。
だけど、その人の時みたいなことは1つとして起こらなかった。
ただの一度もその人との間に起こったようなこと、それは一緒に作業することも、資料探しも、電話を受けることも、伝言することも、次の人になった後とにかく一度としてなかった。
普通のことみたいなことばかりだったからこそ、その普通が起こるための条件が山ほど必要だった。
その【普通】が起こらない場所で、いくつものボタンの掛け違いが正確に重なり合うことで、それで初めてその人と私とはやりとりできる瞬間を手にしていた。
一般的に見たら、ペンジュラムで行方不明の人を探して欲しいとか死者の霊魂が現れて家族と繋いで欲しいなんてことの方が異常で特異過ぎるけれど、私からするとその人との間に起こったすべてはそれに匹敵する異常な圧、人知を超えたレベルで起こっていたことがわかる。
私からすると、死者の霊魂が私のところに現れるよりも、その人が私の人生に現れる方が有り得ない確率だった。
そのぐらい、その上司というのは、異次元のレベルで私の人生にものすごい影響を及ぼした人だった。
「だった」という過去形ではなく、今なお影響を及ぼしている。
もし、その人との間に起こったことが1つとしてなければ、私の38歳から39歳の今に至るすべてのことは、何一つ起こらなかったとさえ思う。
その人はいつも爽やかなイケメン風で涼しい顔をしてたけれど、その人こそ本当に底知れぬパワーでただいるだけですごい大きな台風の目みたいな強力な磁場を生み出してた張本人だった。
それぐらいの人だからゆえ、私の中にも強烈に残ったし(しかも最初は猛烈に抵抗してた)、そして今なお色んな形でその人とわかるものをひたすら目にして耳にしている。
運命の輪みたいなもので、私はもうこれだけはわかっている。
その人のことは私がどうこうできるレベルのものではないこと。
そして私の場合、自分の人生で必要なものしかもう本当に起こらないこと。
だから、もう一度会いたいと私側がどんなに願ったところで、魂的にGOなら再会、さもなければもう死ぬまで会うことはない。
そして、死んで本当に肉体を持たないとなれば、その人とお互いに肉体を持って顔を合わせることは、もう私という魂にとっては永遠に機会が失われる、そう私は思いたくないけれどもそうなんだろうなぁと思っている。
私がSさんが言う前世療法に日に日に興味が湧くのは、この人生が人間として生きる人生として本当に最後なら、思い残しをしたくないからだと思う。
その人が私にとっての何だったのか、それを知りたい。
せめて、どうしてその人と出逢ったのか、その人が私にとっての何だったのか、それを確かめたい。
私がその人から見てきれいなお姉さんとかなら私と再会する価値も少しはあるだろうけれど、その人にとって何かプラスを私がもたらすとはとても思えない。
価値を感じない私に会ってくれるとは、普通に考えにくい。
それなら、せめて私は私で肉体がある時に前世療法を受けて、知れるものは知りたい、そう思っている。
自分の人生に込められた想い、繰り返し転生する中でどうしても叶えたいと願って止まないこと、そうしたものを知りたい。
その人が大切なキーを握っている人物だというのは、確信に近い感じでわかってきた。
だから、形としては私が望んだものではないにしても、どんな手段であれ、知れる機会があるのなら生きているうちに知りたい。
自分の中に刻んで余生を送りたい。
その人と出逢えたこと、出逢えたことで私の人生が思わぬ方向にどんどん進んでいくこと、その進む先は私がそもそも私であるということを知っていく生き方であること…。
色んな想いがある。
もし再会できるのであれば、再会したい。
再会できないとあきらめるのではなく、小さくてもあるのならその小さな可能性にすべてを懸けたい。
今日の日中、39歳最後の日+30代最後の日として日記を書いた。
ごちゃごちゃと自分のことばかり書いた後、最後に一番重要なことを書いた。
「30代最後、私の心の中にずっといるのは〇〇〇〇さんだった。」
そこまでのことがわかった時に、このすべてのことは私自身に向けて贈られた贈り物なんだと気付いた。
丸裸に近いぐらい色んなものを失って、それでも今40歳になる直前にそれでも手元に残った色んなものや色んな心ある人たち、そういう人たちやものに支えられての今の自分の命なんだとわかる。
そしてその根底をいつもいつも支えているのは、2年前の夏に私の前に現れた職場の上司だった。
もう二度と会うことがないかもしれない、その人だった。
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