【朽ちても消えない、
枯れてもいつか必ず人の心に芽を出す】
ーーー『吹上奇譚』吉本ばなな より
この文を読んだ瞬間、パッと出てきた。
いつもいるけれど、より一層存在感を表にアピールしてた。
朽ちたり枯れたりしたわけではないけれど、私の心の中のことみたいに見えた。
突然芽が出た。
種を植えた記憶はなかった。
青天の霹靂で、ある日突然芽が出ていた。
そして芽生えてから、私はそれを大切にしている。
花どころか蕾さえもつけそうにもないものだけれど、それでも大切にしている。
「もうこのまま会わないのかな…」
私には距離感がいまいち掴めていない。
普通に考えたら会わない。
バッタリすれ違うこともなければ、待ち合わせる予定もない。
喩えは違うけれど、過去から続いている友達とは、もうこの先どの人も近くに住むことはないと思う。
それでも心の距離は近いし、タイミングが来ればまた再会すると思ってる。
遠くても近い。
それとはだいぶ違うけれど、分類するならその感じに近い。
物理的な距離はどうしてもある。
それでも距離感がわからなくなる時がある。
誰よりも遠いはずなのに、誰よりも近い。
異常なほどに近い。
私は近いうちに何かしらを決断して何かしらはスタートさせる。
まさかこのままずっと今の状態を続けるなんてことはない。
でも私の中に違和感がある。
本当は一番何とかしたいと思っているものなのに、それは無視して、そしてとりあえず社会の形に合わせた何かをする。
キャンプに行こう!と計画したとする。
もちろん、キャンプに行きたくてその計画を練る。
キャンプに行くのに、テントやそれに付随する荷物を1つも持たない代わりに、パソコンや電子辞書を持って行く、それぐらいおかしなことに私の目には時々映る。
どちらが代用品で、どちらが本物かわからなくなる。
もしこれが仕事に行く!なら、パソコンや電子辞書という意味合いはわかる。
でもキャンプに行こうとしている。
そう、本当の目的(キャンプ)を無視して、全く関係のないもの(パソコン)を持ち込もうとしている。
だから違和感が生まれる。
そこで私は意味を勝手に湾曲させて、関係のないものが意味あるものとなるように、「キャンプ場に仕事に行く」というおかしなことをしようとしている。
喩えがおかしいのはわかっている。
でもそれぐらいに私の中では未消化で、本当は一番欲しいもののくせして欲しいって言えないから、それ言っても叶わないって思い込んでるから、わざと違うものを選ぼうとしている。
すごい近くにいる。
いつでも手を伸ばせば届きそうなぐらいに近くにいる。
そんなに近いのに、そこは無視して、なかったことにして、何か別のものを人生に足そうとしている。
でもなくなるわけでも消えるわけでもないから、本当はわかっているのに、わかってないかのごとく自分の毎日を作ろうとしている。
ただ近くにいたい。
それだけのことなのに、それは叶わないみたいだから、望んでいるのかいないのかすらもわからない何かを当てはめようとしている。
考えずにアップしよう。
半分目を閉じながらまどろみながら書いた。
途中までは昨晩夜寝る前に、そして「もうこのまま…」からは今朝のまどろみの中で書いた。
心は嘘をつけない、そういう領域の話だから、このままアップしてしまう。
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