5日間限定のアルバイトは終わった。
初日に旅するように動いて、そして最終日にはおばさん夫妻との楽しい時間があった。
途中、自分の中の感情を癒す体験もすれば、数々の面白い場面にも遭遇した。
ペンジュラムが伝え続けていた「お金以外の理由」もわかった。
小さな実験をするためのヒントは、3日目の休憩中にツタヤに行って、そこで読んだ本の中に書いてあった。
ヒントを元に、その日の夜、自分なりにアレンジして実験をやった。
その日のツタヤも急遽決まった。
本当はその日は別の場所を回る予定でいて、休憩場所も違うところを予定していた。
ところが雨が午前中降った関係で、予定を大幅に変更させた。
(任されたものは、期限内に配ればどういう順で回るかは私が勝手に決めて良かった)
そのおかげで行けることになったツタヤで、そしてそのツタヤには本来読もうと思っていた本がなくて、同じ著者の方の別の本を読むことで最終的にヒントを手にした。
そういう不思議な流れに運ばれて起こったことだった。
10台近い同じ車種の車を立て続けに見たのは4日目だった。
ゼンリンの地図1枚分、しかもその日配ったのは半径1キロ圏内のようなところで、その中で立て続けに10台近く見かけた。
普通に運転してても1台見かける方が珍しいのに、どうしたら10台も全く違うところで見かけるのか、不思議でならなかった。
どんなに見かけても見飽きることもなかったから、ラッキーがまた重なった!、とおめでたいぐらいに1人で喜んでた。
バイト初日の2日前に事務所に地図やチラシを取りに行った。
地図は全部で20枚近くはあったと思う。
仕事のやり方を説明してもらった時に、その中の1枚の地図を例にとって見せられた。
そこに小さな実験に繋がる人のフルネームから一を引くと全く同じ漢字の並びになる名前を見つけた。
それを見て、多分この仕事大丈夫だなぁと感じた。
今振り返ってみれば、それが「絶対に大丈夫!」のサインだったと思う。
だって、説明の時にたまたまその地図で説明されて、そして当然多くの世帯主の名前が地図には刻まれているけれど、その中でピンポイントでその名前を見つけるなんて、どれだけの確率だろうと思う。
しかもたまたま目安になるような道の角の家だったから、全体を見回さなくても瞬時に名前が目に入ってくる位置にあった。
チラシ配りの仕事も怪しくないかかなり心配していたけれど、事務所の雰囲気がすごく良かった。
そこで働いている人たち1人1人を大切にしていることがすぐにわかった。
建物は古い倉庫を改装して使っていたけれど、私の中で見た事務所や会社の中で1位か2位に入るぐらいにきれいに整えられていた。
掃除も整理整頓もバッチリで、それを保てるだけの余裕がきちんとある会社だとわかった。
そして何よりも今回のチラシは、国の管轄下にある某機関の配り物だったことも大きかった。
ポスティング業界では全国一の実績を誇るとか言っていて、私はその説明を最初聞いた時に「本当に⁉︎」と失礼ながらも思ったけれども、納得した。
その国の管轄下にある機関が依頼するぐらいだから、きちんとしているというのは事務所に実際に行ってみてわかった。
名古屋での派遣会社登録の際、かなりな数のオフィスに行ったことで、会社のカラーや雰囲気を見る目が少しは育った。
それもあって、今回の仕事の会社がきちんとしているのは中に入って納得した。
・社会見学
・小旅行
・ウォーキングダイエット
・心の癒しワーク
そんなことたちを兼ね備えた仕事だった。
あと、仕事中、100羽以上の蝶々たちを見かけた。
色んな蝶々たちを見てそれも癒された。
天気も実は5日間中3日は絶対に雨の予報で他の2日もくもり時々雨になったりならなかったりで、何なら当日でさえも雨予報だったにも関わらず、本当に雨が降ったのは3日目の午前の1時間半ほどだけだった。
そこは移動の時間と、そしてオートロックマンションの分に当てて、おかげでほとんど濡れなかった。
他はくもりか晴れだった。
天気にも恵まれた。
最後の最後まで無事故で無事に終われたことは本当に嬉しかった。
実は私は1つすごく心配してたことがあった。
元々気の進まないことをしようとしてたのは百も承知で引き受けてた。
ペンジュラムはYESを出してくれていたけれど、これが実際の体験として吉と出るか凶と出るかはやってみないとわからなかった。
そして私が何よりも心配していたのは事故やケガだった。
ホロスコープを中途半端にかじったばかりに、私の中である1つの定説が出てきた。
「強制終了」
自分の本来の道と外れると強制終了がかかる。
それはホロスコープを勉強する前から自分でも何となく気付いていて、ホロスコープを勉強してからは、それが私の人生でそもそも起こりやすいことだと知った。
自分の意思とかは関係なくて、あり得ない形で終わりを迎えたりする。
だから、進んではいけないのに進もうとした場合、予測もつかない形で強制終了がかかる。
今回のチラシ配りは、気が進まないまま選んでいたから、これで事故とかケガとか起きたらシャレにならないと思っていた。
それに付け加えて、今天体の流れ全体が合わないものに関しては強制終了を促すような配置になっていて、方向が違うと強制力が働く、と色んな占星術家が言っている。
元々の性質に現在の天体の配置もそうとなれば、本当に私は無事でいられるんだろうかとアホみたいに心配していた。
今回は、何かしら理由があってやる、というのが始める前には当然何も見えていなかったから、本当に大丈夫かな?とかなり心配した。
だから今回の件は一か八かみたいなところがあった。
そして実際に、最終日家に帰ってくるまで全てが滞りなく進んだ時、心底ホッとした。
いよいよ何かしらを選んでいく時期に差し掛かっているにも関わらず、私の方はぐずぐずしている。
(正直、これもぐずぐずして正解なのか、はたまたさっさと動くが正解なのかもわからない)
動いてはいけない時、私の場合、体の具合が悪くなるとか、どうしてもやりたくない気持ちが強く出てくるとか、はたまた動いても最終的にやらない方向に物事が流れたりする。
そしてこれから先についても、とりあえず何をするとかいうことよりも、私の場合はそのすることが人生で必要かそうでないかで判断されて動く動かないが決定されてくような気がしてならない。
そして、必要なことは今回みたいにスムーズに進むだろうと思えるようになった。
無駄にビビらなくて大丈夫、自分の人生の流れを信じて大丈夫だというのは、体験を通じて感じられた。
(ちなみにそれでもまだ超絶ビビりまくっているけれども…)
ちなみにそれは自分の意思がないということではなく、自分の意思だけではどうにもならないことがあるということと、そしてそのどうにもならないとかどうにかなるということに関しては、私の個人の力ははっきり言って及ばない。
あともう1つ、ヒントがきた。
これは4日目の休憩でのこと。
自転車乗りの練習をしている女の子とお父さんに会った。
本当は3日目同様ツタヤに行こうかと思っていたけれど、さすがに体が疲れて本当にゆっくりしたくなって、車を止めた駐車場でそのまま過ごした。
そこは大学の敷地内で、だだっ広い駐車場とちょっとしたたくさん木のある公園のような感じになっている。
私が止めたところは、敷地内でもかなり隅っこの方で、祝日だったその日はほとんど車が止まっていなかった。
そこに、三姉妹とお父さんがやってきた。
双子のように見える上2人は、ローラースケートの練習をしていた。
下の年長ぐらいの子だけ、補助輪なしの自転車に乗る練習をお父さんとマンツーマンでしていた。
最初はお父さんが後ろについて自転車をしっかり抑えていた。
そしていつの間にか女の子は1人で自転車に乗れるようになっていた。
それを見て、今の私がまずすることが何かわかった。
「決める」ということ。
自転車乗りの練習をした女の子もまるで練習開始から始まってる風だけど、実際は、
自転車に乗れるようになりたい
(気持ち・願望 )
↓
自転車の練習をしよう
(決断)
↓
自転車の練習をする
(選択・行動)
↓
自転車に乗れるようになった
(結果)
となっている。
今の私は、最初の気持ちの部分がブレすぎていて、当然そうなるとその後もドミノ倒しのごとく倒れていくわけで、だからその子を見ていて自分のすることがわかった。
いきなりデカイ選択をするにはまだ気持ちが全くついていってないから、とりあえず確実に選択できて行動に移せるものから1つずつやっていってる。
例えば、「今後私側のストーリーを書く」というのは、気持ちと行動が一致しているから、今後スムーズに動いていくだろうと思っている。
今の私にとって、この自分の気持ちと行動を一致させるのってめちゃくちゃ大事で、それが1つでもあると心強い。
自分が動く時の自信になるし、不安が減ってくれる。
そういうヒントをくれた自転車乗りの女の子だった。
そしてもう1つ。
私の中で、あんなに強制終了にビビってるくせして、これだけは大丈夫と言えるものがある。
自分の気持ちと行動が一致していてその気持ちのまま動いて、それで結果が自分の望んだものとは真逆のものが来たとする。
その時は、もうたとえ納得いかなくても仕方ないとあきらめがつく。
例えばこれから先、自分側のストーリーを書くことをして、それが何にもならなかったとしても、それはそれで仕方ないと思える。
気持ちと行動が一致している時の私は、そうした覚悟をきちんと持てる。
だからある意味結果が気にならないし、気にせずに動ける。
この気持ち、大事にしたいなと思っている。
【エピローグ】
何日か前のブログで、河川敷の公園で「空」と書いてくうちゃんというワンコとおじいちゃんに公園で会ったことを書いた。
その日は、このバイトの道具を取りに事務所に初めて行った日の帰りの話だった。
くうちゃんを触れたのは、さくらがいたからだった。
さくらに初めて会ったのは2012年の春先だった。
とてもお世話になっているSさんが飼っていて、Sさんの家に遊びに行く前からさくらの存在は知っていた。
Sさんは、「さくらほどビビリの犬は他にいないから、絶対に大丈夫!」と私に教えてくれてた。
もし私が会って私の方がダメなら、さくらはケージに入れるから安心してと言われていた。
極度の犬恐怖症の私は半信半疑でSさんの家に初めて遊びに行った。
言われた通り、さくらは極度の怖がりで、私が部屋に入った瞬間後ずさりしていた。
その後すぐに懐いて、それ以降いつも私の周りをしっぽ振って大喜びで駆け回って、ベタベタしたり抱っこしたり何回か一緒に寝たりもした。
さくらと出逢わなければ、私は多分今も犬が苦手なままだったと思う。
だから大型犬手前の大きさのくうちゃんに触るなんていうのは、さくらに出逢っておとなしい犬もいると知っていたから、そしてくうちゃんにも同じにおいを感じたから、だから恐る恐るくうちゃんに近寄って触れた。
そしてこれを書く途中、Sさんと電話で話した。
なんとさくらは膀胱付近に11個もの石があって、緊急手術で一命を取り留めたとのこと。
これがあと少し遅かったら、命がなかったと思うとのことだった。
Sさんはしみじみと言った。
今まで何度も何度もその言葉を聞いてわかっていたつもりでいたけれど、本当はわかっていなかった。
今回さくらのことがあって、本当にわかるようになった。
人が近くの人たちに冷たくできるのは、明日もあると信じて疑わないからだってある音声で聞いたとのこと。
でも本当はそうじゃない。
「今日と同じ明日が来るとは限らない」
その意味がやっとやっとわかった、と教えてくれた。
まるで明日も今日と同じ日がくるみたいに感じても実はそうじゃない、だから今しかないんだということ、明日ももしかしたら来るかもしれないけれど、その明日はないかもしれない、やっとその本当の意味が今回初めてわかった。
Sさんはそう言った。
バイトは終わったけれど、最後の締めはさくらとSさんの話だった。
くうちゃんに出逢ったのもまるで偶然のようだったけれど、そもそもくうちゃんにはこのバイトのことがないと絶対に出逢えなかったワンコだった。
そして、くうちゃんに触るにはさくらなしでは不可能な話だった。
そして、実は私が働いていた頃、さくらは生死をかけた大手術を受けていた。
そして、最後の最後にSさんから「今日と同じ明日が来るとは限らない」と実体験と共に教えてもらった。
見えないところでも全部繋がっていた。
バイトの方がむしろついでで、それ以外の部分の方が何十倍もの意味があって、たくさんのメッセージを私に届けてくれた。
ペンジュラムのYESは本当だった。
お金ではない理由で行くという意味が、今すべて終わって初めて俯瞰できた。
【9月21日…最終日から3日経過して】
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