雪も台風も梅雨も熱帯夜もある。
雲も雷も月も星もある。
雨もよりどりみどりたくさん種類がある。
小雨、ぱらぱら雨、ゲリラ豪雨、暴風雨、天気雨…。
天気雨だと虹も出る。
何が言いたかったかと言えば、全部あるということ。
1年と少し前から私の心の空模様は、常にその全種類を兼ね備えている。
その日その瞬間の天気はその時になってみないとわからない。
真夏の猛暑日並みの暑さを持ったかと思えば、その後24時間もしないうちに大寒波到来なんてこともざらだった。
一喜一憂とは上手い言い方で、本当に喜びと憂いが一瞬一瞬を通り過ぎていった。
秋がきて、冬がきて、春がきて、夏がきて、そしてまた秋がきた。
色んなものはずい分と様変わりした。
様変わりはしたけれど、その天気の種類はずっと変わらずにある。
もしかしたらもっと細かく種類が分かれたかもしれない。
本物の空にあるものたちを構成する材料が何かは知らない。
だけど、私の心の空模様の構成材料は全部同じで、単に出方の種類が色々あるだけ。
だから、猛暑のようなギラギラ太陽も、大雪も、虹も、みんな同じ材料から生まれている。
ある時から構成材料は不在になってしまった。
普通は材料がなければ物は生まれない。
パンの材料である小麦粉がなかったら、パンは作れない。
だけど、私の心の空模様は違ってた。
構成材料はずっと不在のままだけれど、あの天気の種類は不在のままでも作れるようで、相変わらず空模様はにぎやかになっている。
本当は構成材料さんに話しかけたい。
「元気ですか?」って。
「忙しいですか?」って。
「定位置に戻ってきてくれませんか?」って。
「待ってます」って。
この数日長く長く感じた。
自分に禁じたことは、思いの外自分にこたえた。
心に駐在してるのに、それを出さないってキツイんだと知った。
今まで自由すぎたからそのキツさは知らなかった。
季節がいくつも巡る中で、私なりの楽しみの見つけ方とか感動ポイントとかは色々発見した。
感動もした。
人間関係の中で感動したこともある。
生きてる毎日の中で空模様の構成材料さんとは接点がなくなった。
その接点のなさは、どんなにたくさんの感動で満たされても、究極のところは全く満たされることはなかった。
追いかけてもダメ。
迫ってもダメ。
じゃあということで、爆弾を仕掛けてみた。
仕掛けたけれど、それが私のしたいことではなかった。
爆弾を置いて注意を引きたかった。
しいては構成材料さんの声が私の元に来ないかと望みを持った。
99.9%起こらない方ではなく、私は0.1%の奇跡が起きることを静かに祈った。
今も現在進行形で祈ってる。
心の空模様の構成材料さんと交流できないかと祈っているし待っている。
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