いつこれが読まれるのかわからないけれど、とりあえず予告。
今日15日の22時からすること。
この予告を書いたら、準備にすぐ取りかかる。
その人の好きなところを挙げる。
具体的に挙げる。
その前に、いつ思い出しても明るく穏やかな気持ちにさせてもらえる時間をいくつか思い出す。
その状態のまま、その人の好きなところを挙げる。
今度は受け入れ難いことを挙げていく。
その両方を挙げ尽くしたら、それを全部受け止める。
受け入れ難いことは、当時は受け入れ難くても、今は見え方が変わっていて、それもあってのその人だなぁと感じてる。
受け入れ難い部分とは真逆の性質だったら良かった!ということじゃない。
そうした部分も全部、全部ひっくるめて、その人が成り立っている。
どの部分が欠けててもダメで、むしろそこがあってこそのその人なんだと思っている。
とにかくそのすべてを自分の中で抱きかかえるようにする。
そこまで用意してから、仰向けに寝て、心臓近くの胸のあたりに手と手を重ねて温める。
温めたものをその人に送るようなイメージで22時から時間を迎えてみる。
今回はヒーリングとは違うけれども、遠隔ヒーリングというのがある。
私も最初「そんなのあり得ない!」と頑なに否定していたし、やってもみないうちから「そんなの嘘だ」と疑いまくってた。
だけど、それらを実際に受けてみて、今は考え方が変わった。
携帯電話の電波みたいなものだと思う。
見えないけれど、携帯をAさんにかけたら繋がるように、お互いの波がカチッとハマるとお互いの間のライン・線が繋がる仕組み。
あんな風なんだと思う。
だから距離があっても伝わるものは伝わるし、繋がるものは繋がる。
例えば、相手が出れなかったり受信拒否したとしても、そもそも私側から流してるものはそのままだから、なくなるわけじゃない。
というのが、私の考え。
何で今日なのか、何で今なのかは知らないけれど、試したくなったのが今日だから、今日これからする。
今朝ねぼけながらもそんなことをそもそも企画した時、私はやり方は完全に我流でするつもりでいた。
それがよくできたもので、私は今日予定にもなかったTSUTAYAに寄ってそこで少し時間を過ごすことになった。
時間は限られていて、先日ちょっと読んで良かった本の続きを読もうかと思ってた。
ところが同じ本がなくて、同じ著者の別の本を読むことにした。
そうしたらそこにやり方のヒントとなる手順が書かれていた!
それは自分自身にするものだけれど、人に対しても応用の効くものだろうから、それを私なりにアレンジして今日はやってみる。
ちなみにもう一つの本には書かれてないもの。
それがあれば、今日手にした本は絶対に手に取らなかったから、よくできたものだなぁと感心しきりだった。
完全に私の自己満足だけれど、それでその人にも何かしら温かいものが届いたら嬉しいなぁと思う。
出して減るもんじゃないし、相手が受取拒否してもいいものだし、そもそも本当にそんなこと可能なのかそれはやってみなきゃわからないけれど、とても楽しそうだからやってみる。
相手は何にも感じない可能性の方が高いだろうとも思っている。
でもそれで何か届いたらそれ面白いじゃん!とも思っている。
ちなみにこれ、相手のためより私のためにやっている。
自分がそれで心を満たされることを知っているから、相手に届く届かないはどちらでも良くて(欲を言えば伝わって欲しい)、むしろそのプロセスを体験することに一番大切なことが含まれていると思っている。
ということで、今から準備に取りかかる。
具体的に何分くらいするのかわからないけれど、10分はその状態を続けるんじゃないかなと思う。
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