気持ち良い川風が吹くところで休憩中。
散歩する人しか通らない河川敷公園にいる。
遠くに連なる山と鈴虫の声と目の前を流れる信濃川を1人で貸し切り状態になっている。
遠出をするから、家からクッキーを持ってきて正解。
アイスコーヒーとすいか味のクッキーで優雅に外で風を浴びながらのティータイム。
すいか味のクッキーは、すいか味のアイスの味に似ていた。
大型犬より少し小さい犬を散歩させてるおじいさんが通った。
キラキラしたお目目のワンちゃんと目がものすごく合って、私と見つめ合ったままその場を一歩も動かなくなった。
おじいさんが「こんにちは」と挨拶してくれた。
ワンちゃんはますます私から目を離さない。
犬というか動物全般大の苦手だけれども、このワンちゃんは触れそう!と思った。
そしてワンちゃんも私から触ってもらうのを待ち焦がれてる風だった。
おじいさんに「ワンちゃんを触ってもいいですか?」と聞いたら、「どうぞ、どうぞ!この子、人が大好きですから!」と言われ、恐る恐るワンちゃんに近付いた。
ワンちゃんは「空」と書いてくうちゃんという名前で、11歳のおじいちゃんとのこと。
くうちゃんの首回りや頭を両手でナデナデすると、しっぽをぶんぶんと振っていた。
おじいちゃんも「喜んでる、喜んでる!」と言いながら、ニコニコしてくれた。
くうちゃんは私の足や服をくんくんしたり舐めたりしながら、そのうちお手までしてくれた。
すごい可愛いワンちゃんだった。
人間の男性からよりも圧倒的に犬のオスからモテてる気がしてならない。
くうちゃんは名残惜しそうにいつまでもその場に立ち尽くしていたから、私の方から離れた。
おじいちゃんにリードを引っ張られながら、なんと足が悪いのに、私の方を見ながら後ろ歩きでしばらくは歩いてた。
その後3人の人がくうちゃんとおじいちゃんとすれ違っていたけれど、くうちゃんは2人には全く見向きもせず、1人のおじさんにはおじいちゃんが挨拶したから仕方なくあとから挨拶してる風だった。
挨拶するまでずっとそっぽ向いてた。
どうやら私は熱狂的に気に入ってもらえたらしい。
ここ数年、特に道行くわんこたちから熱い視線が送られてくる。
犬の世界において、私は人気者のオーラでも醸し出してるんだろうか?
くうちゃんとおじいちゃんとの小さな触れ合いは癒しだった。
1年前のちょうど今日、私は1通の手紙を渡した。
無事に渡せるように朝出勤前にお墓に行って、願掛けして、それから仕事に行った。
一瞬誰もいなくなった時間にさっと相手の机の上に置いた。
私は一言声をかけたけれど、相手からは何の返答もなかった。
押し付けてるから仕方ないか…と思いながら、その日1日を過ごした。
翌日、封筒はなくなっていて、持ち帰ったのか捨てたのかは知らないけれど、とりあえず何かしらはしてくれたようでホッとした。
今思うと、あの手紙はその人に宛てたようで、実は自分への手紙だったのかもしれない。
その手紙の行方は今もわからないけれど、あの手紙が何にもならなかったことが今の私に行き着いてる。
私はこの1年何回か思った。
もし何かしらがその人と始まっていたとしたら、私は絶対に今みたいに自分ととことん向き合うなんてことはしなかった。
私にはまず自分のことを何とかする必要があって、でも自分1人だけでは何だかんだと言い訳してきちんと自分とは向き合わなかった。
応答のない手紙に大きく凹んだけれど、それから何がどうなっているのか、色んなことが動き出した。
一番動いて欲しいことは動かないままなのに、何もしてないところが目まぐるしく変化していった。
そうなったことで、私が外野ではなく自分の方を、自分の心の中の方を見つめるための手はずが整った。
そうやって立ち止まったり駆け抜けたりした1年だった。
行きの車の時に、普段通らない旧国道になった道を少しだけ通った。
私が新潟を離れた10年ぐらいの間に、その国道は別の新しい道となって生まれ変わった。
だから、旧国道の方は10数年ぶりに通ったことになる。
ずっと行方がわからなくなっていた雑貨屋を見つけた。
今から13年前の初夏に一度だけ訪れたお店だった。
長らく見かけなかったから、潰れたか私の幻想かと思っていた。
そこは、精神科に行ってうつと診断された時にうつ記念日と称して何かしらを購入したお店だった。
絵ハガキだった気がする。
毎朝目覚めた時に少しでも元気になるようにと、元気が出そうな明るい色の絵の絵ハガキを買ったような記憶が蘇ってきた。
そのお店の看板にあった文字が目に入った。
Good
Life
Feeling
For
You
と店名とは別に書かれていた。
その看板は当時と何ら変わっていなかった。
13年越しに届いたメッセージだった。
そして13年前、無意識ながらもそのメッセージをもらっていたんだなと気付いた。
2001年の9月11日、私は東海岸からロッキー山脈のふもとの自分の住んでた町に向かって長距離バスに乗っていた。
3日間のバス旅の途中だった。
テロは途中の休憩&停車駅のテレビを見て初めて知った。
ザワザワしていて、しかも画面が遠くて音声は私のところまで届かず、最初何かの映画のコマーシャルかと思った。
近くのアメリカ人をつかまえて、どうしたの?と聞いて、初めてそれがテロだとわかった。
世界貿易センターにはあのテロの1週間?2週間?前に行った。
全然興味のない建物で、ここの何が面白くて相手はそんなところに行きたいと言ったのか、全く理解できなかった。
まさかその後にテロが起こるなんて、想像さえしていなかった。
9月末に日本に帰国した際の国際空港の警備の厳重さと言ったらなかった。
空港に入る1キロぐらい手前から、まずはバスの中で空港に入るための検査から始まった。
警察官が車内に入ってきて、乗務員・乗客全員調べて問題なければようやくその地点を通過できる体制が敷かれていた。
空港に着いても、入口入ってすぐにまずはやっと閉めたスーツケースをはじめ、全て手荷物を開けて検査された。
そこをパスしてようやくチケットカウンターに行く、赤外線での手荷物検査をするという有り様だった。
あれから17年が経過した。
当時大学を無事卒業できた私は、その後のことは全く何も決まっていないまま日本に帰ってきた。
海の向こうから、全国の児童養護施設のサイトを片っ端から探して連絡を取っていくつか試験も受けたけれど、どこも不採用だった。
だから動いてはいたけれど、何も決まってはいなかった。
未知ではあったけれども、不思議と怖さはなかった。
濃密な17年だったのは間違いない。
起こったことの全ては、私が卒業した時には1つも想像していないことばかりだった。
すったもんだだらけでも、そして結果が思わしくないものでも、後悔はないなぁと感じている。
選んでやったことも、選びたくなかったことも、そのどちらも今となってはもう二度とは戻らない時間だけに愛おしい。
すっごい大変だったことさえも、全ては何とかなって今があるから、いつもどこかで色んな人たちに支えられての今になっている。
そして今年、私はまた大きくリセットをしているんだと思う。
渦中すぎて、この生き定まらない感じに自分でゲンナリしているけれど、それでも何かに向かってはいる。
その最初のきっかけは、1年前の手紙だと思うし、もっとさかのぼって言うと去年の夏の日々全部だったと思う。
あの日々なくしては、多分今の私にはなっていない。
生きる喜びを知ったことで、日が沈んでもまた朝はきちんと来てくれるプレゼントに日々触れたことで、私の感覚はぐわっと開いた。
生きてる毎日の奇跡に対して、本当に心の奥底から感謝が湧いた。
会えるというただそれだけで、私の毎日はキラキラしてた。
その素晴らしい瞬間瞬間をもらえてた喜びと感謝を伝えられて良かった。
私の重すぎる気持ちはさておいても、そうした瞬間をもらえたこと、生涯を通じてあれが最初で最後なら、伝えられて良かった。
人生と人生が交わるのは一瞬で、色々気付いた時にはもうカウントダウンが始まっていた。
たとえ哀しい結末が最後だったとしても、今でも出逢えて良かったのは変わらない。
その人を知らない人生より、その人を知った人生の方が何倍どころか無量大数倍良かった。
もしタイムマシンがあったなら、私は去年の夏にセットする。
日にちは今日じゃない方がいい。
どの日がいいか頭の中でいくつかのシーンを思い起こした。
段ボール置き場の朝
屋外の日
ファイル探してた午後
の順番で出てきた。
感情は身体中で記憶している。
思い出したら、感極まって涙がボロボロ出てきた。
ドラえもんのタイムマシンとはいかなくても、私も下書きを出して読んでみよう。
1年前の今日に行ってみよう。
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