今回ホロスコープの初級講座を受けるにあたり、基本に立ち返った。
とりあえず小テストがあるから、それに向けて12星座の並びや記号、対となる星座の勉強をした。
この1ヶ月半、色んな角度から自分のホロスコープを眺めた。
その知的探求の楽しさと言ったらなかった。
自分を客観的に眺められるだけじゃなく、自分の思考パターンや性格、強みや弱み、本当に色んな自分と対面させてもらった。
著名な占術家の方が本の中で、20年前に初めて自分のホロスコープを描いたけれど、20年経っても自分のホロスコープを見ると毎回新たな発見があると仰ってた。
感覚的に、自分の過去の日記を読むのが面白いのと同様、私も今から20年後にホロスコープを見たら今とはまた違う発見をするのかと思うとそれもまた1つの楽しみだなと思う。
過去の日記を読むのが面白いと言って、賛同を得られたことは一度もないけれど、私は本当に面白いと感じてる。
その当時の自分がリアルに出てくる。
当時の情景や心情を振り返る。
大部分は忘れていても、ふと何かを思い出したり、今の自分へのヒントになることもある。
ホロスコープの基礎を全く無視してここまで進めてきたけれど、基礎をじっくり学びたいと思ったのは日記に通じてるものがあるのかもしれない。
基礎基本は時に単調でつまらないこともあるけれど、それがないともっと広い世界を覗けないこともある。
小テストに向けて、私は今日ちょっとした図形を描いた。
頭の中で1つ1つがバラバラだったから、それをわかりやすく1つの表のようにした。
それがまとめて見たらすごく面白いことがわかった。
これとこれが繋がるんだ〜とわかるものもあれば、何でこれはこうなるの?という疑問もあった。
例えば、魚座なら、水の星座で柔軟宮と呼ばれる部類に入る。
この場合の宮は、活動宮・固定宮・柔軟宮の3タイプになる。
魚座は活動しまくるイメージもなければ何かに縛られて固定のところで自分を固めるイメージもない。
その時その時の状況に応じて水の中を漂うように柔軟に対応するのは、イメージとして湧きやすい。
ちなみに対極にある乙女座も柔軟宮になる。
私は乙女座は最近自分の中で注目するようになったから、いまいち乙女座のイメージと柔軟という性質が一致しない。
乙女座は完璧にこなす感じがして、むしろ「固定」という感じなのに柔軟。
この辺りの解釈は、講座に参加することで徐々に理解できるようになると思う。
もう1つ、基礎を学ぶメリットがあると思うのは、高度な内容を得るには絶対的に基礎が必要だと感じるから。
英語とスペイン語という2つの言語を学んで使ってみて、それぞれの勉強方法によって得たものが違うから、それがとても参考になっている。
英語は本当の基礎から始めたから、それも徹底的に基礎を叩き込んだから、おかげで今も15年以上使っていなくてもすぐに思い出して使いこなせる。
さらには難しいことはさすがに調べるけれど、基本的なことは頭に入ってるから調べなくてもわかる。
一方のスペイン語は、すぐに現地で現地の人たちとコミュニケーションを取る必要があったから、話す力だけはやたらとすぐに伸びた。
通常言語は、
読み→書き→聞き取り→話す
の順で伸びる。
あくまで英語の例。
そして私の場合。
まずは文章が読めるようになる。
読めるようになると、自分の思ったことを書けるようになる。
読めて書けるようになると、言葉を聞く力も増してくる。
聞いた言葉が、読んだ言葉や書いた言葉と合致してくるから。
そして最後に読み・書き・聞き取りの力を合わせて、自分の言いたいことを話すという方法でコミュニケーションが取れるようになる。
今は話す機会がないけれど、読みや書きなんかは時々頼まれてすることもあるから、それは積み重ねた基礎を引っ張ってくればいいからそれで何とかなってる。
ところがスペイン語はそうはいかない。
話す→聞く→書く→読む
の順で習得したスペイン語は、使っていた当時から読み書きがかなり怪しかった。
それで困ることはなかったから気にならなかったけれど、読み書きが出来てなかった分、今スペイン語を見ても基本は調べないとわからない。
基礎がないと、結局学んでもすぐに忘れる。
これはホロスコープの読み取りにも絶対に言えることだと思った。
高度な内容に行きたい時、基本がわかってないとまずは基本を調べる手間が出てくる。
この1ヶ月半はそれで良かったし、むしろその方法だったからこそ楽しく学べたとも思う。
ただここから先は反対に基礎をじっくり固めつつ進める方が得策な気がしてる。
基礎があれば応用が効く。
その基礎の部分を今このタイミングで学べるのは大きい。
ホロスコープの講座を受けようと思ったもう1つの理由に、どこかのブログでその人が受けようと思った理由に感銘を受けたから。
その方が受けた理由は、「実際に読める人がどうやって読んでいるのかを知ることで、読む時の視点や組み立て方、読み方のセンスがわかる」と言っていた。
実際にそれを肌で感じて、初めてホロスコープの読み方が感覚的にわかったと言われてた。
それにはすごい興味を持った。
私は基礎がなく自分の感覚で知りたいことから読み進めてたから、自分の読み方の良し悪しも、そして欠点もわからない。
その今わからない、変な癖も多分まだついてない状態の時に、ホロスコープの基本的な読み方や見方を学ぶのは、すごく有意義だと思う。
今回の講師の先生からいただいたメールの中にもこのような記述があった。
『基礎は占星術の解釈において、最も大切なものです。』
「最も大切」と言われる先生から教えてもらえるのは本当に本当に光栄なこと。
しかもこの先生、ブログを読む限り、ものすごくしっかりと基礎を固めていて、それをまずは解説してからその後に自分の考えや読み方を書いている。
色んな人たちのブログを読んでいるから、余計とこの先生の細かさやまずは何はともあれ基礎基本から徹底的に読み解く姿勢は際立っている。
これまでまずは意味を知りたがってばかりいた私には、細かな説明が若干邪魔に見えていたけれど(←失礼極まりない)、よくよく考えたらそここそ今の私に必要な部分だと思う。
「太陽は双子座に入りました」などと言われても、「で、何を意味するんでしょ?」っていうのが今の私だから、本当にいろはのいから学ぶのは絶対に良い。
今までの独学は、ホロスコープそのものを楽しむという意味では百点満点だったから、これからはそこにもっと土台となる部分を自分の中に持っていきたいと思う。
そうすると、私のこれまでのハチャメチャな順番での学びも、講座を受けた後もっと意味がわかるようになる気がしている。
【おまけ】
久しぶりの東京。
前回行ったのが12月。
少しだけ近付けると思うと、嬉しい。
たとえ会えなくても近付ける、地理的な距離だけでも近付けるのは、心の中の大切なところをふわっと風が通り過ぎる感覚。
昨日の朝、「すぐ近くの電信柱の工事をするから通行止になる、車を出す時は迂回して欲しい」と家に言いに来たおじさんがいた。
(言い方はもちろんもっと丁寧)
私はそのおじさんの格好に1人で超萌えた。
おじさんは私がよく知ってる制服を着ていた。
その制服を見て、色んな姿が重なった。
腕まくりの感じとか、ズボンにどれだけ服の裾をインするのかとか、適度に緩く適度にきちっとしたその絶妙なバランスとか、それを毎日見てた時の萌えっぷりがありありと浮かんできた。
思わずおじさんに
「●●○○○○の方ですか?」
と読み上げなくてもいい社名まで読み上げて聞いた。
おじさんはニコニコしながら「そうです」と一言言って去って行った。
こんな形で制服を見るとは思わなかった。
一生のうち、その制服を着た人がうちに来て何かを言うなんてことは、多分今回が最初で最後だと思う。
・私がその時間帯家にいること
・その会社が工事を請け負うこと
・工事により通行止が発生すること
・それを伝える人がうちにくること
・その人がその制服を着てること
この全部の条件が揃うことはもうないと思う。
今回の電信柱の入れ替えだって、もしかしたらこの家に引っ越してきた小2の終わり、約30年前から今までの中で初めてかもしれない。
しかもこの1ヶ月ほど何回かに分けて電信柱の電気工事があったけれど、こんな風にその制服を着た人が来たのは今回が初めてだった。
そう言えばいつだったかも電線の入れ替えとかで車の移動を促す人が来たけれど、それは別会社の担当でその人は全く知らない会社の制服を着てた。
だから、よくぞそんなピンポイントでその制服を着た人に出くわしたなと思う。
よく考えたら私はその服を着てる姿しか知らないから、他にはどんな趣味の服を着てるのかは知らない。
だけどあんなにも毎日見飽きることなく見た制服もなかったなと思う。
私自身は制服を着たことがないけれど、過去に勤めたところで制服のある会社はいくつかあった。
興味がないから、今となっては制服がどんなデザインかなんて忘れた。
だけど、その制服だけは目に焼きつく位に覚えているから、そのおじさんの制服を見て私は1人ですごく嬉しくなった。
世の中にはたくさん制服があるけれど、私をこんな風に朝からテンションを上げてくれる制服は他にない。
ホロスコープの講座ももちろんすごい楽しみだけど、ほんの少しだけ近くと言えば近く、少なくとも新潟に比べたら近くに行けるのが、楽しみとは違うけれど、心の中の大切なスペースに大切なものを思い浮かべることができて嬉しい。
ホロスコープじゃなくて、その人と同じ趣味を持ってたら良かったのに。
そうしたら、趣味繋がりで仲良くできただろうなぁと思う。
私東京行くけど、ご飯食べようよとか軽く誘えたかもしれない。
ちなみに仕事で仲良くしてた人から言われた。
私、武士俣さんがそれを趣味にしてないってすぐに気付いちゃいました、と。
あの着信が鳴った時の反応を私はガン見してたので、全く反応しない武士俣さんを見て、趣味じゃないってわかってショックでした、と言われた。
冬のある日、「武士俣さん、これちょっと聞いてください!」と言われて、イヤホンの片方を貸してもらって耳に刺したことがあった。
それ聞いて泣きたくなってしまった。
すぐにそれがあの着信音だとわかった。
そしてその時に初めてあの着信音が何の着信音だったかを教えてもらった。
私がすっとぼけてこの歌いいですね、と言って歌ごとLINEで送ってもらった。
この冬の大寒波で、たかが2、3キロの距離を1時間半もかけて運転しなきゃいけなかった時。
ボコボコのモーグルのようなコブの上を遊覧船のごとく車を運転しなきゃで、相当な気合が必要だった。
その時にふと、その音楽をかけたら元気と気合が出るかもと思って、かなりな回数リピートでかけまくった。
本当に元気と気合が湧いた。
これをアップする頃は、本当に体の距離だけは縮まってる。
目の前で姿を捉えられるわけでもないし、声を近くで耳にするわけでもない。
それでも何百キロが何十キロに縮まるだけでも嬉しい。
完全な自己満足だけど、それでも満足した1日を迎えるのは悪くない。
aitai.
5時50分、夢の国、到着。
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