(かつては)悲しみは、人間がこの世で感じ得るもっとも高貴な営みの一つでした。(10)
手紙はときに、何の前ぶれもなくやってきます。(11)
愛してそして死なれた人は、
愛したことのない人よりも、どんなに幸福かしれない……
18世紀イギリスの詩人 テニスン
自分にとって大切な言葉に出会うとは、見えないお守りを身につけるようなものかもしれない。
それは危機にあるときよみがえってきてぼくらを助けてくれる。(126)
魂はいつも、つながりを求めている。
(139)
幸せを感じた人は、確かに生きているということを、頭で分かるんじゃなくて全身で実感する。(145)
【あとがきより】
人間が、この世に残すことのできる、もっとも貴いものの一つはコトバである。
コトバは生きている。
語られることだけがコトバなのではない。
悲しむ者の横にあって、黙って寄り添う行為は、ときに励ましの言葉をかけるよりもずっと深く、また確実にこころに呼びかける。
沈黙の行いもコトバである。
まなざしすらコトバになるだろう。
書くとは、無形のコトバを文字に刻むことである。
(中略)
受けとる者がいなければ、手紙を書くことはできない。
だが、受けとる相手さえいれば手紙を書くことができる。
自分にとって、真実の意味で生きていると感じられるものに人は、手紙を書き送ることができる。
私たちのこころのなかで生きているものたちに向って手紙を書こう。
人はいつかこの世を去らなくてはならない。
書くとは、必要とする者にコトバを届けることなのである。
書かれた言葉が、真にいのちを帯びるのは読まれたときなのである。
『君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた』
若松 英輔
借りてた図書で、読めなかったから、返す前に斜め読みして目に飛び込んできた言葉だけを拾った。
私は最初の言葉だけを気に入ってその本は借りてきた。
最初以外は、昨日の夜慌ててサラサラっと見て言葉を拾った。
確かに『手紙を書いた』とタイトルにあるけれど、これほどまでに手紙の話をする本だとは思わなかった。
私が拾った言葉は、どれもこれもある1人の人に宛てた手紙にまつわる風景とリンクしていた。
だから、本の中の言葉が単なる言葉じゃなくて、何か別のものを私に伝えようとしてる風に見えた。
手紙を突然渡された時、相手の目にはどんな風に映っていたのかなと思った。
確かに何の前ぶれも相手にはなかっただろう。
私の手元を離れた紙のかたまりは、本当にただのかたまりだったのかもしれない。
自分の言葉ではあっても、書いている間見えない何かに守られていた、今思い出すとそう思う。
あの後からも20通ぐらい、必要に応じて色んな人たちに手紙を書いた。
けど、今振り返るまで忘れてた。
私の書いた手紙は、あの時のあの手紙のまま止まってた。
あんな風に激情を伴って書いてないから、その時ばかりのことがやたらとクローズアップされる。
今だから言える。
本当は知りたかった。
相手がそれを見て読んで何を思ったのか知りたかった。
ふと過去のアンケートを思い出した。
友達の企画するイベントにお手伝いで参加した。
手伝うのは構わなかったし、企画した数人の中に2人友達もいて、2人とも普段からとてもよくしてくれてるから、頼まれた時二つ返事で手伝いを買って出た。
開けて見たらものすごく大変で、手伝いの範疇を超える状況だった。
私の手伝いの部門は別の子が取り仕切っていて、私はとうとう声を荒げて怒った時があった。
私がそこまで誰かに噛み付くのも珍しかった(心の中でたくさん噛み付いても、基本外には出さない)。
イベントが終わって全体で反省会があった時のこと。
その時に次に繋げるためアンケートを書いて欲しいということで、全員にその場でアンケート用紙が配られた。
言いたいことも思ったこともたくさんあったけれど、私は自分の名前以外、全部白紙で出した。
当時の気持ちはもう綺麗さっぱり忘れたけれど(ちなみに今でもその2人の友達とは仲良くしている)、私はものすごく強い意志を持って白紙にした。
これは後日そのうちの1人Cから聞いた話。
もう1人の友達Eちゃんは、私のアンケート用紙を見た瞬間、「ぶっしー、ふざけてる」と言って怒ったらしい。
何で何も書かないのか、そんなの見る価値がないと言って、すぐに次のアンケート用紙に移ろうとしたらしい。
そうしたらCが、それを全力で止めて言ってくれた。
「ねぇ、確かにぶっしーは白紙で出してきたけれど。
それって真っ白であること、わざと何も書かなかったことにぶっしーの意思があると思わない?
こんな風にしてまでぶっしーが何を伝えようとしてきたのか、その意味を考えようよ」
そんなやり取りがあった、と後からCと2人でお酒を飲んだ時に教えてもらった。
アンケートと手紙は全く別物だけれど、今になってあの沈黙の意味を、何も反応がなかったその本当の意味を知りたい、と思った。
「反応しない」という反応が、何を本当は意味してたのかは私にはわからない。
だけど、あそこまでの徹底ぶりは、本当に迷惑万来で嫌でたまらなかったか、そうではない何かがあったのか。
そんなの本人じゃないから私にはわからないけれど、あの沈黙には私にはわからない理由があったことだけは確か。
昨日のブログを書いてた時、思い出してた。
コピー機の前に立ってた時間を。
私は変な癖があって、コピー機でもキャビネットの中の探し物でも、誰かとかち合うのが嫌で、そうなりそうな時は毎回わざとタイミングをずらしてた。
その人はそんなにたくさんコピー機を使うわけでもなかったし、キャビネットの前にも私ほど毎日何回も行き来することはなかった。
だけど、どういうわけか、その人がコピー機を使うタイミングは私の使いたいタイミングとかなりな確率でかち合ってた(だからわざといつもずらした)。
キャビネットについて言えば、いくつもキャビネットがあるにも関わらず、ピンポイントで私が今必要な資料を納めてるキャビネットの前にいたり、場合によってはどっかりと腰を下ろされて探し物までしてる時も何度もあった。
それが1回や2回じゃない。
他の人とはそんなにかち合うことはなかったけれど、その人とは異常なほどの回数でかち合ってた。
何でこうもタイミングが合うかな…と思ったことも何回もある。
タイミングが合ってるのは嬉しいことではあったけれど、毎回葛藤もものすごい生み出してた。
今行けばすごく近くになれるし、「すみません、少しいいですか?」ぐらいの会話も交わせるというのはわかってた。
そうしたい気持ちもあった。
だけど、恥ずかしい方が勝っていて、しかも私の中ではあまり近付いてはいけないみたいな気持ちもあって、私は近寄ろうとしなかった。
だから私は毎回毎回ずらした。
本当は近寄りたいくせして、ずらした。
反対に私がコピー機を占領してる時にその人が自分のコピーした書類を取りに来ることもあった。
私は背中を向けてるから、来る直前まで誰が来てるのかはいつもわからなかった。
そんなのは何回でもなかったけれど、その不意打ちにやって来た時、いつも私はもうこれ以上ないぐらいに心臓がバクバクしてた。
本気で心臓のバクバクする音が外に漏れてんじゃないかと心配になるほどだった。
近くに行きたいのに行くのが恥ずかしかったり怖かったり、反対に不意打ちで近くに来られるとものすごくドキドキしたりして、とにかく毎回色んな気持ちが勝手に湧き上がってた。
あんなに近くにいた日々が幻のように思う時がある。
私は下書きした手紙を今も手元に残してる。
下書きは下書きだけあって、すごく汚い。
付け足したり消したり言葉を変えたりと、かなりグチャグチャになってる。
どこの何の原稿ですか?と言わんばかりの様相になってる。
私はこの手紙を捨てるつもりはない。
返事も何も聞けなかった手紙だけれど、死ぬまで記憶に残るんじゃないかと思うものだから。
記憶というよりも思い出に残る。
手紙を書いた時は、普段の恥ずかしいとか怖いとかその他色んな気持ちを超えて、もっと純粋に真っ直ぐにただただ文字を綴ってた。
伝わらないことだけは避けたかった。
受けとる受け取らないは私が決められなくても、伝える伝えないの部分は私に与えられた選択肢だった。
せめて伝えよう。
もう生涯で今だけ。
それだけは思った。
ものすごい強い衝動だった。
「伝えたい」を超えて「伝えなきゃ」という気持ちだった。
相手の反応を考えるよりも自分の気持ちが前に出過ぎていてどうにも止められなかった。
『書くとは、必要とする者にコトバを届けることなのである。
書かれた言葉が、真にいのちを帯びるのは読まれたときなのである。』
相手が言葉を必要としてた、とは考えにくい。
棚からぼたもちならいいけれど、相手にしたら、不要というか無用というか余計・邪魔なものを勝手に渡された、と思う。
さすがに何も目を通してないとは思わないから、それが名前だけでもいい、
そこに目が通されていのちを帯びたとするなら、御の字だと思う。
読んだのか読まなかったのかはもちろんわからない。
今もわからない。
だけど、私は「読まれる」に賭けた。
自分の衝動も凄かったから、書く必要が少なくとも私にはあった。
手紙を書こうと決めてから実際に書いたものを渡すまで、ペンジュラムにもいくつか質問をした。
私はこの2年間で、ペンジュラムに非常にくだらない質問から自分の人生の大局にかかるような質問まで色々してきた。
そんな中、時々ペンジュラムは神がかり的な答えを見せてくることがある。
神がかり的な答えの時は、もうそうでなければいけない時。
絶対に間違えてはいけない、タイミングも一瞬としてズレてはいけない、そういうものに限定される。
当時も鳥肌モノではあったけれど、あれから半年以上経過した今、ペンジュラムが見せてきた答えは絶対的なものだったことがより一層わかった。
あの時、ペンジュラムは手紙を書く私の背中を押した。
「書かない」と言ったら、猛反対するかのように激しくNOを出してきた。
渡すタイミングもペンジュラムが教えてくれた。
ペンジュラムさん、何言ってんの⁉︎と思うぐらいに絶対にあり得ない日時を指定してきたけれど、実際にペンジュラムの言った通りのタイミングになった。
渡す直前、私はペンジュラムにお願いした、本当に渡して大丈夫なら「大丈夫」ってわかるサインを見せてって。
その日が実質3回目の墓参りだった。
初回が手紙を下書きした日。
2回目が手紙を清書した日。
そして3回目が手紙を渡した日の朝だった。
墓参りの動機は、この手紙と言っても良かった。
もう普通に考えて物事が良い方向に行くとは思えなかったから、私は願掛けのために墓参りを始めた。
3回目の墓参りだった日の朝、墓参りを終えてから職場に向かった。
墓場でもとにかく手紙を無事に渡せるよう、ひたすら祈った。
ペンジュラムは大丈夫と言ってたけれど、私は全く信じてなかった。
そして不安ばかりだった私は「大丈夫ならサインを見せて」とお願いした。
まだ迷ってたところもあったから。
本当に渡すの⁇みたいな気持ちもなかったわけじゃない。
だから、サインを見せてと無茶ぶりなお願いをした。
サインがなければ手紙は取り下げてもいいのかも…と往生際の悪いこともまだ考えていた。
墓をあとにして5分もしない頃、目の前に大きな看板が現れた。
本気で驚いた。
それは本人の苗字が大きく書かれた看板だった。
墓参りに行かなければ、絶対に通らない道だった。
そしてペンジュラムが予告した通り、私はすごい一瞬のタイミングを手にして手紙を渡した、というより一方的に押し付けてきた。
ありえないことばかりが幾つも重なって、そして現実となった。
見事なタイミングに「大丈夫だから、絶対に大丈夫だから」と言わんばかりのサイン。
その他にも細かいことが幾つも幾つも重なっていて、全部を通じて「神がかっていた」。
だから、私はあそこまでの物事の完璧な動きを見て、手紙は「読まれた」と思った。
渡す必要のあった手紙だったんだと思ってる。
もっと言えば、書く必要があった手紙だったんだと思う。
そして、読まれるようになっていたんじゃないかなと思う。
でなければ、あそこまで神がかり的な一連の流れを私が見るわけもない。
多分、私がその人に向けて書く必要があったように、その人もそれを読む必要があったのかもしれない。
今日のタイトルは、今の自分の中から出てきた言葉。
ありふれた言葉でも、その言葉を私が向けてるのは、こんなに広い世の中で1人しかいない。
たったの1人だけ。
今でも届いて欲しいと思っている。
ここまで書く理由は、ただただ届いて欲しいから。
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