小学校や中学校でいじめられた時でもなく、アメリカで学内のカフェテリアで1人でごはんを食べ続けた数ヶ月でもなく、目の前で人と一緒にごはんを食べてる時だった。
あそこはどこだったんだろう。
当時付き合ってた人が転勤した都市だったのか、地元の店だったのかは忘れた。
夜ごはんを食べに行った。
おしゃれな店とかじゃなくて、定食屋風の店だったことは覚えてる。
相手は注文が終わるなり、新聞か雑誌を取りに行って、目の前で読み始めた。
当時遠距離でやっと会えたのに、何なのかと思った。
さすがに私は言った。
せっかく会えたから話そうよ、と。
相手が何と言ったかは覚えてないけれど、その後険悪ムードが立ち上って、私は何でこの人といるんだろうと思った。
この時、2人でいるのに1人ぼっちの時よりも何十倍も寂しくて孤独だと思った。
物理的には一緒にいるのに、一緒にはいない。
その後しばらくして、日曜日の夜9時からのドラマで、熟年離婚をテーマにしたドラマを家で見ていた。
妻の黒木瞳が夫の田村正和に言う。
「1人でいるより2人でいる時の方が寂しいなら一緒にいない方がましよ」
みたいなセリフだった。
私は自分のことかと思った。
結局その人とは、それだけじゃなくてその他諸々もう色んなことが積み重なって別れた。
あの時別れて良かった。
社会人何年目か忘れたけれど、私は当時これから先友達が新たにできるとか、誰かとまた一緒になれるというのは全く想像できなかった。
だから別れるのが怖かった。
人間関係を新しく誰かと築くという以前に出会いそのものがないと思い込んでたから、だから「別れ=これから先の人生においての人間関係の終了」みたいに思ってるところがあった。
予想とは大きく異なり、その人と別れた後から私の人間関係は大きく変化した。
また誰かを好きになれただけじゃなく、多分生涯繋がれそうな友達にも出逢えたから。
大人になってから友達ができるなんて考えたこともなかった私にとって、世界は大きく変わった。
そして私の目の前に現れた人たちは皆本当に素敵な人たちばかりで、何でこんな素敵な人たちと出会えるんだろう?と自分の幸運をたくさんたくさん噛み締めた。
その時から今に至るまで、今も繋がってる友達はみんな「目の前の人との時間」を絶対的に大切にする人ばかりで、あの定食屋で感じたような孤独にはあれから遭遇していない。
目の前にいるのに繋がっていない、交わってない感じは、私が多分一番苦手とする孤独だと思う。
実際にそういう価値観の人とも出会わなかったわけじゃない。
だけど、そういう人とはやっぱり縁が繋がらない。
必ず切れる。
大事にしたい部分がズレてると、一緒にはいられない。
30代に入ってから、女の子の友達だったけれど、私はその時間を大切にしてもらえない感じがはっきりと見て取れたから、本人に私の気持ちを伝えてそれ以来プツリと連絡が途絶えた子がいた。
最初こそ悲しかったけれど、私はそれで良かったと思ってる。
私はその子の空き時間を縫って会う友達になるつもりはなかった。
その辺りの価値観がズレてるとわかって、あぁこの人とは長く友達にはなれないと思った。
そうとは言わなかったけれど、会う時は少なくとも何かを気にして会わなくていいようにしてた私とは違う考えの持ち主だった。
久しぶりに会おうとなった時に、わざとなのかたまたまなのか、前後にガッツリと用事を入れていた。
結局前の用事が長引いたか何かで、それで私と会うことはキャンセル、日を改めたいと言われた。
私はとても楽しみにしてたこと、そしてゆっくり会いたかったから前後をきちんと空けていたこと、だから今度会うならそういう風に時間を作って欲しいみたいなことを言ったと思う。
自分の気持ちを言ったら、それっきりになって、でも私はそのよくわからない関係よりも自分の気持ちを守りたかった。
傷付いてまで人間関係を続ける気がなかった私は、返事が来なくてもまぁ最後はそれまでの人だったんだと割り切った。
私がその人にとって所詮その程度の人間だったとは思わず、その人の人間関係の作り方に対して私は合わないから離れて良かったと結論付けた。
その2年くらい前だろうか。
今でも仲良くさせてもらっている年上の女性Sさんと初めて会った日のことはよく覚えている。
Sさんと2人きりで会おうと初めて約束した日、Sさんはそれこそドタキャンした。
その時は細かな事情は説明されず、とにかく本当にごめんなさい、また改めて日を決めて会いたいと言われた。
後日、日を改めてSさんと会った。
その日はその年初めての桜を2人でうちの近所のお宅で見た。
Sさんは教えてくれた。
どうして前回会わなかったのかを。
話を聞いてて涙が出た。
Sさんは私と当初会う予定だった前日に事件のようなものに巻き込まれた。
そんなこと一生のうちに体験する人なんて本当に一握りみたいなことだった。
そんなことが起これば誰でも精神的にまいるし、ご飯も喉を通らず眠れずみたいなことになる方が当たり前だと感じるようなことだった。
Sさんは言った。
「ぶっしーちゃんに会えるのが私は本当に楽しみだったの!
だからそんな精神状態で絶対に会いたくなかったから、直前で申し訳ないと思ったけれど、キャンセルさせてもらって、それで今日ようやく会えるようになって、しかも自分が気持ち良く会える状態でこうして会えて、私は本当に嬉しいのよ!」
Sさんの気持ちもSさんの人間としての誇り高さもたくさんたくさん感じた。
そんな風に私とのことを大切にしてくれる人に出逢っていたから、だからその当時仲良くしてた女の子と離れることになっても仕方ないと思った。
先週、雲ひとつない天気の良い日、1人で海に出かけた。
平日の5月の海は、片手で数えるぐらいの人たちしかいなくてとても静かだった。
私は本気の1人だったけれど、ちっとも寂しくなかった。
むしろ色んなことを思い出して、今も続いてる周りの人たちを思い浮かべたら、私の人生御の字だと思った。
そして自分がどれだけ人に恵まれたのか改めて感じていた。
私がコーチングのセッションを受けてた時だったと思う。
最初の頃、理想の人間関係について自分で書くシートがあった。
たしかそこに書いた気がする。
私が書いた答えは
「沈黙を共有できる人」
だった。
それは今も変わらない。
沈黙を共有できるって、最強の絆だと思う。
自然と訪れる沈黙に互いの身をそのまま置くというのは、相当強固な関係がないと成り立たない。
沈黙が気まずい相手は、少なくとも私は相手に気を許してない(多分相手も)。
でも沈黙が心地よい人は、気を許してる。
20代の終わりから30代にかけて続いてる関係は、みんなそこが共通してる。
もうみんな大人でそれぞれの生活に忙しくて沈黙を共有できるほどべったりと長い時間一緒にはいられないけれど、そういう土台を体験させてもらえた時間と繋がりを手に入れることができたんだ、とこの間海で思った。
本物の孤独に気付いた20代。
確かに付き合ってた人はいたけれど、心の中では寂しくて寂しくて仕方なかった。
今物理的に1人の39歳。
1人の今の方がしあわせなのが嬉しかった。
欲を言えばキリがないけれど、でもあの本物の孤独を抱えながら39歳にならなくて良かった。
欲を言うと、そういうことを共有できる人とパートナーになりたいと思う。
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