(はじめに)
今日の話はスピリチュアル全開な話です。
抵抗のない方はどうぞお付き合いください。
『魂からのご褒美』
ホロスコープの情報集めは毎回想定外の情報を連れてやってくる。
今日(5月25日)ももれなくそんな風だった。
最初に少しだけスピの話を。
1人1人の人が生まれてくる前に、「今回の人生ではこんなことを体験しよう!学ぼう!」
というような、魂の目標設定みたいなことをする。
RPG、ロールプレイングゲームと言うんだろうか?それと人生(魂の設定)とは似ている。
生まれた後の実際の人生では、その魂の目標設定に基づいて、次々に必要なアイテムを手にしたり、誰か仲間と出会ったり、特定の体験をしたり、又は誰かや何かと戦ったりする。
ゲームと少し違うところは、生まれてくる時にその魂の目的とか今世でのやりたいことを全て忘れること。
だから、生きている時には、本人にとってのタイミングがこないとそういうことに気付けないようになってる。
私はその手の話を最初に聞いた時(2010年ぐらい)、話の内容としては好きだった。
少なくとも、視点が面白いなという意味で。
まだ色んなことが起こり出す前にその話を知ってて良かったと思った。
知ってたところですっかり感情の波や意味不明な出来事たちに呑まれまくっていたけれど、知らなければもっとエライコッチャだった。
それからはもうありえないぐらいに意味不明なことがたくさんたっくさん起こって、こんなの私望んでませんけど!と誰に抗議していいのかわからないぐらいに自分の人生が何度も何度も嫌になった。
「それが魂の設定です」みたいなことをしれっと言い放つ人を見ては、毎回「私は望んでないから‼︎」と怒り心頭になってた。
中途半端なスピかぶれな人はそういうことをしれっと言って、相手を平気で精神的に追い込む。
本当に意味がわかっていて、その流れを知ってる人は言い方が優しい、と思ったのは私だけだろうか。
ずっと何年もの間、自分のこの意味不明な人生に対して、「何でこんな嫌な思いをしなきゃいけないんだろう?」「何でこんな風に望んでもいないことが次々に降りかかってくるのだろう?」と思った回数は数知れない。
当時よく聞いていた読んでいた言葉はこうだった。
「魂が体験したいこと・学びたいことは、現実の生活からしたら、非常に厄介で起こって欲しくないこと」
というような説明。
例えば、離婚や別れ、解雇、倒産、病気、借金、災害などなど、ヘビーなものが多かったりする。
又は個人の内面にとって、受け入れられないような出来事や出会いに遭遇する場合もある。
まぁいずれにしても受け入れがたいというところだけは全会一致と言えるかなと思う。
誤解を与えないようにもう少し付け足すと。
魂はそういう悲劇なことを好んでるわけじゃない。
魂の示す道は、その人本来の姿に立ち返ることを求めているから、結婚でも仕事でもその人本来の設定と異なってればそれに対して強制終了がかかるらしい。
もしくは特定の体験をすることで何か大切なことを知ってそれを周りに伝えていく役割の人は、そのための体験をすると言われていたりする。
だけど私たちが生きる世界でそんなことが広く知れ渡ってるわけではないから、目の前で起こったことに一喜一憂する。
少なくとも受け入れ難いことが起これば誰でも「そんなの嫌だー」となって当たり前だと思う。
数々の「そんなの嫌だー!」を体験した私には、はっきり言って全てのし付けて返したいぐらいだった。
でも、本当は試練を与えるために起こっていたわけではないってことが、今日のホロスコープの調べ物をしてて発覚!
実際の出来事の奥にある本当のテーマを知って私は涙が出た。
以下、見つけた情報の抜粋。
【無邪気な自分を解放させて、
自分を愛してください。
自分を丸ごと受け入れて、
気持ち良い自分を表現することが
魂の情熱・喜び溢れる幸福ポイントに。
喜びに従って、
自分主人公のドラマを作って下さい。】
(引用:『ドラゴンヘッドのハウス』冨永真生さん
https://ameblo.jp/maki4947/entry-12378295555.html )
このテーマは、私の場合、元々持って生まれてきているテーマで、尚且つ19年に1回の周期でそのテーマを徹底的に学ぶ機会が与えられる。
(他の時は他の重要テーマが与えられるから、別に大元のテーマそのものがなくなるわけじゃない。言うなれば、大元のテーマは半永久的にずっと根幹にあって、19年に一度回ってくる時以外は「今月の目標」みたいに、別のテーマたちが追加で重点的に取り組むこととして与えられてる、と私は解釈してる)
私の場合は、上のテーマを徹底的に学ぶ期間が2015年の9月3日あたりから2017年の8月16日あたりまでだった。
(これはホロスコープ作成サイトでひたすら色んな日付を入れてはホロスコープ作って、そのピッタリのタイミングになるまで調べ通した。
こういうことが今はできるようになった!)
私の例で申し訳ないけれど、じゃあ具体的にその期間に何が起こっていたかと言うと。
少しさかのぼって2015年の年明けから夏ぐらいまでの時。
私がその時に一番個人的にショックを受けたことは、自分が働いていないと誰からも評価されないことだった。
評価されないじゃなくて、それを色んな形で否定され責められ何やってるのと言われ、それが本気でも冗談でも当時は本気で悩んでいたから、いちいち言葉の1つが大きく響いていた。
絶賛13ヶ月の引きこもり期間の時。
私は自分の向かう先どころか何がしたいのかさっぱりわからず、そして何がしたくないのかさえももはやわからず、本当に行き詰まってた。
結果的に13ヶ月も引きこもったけれど、あれは多かれ少なかれいつかのタイミングで自分は完全に動けなくなっただろうなと今でも思う。
もう無理に無理は重ねられない、そういうところまで来てた。
そこに至るまでの私はこんな風だった。
私は結果を出す!みたいな体育会系なノリは一切ないけれど、仕事をいい加減にするのは好きじゃない。
あとは、周りからごちゃごちゃ言われるぐらいなら、やることをやってしまった方が手っ取り早いと考えるタイプで、とりあえずはやる。
それが余計なストレスから自分を守る術だった。
要は両天秤にかけて、「よりダメージの少ない方、より自分にとって都合が良い方」という理由で仕事はある意味熱心にやるところがある。
だけど理由がそんなんだから、当然長くはずっと続かない。
心からのやる気じゃなくて、消去法で面倒くさくないものとか自分への被害が少ないものという理由でやっていた。
20代はもっと別のスタイルで仕事をしてたから、これは30歳を過ぎてからの話。
30代の前半は、営業的な数字も成果的な数字も日々求められる仕事だったから、とにかくやることはやった。
数字を上げて何回か表彰もされた。
その分微々たるものでも給料も上がった。
ボーナスは営業成績に基づく完全なる歩合制だったから、数字を出した分反映された。
だから表面的には良いことがあったわけだけど、私は全く満たされなかった。
むしろ、数字を出せない人たちが責められまくってるのを見て(私ももちろんやられたことはある)、この気の休まらない負のループはいかがなものかと思った。
そんな風にしか自分が認められないことにも違和感がガンガンあったし、なんか生きるのって辛いわと何度も思った。
まだその辺りは序の口で、その後退社してから色んなことが二転三転していくうちに、さらに状態がしんどいものへと変わった。
引きこもり時代が一番頂点とも言うべき、しんどさ生きづらさMAXだった。
その引きこもり期間に一番精神的に打撃を受けたのは、何もしてないことを責められることだった。
「何もしてないことを責められる=私は何かをしてないと価値がない」という図式が出来上がっていて、それはもう本当に生き地獄みたいだった。
その辺りのことは話すと長くなるから省略するけれど、そこで学んだことの1つがまさに先に書いたテーマだった。
徹底的にどんな自分も受け入れる、丸っと受け入れることをしないと、自分が本当にこれから先生きていけないと思った。
周りからの評価を求めても仕方ないという心境に至った私は、発想の転換をした。
せめて、せめて、この世で自分だけは自分の絶対的な味方でいようと。
自分の色んな生きづらさの根底には、周りからの評価によって自分の価値が変わる、と思い込んでることがわかった。
でも本当はそうじゃない。
多分何もしてない時でも私そのものの価値は変わらない、そう思ってはどうかと。
かなり無理はあった。
私だって働いてない自分をいいなんて一ミリたりとも思っていなかった。
だけど、もう本気で追い込むところまで自分を追い込んでたこともあって、これ以上自分にきつく当たっても何も解決しないどころか自分のメンタルはもっとやられるとわかり始めてた。
だから信じられなくてもいいから、せめて意識的にも自分を責めまくるその癖だけは何とか直そう、「どんな自分でもいい」と無理でもいいから思い込もう、というのを始めたのが2015年の春なのか秋なのか忘れたけれど、そう思うようになり始めたのは本当だった。
結局のところ、私がしてたのは「自分の価値観を壊す」ことだった。
でもそれは、当初は「自分の信じてた世界が見るも無残に壊れてく」プロセスではあったけれど、通り抜けてみると「新しい自分に合った価値観を手に入れる」ための最初の解体作業だったと思う。
新しい自分と言うよりも、本来の自分に合った価値観をもう一度今度は自分で選んで再構築する、という方がより近い。
家を建て替えることをイメージしたらわかりやすい。
まさか古い家をそのままにして、その上から新しい家を建てるなんてことはできない。
いつかは経年劣化で壊れてしまう家をそのままにはしておけない。
まずはそれを壊して、そして地をならして、そこに今度は新しい家の骨組みを作っていく。
私の人生もまさにそうで、古い価値観の中だけで生きていくにはとうに限界が来てた。
来てたけれど、私はまだまだ大丈夫だろうとかなり無理を通した。
だけど、無理を通してることすら半分無意識にしてたから、そんなにヤバいことになってるという自覚がなかった。
ちなみにこれは私の人生の特徴だけど(これもホロスコープを調べてく中で知った)。
本来の道から外れてると、「外れてますよ」のサインがやってくる。
やってくるなんていう可愛い感じではない。
正しくは「そのやり方間違ってるからね」の最初は通告。
通告の時は違和感とかやる気が出ないとか、そういう形でお知らせがくる。
来るけれどそれでも無視すると、今度は通告ではなく私に気付かせるために「出来事」が投入される。
出来事まで来ると、大概は惨事としてやって来る。
さすがに「惨事」レベルになると気付くも何も、無視なんてできる状況ではないから、否が応でも向き合わざるを得なくなる。
向き合って対応することを迫られる。
で、その古い家こと古い価値観で生きてくのはもう限界に達してた。
にも関わらずそこに無理にでも留まろうとしたら、今度は周りから容赦ない言葉が飛んでくるわ、状況もどんどんえらいこっちゃになるわで、自分の首は締まる一方だった。
無理に留まろうとしたかったのではなく、先の見えない変化に身を投じる方が怖くて動けなかった、という方が近い。
当時の私の無意識の中には「無価値観」というものが大きく鎮座していた。
「無価値観」とは心理学の用語で、意味としては「自分には『価値が無い』と思い込む」という感じ。
本当に自分に価値が無いというのは強烈なパンチだった。
魂の話に戻ると、その「価値が無い」と思い込む状態は容赦なく私の人生に投入されてくるし(←超絶苦しい)、それが私の中で脱却しない限りは手を替え品を替え色んなことがやってくる。
わかりやすかったのは、とことん仕事の採用試験で落ちまくるとか。
実際には別の流れも水面下で同時進行してたから今思うと落ちて当たり前だけれど、当時はそんなこと知る由もなかったわけで、何でおかしなぐらいに落ちまくるのか全く理解できなかった。
理解できなかったけれど、私はその時「そことはご縁がなかったということ」とか「他に行くところがあるからそこは落ちて正解」とか、決して自分の何かを責めないようにだけは相当気をつけてた。
そんなこんなのうちに、今度は経済的に立ち行かなくなり、一番やりたくなかった親を頼って実家に帰るという選択肢になった。
受け入れてくれた親に感謝、なんていうそんな出来た心など一切なくて、私は帰るその時まで帰りたくないとひたすら思ってた。
実家に戻ると、今度は全力で私の生き方を否定してくる両親との静かな戦いが待ち受けていて、それも相当しんどかった。
その時も私はひたすら耳をおやすみするようにして、自分で自分の気持ちだけは守ろうと必死だった。
親は私が働かない限り何1つ良い風には言わないことがもうことごとくわかっていたから、それと自分自身の価値とを別にして考える必要があった。
だから仕事が決まってとりあえず働き出した時、親はそれだけで大喜びしてたし安心してた。
私は反対に、とりあえず働くのはいいけれどこれから先本気でどうするつもりなんだろう…⁇と、根本的な答えは何1つ出てこないままだったから、全く安心できなかった。
むしろやりたくもないことをやって時間を使うことにものすごい抵抗があった。
年齢はどんどん上がるのに、自分がどうしたいのかわからない。
色んな意味で恐怖でしかなかった。
でもそんな時も私はそういう自分をなるべく否定せず、自分ができる範囲でいいからそういう自分も受け止めようとそれだけは相当気をつけてやっていた。
自分でも色々わかってきたことは、他の誰と上手くいかなくてもいいから、自分とだけは本気で仲良くしないとまずいということだった。
なぜなら自分しか自分を守れない。
何かをするにしても、自分が動かないことには何もできない。
となれば、もうどんなに嫌な自分でもその自分と上手く付き合うしかないわけで、私はそれをひたすらひたすらやり続けた。
やっていくうちに、あれだけ頑なだった心が少しずつほぐれ出した。
そしてもうなるようにしかならない、とすごい開き直りもするようになった。
相変わらず家族の声は相当な批判に満ちていたけれど、家族以外の人たちからよくわからない言葉のパンチは飛んでこなくなった。
そして家族の批判についても、もう私は言われても仕方ないとは思っても、だからと言って自分がそれで傷付く必要はない!とかなり線引きできるようになった。
だから、魂のテーマなど1つも知らずに、私はただひたすら自分の人生の平穏を求めてできることをやり続けた。
で、当時は「どんな自分もいい!」なんていうそんな聖人君子みたいなことを思ったのではなく、もうこんな自分でもこのまま生きてみようかという良い意味でのあきらめみたいなのが生まれていた。
自分をとことん愛するとか、自分を丸ごと受け入れるというのとはだいぶ違うけれど、私は私なりにそのテーマをしっかりやりきってたんだとわかった。
そしてここからが本題(前置き長っ)。
テーマの終わりに近付いた2017年の夏、私は特大のご褒美を受け取った。
心から大切だと感じる人に出逢えた。
結果は全く望んでないものではあったけれど、それでも出逢えたことには変わりない。
どんな自分ともとにかく仲良くやろうと必死だったところを抜けたら、そんな素敵なプレゼントが待っていた。
私にはもったいないぐらいの素敵な人だった。
いや、だからご縁がなかったのかなと思うけれど、それでも出逢えたことには変わりない。
本気で生きてて良かったと思った。
落ち込みまくったメンタルも、どこまでも落ちまくってた仕事も、両親との冷ややかな戦いも、その他たくさんの負の出来事たちも、そのたった1人との出逢いで一掃された。
私は大真面目にその人に出逢うためにそれまでのわけのわからない出来事たちが起こってたと思ったぐらい。
そう思えるぐらいの出逢いがテーマの終わりの方にあった。
当然そんなテーマがあるとは知らずに。
少なくとも、今回のことを知って、結果はどうあれその出逢いは私の人生の中で予定されてたことだったんだと確信した。
それにはきちんと根拠がある。
私はそこだけじゃなく、過去10年ぐらいに渡っての魂の目的とされるテーマの内容と、ホロスコープを何十回と作成して年月日を特定して、その時々で起こってたこととが本当に合ってるかどうかを検証した。
この10年で6個のテーマを現在までに通過してるけれど、本当にびっくらポンでその通りに人生が流れてた。
当然渦中はそんなこと全く知らなくて、超絶意味不明な出来事や自分の負の感情にやられまくって、本気でどうにかなりそうなんですけど!と思ってた。
でもそれぞれのテーマに沿ったことが、それはそれは容赦なく勝手に戦場に送り込まれるかのごとく起こっていたし、否が応でもそのテーマたちに向き合わざるを得なかった。
それだけのことが起こっていたとわかったから、去年の夏の出逢いはきちんと人生の計画の中に含まれていたんだと思えた。
そしてそれを確信するために今現在のテーマに入った日もきちんと割り出した。
ちなみに今現在のテーマは「自分の感情を感じること、自分の心の居場所を作ること」とある。
2017年の8月17日は、社会人になってから初めて、超テンション上げ上げでお盆休み明けの仕事に行った日だった。
だからよく覚えてる。
そしてその後に起こったことや私自身が起こしたことで、否が応でも今度は自分の気持ちをとことん見ていかないといけない状況が生まれた。
自分の感情を感じることはもちろん、まさに今自分の中でこれからの自分のために心の拠り所を作ろうというのも考えていたこと。
色々あっても自分の中で揺るがない場所や、安心してくつろげる場所、そういうものを自分の中に持ちたいと思うようになった。
だからその通りの説明が調べ物の途中で見つけたブログの中から出てきて驚いた。
もちろん当時もそんな魂の流れになってたなんてのは知らない。
ただいずれにしても、人間の私からでは考えられないぐらいに私の魂とやらは優秀で、本当にピッタリとテーマに沿った出来事や人たちを用意してくれてた!
「自分を愛した」先に、自分よりもっと大切だと感じる人に出逢えた、なんて本当に奇跡だと思う。
(「自分を愛した」は話を盛った 苦笑)
これこそ魂からのご褒美だと思う。
ゲームで言うところの超レアアイテムゲットみたいな 笑。
レアアイテムなんて言ったら相手に失礼な気がする。
「ギフト」だと思う。
たった1人の人が人生に現れただけで景色はガラッと変わった。
「生きてる」ことが本当に嬉しくて仕方なかった。
朝を迎えるのが楽しみで仕方なかった。
会えないと前もってわかる日は、その日1日の楽しみが完全になくなってた。
命を実に粗末に見ていたけれど、いきなり命あることの凄さを日々感じるようになった。
自分が生きていることも、相手が生きていることも、それが当たり前じゃないって何度も何度も思った。
しかもどういう巡り合わせか、同じ時代に同じぐらいの年齢で生まれて、さらには同じ場所に居合わせる、そのすごい確率で起こっていることが余計と私には特別なことに見えた。
「自分と仲良くする」なんて、書くのは簡単だけど実践は恐ろしいぐらいに難しかった。
だって、これまで否定しまくってた自分にも何とか受け皿を用意するわけで、これが他人なら私の場合間違いなくフェイドアウトを狙う。
でも自分だから逃げられない。
もし最初から、そこを頑張ったら超特大のご褒美が待ち受けてますよ、とか言われてたなら私もっと頑張れたのに←えっ?
でも本当にすごいご褒美があったわけで、「私の魂さんはそれ知ってられましたか?」と聞いてみたい。
世の中には自分の魂としっかり対話ができる人がいるけれど、私にはそんな力ないから毎回振り回された感が半端ない。
今はその魂と仲良くする最大のアイテム「ホロスコープ」があるから心強いけど、そのホロスコープだって完全に読み解けてるわけじゃないから、まだまだ魂との対話なんて夢のまた夢状態になってる。
だけど、ホロスコープという強い味方を手にしてなかった時でも、実は魂の望むテーマを人間の私はガチで体験してた。
それも忠実にそれぞれのテーマを体験してた。
今振り返ると、渦中は決して楽ではなかったけれど、あれはどれもが自分が生きやすくなるための道しるべだったと思う。
そのままでは完全に自分がやられてしまうのが魂なのか私自身なのかはわからないけれどきちんと危険を察知していて、多少痛みは伴うもののそのまま突き進むより新しい自分だけの価値観で生き直す方が私の場合は絶対に良かったわけで、そのためのことたちが起こってくれてたんだとわかった。
そして「がんばったね」の意味なのか、その最後の方には素敵なプレゼントが人生にもたらされた。
ご褒美は一瞬すぎて私はもっともっと実際には求めた。
人間の私には全く望み通りじゃないと目に映るけれど、人生の目的からしたらそれが正解なのかもしれない。
というのも、その人が私の人生に現れたことで色んなことが加速度的に変化したから。
私はスピのことからも他の色んなことからも1年半以上離れていたから、基本的には何も実践的なことは積んでいなかった。
にも関わらず、その出逢いの後から色んなことが目まぐるしく変わった。
それは自ら起こした変化ではなく、勝手に変化が起こってきた。
そしてその変化たちは、どれもこれもが「魂の繋がりの強い人(最上級)」と出逢うと起こるとされる出来事と色々合致していた。
天の采配じゃないけれど、はっきり言ってそういうレベルのことだった。
だから色々普通ではなかったし、さすがの私もおかしいと思って色々調べまくった。
今現在だけを切り取ったら全く望んでもないことにはなってるけれど、これはこれで必要なのかもしれない。
生きてるうちに答え合わせが一緒にできたら最高だけれど、できなかったらせめて死んだ後答え合わせをさせて下さいと思う。
話があちこちにまた飛びまくったけれど、とにかく魂のテーマを徹底的に体験するとその先には魂からのご褒美が用意されてたよ、という話。
【ホロスコープ豆知識】
↑豆知識とか言って、超カッコいい♡
もし調べる人がいたら…ということで、1つだけホロスコープを調べて知ったこと。
(えっへん!と偉そうに咳払いしたい気分)
冨永さんの記事に飛んでもらうと1ハウスから12ハウスの「ドラゴンヘッド」と呼ばれるテーマが書いてあって。
(携帯からだとリンク貼れないので、各自コピペして見に行って下さい)
このドラゴンヘッドだけは唯一他の天体たちとは反対周りに回るようになっている。
だから、123456…の順ではなく、654321の順にテーマが移り変わる。
1まで行ったら今度は12、11、10…とテーマが推移する。
具体的な日にちの出し方は、説明が面倒くさいので割愛します。知りたい人がいたらごめんなさい。
ちなみに。
それぞれの「ハウス」と呼ばれる大きさは人によって違う。
360度を12分割したものになるけれど、大きさはイコールにならない。
私の場合、やたらと大きさがまちまちだから、ある時それが気になって調べた。
そうしたら広いハウスはそれだけ学ぶテーマも長期化しやすい=本人にとってすごく重要なテーマが含まれてる、みたいな説明を見つけた。
私の場合、その「自分を徹底的に受け入れる」みたいなテーマのところが長い。
中には1年ぐらいで終わるものもあるのに、そこは約2年。
そしてもう1つの読み方を加えると、その2年の間に私が学ぶべき立場は「自分を人のために役立たせること」言い換えれば「自分を無能と思わないこと」なんかも含まれる。
こうして書き並べてみると、魂って忙しいんだなと思う(笑)。
他にも魂が決めてきたテーマは多岐に渡ってるから、そんなのを1つ1つ見ていくとすごいことになる。
ここでは魂、魂と連呼したけれど、私が思うにみんな大なり小なり自分の人生のヒントが欲しいと思う。
どんな手段でもいいから、それに繋がるヒントを知ると、自分の人生の流れがもう少し客観的に見えてくると私は感じてるから、オススメです、魂の探求。
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