日々生きていたら色んなことがある。
人と会っても会わなくても、何か特別なことがなくても、何かしらはある。
その何かしらをあれこれと記録する。
昨日食べたごはんが何か思い出せない位、すぐに色んなことを忘れる。
ビッグな出来事は印象に強く残っても、日々の小さな出来事はさらりと抜け落ちる。
だけど、ある時気付いた。
その小さな出来事で毎日が成り立っていて、
そしてその小さな出来事に自分が笑いや涙をもらったり、喜んだり悲しんだりしている。
でも小さいからすぐに忘れてしまう。
一度忘れたら、相当何かとリンクしない限りなかなか思い出すこともない。
そうした小さなことを自分がいつか振り返った時に思い出せるように残したい、
そんな思いからはじまった記録だ。
まさか、その記録が将来自分を助けてくれるとは思ってもみなかった。
なつかしい気持ちになるだろうことは十分に予想できた。
そうではなくて、自分自身を助けるとか慰めるとか、そんな風には想像せずに書いていた。
久しぶりに気持ちが大きく沈んだ。
きゅっと口を結んでいないと、涙が出そうな、実際に歩いている途中にじわっと涙が滲んで、
トイレに行ったりもした。
今家にいて、少し前まで何をしていても気持ちがざわざわしていた。
ニキビが腫れて破裂寸前の時、すごい痛みを伴う。
一回破裂してしまえば少しは和らぐのに、その直前の猛烈に痛い時。
心の状態が、あんな時の痛みに似ていた。
それで、ふとこれまで自分が書いたものを読み返した。
それだったら読める気がした。
自分が書いた文なら自分を攻撃する心配もないし、別に読んでも読まなくてもいいものだ。
それでいくつか読んだ。
読んでいくうちに、その当時のことを思い出した。
書いている内容もそうだし、それを書いた時のこともそうだし、
色んなことを思い出すうちに、ざわざわがいつの間にか落ち着いてきた。
起こってしまったことはもう戻せない。
ざわざわがなくなるわけでもない。
問題と思ってることが今すぐ解決するわけでもない。
でも、自分の文を読んでいたら、なんだかすっと楽になった。
そんなつもりで過去の自分は書いたつもりではまったくないのに、
今ここにいる、当時から見たら未来の自分は救われてる。
そして、今こうして文を打ち込んでいる時も、
打ち込みながら楽に呼吸できるようになった自分がいる。
記録することの効果を実感する。
2015 節分
2015 節分
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