2015年2月7日土曜日

答えのない問題集

これはいつかの秋口に行った図書館での感想。

持参したノートにいくつか図書館の本の内容をメモするために、学習室を利用した。

そこの図書館は、社会人用と学生用の学習室が分かれてなくて、

その日はどうも定期テスト直前だったらしく、9割がた中高生で満席になっていた。

前から3列目くらいの席に腰をかけたけど、

そこの席からでも10人以上の子どもの姿が視界に入ってきた。

教科はそれぞれ違っているようだったけど、やっている作業は皆同じ。

問題集やらワークやらを開いて、解いて、解答見て丸付けして。

その作業をどの子も延々と繰り返している。

作業を眺めていてとても不思議な気分だった。

もちろん自分も同じような道をたどって、小中高とテスト勉強をした。

大学で初めて、自分の意見を言うことがテストで求められるようになった。

今となってはその機会に感謝しているけれど、

もし、自分で意見を言う=自分で考える、自分で答えを出すことをしないまま

大人になっていたら・・・、と思うと怖くなった。

私自身もそうだし、そこにいた子どもたちもそうだけど、

もうあらかじめ答えは決まっていて、その正解に辿り着けるように問題を解く。

でも、大人になるにつれ、1+1=2というような、わかりやすい答え、決まり切った答えではない

答えを出す場面が圧倒的に増えてくる。

ある程度の年齢になったら、もう答えなんか一切載っていない問題集を手にすることになる。

教育論を論じるつもりはないけれど、その答えのない問題集を手にした時に、

どれだけ自分で自分だけの答えを導きだせるか、

そしてそこに至るまでのプロセスを組み立てられるか、

そしていくら答えやプロセスの枠組みを作っても、その通りに事が運ばない場合もあるわけで、

そういう時にどれだけ臨機応変に知恵を働かせて自分が動けるか・・・

そういう力がものすごく必要になるということを、大人になってから初めて理解した。

基礎学力を養うという意味で必要な学習だとは思うけど、

それとは別に、生きてく力というんだろうか、そういうのはもっともっと大事だなぁ・・・

なんて近くの勉強に励む子どもたちを見ていて思った。

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