夏のことだったと思う。
「ある人」からとって、その人の名をRさんとしよう
(↑Rさんという名付け方、ひそかなマイブーム)。
Rさんから頼まれごとをされたのだけど、わたしはそれを断った。
とても進んで引き受けられるものではなく、引き受けるリスクが高そうだったのと、
とにかく気乗りがしなかった。
そして伝えられる範囲で、断りのメールを入れた。
嘘を言っても仕方ないから、自分が感じたことをここまでだったら言っても大丈夫かな?という
ところに収めて、Rさんには送った。
Rさんはそれを理解してくれ、それはそれで一件落着した。
少し話は脇道にそれるけど、わたしは時々どうしてものをはっきりと言えるのか?
具体的には断ったり拒否したりできるのか?と聞かれることがある。
例えば、上の件で言えば。
①引き受ける
②断る
③無視する
という3つの選択肢が考えられると思う。
引き受けた場合、それは自分にとって苦痛や危険が伴うのは目に見えていた。
これは何としてでも避けたい。
無視できないわけでもなかったけど、これは後々の関係を考えたら不誠実で且つ関係性に
ひびが入るのでは?という危惧があったから、これも避けたかった。
という消去法でいったら、②の断るが残るわけで、決してはっきりと言おう!という強い意志で
そうしたというよりも、他の選択肢は嫌だから、②も嫌だけどまだその中では一番まし、
という気持ちで成り立っている。
話は戻してRさんの頼みごとの続き。
このことはすっかり忘れていた、昨日共通の友達に会うまでは。
話の中で、たまたまその頼まれごとが話題に浮上した。
その友達も、わたしと同じことをRさんから頼まれていた(で、断っていた)。
わたしは深く追求もしなかったけど、友達はRさんに直接頼まれごとの意図を聞いていた。
友達の口から語られたRさん本人の言葉を聞いて、わたしはものすごく納得した。
なぜ気が進まなかったのか、なぜ危ないと感じ取ったのか。
頼まれごとの言葉だけを取ったら、決して悪いものでもないし、危ないものでもない。
だけど、わたしがあの当時感じたのはそんなことではなく、その言葉を通して発信されている
Rさん本人の意思みたいなもので、そこに対して変な違和感がぷんぷん漂っていた。
何かがずれていて、何かが変なのだ。
それは個性と呼ばれるようなものではなくて、明らかに身の危険を覚えるようなタイプの
ずれとか変な違和感だった。
そんな細かいこといちいち気にしても仕方ないし、とりあえず断って無事を得たわたしは
もう終わったこととして忘れていた。
それが昨日になって、半年ぐらい時間を経てから真相が明るみに出た。
言葉が伝えるものよりも、それ以外の部分が伝えるものの方がはるかに大きな割合だ、
というのは心理学の実験でも立証されていると聞いてはいたけど、
あの夏の頼まれごとを思い出すと、本当にそうだったんだと腑に落ちる。
似たような頼まれごとはRさんに限らず他の人たちからもお願いされたことはある。
頼まれごとの内容はほぼ一緒。
伝え方は人それぞれだけど、丁寧だから引き受けるとか乱暴だから断るという基準はない。
今回のRさんの場合は、むしろ丁寧に属する。
引き受ける・断るは、内容云々でも伝え方でもなく、頼んできた人それぞれが、
どんな意図でそれを頼んでいるのかということが、どうしてもそこに出てくるのではないかと思う。
なぜなら、何の躊躇もなく引き受けていることも、というよりもそちらの方が回数としては多い。
今回のように断る方が少ない気がする。
意図をはっきりと言葉で伝えてくる人は少ない。
でも、話を聞いていれば、なんとなくどんな意図だとか、それを陰で支えている思いなんかは
見え隠れしている。
教訓ではないけれど、誤魔化そうとしたり嘘をついたりしてもダメなんだなぁと、
そういうことはなぜかばれることになっていると、昨日の友達との会話の中でふたりで、
そうだそうだと首を縦に振りながら妙に納得していた。
口から出たものにしろ、書かれたものにしろ、並んでいる言葉の
返信削除「意味」よりも、そこに乗っかっている「エネルギー」が伝える
情報のほうが、より正直でごまかしのきかないものなんだね。
そして、私の書いたものから、ぶっしーとりょうと二人ともに
「(さんごの状態が)いい感じを受ける」と言ってもらえて嬉しい(^^)
でも、何か大きな出来事をきっかけに急に変化したのではなく、
生活自体は、あくまで「いつもどおりの日常」が続行中です。
もし、私から本当に何か「良い感じのエネルギー」が多少でも
出ているのだとすると、ぶっしーの言葉を借りれば、それは
たぶん「積み重ねたもの」がある一定量を超えた、のかな?と思ってる。
自分の感覚としては、「高い高い山の頂上を目指して、下から
一段ずつ階段をクリアし、すてきな私にレベルアップしちゃった!ウフ!」
というようなもんでは、もちろん全くなく、
「自分がどこにいるのやら、今どこに向かっているのやら、
さっっっっぱり分からん!」 のだけれど、穴の中をこつこつこつこつ
地道~にしつこ~く掘っていたら、ある日「うわ、トンネル開通した!?」
というような・・・(笑)。
掘ってる最中には、この作業の目的も、あとどのくらい掘り続けるのかも
分からなかったけれど、開通してみたら、「あぁ、これが欲しかったのね」と
思えるものが手元に残った。
そして、「まだ掘っていないトンネル」がいくらでもある、という、
嬉しくない事実が新たに判明 (- -;;)
↑ ん~何だかうまく説明できなくて、わかりにくくてごめん!
今度会った時に、少し具体的に話せたらと思います。
ちなみに、先週久しぶりにオーラソーマをやったらば、
未来を表すボトルの名前が「開けゴマ」だった(大爆笑)!!
でも、なかなかステキな呪文だよね、「開けゴマ」!
さんごさんへ。
返信削除「開けゴマ」に超笑った!
オーラソーマ、ピュアな言葉が並びそうなイメージなのに、「開けゴマ」って(笑)。
ストレートな表現で、逆に伝わりやすいのかもね。
トンネルの話、わかりやすいよ~。
持っている石井ゆかりさんの本の中にトンネルを使った例え話があって、それに似ている。
そう、ある日突然開通!?みたいな。
そして、1つ開通しても、まだ掘るところあった・・・となった時の落胆する感じもうなずける。
あれはテンション下がるよね、まじめに(汗)。
だけど、トンネルも色んな種類があって、
最初はやっぱり掘りやすいトンネルからスタートで、
掘り出すとさらに長いトンネル、くねくねのトンネルなど、
難易度が上がるというか、それだけ自分の中でさらに核心に迫るというか。
大変だけど、そこを抜けた時の爽快感は半端ない(笑)。
そしてそれが自分の中で小さな自信みたいになって積み重なるから、
それはうれしい。
いつもコメントありがとね~^^