2018年11月22日木曜日

物理と化学

中学生と社会勉強しにツタヤへ。

珍しく事前に見に行った。

初めて立ち寄る高校参考書コーナー。

数学と英語は大量にあったけれど、探している物理と化学がない。

大真面目に、日本の大人人口のうち、どのくらいの人が「物理」と「化学」がどう違うのか説明できるのかな?と思う。
(ちなみに私はできない。今日参考書を10冊は開いたけれど、その2つの違いが何かは全くわからなかった)

水溶液の中に電流を流したら、あれは何になるの?と思う。
(↑既に言葉の説明がおかしいかもしれない)

とりあえず、下見の時は教科書ガイドなるものを見た。

化学、必修で取ったはずなのに、何一つ頭をかすめることなく、それよりもそんな難しい教科を前によくぞ高校卒業できたなと思う。

よくわからない図と説明は、「で、これは何?」としかならない私の頭の中では全てが一緒だった。

電流?導体?磁界?、もはや何の何の説明なのかも皆目見当がつかず、っていうかこれは実生活で言うところの何?みたいな感じでしかなかった。

教科書ガイドはやめて、「わかるようになる!」とか、「基礎からわかる!」とか、「やさしい!」と謳っている参考書を見た。

「マンガで読む!」みたいなのも見た。

もうこの世の物とは思えない単語のオンパレードで、わかるようにもならなければ、基礎という前に用語すらわからない、やさしいって誰レベル?なんて思い、マンガに至っては私は瞬時に1つだけ理解した。

さっきの教科書ガイドの中にあった図を、単にカラーにして、その近くにキャラクターがいて、吹き出しのように説明しているだけ。

それらが本当にわからない人からすると同じにしか見えない、キャラクターが喋ろうが、カラーになろうが皆同じ。

ちなみに、物理に至っては私は人生で初めて「物理」と書かれた本を開いた!

中学生の頃やったかも?という記憶が少しだけ出てきたけれど、もはや何が何かもわからない。

日本語なのに、ハングル文字とかアラビア文字を見ている時と全く同じ感覚だった。

とりあえず売場だけ抑えて、それでその少し後、今度は中学生を連れ出して一緒に見た。

その子も私と同じ反応をしていた。

調べ物の1つに「有機化学」と「無機化学」というのがあった。

背表紙見たところで言葉の意味すらわからないから、私はとりあえずグーグル先生を呼び出した。

グーグル先生も何言ってんのか、全然わからなかった。

とりあえず、有機物の化学と無機物の化学の違いだということはわかった。

でも、私は有機物と無機物の違いはわからないから、何が有機物?何が無機物?、無機物と無機質って何が違うの?有機物って有機野菜の有機と同じ?っていうか有機野菜って何?……、というどこまでも終わりのない質問ばかりが頭を駆け巡った。

2人で共通の感想。

カタカナ表記のものが、法則の名前なのか、人の名前なのか、単位の名前なのか、物質の名前なのか、それさえもわかんないね!と。

ちなみによく聞くオームの法則のオームって何?状態。

開いている途中、「ハロゲン」という言葉を見つけた。

「ハロゲンってハロゲンヒーターのこと?」と2人で口を揃えた。

17種族?帰属?単語も忘れた、その17何とかという分類?単位?もわからなくて、これは何を意味するんだろうね〜、と2人呑気な感想を言い合った。

その子が「これ、隣りの超頭のいい男子に教えてもらった!」と言って、分子?みたいなやつの模型図のようなものを指差した。

真ん中に丸があって、その周りを何周もの線が描かれていて、線の途中に小さな丸が乗っかっていた。

子どもいわく、何かが起こると数が変わるらしい。

「何で数が変わんの?物は同じなんでしょ?」

「なんかね、数が変わるんだって〜!」

その数が変わるとかいう意味さえわからない。

重量と質量の意味の違いもわからない。
(もしや同じもの?)

そんなこともどこかに書いてあった気がする。

一事が万事その調子で、最初から最後までファンタジーの世界にいるようだった。

参考書はわかったから、その後そうした勉強が大人の世界ではどういうものに変わるのかを教えたくて、そのジャンルの本を探した。

まずは、「ジャンル名」でつまずいた。

そうした勉強は何のコーナーに行けば置いてあるのか、さっぱりわからなかった。

2人で本コーナーをウロウロし、ようやく子どもの方が「理工って書いてある、あそこじゃない?」と言った。

それっぽいと思って行ったら当たってた。

ただし、置いてある本たちのマニアックさと言ったらなかった。

唯一タイトル見てわかったのは、「人工知能」だけだった。

他は、タイトルの中の言葉で最初からつまずいた。

2人とも早々と戦意消失して、その子も私も気付けば天体の写真集を手に取っていた。

そのコーナーで唯一興味を持てたのが月や星の写真集で、他は一生縁のない話ばかりだった。

適当な本を1冊手に取って開いて見たけれど、こういう話がとても面白くてスラスラ読める人もいるんだろうなぁと思った(「こういう話」とか言っているけれど、中身は全くわかっていない)。

私にはわからない面白さが他の誰かにはわかる、そういうものなんだろうなぁと感じた。

子どもの方も参考書に始まり、専門書を見て気付いた。

それが自分の進みたい道でも興味のある分野でもないことを。



ふざけたことばかり書いたみたいだけど違っていて、実はこの社会見学はとても大切だった。

私の中でこれは一か八かの賭けだった。

私から見て明らかに適性のない方向に進もうとしていた。

適性がないだけじゃなく、本人も多分好きじゃない。

ただ、そうだと明確に自分で気付けるかと言えば、そうでもなく、私も英語以外は見てないから何とも言い難かった。

でも、私の中で「多分違う」と感じる数少ない過去の会話があった。

色んな話をするけれど、そこについては本人がポロッとこぼす言葉が「点数取れてるけど多分苦手なんだろうなぁ」と感じるものだった。

タチが悪いことに、点数は取れてたからますますわかりにくい感じになっていた。

だから、物理と化学の参考書を見て、あとは本人が何を感じるかが全てだった。

それでも本人がやりたいならGOだし、気付けば自分で進路を変える。

ちょっと話をしてから(変えろとかは一切言わず)、各教科の本人の得意不得意の感覚を聞いて(←これは私が見立てた通りだった)、それでいざツタヤへと社会見学に行った。

それが上の話で、そして本人の口から「これはできない」という言葉が出てきた。

この「できない」はあきらめのできないじゃなくて、自分のことを見つめたことで出てきた自分を知った人の言葉だった。

物理と化学の本を開いて、それが自分の興味関心にないことや、もしそれをこれから3年学ぶとしたら相当キツイ学校生活になることは本人も自分でよくわかって、ありありと想像していた。

家に帰って、進路を変えると本人の口からお母さんに言っていた。



そもそも何でこんなことになったかと言えば、事の発端は今回の日を相談するところから始まった。

子どもと私とで、テストも返ってくる頃だろうし、受験に向けて具体的に対策していかないとだからこの日にしよう!と1ヶ月ぐらい前に日にちを決めていた。

だけど、直前になって、テスト返ってきてないから来週の別の日にしたいと友達から連絡が入った。

ただ今回は私も次いつ行けるのか明言できないし、1ヶ月とか空いたらまた受験対策に差し支えるだろうから、とりあえずテストはいいから明日にしよう!ということになった。

その時はまさかツタヤに行くことになるなんて思ってもいなかったし、そんな展開が裏側にあるなんて想像さえしていなかった。

そのやり取りの時に、子どもの方がすでに進路希望用紙を出して、申込の段階にすでに入っていたことを初めて知った。

それが青天の霹靂の選択で、寝耳に水とはこのことだった。
(四字熟語を使うと頭が良くなった気がする←ザ・勘違い)

まさかの展開で、ビックリした。

真っ先に子どもがボソッと呟いた言葉が頭をよぎった。

その言葉がなければ私もそうなんだで済ませたけれど、その言葉がとても気になった。

それが最近というより数ヶ月も前、もしかしたら去年とかの話かもしれないけれど、あれから才覚が芽生えて大幅に得意になったとは思えなかった。

数学は天才的にできる。

英語は2年かけて叩き上げただけあって、確実に基礎を身につけ相当なレベルまでできるようになった。

理科はそのどちらでもなく、点数は取れるけれど…という感じで、本人も多分苦手意識がある、私の目にはそう映っていた。

ただ、私のそもそもの理科分野の知能が著しく低いその視点で見ていることと、私の苦手とは違ってやればできるところが判断に迷うものだった。

それで友達からびっくり仰天な進路の話を聞いた後、私は初めて学校の募集要項をネットで調べて見たら、驚愕のカリキュラム+過去最高に厳しい受験資格+合格基準を知って、それで友達に本当にそこ受けるの?と聞いたところが始まりだった。

不合格の心配ではなく、うっかり合格した時の心配だった。

よその家のことに口出しするのもおかしかったし、ましてや本人が希望している、しかも申込に入った…というのを知ったから、余計と言いづらかった。

願書受付は先だけど、本当にそれでいいの?と聞いた←余計なお世話なのは百も承知で聞いた。

友達と色々話して、もちろん決めるのは本人だし止めることはしないけれども、ただ情報だけは正しく見て判断した方がいいということになり、それで友達からもOKをもらって話すことになった。

実は友達もかなり色々言ったみたいだけど聞く耳持たずで、だからぶっしーの話を聞いても本人が尚まだ行きたいって頑なに言うんだったらもう何も言わない、とまで言い出した(汗)。

だからしたことは、
・募集要項を一緒に見て、私が気になった部分とその確認
・本人の各教科に対する自分の得意不得意の感覚の確認
・ツタヤに社会見学
(ツタヤは友達に連れて行っていいかどうかを前もって聞いておいた)
この3つだけで、だからツタヤは最後の賭けだった。

気付かなきゃ、もうそのコースに少なくとも3年は行くわけで、それは本人の人生だから止めようもないし、あとは本人が自分で知っていくしかないと思った。

ツタヤに行ったのは、本人が少しでもイメージを持てるようにするのと、それでも自分は行きたいかどうかを見極めてもらうためだった。



もし今回は中止にして、来月のどこか適当なところで子どもに会っていたのなら、もう間に合わなかった。

正直な気持ち、こういう人の人生が大きく左右されることに口を出すのは好きじゃない。

そもそも口出しができる立場に自分はないと思っている。

だけど、今回はかなりヤバイと感じた。

小さな呟きだったし、それを重要とも当時は全く思わなかったけれど、そう言えばぼやいてた!とそこだけが記憶に残っていた。

具体的な言葉も忘れたけれど、とにかく「実は苦手なんだろうなぁ」と思ったことは覚えている。

それがまたやればできると思えるぐらいの点数を取ってくるし、下手したら5教科で1番の高得点だった時もあったと思う。

しかも数学がめちゃくちゃできるから、自動的に理科も…と思っても不思議ではなかった。

さらに私は先に書いた通り、理科は天才的に何もわからないから、全くノータッチだった。

だから、現実的にどの程度本人が理解しているのか私は知らなくて、知ってるのは唯一本人がいつかぼやいた言葉とそこから連想されることだけだった。

だから、超ハイリスクだった。

本当は得意かもだし、実は大好きな科目かもだし、色んなことが私の勘違いかもしれなかった。

だけど、もし私の感じたことの方が真実だった場合、その後大変になるのは一目瞭然で、そんな見極めはもはや私にはできなかった。

親子や学校の先生と話した時も、もちろんそういう角度での話にはならない。

「どこに行きたい?」「どこを受けたい?」とはなっても、この教科苦手だからその選択止めようよなんて話には絶対にならない。

私の勘違いの可能性もとてつもなく大きいわけで、だからこちらでできるのは情報提供だけ。

そして社会見学という名の物理と化学の本を見る機会を作るだけ。

だから一か八かの賭けだった。

本人にもはっきりと言った。

私はその学校もとても良い学校だと思っているし、ぶっちゃけ本人が行きたい学校ならどこでもいいと思っていること。
(カリキュラムはこの辺りじゃ特A、五つ星だと思う)

ただ、もしそのカリキュラムが実はすごく苦手で好きじゃない場合、入ってからの学校生活がものすごく苦痛になること、入るよりも入ってからが大事だから、それを何となく想像するために行くのがツタヤの目的だと伝えた。

好きならそのまま頑張ればいいわけで、何の問題もない。

本人もツタヤに行くまでは、そこまでの危機感もなければ、まぁ見てみるのもいいかなぐらいでしかなかったと思う。

だって行く前に「行っても行かなくてもどっちでもいいけど、どうする?」と聞いたら、「じゃあ行く」と言っていて、「絶対に行きたい!」わけでは決してなかった。

最初に書いたように、本人は本を見て絶句した。

学校で習ったようなことも時々出ていたけれど、どう考えても自分がそうした勉強をする、それも3年もするイメージは湧かないと言った。

代わりに、毎日復習しないと付いていけそうにもないことや、付いていけても確実にクラスの中で落ちこぼれるのは自分でわかったようだった。

だから本人が自分でそこは受けないとはっきりと決めた。



7月に受けたホロスコープ鑑定の時に言われた言葉を思い出した。


【「人間交差点」的な役割をする。生まれてすぐに皆既月食があったため、その影響が大きい。
誰かの重要なタイミングや、人と人とが出逢うタイミングに居合わせることが多い。】


今回も狙ったわけではないし、こんな展開は全く予想できなかったけれど、それでもそういうタイミングに居合わせることになった。

あの鑑定の後から、少しずつ言われた意味を体験を通じて分かり始めている。

そして、多分だけど、私としてはかなり嫌だしましてや人の人生がかかっているようなことは絶対に避けたいけれど、それでも気付いて言わなきゃいけないことや伝えないといけないことがあるんだろうなぁ…と思い始めてる。

やりたいやりたくないではなく、とりあえずそうしたタイミングに勝手に入っていくというかやってきちゃうし、ある意味避けようがない。

避けるとするなら、「私は何もしない」と決めるだけ。

でもそういう時ってわかる。

なぜかタイミングが無茶苦茶なのに合ってしまうから。

合わせようとしなくても勝手に合ってくる。

だから、状況は避けられない、基本的に。

避けるなら私が「見ざる・言わざる・聞かざる」に徹するしかない。

毎回批難覚悟、怖さもたっぷりと味わいながら、そうしたことに関わるってどういうことだろう…と思う。

あの時鑑定のS先生に言われたみたいに、自分の人生に慣れていくしかないし、そうしたことが予見される自分自身の星(ホロスコープ)を好きになるしかない。



余談だけど、物理や化学に通じる回路を持っていて、そしてそれを仕事にしている人たちって本当にすごいと思う!!!!

実際に、電気関係の仕事に関わる事務をしてみて、毎回思ってた。

あの暗号のようなものたちが何を意味してるんだろう?と思っていた。

私には単なる線と数字とアルファベットにしか見えなくて(←もちろんそんなわけない)、それを正しく解読して絶対にエラーが無いように100%の内容に毎回仕上げるって本気ですごいと常々感じていた。

今回の物理と化学の参考書を見て、その気持ちは益々高まった。

ああいうことがわかる人たちは本気の天才だと私は思っている。

ハロゲンってハロゲンヒーター?とか、無機質と有機質って何が違うの?とか、そもそも物理と化学って何が違うの?とかいう私が残りの人生で全力で立ち向かっても絶対に到達できない域だとはっきりとわかる。

物理と化学の方向の仕事をしてる人たちは学者から技術者まで全員天才!!!!、それがあの10冊以上の本を見て私が唯一理解できたことだった。



【追記】
別件で友達に連絡した。

友達の返信の中に、「実は理科がわからないという気持ちをぶっしーに分かってもらえて嬉しかったみたい」とあった。

その言葉も嬉しかったし、そして「わかるなぁ」と思った。

自分の気持ちを知ってもらえること、それも否定せずにそのまま知ってもらえることってすごく嬉しい。

最近どハマりしているブログ『旦那観察日記〜AV男優との新婚生活〜』はあちゅうさんという人が書いているものがある。

「はあちゅう」で検索したら出てくる。

AV男優はしみけんという人。

2人ともとっても素敵で私は密かに毎日読みまくっているけれど、その中の11月10日にアップされた『言いたかったけど言えなかったこと』というのがある。

パーティーに一緒に参加して、はあちゅうさんが本心は帰りたかったけれど、なかなか旦那(しみけん)に言えなかった時。

「帰りたいことも、
でも帰りたいって言えないことも
わかってくれたの、
すごい嬉しかった」
(ブログより引用)

こんな気遣いできる男性、めちゃくちゃモテる!

気になる方は、どんな風にして男側が女側の気持ちを汲んだのか、ぜひ読んでみて下さい!(回し者じゃない)

私なら、そんなことされた日には胸キュンどころか恋に落ちる!

すごい素敵なやり取りで、多分それされて嫌!となる女の人、ほとんどいないと思う。

今回の件、大事だったのは自分の気持ちが分かってもらえた!と感じることだったんだと知った。
(もちろん、当人の私はそんなつもりで話を振ったわけじゃなかった…)

明日からはスーパー2歳児とのコミュニケーションという名の格闘が始まる。

さらに小生意気になっているだろう2歳児を前にいかに平穏に本人の気持ちをわかってあげられるか、もはや修行の域だと思う。

2歳児の謎の要望とか謎のごっこ遊びルールとかは、物理や化学と同じぐらい難解に仕上がっている。

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