さんざん迷って、明日の本当の最後のホロスコープ講座at銀座に参加を決めた。
5月に急遽見つけて、1時間おきにキャンセル待ちを確認して、それで行けることになったホロスコープ講座。
当初全6回の講座だったけれど、最後に演習がくっついた。
明日はその演習の日。
あと最後に少しだけ授業があって、そこはずっと知りたいテーマでもあったから、それを習えるのは嬉しい。
課題が終わらず、終わらなければ終わらないでいいかと腹をくくりつつある。
それよりも心配なのは体調。
姪っ子の胃腸風邪的な菌をもらい、昨日から体がおかしなことになっている。
今日は明け方5時前から、数回トイレと仲良しになっている。
せっかくの東京なのに、明日はランチはおろかモーニングも怪しい。
さっき24時間ぶりにおかゆを食べたけれど、5分後にはトイレへGOだった。
下す時特有のおなかの痛さはなくて(←これは超救い)、おなかが張った感じと全身だるい感じで今日1日布団の中にいた。
姪っ子がやたらとすぐ横になっていた気持ちがわかる。
どうか無事に東京に到着できますように、そして1日の日程を無事にこなせますようにとそればかりを祈っている。
さっきお風呂に入っている時にNLP(神経言語プログラミング)を取っていた時のことを思い出した。
1ヶ月に2日間、朝から晩までみっちりと心の仕組みの勉強と心のワークをした。
それを約1年続けた(2011〜2012年)。
毎回宿題があって、基本的には自分が気付いたことを書くという自由スタイルのもので、私はこの宿題だけは唯一自主的にせっせせっせと取り組んだ。
先延ばしもしなかったし、ギリギリに書いた記憶もない。
ホロスコープは常にギリギリで、そしてやっていくうちに自分が好きではない類いの勉強だとわかった。
どんなに時間があっても取り組まない、いまいち気が乗らない、そういうものだった。
習ったことは一生使えるものだし、後悔はしていない。
でも興味の方向性は違っていた。
私がホロスコープに興味を持った一番の理由は、自分を知るためだった。
だから、ホロスコープの細かな情報や基礎を習っても、実はあまり萌えないことがわかった。
色々書いたけれど、これ以上の初級講座なんてないんじゃないかと思うほどの講座の内容だった。
先生いわく、講座に何を組み込むかは各講師の裁量で決められるから、何を講座で伝えるかは先生が全て決めていたとのこと。
今回習ったことで、一番の基礎の部分を徹底的に教えてもらえたから、本当にありがたかった。
私が独学で毎回読み飛ばしていた部分を網羅してもらえて、本当に良かった。
実現するかはわからないけれど、1年後に今後の1年がどうなったかを語る会が企画として挙げられている。
ホロスコープを習って、自分の特性なんかも知って、それで1年がどんな風に展開するのか、それを振り返る会は楽しそうだということになった。
それには参加したいなぁと思っている。
5月に東京に行った日。
それは半年ぶりの東京だった。
当初は10月までの予定ではあったけれど、その10月までの間に一度でも会えないものかと本気で思った。
途中からは、オルゴナイトの説明文を手書きで書いたものも持ち歩くようになった。
講座用に透明の厚いケースを買って、その中にその説明文は二重三重に包装して入ったままになっている。
今回もどう考えても無用の長物とわかっていても、一応持って行く。
会えないとわかっているなら持って行かなければいいけれど、いざという時にないのは困るからやっぱり持ち歩く。
今日こんなに具合が悪くなければ、その辺りの心の変遷も書こうと途中まで書いたものがあったけれど、あまりの具合の悪さにそれはそのままになっている。
いつかは書くのかな…と思う。
平日の昼間に銀座でバッタリ会うわけないし、じゃあ夜に池袋でバッタリ会うかと言えばそんなこともない。
今だから言えるけれど、夜に関しては何かあればすぐに動けるようにはしていた。
結果、多分人生で必要と思われるヒーリングの勉強会が敢行されたけれど(明日は勉強会なし)、私の中では本当に会いたい人に会える方が優先順位が高いわけで、そこは失礼を承知の上で当日ドタキャン覚悟で毎回東京に行っていた。
色んな意味で私の心の中はツッコミどころ満載だったけれど、それが紛れもない本心だった。
明日を最後に本当に東京に行く用事は今のところないし、仮に1年後にそのホロスコープ講座の会に参加したとしても、もう私は何も知らないところで生きているんだなぁと思っている。
何も知らないというのは、その人の個人的なことはもちろん、1年後も同じ会社にいるのかもわからないし、知ったところで交わらない人生はどうやったって交わらない。
今はなんとなくまだ同じところにいるんじゃないかと勝手に思っているけれど、仮にそうでももう結婚してるかもわからないし、何かがあってもおかしくない。
自分でも葛藤しながらの半年、特にこの2ヶ月は相当葛藤した。
毎日のようにやってくるサインだけじゃなく、他のことも実はずっとずっとあった。
もう私の中でどう解釈していいのかもわからなければ、それも偶然と思うことにした。
色んなことが重なり過ぎたことで、実は何もないんだと思おうと努力ばかりをした。
そうした時間だった。
そして、今回東京行きが終わることを機に、また色んなことが私の中で変わるような気がしている。
多分、もう交わらない人生をとことん受け入れることを始めていくと思う。
忘れることなんか絶対にないけれど、交わらないことを受け入れるのはまた別の次元の話になる。
明日は少しだけ1人の時間が夜あると思う。
その時に私が何を思うのかは知らないけれど、なるべく自分の気持ちや心の声を素直に聞いてみたい。
私は今でも本気で会いたいと思っている。
別にそれが明日じゃなくてもいい。
いつか会えるなら、本当にもう一度会いたい。
『夢の国』とタイトルを付けたことは、単なる非日常の旅となる東京行きだけを意味したわけではなかった。
自分の本気の夢を詰め込んで、その意味も含めての『夢の国』だった。
少しでも近くに行けることが本当に嬉しかった。
同じ天気、それは空模様だったり温度だったり、そうしたものを同じ空の下で味わえるだけで私は胸をワクワクさせてた。
そんな小さなことに私は喜んでいた。
私にとっての一番の夢は再会だったから、そういう願いも込めてのタイトル『夢の国』だった。
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