【土曜日】
Aちゃんに今回の依頼事の話をした。
「ぶっしー、それってぶっしーがそれを引き受けれるレベルになった!ってことだね」
と言われた。
「だって、もしこれが1年前のぶっしーに依頼が来てたら、ぶっしー引き受けなかったんじゃない?」
言われてみればそうだった。
1年前、2017年の11月、少なくとも私はまだペンジュラムはおろか、自分がスピリチュアルなことに興味があることも全部伏せていた。
このブログの中でも書いてなかったし、友達も知っている人は本当に片手で数えるほどしかいなかった。
しかももっと言えば、Aちゃん以外、私は自分が興味があると自ら言った人は1人としていなかった。
名古屋の時に知り合った人たちや長い付き合いの友達1人は、すでにそうしたことが互いに好き!と知った仲だったから、カミングアウトとかはなかった。
だから、実質本当に一か八かでさらりと自分も実はね…と言ったのは、Aちゃんが人生初の人だった。
当時はそうしたことも全部隠していたし、ペンジュラムなんか当然もっと隠していた。
しかもペンジュラムもまだ今の3分の1程度の用途にしか使えてなかった。
だから、もし1年前に頼まれてたとしても、荷が重すぎるわ、自分でも確信がないわで、断った可能性が高いだろうなぁと思った。
さらに遠隔でのペンジュラム使いもカーナビ的な使い方もまだ全くしたことがなかったから、今回みたいに地図を広げてそこから読み取るなんてそんな高度なことをいきなりはできなかったと思う。
もっと言うと、今回依頼に繋がった間に入っている人とも出逢っていなかったから(出逢ったのは年明けしばらく後)、そもそもの依頼さえ来なかった。
Aちゃんに言われた通りだった。
この1年ぐらいをかけて、ペンジュラムを通じて色んな体験をして、その中には全く知らない人の情報の読み取りなんかもしたわけで、それら全部が揃っての今なんだとわかった。
その日もAちゃんに言われた。
「本当に今の私があるのは、ぶっしーのおかげだからね!」
1年前の今ぐらい、私はAちゃんから仕事の相談を受けていた。
受ける受けないというようなことを、数ヶ月に渡り合計何回かペンジュラムに聞いてた。
Aちゃんに聞かれるたびにペンジュラムに聞いて、ペンジュラムは毎回「NO」しか出てこなくて、それは何を聞いてもNOでどうしようかと思っていた。
目の前で聞いたこともあれば、連絡きて私1人で家で聞いたこともある。
私はAちゃんの選択だから、私のペンジュラムからの答えは参考程度にしてねということも毎回言い続けた。
時々あれ?と引っかかることがあれば、それは言った。
で、色々あった中、最終的にAちゃんはいつの間にか今の仕事を受けて仕事を始めたのが春先のことだった。
その後Aちゃんから即連絡がきて、「あの時ぶっしーがずっとずっとNOが出てると教えてくれて、しかも私の意思とは違っていてもNOが出てると言い続けてくれて、それで安易にその時のものに飛びつかず待ち続けていたら、今の仕事を見つけたんだよね。その時は、自分ですぐに『これやりたい!』ってなったから受けて、すごい倍率だったらしいんだけど受かったんだよね!」と教えてもらった。
私のおかげなんかじゃなくて、Aちゃんはあくまでも自分で最後は全部選んで、選んだその結果が今に繋がっている。
【日曜日】
25年の付き合いの友達に会った。
この友達が今回の相談に最初に乗ってくれた子だったから、とりあえず事の顛末だけ伝えようと思った。
朝一で連絡して、もし今日時間があるなら会って欲しいと言ってみた。
日曜はいつも昼過ぎまで寝ている。
あまり期待もせずにいたら、なんとなぜか今日は朝目覚めたと言って、今から1時間後に待ち合わせしよう!と言ってくれた。
友達にいきなり急展開した話を順を追って話して、朝見た夢の話をした。
私はなぜ森三中の大島が出てきたのか、さっぱりわからなかった。
ところが一通り私の朝の夢の話を聞いた友達は、
「それ、『森の山中(さんちゅう)から発見!』っていうメッセージじゃない?」
と言った。
私はそれを聞くまでそんなこと思いもしなくて驚いたと共に、どうして3人いる中の大島だったのか、それも意味があるとは断言できないけれど、他の2人ではなく大島だったことに「うわぁー(驚)」となることがあった。
そして、実際の喫茶店で地図の上をペンジュラムで読み解いている時に、最後上から糸がツーっと垂れて小さな蜘蛛が落ちてきたという話をした。
「蜘蛛の糸ってさ、」
【一旦休止。
今現在11/20...1:00am
上の文を書いた途中、トイレに行った。
階段の壁のところに、なんと黄緑の蜘蛛がいた!
未だかつてこの階段で、というか家の中で黄緑の蜘蛛なんか見たことがない。
良い知らせという意味らしいから、ここは一つまた願掛け。
というか、毎回どんなタイミングですか?と思う】
「蜘蛛の糸ってさ、張り巡らせるわけじゃん。要はみんなで協力して捜索の枠を張り巡らせて、そこにポンと蜘蛛が引っかかる、本人が見つかるって意味みたいだね」
そう言ってくれた。
この友達の感性に驚くと共にさらに驚いた。
「今行った時、画像がバッと出てきたから。まさにその画像が出てきた!」
この友達は過去にも似たようなことが一度あって、それでそのパッと出てきた画像が本当になったことがある。
友達も目の前で何回も祈ってくれ、本当に見つかるといいよねと何度も何度も言ってくれた。
友達と別れた後、諸々寄りたいところに寄って、さぁ帰ろうと思った。
念のため、ペンジュラムに帰ると聞くと、NOが出た。
数回聞いてもNO。
私の中で寄るところはなかった。
携帯でマップを開いて、画面上の地図にペンジュラムをかざした。
大型店が乱立しているところではあったけれど、私の中で寄るところはない。
ペンジュラムは地図の一方向にYESを出した。
その辺りを拡大した。
店はことごとくNOが出た。
公園とか屋外?と思って、その近くを探すと、ある1つの公園でYESが出た。
そこには全く用事もなかったけれど、とりあえずそこに移動した。
移動してわかった。
案の定、日曜日の天気の良い昼下がり、家族連れか小学生の友達グループしかおらず、私は完全に場違いな人だった。
公園の脇に駐車場兼歩道があって、そこに車を止めて本を読んだりした。
明け方3時に寝て、8時前には起きたから眠くて仕方なかった。
腕時計であと10分ほどで4時になるから、4時になったら帰ろうと思った。
ペンジュラムもそれはYESで、余計と私はここに何しに来たんだろう?と思った。
4時を過ぎた。
さぁ帰ろうと思って、助手席側の窓の方に目をやった。
「えっ?」となった。
虹が見える。
車の外に出てみると、人生で見た中で一番大きな彩雲を見た。
しかも、これまでみたいな水色とかピンクとか単色ではなく、虹色の彩雲だった。
少なくとも、青・黄色・ピンクのグラデーションはわかるほどの彩雲だった。
しかもとてつもなく大きい。
それに気付いた小さな女の子のお母さんが「ほら、虹だよ!」と子どもに教えていた。
私も写真を撮った。
少し離れた同じ方向に太陽があって、それが反射して綺麗には撮れなかったけれど、紛れもなく彩雲だった。
もう少し綺麗に撮れる場所はないかと、公園の中をグルグル回った。
数枚撮っているうちに彩雲は消えた。
私はそれを見て、見つかっているといいな、そのサインだといいなと心から思った。
どうしてその公園だったのかわかった。
店内だと当然そんなのは見えない。
移動前の駐車場だと、そこも空は開けているけれど、私の車の向きが違うから気付けなかったと思う。
あくまでもその公園で、そしてそこだと多少は空が開けているのと、遊具としてある人工の小高い山があって、そこに上るとまたさらによく見えるようになっていた。
すごいタイミングだった。
ペンジュラムはもう1つ行く店をその後指したけれど、それもタイミング合わせで、そのところを去った直後に見つからなかったと連絡が来た。
今回協力もらった人たちに、それぞれ連絡を入れた。
愛知のSさんの返しにビックリした。
『見つからないには見つからなくて良い理由が其々にあると私は思います』
その後電話した時に、ベストなタイミングで見つかると思う、とも言われた。
Aちゃんからは、「ぶっしーのペンジュラムが見当違いなことを言っていないと思う」と返ってきた。
私は自分の読み解きも、本気で色々やらかしたんじゃないかと思い始めていたから、Aちゃんに言われて、一呼吸置くことができた。
たしかに、これまでも大幅に見当違いなことはあんまりなかったし、さらにはNOを出す時はNOを出す理由があとからわかる。
わざと違う答えを見せて、それによって私が勘違いし、そしてその勘違いのおかげでもっと大切な出来事や物、人に繋がることもある。
朝会った友達も、その子が感じたままのことを再度言葉にして返してくれた。
ものすごく救われると同時に、「何で?」と思った。
彩雲や他のタイミングはあんなに外さないのに、どうして一番大事なことが外れる?と、自分でも納得がいかなかった。
Aちゃんとの再会のタイミングさえも、まるでこれを見越したかのようになっていた。
だって、Aちゃんは仕事の繁忙期でそもそも余裕がないと言っていたし、もっと言えば思いの外Aちゃん側の状況が一気に変化して、私と数ヶ月ぶりに再会できる状況がこのタイミングで整って、そしてAちゃんこそ目の前でずっと私のペンジュラムを見ていた人だったから、それを事実として伝えてくれた。
余談だけど、去年の秋、私がまだ全く自分のことを隠し通していた頃、Aちゃんと週末に遠出したことがあった。
私から誘ったくせして何も調べてなく、なんとその日の細かなことを私は全部ペンジュラムでその都度決めた。
最初Aちゃんも驚いていたけれど、私はピッタリの場所に連れて行ってくれると思うと言って、本当にそうした。
夕方近くになってどこかカフェでケーキ食べたいねとなった。
ほとんど行ったことのない町で、2人とも店を知らなかった。
運転しながらペンジュラムに聞いて(道も聞いた)、国道沿いのカフェがヒットした、運転中に。
行き過ぎてしまったからUターンできるところで引き返してそのカフェに行った。
なんとそこは2人ですごく感動した雰囲気と内容のお店で、Aちゃんはあまりに気に入って、実家のお母さんを連れて行きたいと言ったぐらいだった。
そんなこんなのことがたくさんあったのをAちゃんこそ誰よりも目の前で目撃している人だから、それで見当違いなのは考えられない、そう言ってくれた。
【火曜日の午前中】
申し訳ない気持ちやガッカリな気持ち、何で?という気持ちやペンジュラムと自分への不信感は、一旦落ち着いた。
私は自分がもう何もしないのか、それとも何か声を上げるのか、今その間で気持ちが行ったり来たりしている。
本当に他のことはこの数日でもタイミングを合わせまくりなのに、どうして一番肝心なことがこういう結果なのか、自分の中の腑の落ちなさと言ったらない。
絶対に何とかしよう!なんてことではなく、他の合っても合わなくてもいいことが合って、肝心のことが合わない。
そんなこと考えても仕方ないから、自分はどうしたくて、本当にできることは何もないのか(現実的にある、けれど決めきれてないだけ)、まだああでもないこうでもないと考えているから、今日もう1日このことに向き合ってみようと思う。
9:30
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