>>>2018年11月15日(木)朝〜到着前
気持ちよく晴れた空を見ながら、家を出発する前に必要な情報をペンジュラムを使って集めた。
今日どうやってペンジュラムで場所を特定するのか、その手順を考えた。
普段はそんなことしないけれど、今回は1ヶ月以上前に行方不明になってしまった方の所在を地図から探すのが目的だから、ちょっとメモを取りながら手順を思い浮かべた。
「そうだ!」と気付いた。
定規が必要。
どんな地図が来るかはわからなくても、とりあえず線を引いて地図を分割しながら見るから定規がいる。
地図は予め用意をお願いした。
手元にある定規を何本か出した。
A4の紙には短い定規かあとは2年生の時に教材として使った竹の30センチものさししかない。
実は春先、ホロスコープの独学を始めた時に長い30センチの定規が必要で、透明でマス目も付いた使いやすいものを1つ購入した。
ところが私はある夜、部屋が暗い中ウロウロした時にその定規を足に引っかけて、なんと真っ二つに折ってしまった。
痛いとかより、まさか定規が折れるなんて思ってもいなかったから心底驚いた。
そして正直何で?と思った。
よりによって、何をどうしたらそんなことになるのか、すごい不思議で仕方なかった。
まさかこれが数ヶ月後の日の話に繋がるなんて思ってもいなかった。
なぜなら、その後私はやっぱりいるなぁと思って何回か買い直そうとしていたことがある。
それでも毎回なぜかペンジュラムは買うにYESが出なかったから、私はてっきりもっと良い定規が現れるからNOなのかと勘違いしていた。
そんなこと思い出しつつ、まさかこんな時に必要になるなんて…と思いながら、自分の持ってる4本の定規を出した。
どれも使い勝手が悪い。
ペンジュラムもそのどれでもないと言う。
家にある?と聞くとYESだから、私は隣りの物置部屋と化したところをさっと見たけれどない。
でもあると言うから、茶の間に行って1ヶ月間放置されてる10段ほどのA4が入るぐらいの収納ボックスを見に行った。
あるとしたらそこにありそうだと思った。
ちなみにうちの母は何でも取っておく人で且つ整理整頓ができない人だから、長い透明の定規の1本が出てきてもおかしくない。
そう思ってガサゴソしながらボックスの中を見た。
2段目を開けて、大きなお菓子の箱をずらして見たら、何とそこに1本の透明の30センチ定規が出てきた。
私はそれを見て心底驚いた。
なぜならその定規はただの定規じゃなく、私がもう一生会うことのないと思っていたお気に入りの定規だったから。
話はさかのぼって2016年の年明け後だったと思う。
仕事の超重要書類が隠された、他にも陰湿な訳の分からないいじめのようなことがあった職場に派遣に行っていた時のこと。
長い定規が仕事で必要で、私はそのお気に入りの定規を職場に持って行った。
その定規は、中学生の頃の美術の絵具道具の中に付属で入っていた製図用のもので、学校教材だけあって物はものすごく良かった。
悲しいかな、その定規はその職場で紛失した。
それも深くは考えなかったけれど、紛失したのか隠されたのかはわからない。
だけど、色んな場所を探しまくったけれど、そのお気に入りの定規は最後まで出てこなかった。
百均で買って持っていけば良かったとものすごく後悔した。
去年、家の建て替えで古い荷物を片付けた時、妹たちの中学校の美術道具も出てきたけれど、その中に定規はなかった。
だから、幻の定規で、私はもう二度とその定規にお目にかかることはないと思っていた。
という定規が出てきたから、だから驚いた。
しかも、今回のこのタイミングで出てきて、さらにはペンジュラムが持っている定規たちにNOを出してくれなかったら絶対にあるもので代用してたところを、あえて探したらそういう結果に結び付いた。
さらには、その収納ボックスも、先月ずっと放置されていた車庫の荷物整理を父と母と3人でした時に持ってきたもので、元々整理整頓が苦手な人たちは持ってくるだけ持ってきてずっとそのままになっていた。
という普段なら決して褒められたものじゃない性格が転じてこの結果を生み出してくれた。
大したものが入っていないのに、なぜかずっとそのボックスは1ヶ月近く茶の間にデンと置きっ放しにされていたという。
(基本、両親の荷物は私には訳がわからないからノータッチでいる)
私はこれだけで猛烈にテンションを上げてた。
すっかり気を良くした私は、支度して家を出た。
場所はうちから一番近い喫茶店にしてもらえた。
20分少しで行ける。
天気も良く、定規も見つかり、これは大丈夫!と1人で幸先良いスタートにうっとりとしていた。
途中2キロほどあるトンネルを通る。
奥の方がやたらと明るい。
何?何があるの?と思った。
トンネルの終わりの方に来て、トンネル工事をしていて片道交互通行になっているのがわかった。
先週の金曜日に通った時は、トンネル工事はしていなかった。
しかも普段なら入口近くにたくさん看板が出ているのに、私は見落としたのか1つも見なかった(←多分見落とし)。
驚きながらも、トンネル工事をしていた、ということに私の中で1つ新たに意味が加わった。
まさかの工事で、私はそれを見て大丈夫だと思った。
工事=良い方に向かっている、そういうサインだった。
交互通行だったから、私が通った時は反対車線にたくさんの車が並んでいたけれど、1つだけ気になったことがあった。
こういう特別な日は、私は異常な数のゾロ目ナンバーを見る。
1台2台じゃなく、数台見る。
すごい日だと同じナンバーのゾロ目を5台6台と見る。
ゾロ目ないなぁと思った。
あんなに見るのが常なのに、何で今日はない?と思った。
まぁでも、定規とトンネル工事のセットで私の中はウホウホだったから、もうゾロ目はなくていいやと思った。
信号を超えてもう待ち合わせの喫茶店も見えた頃、やって来た。
対向車が「3ー11」、私の誕生日のナンバーだった。
それ見て息が止まるかと思うほど驚いた。
これは私が勝手に思っていることだけれど、東日本大震災があったからか3ー11のナンバープレートの車は本当に見ない。
年間通じても片手で数えるぐらい。
そしてその番号は希望しないとおそらく来ないから、自粛の意味なのか本当にいない。
それぐらい見ないナンバーを、もう着くという直前に見て私は度肝を抜かれた。
定規とトンネル工事と3ー11のナンバープレート、これが揃ったことで、今日は絶対に大丈夫だと思った。
もう一生会えないと思っていた定規と再会し、先週はしていなかったトンネル工事がなぜか昨日はしていて、そして自分の誕生日のナンバープレートの車とすれ違う、それも到着直前の絶好のタイミングで。
間違いなく色んなものが味方している、そう思った。
ちなみに、帰りはもうトンネル工事はしていなかった。
そのトンネルの工事はいつもイレギュラーで、昼夜通してしていることもあれば昼間だけの時、又は夜間だけということもある。
(1年のうちの4分の1から3分の1の期間、不定期に為されてると思う)
今回は昼間だけのようだった。
そう、夜間ではなく昼間だったおかげで行く時に見れた。
最後の不安のかけらを取り除いてくれるかのように、トンネル工事はされていた。
(続く…)
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