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2018年4月20日金曜日

20代の心理セラピーの観察記

私が31歳でコーチングの個人セッションを受けるまで、私は心理セラピーの現場を実は10数回見ている。

大学4年の時に見たのは、子ども向けのアートセラピーで、言葉通り粘土や絵なんかの図画工作のようなことをしながらするセラピーだった。

それは見ていても私には全くその効果がわからなかった。

子どもたちは指示されるままに図画工作的な作業をするけれど、それがどう心理面に作用しているのか素人にはさっぱりわからなかった。

そしてそれを受けてる子どもたちも、それを受けたからと言って目に見える変化など何もなく、余計とそれって何の意味があるんだろう?と思っていた。

 

2つ目は、私は通信の大学に在籍していた際、実際に学校に行ってスクーリングを受けた時に心理セラピーのクラスを受講して、その時にその先生に「あなたカウンセリング受けた方がいいわよ」と言われた。

私は今だからわかるけれど、はっきり言ってその先生のデリカシーのなさには閉口した。

50人ぐらいはそのクラスを受けたかと思う。

私たちは「エコグラム」と呼ばれる心理テストを全員がその場で受けた。

それは現場でもよく使われるものとして紹介された。

先生が何人か自分のエコグラムの傾向を見て欲しい人!と挙手で募って、それで手を挙げた私のものも見てもらえることになった。

私のエコグラムの言われようはひどかった。

人間関係ですごく苦労するだの、大人と子どもの自分がアンバランスで自分でも気付かないうちに周りに迷惑をかけたりするだの、良いことは何一つ言われた記憶がない。

さすがに私は落ち込んだ。

私的には、人間関係はものすごく恵まれていた。

それは今でもそう思っているけれど、20代の私は(今も引き続き)人間関係だけは本当の本当に恵まれている。

もう私の至らなさには全く相応しくないぐらいに周りの人たちは心の気持ちの良い人たちが多くて、そしてたくさん助けられている。

30代で派遣の職場をいくつか行ったことで、私はそれをもっともっと確信した。

20代の私は、本当の本当に良くしてもらっていて、いつも全力でフォローしてもらえてたことに派遣先で気付いた(要は、派遣先によっては全くフォロー体制のない会社もいくつかあったから)。

だから私はその先生のエコグラムの結果だけを見て決めつける言い方にすごく腹が立った。

自分のことならまだしも、私にはもったいない本当に人として素晴らしい周りの人たちのことを悪く言われてるみたいで、それですごくむかっとした。

だから授業後に先生のところに行って質問したら、「カウンセリング受けた方がいいわよ」という答えが返ってきた。

私はカウンセリングでさらにもっと嫌なことを言われるんだろうかと思ったら、もう何が何でも行きたくない、そういう気持ちだけを強めてその場は終わった。

 

3つ目の出来事は、私が心理療法から離れる最大の出来事だった。

その時、効果の全くわからないアートセラピーと、そして勝手に決め付けられたエコグラムの読み取りしか知らなかった私が、とうとう本物の心理療法の実際を目にすることとなった。

有志で集まる福祉の勉強会に参加した。

講師は福祉界で有名な先生で、私はその人から受けれるのならぜひとも講座を受けたいと思って受けたのだった。

10数名のこじんまりとした会だったと思う。

最後の方に先生がEMDRと呼ばれる眼球運動を使ったセラピーをするから、その被験者を募った。

今ネットで調べても相当なトレーニングを積まないとできないようで、だからその先生なんかは相当な数のクライアントに施していて、技術そのものはとても高い方だったと思う。

私は何かもわからなければ、自分がそんな心理療法を受けないといけないような傷があるとも思っていなかったから、だから傍観していた。

ある1人の30歳前後の女性が立候補した。

先生と彼女をまんなかにして、あと残りの私たちはその周りを円で囲ってその療法を観察することとなった。

だから私が見る心理療法としては、大学の時に何回も見たアートセラピー以来2回目のものだった。

何せアートセラピーは先に書いた通り、その良さがさっぱりわからなかったから、その何とかというセラピーもそんなもんだろうと高をくくっていた。

実際はどうだったかと言うと、「怖ろしい」の一言に尽きた。

セラピー中、その被験者の方は人格が変わったようになって、途中発狂までされた。

本当に文字通り「狂った」。

私には先生がただ彼女の前で自分の指を立てて右、左、右、左とメトロノームのように振るだけで何を喚起させてるのかさっぱりわからなかった。

ただその指運動に伴って彼女も目でそれを追っていくうちに、多分一種の催眠状態に近い状態が生まれて、そこで色んなものを思い出して、それである時とうとう彼女は発狂した。

もう怖ろしすぎて、私は息をすることさえ忘れそうなぐらいに茫然とした。

周りの人たちの感想は知らないけれど、私は本当に恐怖で凍りついた。

心理療法ってこんな風に誰かの別の人格を引き出して発狂させるものなのかと、良くなるためにはそこまでしないといけないものなのかと、もうそれはそれは私は驚きと恐怖のあまり何も言えなかった。

ちなみに先生いわく、最後は必ず元の状態に戻してあげないといけないから、いくら発狂しても大丈夫とのこと。

だからその方も最後はまた始める前の姿と何ら変わりなく私たちの中心にいた。

 

私は30代で色々心理療法を学んだり、自分個人でもセッションを受けたりしてわかったことがある。

まずその有名な先生の配慮があまりにも欠けていたこと。

私のように本当にそういう療法の実際を初めて見る人も当然いる。

私は30代で通った色々なワークショップでは、きちんとした講師の人の時には必ず「もし途中で具合が悪くなったりその場にいると怖い感じとか嫌な感じがすれば、遠慮なく退室してもらって大丈夫ですからね。何かあればまた後から話を聞きます」というような説明がある。

これは鉄板的な説明で、逆にその説明をしない講師の人は大丈夫かな?と今は思う。

それぞれの人がどういう背景を持っているかなんて当然わからないから、講師の人は20代の頃の私みたいに初心者がいても大丈夫なように配慮してくれる。

あれは、受ける人だけじゃなくて、公開セッションの時はそれを観察する人たちへの配慮も絶対に必要だとわかった。

自分がどんなに技術者として何千ものセッションを行ってるプロだとしても、そこに居合わせる人たちはその通常の流れがわからない場合の方が多いわけだから、もしかしたらその人にとっての人生初の心理セッションを見る機会かもしれないというのは念頭に置いて当たり前だとさえ思う。

30代で習った療法や受けたワークショップなんかでは、絶対に無理をさせずとにかく本人にとって安全な方法を第一でする人が多かった(違う人もいたけれど)。

大体自分の心の中をのぞくなんて普通にやったことなければ怖いもので、それがわかる人たちは絶対にその辺りの配慮を100%徹底している。

これは私の予想でしかないけれど、多分20代の頃にあたった先生たちは、施術をする側の体験はものすごくたくさん持っていても、自分がされる側の体験がないか極端に少ないかのどちらかだと思う。

される側になるとわかる。

ただでさえ怖いものだから、まずはそれに対しての恐怖を取り除くような配慮が必要だということ。

 

そんなこんなの心理療法しか目にしてこなかった私は、心理療法も危ないか効果ないかの二択に1つで、さらには精神世界とかスピリチュアルなんていうのはもっともっと危ない思想だと思い込んだ。

そう思うに十分な体験だった。

 

20代の私からしたら、それ以降の私が精神世界の方に行くだなんて1ミリも想像できなかった。

 

この話の続きはまたいつかの名古屋メモリーズで。

 

ちなみに。

世の中には色んな心理療法があって、私は両極端のものを見たけれど、きちんとしているものは受ける人にとって安全で安心できるものです。

「心理療法=怖いもの」というのは、普通あってはならないのではないかと今は思っている。

名古屋メモリーズの中では、自分が受けた安心安全な心理セラピーのことも盛り込む予定。

2018年2月3日土曜日

1つめのプレゼントの前に…


水曜日の帰り道、「明日2月1日から誕生日の前日まで1日1つのプレゼントを自分にあげよう!そうすると丁度38個のプレゼントが用意できる!」と思ったところまでは良かった(38個のプレゼント


いつぶりに拝んだのかわからないほどの太陽が今日お出ましとなり、昼休みはすぐ近くの道の駅に出かけた。


その時車の中でひなたぼっこしながら少し書き物もして、なんとも粋な昼休みを過ごしていた。


それを今日のプレゼントにしても良かったけれど、それではいまいち初回のプレゼントにしては物足りなく、とりあえずこれはプレプレゼントということにして、メインはまた新たに何か別のものにしようと心に決めた。


午後の仕事中も、何をプレゼントにしようか…と何回考えたかわからない(←今日はいつも以上に頭を使わなくていい仕事だった)。


色々考えた結果、家でひとりカフェをすることにした。


クローゼットにしまわれているカップを出して、この間おばから届いたドリップコーヒーで珈琲を淹れて、そしてちょっとしたお菓子を用意して…。


お菓子のことは忘れていたけれど、帰りにコンビニに寄った時にたまたま値引きされた大きなクッキーを見つけて、それをおやつにすることにした。



コンビニ自体10日~2週間に1回ぐらいしか行かないから、今日たまたま行って値引きクッキーを見つけたのはとてもラッキーだった。


そもそもコンビニで値引きされることはそんなにないし、今日寄ったコンビニは初めて立ち寄ったところでもあるから、そんなに値引きをするところだとは知らなかった。


スーパーの値引きと違ってコンビニの値引きは、個人的にとても得した気分になる。


コンビニを出る時も、赤信号で止まっていたおじさんが私が出れるようにと、わざわざ車をバックしてまで通してくれた。


なんてラッキーだろう!とおじさんに何度も頭を下げて家に戻った。


ボケっとして運転してたら曲がる道で曲がることを忘れてまっすぐ突き進んでしまった。


そこは雪が降ると道の状態がすごく悪くなるからいつも避けていた道だった。


でも今さら引き返すのも面倒だし、それで帰れないわけじゃないからそのままその道で帰ることにした。


こういう時って本当に不思議で、いつもはしないことをしたら思わぬ幸運に恵まれたりする。


今日もそうで、いつもとは違う道を通ったら、なんと昨日の皆既月食では見られなかった満月を、今日は満月ではないけれどそれに近い形の大きな月を見ることができた。


1ヶ月の晴れの日を片手で数えてもまだ指が余るぐらいに晴れない新潟県。


それがこうして晴れて大きな月が見える、しかも道を間違えたことで周りに何もない場所を通ったから、より一層月がはっきりと大きく見えるようになっていた。


1個目のプレゼントの日は何て素敵なことが起こるんだろう♪と1人で感激しながら帰った。

 

そこまではものすごく良かった。


そこから先、私はどっと疲れが出た。


おうちカフェに伴い、食器を出すのと同様、それらを置く漆塗りのお盆も出す予定でいた。




↑こんな風にして好きな言葉を紙に書き写してた。
『世界から猫が消えたなら』はとても良い本でおススメです☆

これは百貨店で何度も行きつ戻りつしながらもやっぱり気になる!と思って持ち帰ってきたお盆だった。


百貨店と言えども、私が見つけたのは割引ワゴンの中。


割引と言っても相手は百貨店だから、ホームセンター的なお値段ではない。


でも一生モノだと思えば、安い買い物だと思った。


そこで思いきって買った。


実際に使い始めたら、もうそれがあるだけでどれだけ素敵なおうちカフェとなるんだろう…というぐらいに素敵なもので、もう元は取れるぐらいに使った。


そして仮住まいのアパートにも持って行ったものだから、それがあることはわかっていた。


だけど、ちょっとだけ嫌な予感がした。


実は引っ越して部屋を片付けた後、ものすごーく大切にしているものを2つ失くしていて、それを探すために部屋の中にある全ての段ボールをもう何回も見た。


その時にお盆を見ていないことがうっすらと脳裏に浮かんだ。


気のせいでありますように…と祈りながら、お盆探しを始めた。


2回ほど部屋の段ボールを全て開けて見たけれど、お盆はなかった(汗)。


どうしてこうも大切にしているものを次から次へと紛失するのか不思議でならない。


というより、この自分の管理能力のなさにどっと疲れが出る。


あまりにも気になって、家に運び込まれてる他の段ボールもあさったけれど、とりあえずはなかった。


今日はあきらめて、また時間のある時に探すことにした。


出てこないのは仕方ないからあきらめて、それでようやくおうちカフェはこんな風になった。




これはこれでとても素敵なカフェに仕上がっている。


カップは、いつかの誕生日の時に友達が贈ってくれたもの。

 

~これを選んだ理由~

美術の場合、作品の制作にのめり込んで何時間も経っているときがある。

そんなとき、未完成の作品を少し離れて眺めながら一息入れる。

僕の場合、必ずコーヒーを飲みながら(笑)

そうすると、なんとなく「こうなったらいいなぁ」「こうしたいなぁ」っていうビジョンが見えてくる。

休息=作戦タイムみたいに。

そんな時間を大切にしてほしくて選びました!!

 

という手書きのメッセージももらった。


そのカップを久しぶりに取り出して、今日の1個目のプレゼントの舞台でも活躍してもらった。


カップの下のソーサー的なものは、妹夫婦からの何かのお返し。


姪っ子の誕生祝いのお返しだったような気がする。


妹のだんなのお兄さん夫婦はアートをしている。


物を作ったり絵を描いたり色んなことをしていて、そしてもらったソーサー的なものは2人のデザインの代表的な作品の1つ。


元は、ゴミと化したものからお兄さん夫婦はデザインを起こしている。


最初そのデザインのでどころを聞いた時ものすごく驚いた。


いつだったかは名古屋で個展開催をされたことがあって、私はそこに足を運んできた。


お2人ともとても素敵な方たちで(その時が初対面に近かった)、その時にこのソーサーのデザイン画も見てきた。


2次元の紙の上にしかなかったデザインが今度はソーサーのような形に生まれ変わって、妹夫婦経由で送られてきた。


色んな思いや情熱を注ぎ込んだものたちが今目の前にある。


ソーサーとして使ったのは初めてだけれど、とても良い。


すごく素敵なデザインだなと改めて思う。


クッキーのお皿は、私が気に入って買ったもの。


2枚あったけれど、1枚しかないところを見ると1枚は割ったと思う。


結婚や同棲することをひたすら念頭に置いて集めたお皿たち。


2枚あるものは私は必ず2枚購入していた。


結局どちらも実現することなく今に至るけれど、それでもやっぱりお皿は何回使ってもいい。


お盆は絶対に捨てていないし、両親たちは捨てれない人たちだから万が一2人の荷物に紛れ込んでても間違って捨ててることもないだろう。


またゆっくりと探して、いつかそのお盆も復活させたい。

 

思い付きでやってみたひとりカフェのプレゼント。


自分が思い入れのあるものたちを使うことで、また思い出が1つ増える。


まさかカップやソーサーをもらった時に、こんな風に使うことなんて想像すらしていなかった。


物って一度自分の手元にくるととても不思議なもので、そこからまた新たにストーリーが生まれる。


友達は休息と作戦タイムを兼ねた時間もプレゼントしてくれたけど、実際はそれ以上にもっと心が潤う素敵な時間をたくさんプレゼントしてくれている。


車の中で思い付いた時は1日1個のプレゼントと思ったけれど、実際に今日そのようにしてみて、手にするプレゼントは1つでもその実もっともっと色んなプレゼントが奥に隠されていることに気付いた。


また明日からのプレゼントが楽しみで仕方ない。

追記:明日と書いた2月2日はバタバタしてるうちにすっかりプレゼントを忘れた(汗)。
この文章を保存した時、文字数が3111になって、自分の誕生日と同じ数字でうれしかった。

2018年1月21日日曜日

中学生の私

2日前、遠隔セラピー的なものをとても信頼している方からしてもらった。

私も実際にその人がどうやってするのかは、その人の説明しか知らないし見てないからわからないけれど、筋反射をとって年齢とその時の感情を特定し、それを取り除いてしまうとのことだった。

その日の仕事が終わるとラインが入っていて、13歳の頃に定着したものという内容に始まり、あとはマニアックだからはしょるけれど、その人がやって知り得たことをそのまま教えてもらった。

話を聞いていると、キネシオロジーと呼ばれる療法とあと別の療法を組み合わせて使っていると思う。

その人に伝授してくれた人というのが、特定の協会に属することを望まず、だからその人独自のネーミングで技を伝授してくれたのだと言う。
 

そんなこんなで私は中学生の私を思い出すこととなった。

 
まず最初にラインで「13歳」と言われた時、私は拍子抜けした。

これまで過去の感情的なトラウマとなっているものを癒すワークなんかは有料無料問わずあれこれやってきた。

自分でも自分に対してやれるぐらいにまでなったから、色んな年齢の時の色んなトラウマ的なものを解き放っていった。

だけどよくよく考えてみたら、私は中学生の頃のことを一度も取り扱ったことはなかった。

いわゆるいじめというものをみっちりと体験した3年間だったけれど、その後から私は人間関係にはものすごく恵まれて、自分の中ではもうその時のことは乗り越えたと勝手に思っていた。

一番わかりやすかったのは、20代の前半または中盤あたりを境に、当時の夢を見なくなったことだった。

中学卒業後も年に2~3回、当時の夢を見ていた。

寝る時に見る夢は、いつもだいたい夢の中で動いている自分とそれを見ている自分と2人の自分がいる。

だから夢を見ながら、「これ夢の中だな」なんて冷静に思う自分がいたりもする。

だけど、いじめの夢だけは、夢の中で動いている自分しか毎回いなかった。

それを見ている自分が完全にいないから、夢の中で私はいじめを追体験する。

そして起きると、自分が一体どこにいて自分が何歳なのかわからなくなっていた。

色んな負の感情の感覚もしっかりと体のあちこちに残っていて、だから余計と色んなことがリアルすぎて、毎回その夢の後は落ち着くまでに少し時間を要した。

そして今はそこにもういないとはっきりとわかると、ようやく安心できるようになっていた。

それぐらいに強烈な夢で、でもそれがある時を境に全く見なくなった。

だからもう私は勝手に自分の中では解決されたもの、乗り越えられたものとして捉えていた。

だから「13歳」と言われ、私は驚いた。

当時の記憶はしっかりとあるけれど、それが自分が思っていた風ではなく、実際にはとても強いトラウマで残っていたということが判明したから。

 
巷にあふれているような表現をすると「黒歴史」という風になるだろうけれど、私は当時のことを茶化すようなことはできない。

「いじめられてたよ」ぐらいなことは言ったことあっても、それを「黒歴史」なんていう一言で片づけられるようなものではなかった。

人生で最初で最後、自分の手首を切ってみたのもその時だった。

当時のことはとてもリアルに憶えているし、大人になった今も「命を粗末にして」などとは思わない。

そうしたくなる位に追い詰められていたということと、家と学校だけの往復で、しかも学校に行かないという選択肢が自分の中にはなかったから、毎日生き地獄のような日々を過ごしていた。

死ぬ覚悟もなく、誰かに相談するでもなく、学校に行かないなんて当時は物珍しくそして熱が出ても学校に行けなどと言ううちの母親の前で行かないなんてとても言えず、四方八方塞がりの頃でもあった。

今の私は理不尽だったりすると相手に物申したりするし、適当に交わすとか逃げるとか何かしら自分を安全な方へ避難させる術や考えを持ち合わせているけれど、当時の私にはそういうことができなかった。

話は飛ぶけれど、私がセラピーで取り扱っていたのは、自分の中でそれが今現在にまで影響を及ぼしているだろうと思われるものばかりだった。

それで、先に書いたように、私は高校以降から現在に至るまで、本当の本当に人間関係だけはものすごーく恵まれていたから、いじめの体験は体験としてそのままにしておいても全く差し支えがなかった。

だからまさか自分の中でそれが根強く残っていて実は潜在意識の中では強烈に引き継いでいたことを、今回指摘されるまでは全く気付かずにいた。

 
それを顕著に感じたのは、そのセラピーを遠隔でやってくれた方と電話で話した時だった。

元々その方と知り合ったのは、NLP「神経言語プログラミング」と呼ばれる手法を学んだ時で、その後もお互いに実に色んな話をした。

それこそトラウマ級の話もいくつかしたし、そしてその方は私の小学校1、2年生の頃の壮絶ないじめ体験の時のことを、一緒に寄り添ってくれて悲しんでくれた方だった。

それはある時自分で自分にセラピー的なことを施していた時に、まさかその当時のことが出てくるなんて予想だにせず、私は3日間ほどこれ以上ない位に泣いて過ごした。

本当にあんなに泣けるものかと暇さえあれば泣くぐらいの状態だった。

当時、私は自分の感情をそこでストップ・麻痺させることで、その場をやり過ごすという方法を幼いながらに行っていた。

それが約30年後ぐらいになって、当時の本当に感じていた感情がどばーっと一気に押し寄せたものだから、私はやっとやっと当時本当は泣きたくてたまらなかったこと、怖くて仕方なかったこと、そういうものが出てきて、それでぼろぼろと泣いていた。

その時のことをその人には私の家でお菓子を食べながら珈琲を飲みながら話していた。
話した時は笑い話ではない。

私は言葉に詰まって泣いていた。

だけどその方は私以上にもっと泣いていた。

その人のおかげでどれだけ自分の人生が救われたか計り知れない。

今回電話で話した時も、その人は当時と同じぐらいに悲しみ、ものすごく寄り添ってくれた。

だけれど、今回唯一違ったのは、私の方だった。

自分を強く保とうと、体や頭の方が先に反応していた。

それは中学生の自分のまんまだった。

私は平気ではなかったし、心の中で思うことはたくさんあった。

だけど私は最後の最後まで沈黙を貫いた。

いじめられても一度も言い返さずいじめらるがままだった。

担任の先生は状況によく気付いてくれていて、クラスで孤立していた私に時々
「史子、さみしくないか?」
と言ってくれていた。

猛烈に寂しくて孤独で誰かに頼りたくて…なくせして、私は「さみしくないです。大丈夫です」といつも答えていた。

未来の今、寄り添ってくれる人がいるのに、私はその人と電話で話した時に確実に自分が平静を装うようにしていて、やっと気付いた。

こうやってずっとそこの部分には蓋をしていたこと。

人間関係がうまくいくことと、自分が心の奥底で感じたことが癒されることはイコールじゃないと今回ものすごくよくわかった。

それとこれとは別物で、それで当時の自分に寄り添うこと、それが今の大人の私が自分にできる最大のことだと思っている。

 
今回のセラピーは多分本当に大きく自分の中の癖やサイクルを変えたと思われる。

まだ頭の方の理解は追いついてないからわからないけれど、体の方はきちんと反応が出ている。

聞いてはいたけれど、セラピーの翌日、それはそれは眠たくて眠たくて仕方なかった。

仕事中もなんと午前から眠くて、そして今の仕事で一度もしたことのない昼休み中の昼寝的な感じのことを10分少々だったけれどした。

机に伏せる感じだから体は楽ではなかったけれど、少しでも目を閉じて寝ている状態に近いものをしないと体がもたなかった。

午後もずっと眠くて、そして仕事が終わる1時間ぐらい前からおなかが痛くなり出した。
帰る頃には相当おなかが痛くなっていて途中トイレに寄ったほどだった。

帰りの運転中もやたらと眠くて、あぁこんなことこれまでなかったなぁと思った。

妙にけだるくて、聞いてはいたから心の準備をしていたこともあってメンタル的にはまぁ可も不可もなく的な感じではいられたけれど、体はとにかく確実に不要なエネルギーを外に出すことに全力で動いていた。

今まで体に付着していた過去の重苦しいものがはぎとられた、そんな感じなんだと思う。
だから体の方が新しい状態に合わせようと、もしくは古くてもう今は要らなくなったものを外に完全に出し切ろうと、動いてくれているんだろうなぁと思っている。
 

今しかこんな風に書けないなぁと思って書き連ねた。

朝の4時半に目が覚めてしまって(昨日がその異常なほど眠かった日)、とにかくあったこと起こっていること感じていることを今残そうと決めた。

だからこの話、オチがありません。

悪しからず(笑)。

そして私はこれから二度寝してもう一度エネルギー補給をして、今日明日と楽しいことに精を出す。

2018.1.20 夜明け前の朝