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2018年2月14日水曜日

妄想バレンタイン

2018/02/14(水)バレンタイン

こんなにも一日中バレンタインについて考えてた日も過去に一度もない。

仕事の間中、飽きもせずずっとバレンタインについて色々思いを巡らせていた。

午前中は、もし今年のバレンタインにチョコを渡してたら…という妄想に明け暮れた。

仮に「渡そう」って決めたとしたら、私は何を選んでどうやって渡してたんだろう…というところはまだ可愛らしい妄想で、途中から「相手が嫌がるんじゃないか」「受け取れませんって目の前で言われそう…」とかそんな方向に意識が向き出したら、全く楽しくない妄想に代わってしまった。

職場で義理チョコもらったりしてるんだろうか…とか、誰かから本命チョコもらってるんだろうか…とか、私は結局渡さない選択をしたんじゃないか…とか。

本当にしょうもないことばかりをぐるぐる考えてるうちに午前中は終わった。

午後からは切り替えて、「今後誰かのためにバレンタインディナーを作るとしたら、どんなメニューがいいか」というのをひたすら考えるだけじゃなく、実際に思いついたらメモ用紙にひたすら書き込んだ。

今数えたらなんと9種類もの献立を考えて、さらには追加で具体的な副菜まで考えた。

さらに、それぞれのメニューに合う飲み物も考えて、それまでメモした(←仕事中)。

仕事中、こんなにもサボる人を私はこれまで非難の目で見ていたけれど、もはや私も他人のことは言えない。

それとは別に、憧れだった、例えば受付とか店番の仕事で、お客さんいない時にボーッとしたり個人的な書き物をしたりする、あの感じを自分もしていると思うと、それはそれで満足だった。

・ビーフシチュー
・カルパッチョ
・粉チーズ&オリーブオイルを添えた美味しいパン
・ガトーショコラ系のデザート
・赤ワイン

「バレンタインメニュー」と思って最初に思いついたのがビーフシチューだった。

大きな塊肉と大きなじゃがいも、デミグラスソースも手作りとかできるのかな…とか考えて、冬の寒い日に家でずっとコトコトと煮るビーフシチューという図に1人で酔いしれた。

器は、白いスープ皿に、下には別の皿を敷く…そんなことまでイメージした。

ビーフシチューが重いから、あとはカルパッチョ。

そしてこの間洋食屋さんで食べた粉チーズ&オリーブオイルの組み合わせにパンをつけるのがめちゃくちゃ美味しくて、それを真似したいと思った。

続いては。
・おでん
・生春巻
・チーズ盛り合わせ
・ワイン、日本酒

おでんもコトコト煮る。

そしておでんはすごく手間暇がかかる。

ここまで考えた時、私の中でバレンタインは、相手を思って特別に手間暇かけてごはんを作りたいんだとわかった。

普段なら、おでんならおでんで終わりだし、一人暮らししてた頃は生春巻が大好きで一食まるっと生春巻だけという日が月1くらいのペースであった。

だけど、そうじゃなくて、ゆっくり箸をつつきながらおでんを食べたり、箸休めに生春巻やチーズをつまむ。

そして他愛もないことを話す。

妄想の中ではものすごく楽しいバレンタインに仕上がってた。

次の献立。
・キッシュ
・アクアパッツァ
・大きめの皿にちょこちょこ盛った前菜
・白ワイン、スパークリングワイン

この辺りからますます調子が出て、続けてこんなメニューを。

・ポタージュ(人参とか)
・パテ
・グラタン
・ムール貝の酒蒸し
・白ワイン

どのメニューもものすごく手間暇かかる系だけど、年に一度や二度と思えばまぁ楽しくやれるかな…と思った。

・たこ焼きパーティー
・ビール

これは手間暇がかかってないけれど、一緒に焼いて食べるのも楽しいなと思った。

そんなバレンタインもありだなと。

・ラザニア
・おいしいソーセージ
・じゃがいものグリル
・コールスロー
・スパークリングワイン、ビール

名古屋に住んでた頃、徒歩圏内にドイツで修行した方のドイツ風手作りウインナーの店があった。

そこは毎週土曜日の1時から手作りベーコンを販売していて、それ食べたさに通い、ついでにドイツ風ウインナーも一緒に買っていた。

そのウインナーがいつもどれを食べても美味しくて、私はまさにそのウインナーの虜になっていた。

そういうウインナーを頭の中では思い描いている。

・バッファローウイング シーザードレッシング添え
・ポテサラ
・レンコンとごぼうのチップス
・ビール、黒ビール

こういう超コテコテのジャンクフードばかりを集めたメニューもいいなと思った。

バッファローウイングは、私がアメリカに住んでた頃ハマってよく食べてたもの。

ちなみにバッファローウイングはレシピを知らないから、それは調べないといけないなと大真面目に思った(←妄想の域を超えて、もし作るなら…というかなり真剣なモードに変わり出した 苦笑)。

・チキンのパン粉香草焼き
・エビマヨサラダ
・ロールキャベツ風スープ
・ビール、白ワイン

チキンのパン粉香草焼きというのは、栄養士のいとこと一度だけ一緒に作ってそれがたまらなく美味しくて感動した品だった。

作り方忘れたから、これは本当に作るならいとこに連絡しなきゃと思った。

・バーニャカウダ
・チーズフォンデュ(おいしいパンも)
・人参とツナのサラダ
・おいしいサラミとハムの盛り合わせ
・白ワイン、赤ワイン

人参とツナのサラダは、私が自分で作るサラダの中で一番美味しいと思ってる。

レシピは簡単で、千切りした人参(1本分)にツナ缶(油漬けの方)、普通の酢に塩。

それらを混ぜて少し休ませると、とても美味しくなる。

何故か砂糖が入ってないのに、自然な甘みが出る。

メニューを書いていて「大きめの皿にちょこちょこ盛った前菜」としたところ、今度はそのちょこちょこ盛る前菜の種類を考え出した。

・ミニトマトのマリネ
・ピクルス(うずらの卵・ミニコーンなど)
・くんせいチーズ
・ローストビーフ
・ライスコロッケ

想像は自由だから好き放題想像したけれど、本当に作るとなったらすごい手間だな…と思った。

そして、全体的に洋風なメニューが多いから、洋風な副菜を考えることに今度は頭を使い出した(一応仕事しながら)。

・かぼちゃとクリームチーズのサラダ
・ひよこ豆のディップ
・タルタルのサラダ
・生ハムの生野菜包み
・玉ねぎのマリネ
・ソーセージとさつまいもの黒こしょう炒め

ここまで書いといてなんだけど、私はビーフシチューの素を使わずにビーフシチューを作ったこともなければ、キッシュもアクアパッツァも作ったことない。

だけどいずれもレシピを見たら作れると思ってる。

食いしん坊は、食べるための労力は惜しまない。

そのための下調べも、わりかししっかりとする。

そんなこんなのバレンタインメニューを考えてたら仕事の終わりの時間になった。

そう、午後の4時間半はほぼメニューの組み立てに全力を注いだ。

せっかくわざわざメモしたから(そして持ち帰ってきたから)、これはレシピノートに挟んでおいて、いつかの未来に本当に役立てたいと心から願ってる。

2018年1月12日金曜日

食べる時のあうんの呼吸


これまでどれだけたくさんの人とごはんを共に食べたんだろう。

さっき文章を書いていて、実は私は人とごはんを食べる時、相手との呼吸の合う合わないをすごく見ていることに気付いた。

家族は別で、いちいち呼吸が合う合わないなんて考えない。

それ以外の人たちは、かなり無意識に相手の動向を私は観察している気がする。

私の中で何人か一緒に食事をするのが楽しい人がいる。

そこに飲みも加わるともっとハードルが上がるから、とりあえず食事に限定。

ちなみに飲みが楽しい人たちは、飲みも食事も両方花丸な感じで呼吸が合っている。

この話を先日ある友達にしたところ、とても驚かれた。

そんなに合わない人っている?と逆に聞かれた。

私は基本的に食べ物の好き嫌いがほぼほぼないし(限りなくゼロに近い)、相手に合わせてどんな風にでも食べれるタイプ。

だから、好き嫌いの多い人やある特定の食事のパターンがある人、または外食のレベルに異常にうるさい人なんかに当たると、どっと疲れる。

好き嫌いの多い人だと、自分が食べたいものじゃなくて相手が食べれるものを選んでもらう。

その時点で疲れるし、下手すると食べる楽しみがぐんと減る。

特定の食事のパターンというのは、例えば自然食志向とか、場の空気よりも自分の嗜好を優先させる人とか、とにかく癖がある。

そういう時も私は相手に合わせるけれど、頼む時もシェアする場合もやたらと気を遣って疲れる。

外食のレベルに異常にうるさい人というのは、本人も食に関して相当な知識や技術を持っている人の場合が多い。

そういう人だと店選びからまずは大きなハードルになるから、本人が納得するところを自分で選んでくれと思ってしまう。

そして実際に店に入ってからも、どこの評論家かと思う位に料理にサービスに色々と口をはさむ。

本当にひどい人だと、なぜ目の前の食事が楽しめない!?と心の中でものすごく毒づいている。

多分食の呼吸が合う人たちは、おそらくみんな雑食系な気がする(←言い方が失礼な感じだけれど、わかりやすく言う他の表現を思い付かない)。

そういう人たちは、相当ひどいクオリティじゃない限りごちゃごちゃと文句を言ったりせず、目の前の人と会話を楽しみながらごはんを食べたり飲んだりしている。

もちろんおいしい方がいいに決まっている。

でもおいしくなくて仮に失敗したねこの店、この料理…となってもお互いにひそひそと言って笑い話にしたり、気持ちを切り替えて次の店行こう!ってなる。

これが家での料理だったとしても、「ごめーん、これ今日しょっぱくなった!」と言いながらも出せるし(私は)、口に合わなければ無理して食べないでと言えるし、相手も適当に食べてくれる。

人が作ってくれたものに関して言えば、私の友達はみんな揃いも揃って料理上手だから、口に合わないことは過去に一度もなかった。

一度だけ酔っ払って友達が作った焼きそばがしょっぱくて、それをとても失礼な言い方で友達に伝えてしまったことがあった。

私が謝ると友達は大丈夫と言ってくれたけれどやっぱり気になって、後日謝罪とお礼の長い手紙を書いて出した。

熊本で友達数人と結婚式の前夜に合流した時なんか、最後は吉野家で飲んだ。

熊本駅前は閑散としていて、2軒目は選択肢がほぼほぼなく、吉野家が開いてる!ということで吉野家にみんなで流れ込んだ。

それだってかまわない。

いや、他に選択肢があれば他に行ったけれど、そこしかないのであればそれでいい。

それよりも一緒に過ごす時間の方がうんと大事だったから、気にならなかった。

大人になればなるほど思うけれど、食事の楽しみ方を知っている人との会食はとても楽しい。

それは食事もそうだけれど、それよりも純粋に相手との時間を楽しもうという姿勢がある人たちなんだと思う。

だから一緒にいて居心地がいいし、食事も楽しい。

そういう空気のようなものを私は食事中に多分ものすごく観察している。

2016年4月22日金曜日

250円弁当

手抜き料理の話を書いていたら、昔時々買っていた250円弁当の存在を思い出した。

当時はブラック企業での勤務をしていて、1日最低1食は外食という日々だった。

あんなにも外食が耐えられないと思ったことは、人生の中で他になかった時期だ。

毎日食べるものが変わっても、とにかく毎日毎日外で食べるということにほとほと疲れていた。

しかも、同僚や上司と食べることが多く、それもストレスの1つだった。

そんな中、ある日わたしは会社の本社の近くに250円弁当を出す弁当屋を見つけた。

揚げ物を中心に数種類の弁当があって、わたしは2~3回を除いて毎回唐揚げ弁当だった。

弁当を買ったら、近くのお気に入りの神社に行き、そこで1人でゆっくりと食べていた。

残念ながらこのお店はもう今はなく、今でももう一度食べたいなぁと思うお弁当だ。

この250円弁当の唐揚げのレベルが、ものすごく高いレベルだった。

昭和のような古い建物の1階部分がその弁当屋で、いつも2人の店員さんがいた。

1人は奥でひたすら唐揚げを揚げている人、もう1人は店頭で接客というか金の受け渡しをする人

という、実によくできたシステムだった。

唐揚げをきちんと揚げているのは見ればわかる。

しかも1つ1つ大きさが不揃いゆえ、産地不明の鶏肉でもきちんと手作りの唐揚げになっている。

味付けもシンプルだけど美味しいし飽きない。

大きな唐揚げが4~5個入っていたと思う。

ごはんも炊き立てを入れてくれてるらしく、いつもごはんはほんのり温かかった。

ピンクの漬物と小梅1つ、あとは業務用と思しきポテトサラダが少し。

野菜ゼロで不健康な感じの弁当ではあったけれど、中身は美味しかった。

当時のお昼ごはんの中で一番印象に残っているのは、その250円弁当だった。

あとは食べた店も覚えているけれど、この250円弁当ほど印象に残るものは1つもない。

2016年3月19日土曜日

おなかを満たす和のご飯

今日のお昼の献立。

白米
「松山あげ」と呼ばれる揚げと葱の味噌汁
れんこんのきんぴら
めかぶ葱納豆
めかぶと塩ウニの佃煮


昨日、おとといと名古屋を去ってしまう2人の人の送別会がそれぞれあった。

ホルモン焼き、チーズの盛り合わせがおととい、昨日は宴会コースのごはん。

そしてその前の晩あたり、1尾25円のブラックタイガーと1パック98円のホワイトマッシュルーム、

そしてそのもっと前に買ってあったしらすでアヒージョを作った。

自分が食べるものだから適当な作り方でも気にならない。

アヒージョ用の小さな鍋に、にんにくのみじん切り、その上に適当な具材、そして最後にたっぷりの

オリーブオイルを注いで、電子レンジで2分チン。

私の持ってるレンジは800W。

わたしは鍋があるけれど、深みのあるレンジ対応の器であれば何でもいいと思う。

あっという間にアヒージョの完成。

しらすから塩分が出るから、調味料もいらなかった。

アヒージョの余ったオイルで次の日はオイルパスタを作った。

どれもこれもおいしかったし、満足したし、満腹にもなった。

けれど、今日のお昼に食べたごはんは、それらとは全く別次元のおなかの満たし方をする食べ物

だということを初めて知った。


消化するのにヘビーな献立が続いていたこともあって、今日はとにかく白米が食べたかった。

白米の厄介なところは、何かしらのおかずが必要になること。

おかずなしで白米と海苔、白米と納豆、卵かけご飯で終了なんてこともあるけれど、今日は味噌汁

含め何かしらを白米と共におなかに入れたくなった。

ただ、面倒はしたくない。

できるだけ手軽に、手間は最小限で。

米を研いで20分も浸水したかしないかのうちに、炊飯器で倍速炊飯をした。

おなかが空いて、1時間弱も待てないと思ったから。

おもむろに冷蔵庫を開けて、すぐにできそうなものを考える。

今はわりかしたくさん食料が入っている。

まずは、最近のマイブームのめかぶと納豆を混ぜると決めた。

今日はそこに刻み葱も足したら、これまた絶品な味となった。

次回からも葱は必須にしようと決めた。

めかぶかぶりだけど、先日「めかぶとウニ」の佃煮と思しき大瓶が友達の家の近所のスーパーで

198円で売り出されていた。

その安さに最初不安を覚えて、ラベルをじっくりと見た。

中国産かと思いきや、島根県で作られている。

さらにそんなにおかしなものは入っていない。

酒のつまみにも良さそうだったから、物は試しで持ち帰ってきたものだった。

ちなみに食べての感想は、ごはんのお伴の方が相応しい感じだった。

リピートはないけれど、今回買った分は最後までおいしく食べれそうだ。

おかずはさておいて、味噌汁を作ろうと思った。

この「松山あげ」という薄揚げを乾燥させたような代物、名古屋市内のスーパーでよく見かける。

ただし、これが結構な高額商品(200円を少し切る程度)で、気にはなっていたけれど、そもそも

揚げにそんなにお金を出したくないのと、それでもしまずかったら残念すぎるという理由で、ずっと

手を出さずにいた。

ちなみに、あちらこちらで山積みになっているものの、買っている人を実はこれまで一度も見たこと

がなかったのもためらう大きな理由だった。

おいしいのであれば、色んな人が買っても良さそうなのに、誰しもが買っていない。

そんな松山あげを買ったのは、ある時、近所のドラッグストアでなんと138円の大特価で出ていた

から。

138円なら仮に失敗してもいいかなと思えるぎりぎりの値段で、さらに賞味期限が長いからすぐに

使わなくても大丈夫とわかり、1袋買って帰ってきた。

そうだそうだと思い出し、味噌汁の具はその松山あげとめかぶ納豆でも使う刻み葱にした。

食べて驚いた。

揚げとは思えないふわふわ食感で、ものすごく美味しかった。

あの揚げにしては通常の1.5~2倍もする値段もなるほど納得だった。

こちらは、また大特価の時にリピートしたいと思う。

れんこんのきんぴらは、もう2週間は経ったと思われるれんこんがそろそろやばいのではないかと

思って作ることにした。

ちなみにれんこんは、土を水(わたしは冷たいのは無理だったからお湯使用)で落として、あとは

タッパにれんこんがしっかり被るぐらいの水を入れて冷蔵庫保存すると驚くほど持つ。

今回2週間は問題なかったし、過去にも3週間程経過した時もあったと思う。

裏ワザではないけれど、この方法を採用してからは安い時にれんこんを買えるようになった。

この方法にしてからは、れんこんの皮すら剥かなくなった。

イコール手間が大幅にカットされて、大好きなれんこんのきんぴらの登場回数も増えた。

とまぁ、そんなありふれた今日のお昼の献立。

食べている最中から、おなかに徐々に熱と共に食べ物が吸収されていくような感覚があった。

全てたいらげた後、もういつぶりかわからない「おなかの満腹感」を感じた。

最初に書いたような、飲み会の席の食事もアヒージョもその余ったオイルで作ったパスタも、全て

おなかは満たされる。

だけど、それらの場合、「量を食べることによる満腹感」であって、今日のお昼に感じたタイプの

満腹感とは全く別物になってくる。

さらに気付いたことがもう1つ。

例えば同じような和のご飯を外で食べたとする。

どういうわけだろう、外食の和のご飯は「量を食べることによる満腹感」しか、わたしの場合は

得られない。

本当に不思議な感覚だったけれど、おなかが程良く満たされ、食べ物によっておなかも心も

包まれる、そんな風だった。

「手作り」という括りでいけば、アヒージョの余ったオイルで作ったパスタだって自分で作った。

だけど、今日のお昼のようなおなかの満たされ感は皆無だった。

だから自分で作ったものなら何でもいいというわけでもない。

むしろ「和のご飯」に限定されてくると思う。

体そのものが本当に欲している食べ物のような気がする。

そして献立を見ての通り、肉も魚も一切ないけれど、それでもものすごい満腹になった。

本当にどんな隠しパワーが潜んでいるのかと思うほど、今日の自分で作った適当な和のご飯は

体の奥深くまで大切なものを満たしてくれるものだった。

2016年2月28日日曜日

ひと手間の味

昨日の夜は、半額で買ったものたちを食卓に並べての晩酌になった。


半額の16種のスパイスで味付けしたと言われるチキン、半額のカツオの刺身、人生初の半額で

購入した宮城県産ほや、大阪の鶴橋にあるコリアンタウンのキムチと銘打ったこれまた1パック

128円に値引きされたもの、そして発泡酒。

左下のれんこんと人参のきんぴらは自分でさっと切ってさっと炒めて作った。

何よりもきんぴらが一番おいしかった。

そして体の奥底に染み渡る感じがあったのも、このきんぴらだけだった。

刺身もチキンもお店の人のひと手間がかかっている。

だけど、自分で作ったきんぴらのような体に訴えるようなものは何もなかった。

そしてこちらが今日のお昼ごはん。


久しぶりにきちんとした和定食のようなごはんが食べたくなった。

魚は、昨日の半額たち同様に半額で手にしたかますの開きと鮭のネギ味噌漬。

普通においしかったけど、一通り食べて思ったのは、その主菜が一番のごちそうではなく、他の

3品、白いごはんに友達からもらったはちみつ漬の梅干し、豚汁、マロニーで作った中華サラダの

方がうんとうんとごちそうだった。

温かさももちろん関係していたと思う。

湯気が立つ程の豚汁に白いごはん、それだけですごいごちそうだったりする。

ごはんは米を研いであとは炊飯器任せにしても、中華サラダも豚汁もそこそこ手間がかかる。

手間と言っても、野菜や肉を切って、マロニーは茹でて、いり卵作って、あとは豚汁はすべてを

鍋にぶちこんで煮ただけ。

味付けなんかは1分で終わる。

一番手間だったのは、こんにゃくを手でちぎることだった。

実際には15分も台所には立っていない。

あとは炊飯器がガスがおいしくしてくれる。

炊飯器とガスが働いている間、わたしは自分のことをして過ごした。

たったひと手間だけど、そのひと手間をしたごはんは確実においしい。

本当に適当な感じでしか料理をしないわたしだけど、適当は適当なりに体はそのひと手間かけた

ごはんに慣れている。

そしてその慣れ親しんだものがなくなると、途端に体も心も元気を失う。

びっくりする程にわかる。

さらに言うと、その手のものを食べないと、わたしの場合は食べすぎる傾向がある。

昨日の夜の晩酌は、決して栄養価は高くないのにカロリーは高い。

そういうものは食べても食べてもおなかになぜか溜まらない。

食べてるのに空腹感がちょびっと残る。

そしてその空腹感を満たすために新たな食べ物を摂取するという悪循環が始まる。

片や今日のお昼ごはんは、上の量で充分だった。

豚汁はもう少しだけ足したけど、それはあまりにおいしくてもう少し食べたい!という欲から盛った

ものだった。

健全な食べ方だなぁと自画自賛した。

豚汁に至っては、大根は1ヶ月ほど冷蔵庫の中に放置したもの、肉と薄揚げは冷凍庫で長らく

待機していたもの、えのきはそろそろご臨終しそうな状態のもの、最後に乗せたゆずは冷凍して

ずいぶん経っている。

そういう材料でできていて、決して高級食材などない。

だけど、体に大切な何かが染み渡る感触がある。

素材で言えば、昨日のカツオやほやの方が上だし、栄養価も高い気がする。

でもそういうことではなくて、もっと根本的なところ、自分の手で自分のために何かを作るという

手間が、大したことない料理を一気に体や心を元気にさせる威力のある一品に仕上げる。

これは絶対にどんなに良い素材であっても、このひと手間料理には勝てないような気がする。

もちろん良い素材にプラスひと手間があれば、もっとおいしいものができるとも思う。

ジャンクフードもお菓子も相変わらず好きだけど、こと最近はこういう体の奥から元気にさせて

くれる手料理特有の良さにものすごく敏感になってきた気がする。

2016年2月14日日曜日

弱った時に食べたいもの

昨日の土曜日は、ほぼ1日中布団の中で過ごした。

寝る、食べる、携帯を触る、その3つを延々と繰り返していた。

最初に食べたのは、いつか手作りした冷凍餃子を焼いたもの。

12個程食べたけど満腹感は得られず、布団の中で何だったら面倒がなくすぐに食べられるかを

思案した。

次に登場したのは、実家の名産の大きな油揚げ。

大きさで言えば、B5サイズの紙を縦半分ぐらいにしたもので、厚さは3cm程ある。

ボリュームたっぷりのもの。

それも冷凍庫から1枚出し、レンジで軽くチンをしてからフライパンで焼いた。

ネギと生姜を刻み、かつおぶしもかけて醤油をたらした。

またしばらくするとおなかが空きだしていることに気付いた。

そうだ、柿の種があったはずと思い、菓子袋をのぞくと柿の種が6パックの1袋だけ残っていた。

そのまま布団の近くにまで持ってきて、ぼりぼりとむさぼった。

またしばらくするとおなかが空いて、頭の中で冷蔵庫冷凍庫乾物たちを思い描いた。

次に思い付いたのは、トースト。

山型の食パンに、今はまっているイオンで半額で出ていたフランス産の発酵バター、そして義理の

弟が手作りしたりんごジャムがある。

ちなみに弟手作りのりんごジャムは、わたしは自分が今まで食べたジャムの中で1番おいしい

ジャムだと思っている。

パンを2つに手で割って、バターと最後のりんごジャムを楽しんだ。

またしばらくするとおなかが空き、また冷蔵庫冷凍庫乾物を頭の中で想像する。

こうも寝てばかりだというのに、何がどうしておなかが空きまくるのだろう。

もうストレス最高潮としか言いようがなかった。

すぐにできるものということで、干し芋が冷蔵庫にあるのを思い出した。

これは義理の弟の茨城の実家より我が家へ毎年贈られてくるもので、父と母は好んで食べず、

わたしは毎年ありがたくいただいて帰ってくる。

そして最近のブームは、干し芋にチーズをのせてレンジで温める食べ方だ。

そうやって干し芋をおなかに収めた。

それでもまた少し経つとおなかが空くのだった。

次はいい加減何かしら買いに外に出るか、もしくは家にあるものでちょっと手を加えて食べるもの

ということになった。

しばし一人でああでもないこうでもないと考えた。

1日食べ物以外のことで生産的な考え事は1つもなかったことに気付いた。

それでもおなかが空くのは変わらない。

ふとそこで、「白米が食べたい。炊きたてのご飯に梅干し、味噌汁がいい」と思った。

そこでよいこらしょと起き上がり、ごはんの準備をした。

簡単に米を研いで、あとはスイッチを入れるだけ。

梅干しは、今回は料理上手な友達からもらった紀州のはちみつ漬けの梅干し。

味噌汁も1から作るのは面倒で、お湯だけ沸かし、お椀に顆粒だしと小さな泡立て器に味噌を

からめたものを入れておいて、お湯を注いで味噌を溶かし、そこに先ほどの友達が一緒にくれた

伊勢湾産の乾燥のあおさのりを浮かべることにした。

食べすぎな感は否めなかったけれど、一口ごはんを食べて味噌汁を啜っただけで感動した。

体に熱と力が行き渡るような感覚で、これを体は求めていたんだなと思った。

食べている途中、先月母が米と一緒に送ってくれた母手作りのたくわんも切った。

しばらく食べずにいた間に、良い漬かり加減になっていた。

本物のご馳走たちが木のテーブルの上にようやく並んだ。

餃子も油揚げもトーストもどれもご馳走だけれど、体と心が弱っている時はもっと根本的な何かを

体は求めている。

基本的にわたしはおなかを悪くしない限り、そして精神的ダメージ100%位のことが起きない限り

普通に食欲がある。

熱が出ても平気でごはんを食べる。

わたしにとって食欲がなくなったら、大真面目に体は赤信号を出している。

だけど昨日のような黄信号の時はわからないことが多い。

食欲はある。なんだったら、昨日のように食べても食べてもおなかが満たされないことだってある。

自分でもストレスの方が自分の抵抗力を上回っていることは重々承知していた。

だけどそういう時は、思考力も体感覚も低下していて、本当に食べたいものが何かすぐには

わからないようになっている。

昨日も延々と回り道した結果、白いご飯と味噌汁が一番体が欲していたことがわかった。

こういうものって特別じゃなくていいんだと思う。

子どもの頃から繰り返し繰り返し食べ慣れたもので、そして一番大事なのは、食べた瞬間、

「ほっとする」

そのことだった。

ごはんを味噌汁を口に入れた瞬間の「ほっとする」感覚は、体と心が弱っている時こそてきめんに

表れる。

普段の味覚とは全く別次元で、心が本当に生き返る感じだった。

ふと振り返れば、正月明けから昨日に至るまで、白いごはんをまともに食べていなかった。

まともに食べていなかったというのは、物理的に食べなかったのとは違う。

基本的に毎日弁当を持参しているから、1日2回、週10食近くは白米を食べている。

だけど、全然食べていなかったのも同然な毎日だった。

朝はあわただしく5分ほどでかきこむ。

昼は昼で、喧噪の集団から身をはがし、食べることよりもとにかく色んなことから離れることに

神経を集中させていた。

だから昼間は食べているのにも関わらず、食べている感覚がない。

夜は飲むことが多く、白米を食べない日の方が圧倒的に多い。

昨日1日布団の中で過ごしてわかったのは、もうそこまでしないと自分の体力も精神力も回復

できないところまでになっていることだった。

色々状況は改善の方向にある。

12月に比べたら1月2月は随分と仕事もペースダウンした。

それでも色んなことを敏感に感じ取っているのだろう、どっと疲れが出る。

なんとなく誤魔化していても誤魔化しきれなくなり、そしてとうとう昨日は寝込んだ。

1日経った今日は、すっごく元気とはいかなくても、年末からため込んだ書類の整理やお金の計算

その他家のことで気になったことを諸々片付けた。

たった1杯の白米と味噌汁がここまでのエネルギーチャージに変わる。

今日の1食目も、昨日多めに炊いた白米にネギと母のたくわんを刻んだものと納豆を混ぜたもの

を乗せて食べた。

あおさの味噌汁も昨日と同じ要領で作った。

1日の始まりに対して、とても良いスタートを切れた。

良いスタートにぴったりなごはんだった。

「食(べる)」という字は、「人を良くする」と書く。

それを教えてくれたのは、社会人最初の職場のパートのおばさんだった。

パートなんてもったいない位の機転が利きとても聡明で誠実な方だった。

その方が何度となくそれをわたしに教えてくれた。

その時はそこまでぴんと来ていなかったけれど、昨日の食事で一気に納得した。

たった1つのごはんが人を良くする。

そして「ほっとする」作用までもたらしてくれる。

一気に良くしなくても、少しずつでいいから良い方向に自分の状態を持っていきたいと思う。

その中で一番手っ取り早いのは、白米と味噌汁のような気がしてならない。

2016年2月7日日曜日

ポトフを究める

去年の冬からポトフにはまっている。

1年前、料理ブログのブロガーの方たちがこぞってポトフを作っていた。

「絶品」と皆が口を揃えて言う。

自分で実際に作ってみるまで、ポトフは単なる野菜と肉・ウインナーを煮込んだメインにならない

スープと思っていた。

しかも調味料は塩だけというとてもシンプルなもの。

そんなものが美味しそうとはとても思えなかった。

いざ作ってみたら、その野菜・肉・ウインナー+塩だけのスープがものすごく美味しいとわかった。

「絶品」と言われるだけのことあって、本当に本当においしいスープが出来上がった。

今日の昼間も、掃除したり他のことをしながらただ煮込めばいいポトフは休日ランチにもってこいの

メニューだった。

しかも昼間なら別にポトフだけ食べて終わりでも全然気にならない。

そして今回は、このポトフに新兵器を投入してみた。

「茅乃舎(かやのや)」と呼ばれるブランドのだしがある。

発祥は福岡だけど料理ブログ界では有名ブランドらしく、色んな人のところで見かける。

名古屋市内にも1店舗だけ取り扱いがあって、一度は試してみたいと前々から思っていた。

そもそもだしバックなるものを買ったことのなかったわたしにとって、だしパックとはいくらが相場

なのかさっぱりわからずにいた。

だけど5パック入って300円台であれば、手が伸ばせる。

しかもそこはすべて試飲させてくれる。

店頭で味見をさせてもらって驚いた。

本当に「料亭か!?」と思ったほどの旨さで、これは皆が使うのもうなずけた。

それでその5パック入っただしパックを手に入れ、今日はポトフにパックを破いて直接入れた。

そう、茅乃舎のだしは袋を破いてそのまま使ってもOKというので、これまたありがたい限り。

さらに今日はもう2つ高級食材が一緒に入った。

1つは「インカのめざめ」と呼ばれるじゃがいも。

もう1つは、アップルベーコンというベーコンで有名なところが出してるウインナーがなんと特価!

普通の市販のものより安かったから、それも入れてみた。

ちなみに「インカのめざめ」は、なぜか半額になっていたものを買い置きしておいたもの。

もうどれだけ高級食材が揃ったんだという位の高級ポトフになった。

期待で胸を膨らませ、お気に入りのボウル型の陶器にポトフを盛り付けて一口スープを啜った。

あれ?と思った。

おいしいはおいしい。

だけどポトフ本来の良さも半減、茅乃舎のだしの良さも半減。

1+1=2ではなかった。

どちらも良さが失われて、実に中途半端になってしまった。

まぁおいしいのは変わらないから、と思って気を取り直し次はインカのめざめへ。

これもまた実に中途半端な味に仕上がっていた。

正しくは味が薄れ、何ともぼけた味しかしなかった。

今回インカのめざめを色んな食べ方で食べてみてわかったことは、わたし自身が多分じゃがいも

に関してはとても舌が肥えている。

子どものころからじゃがいもがとても好きだ。

別に特別ないもでなくていい、普通の男爵とかで十分。

ただ年に1度だけ、母の勤めている会社の社長夫人が夫人の実家の北海道からきたじゃがいも

を届けてくれていた。

今から25年程前は、じゃがいもと言えば男爵とメークイーン位なもので、その他の種類のものを

手に入れるのはほぼ不可能に近かった。

ましてや今のようにインターネットでボタン一つで全国各地のおいしいものを手にするような時代

でもなかったから、じゃがいもも当然スーパーで手にするか、農家の方のおすそわけをいただく

位しかなかった。

ところがその秋口に毎年届けられたじゃがいもは、まず皮が赤かった。

さつまいもの皮をもう少し濃くしたような赤で、子ども心に「これは絶対に高級じゃがいもに違い

ない」と踏んでいた。

このじゃがいもに関しては、わたしは一切の労を惜しまず、きちんと蒸し器を用意して自分の

おやつとして吹かし芋を食べていた。

本当においしくて、大きなじゃがいも2つは平気でぺろりと食べていた。

そういう芋を食べた記憶があるせいか、インカのめざめにはあまり感動を覚えなかった。

そしてさらに今回のポトフで言えば、人からおすそわけでいただいたさつまいもも入れていて、

そのさつまいもの圧倒的勝利で余計とインカのめざめは影が薄くなってしまった。

そう、さつまいもを入れるのも料理ブログの影響で、これまた色んな人が口を揃えて「ポトフには

絶対にさつまいも!」と言う。

1年前半信半疑で入れてみたらものすごくおいしくて、それ以来作る時は毎回入れている。

ウインナーに関して言えば、もうポトフには入れない方がおいしいと今回わかった。

ウインナーはおいしいものだと思うけれど、ポトフはあくまで野菜が主役で、そして少しばかりの

塊り肉があればそれで十分おいしいだしが出ることもわかった。

今回のポトフを作ってわかったことは、高級なもの同士を組み合わせればいいというものでもない

ということ。

高級であればあるほど、その素材をそのまま生かす方法で食べた方が絶対においしい。

実際にインカのめざめも、一番おいしいと思った食べ方は、単に吹かしてそしてあとはバターと塩

で和えただけのものだった。

個人的にポトフの材料でマストなのはさつまいも。

あとは適当で大丈夫。

逆に入れるといまいちなのは、じゃがいも(←さつまいもの甘さに負けて味がぼける)、大根。

大根は、あの大根特有の青臭さが目立つ。

個人的にいまいちだったのは、れんこん。

れんこんはあの歯ごたえが好きだから、煮た食感があまり好きではない。

今日はごぼうも入れてみたけれど、これはおいしかった。

ごぼう特有のくせが良い具合にスープに溶け込んでいた。

この冬、もう一度位ポトフを作ってみたいと思う。

その時は、また調味料は塩だけで作る予定。

2016年1月24日日曜日

憧れのオニオングラタンスープの結末

昨日の朝ごはん、ふと思い付いて「オニオングラタンスープ」なるものを作った。

人生で初めて作ったオニオングラタンスープ。

実はこのオニオングラタンスープにものすごく憧れていた。

「オニオングラタンスープ」なるものを最初に知ったのは、大学生の頃、とあるアメリカの田舎町で

日本人の友達と交わした会話の中だった。

彼女とは最後の1年、もう一人の日本人の友達と3人でよく色んなものを作って試していた。

その彼女が「玉ねぎを2時間くらいかけて弱火で炒めて作るオニオングラタンスープがものすごく

絶品で私大好きなの」と言ったことがあった。

わたしはなぜその会話を克明に頭の中にインプットしたのかその理由は知る由もないけれど、

とにかくずっとずっとその言葉を頭の中で何度も反芻していた。

ただいかんせん、食べたことがない。

今も和食中心の我が実家において、そんな洒落た洋食など出てくることは一度もなかった。

そしてオニオングラタンスープを外で食べることもない。

まず置いている店も限られてくるのと、外で食事をする場合、わたしは「ごはん系」をがっつりと

いくか又は飲みのつまみをつまむかのどちらかになる。

このオニオングラタンスープというのは、そのどちらにも当てはまるものではないゆえ、外で試す

機会もなく今の年齢になった。

昨日の朝思い付いたのには理由がある。

相変わらず料理ブログが好きで色んな料理ブログを読み漁っているけれど、「オニオングラタン

スープ」なるものは一般家庭でも十分に作れることがブログを通じてわかったこと。

もう1つは、半額で購入したカンパーニュと呼ばれる昔で言う「フランスパン」が残っていたこと、

イタリア産の生粉チーズも半額で持っていたこと、そしてとろけるチーズもあること、とこれだけ

材料が揃っていたから、「作ってみよう」となった。

とりあえずネットでレシピを検索。

料理家の土井善晴さんのレシピがヒットした。

個人的に土井さんという方のレシピはすごく好きだ。

シンプルでわかりやすく、さらに素材の味を最大限に生かす方法を包み隠さず教えてくれる。

彼のレシピなら間違いないと思い、チキンスープはコンソメ顆粒で代用、本格的なチーズはない

から例のイタリア産生粉チーズととろけるチーズで代用し、作り始めた。

味は申し分なかった。

普通においしいと思う。

「思う」と書いたのには理由がある。

最初の期待値が大きすぎて、別に対して美味しいと絶賛するほどではなかったこと。

そして、作ってわかったのは、「自分が嫌いな食べ物」の存在を思い出したこと。

嫌いな方が勝り、おいしいかどうかは二の次になってしまった。

嫌いな食べ物というのは、パン全般において「パンがゆ」はじめ液体にパンが浸されて、パンが

ぬめぬめしているのが好きじゃない。

子どもの頃、妹ふたりはパンがゆが大好きで、母はよく作っていた。

わたしは牛乳が嫌いだからパンがゆは手をつけなかった。

これまでも、牛乳が嫌いゆえパンがゆを食べないものだ、とずっと思っていた。

だけど昨日はっきりと自覚した。

とにかくパンが液体にさらされてぬめぬめしているのが好きじゃないと。

カンパーニュもといわたし流に言えばフランスパンは、予めトーストしていた。

だからさらに硬さが増したパンとなった。

でも10分近く液体に浸かれば、いくら硬さが増しても形態はどろんどろんに近くなる。

そのどろんどろんとしたパンの食感が好きではなく、それを口に運ぶのに必死だった。

オニオングラタンスープの味を堪能する余裕など、振り返ればみじんもなかった。

食べ終わってみて、もう二度と作らなくて良いと思ったのと、例えば今後もし誰かに

「おいしいオニオングラタンスープがあるから食べに行こう」

と誘われたとしても、断るか一口もらって終わるかのどちらかだろう。

ちなみに、これがスープに浮かべてあるクルトンとなると話は別で、それは普通に好きだ。

さらに、同じ小麦粉同士でも、天ぷらうどんやそばにして、汁の中で天ぷらの衣がふにゃふにゃに

なったものは、大好物だったりする。

ひそかに、どのタイミングで天ぷらを汁の中にインすると、かりっとした食感とふにゃふにゃの食感

との両方を味わえるだろうか?と真剣に悩んだことさえある位に好きだ。

自分の舌さながら、同じ素材なのに調理法によって好きなものと嫌いなものに分かれる不思議に

人間の自由であり勝手さを覚える。

ということで、15年も恋い焦がれたオニオングラタンスープは呆気なく終わり、もう生涯を通じて

二度と口にすることはないだろう代物へと変貌を遂げた。

2015年12月7日月曜日

豚汁とケーキの朝ごはん

週末、妹の家に泊まった。

わたしも十分動き回って疲れているはずなのに、せっかくだからと思いせっせとごはんを作った。

夜は、生姜焼きに豚汁、切干大根サラダに30%OFFで買ってきたしめサバを食べた。

翌朝は残った豚汁を温め直し、そしてわたしが買ってきた手作りの木の実なんかがたっぷりと

入ったパウンドケーキとほわっほわのシフォンケーキを二人で半分して分けて食べた。

わたしはさらに、妹特製の辛味噌がのったおにぎりを食べた。

唐辛子と柚子の味が効いた豚汁は、さらにおいしさを増していた。

そして二人とも何の疑問も抱かず、ケーキを一緒に食べた。

わたしたちの母はとにかく何かしら朝食べることを第一としていたから、今なら「そんな朝ごはん

いけません!」と言われかねない献立もよくのぼった。

朝から肉まんやお好み焼き、菓子パン、うどんなんていうのはよくあった。

休みの日なら、朝ごはんを普通に食べた後、デザート的な何かを食べることもある。

だからなのかなんなのか、豚汁とケーキという朝ごはんの組合せでも、妹もわたしも違和感なく

普通に口に運んでいた。

そして豚汁もケーキも人の手を介して作られたものだから、とにかくおいしい。

自分で作ったものをおいしいと言うのも変だけど、とにかくおいしかった。

そしておいしいものを二人で一緒に食べるのはもっともっとおいしかった。

妹はいつもより1時間遅く出勤時間をずらしてくれ、わたしと極力長く居られるようにしてくれた。

前の日も、わたしに合わせて仕事を早く切り上げて来てくれた。

ちょっとした心遣いがとてもうれしかった。

妹を送り出した後、わたしはもう一度キッチンに立ち、4品作り置きのおかずを作った。

炊き込みご飯、賞味期限の切れたこんにゃくのピリ辛煮、わたしがはまりまくっているキャベツの

ごま味噌煮込み、マカロニサラダ。

どれもたっぷりと作って、あとはその日食べるなり冷凍するなりできるようにしてきた。

これ自分のためにやるとなると、腰は一気に重たくなる。

でも、誰か他の人のため、たとえその相手が妹でもさっさと動き出す。

そして嬉々としながら料理に取り組める。

昨日の夜、疲れて家に着くと、あの妹の家でばんばん料理していた自分が嘘みたいだった。

コンビニでコロッケを買い、スーパーで半額のポテトサラダを買い、芋×芋というひどい組合せ

だけど好きな組合せを発泡酒で流し込んで終わった。

朝の豚汁とケーキの時間を何度も思い出しながら、一人の侘しい夕食は幕を閉じた。

2015年12月1日火曜日

失敗した梅干しがおいしいものに大変身

今年の夏に漬けた梅干し。

どうも塩分の加減を間違えたようで、怖ろしくしょっぱい梅干しが出来上がった。

一部は天日干しにした後、梅酢には戻さずそのままガラス瓶に保管した。

色んな本やサイトによると、梅干し本体から水分が出て良い具合にしっとりするとのことだった。

だけど、わたしの梅干しは待てど暮らせどその状態には全然ならなかった。

しまいには、さらに乾燥し、粉吹くじゃないけれど塩が吹いて塩の結晶で梅干し全体は覆われた。

普通に食べるにはしょっぱすぎて全然食べれる代物ではなかった。

何度か捨てようと考えたこともある。

最後の賭けとして、昨日の夜、ごはんと一緒に梅干しを炊いたらどうなるだろうと思って、早速実験

した。

それでも駄目ならもう本気で捨ててもいいかなと思った。

そして今朝、昨夜セットしておいた梅干しごはんが炊けた。

その梅干しごはんは、わたしがこれまで食べたどんなゆかりごはんやその類いのごはんよりも

おいしかった。

絶品梅ごはんに朝から狂喜乱舞した。

梅干し単体としての活躍は難しい梅干しだったけれど、これがごはんと一緒に炊くと途端に別物に

生まれ変わったかのようにすごい旨みを発揮する。

若干固くなりすぎた皮は、炊飯器で炊くと適度な柔らかさになりつつもぐにゃぐにゃにはならず。

あんなにしょっぱいものが、ごはんと一緒になると適度なしょっぱさになって、さらに梅干し本来の

風味も増す。

梅干しとごはん、それぞれを単体で組み合わせてもこんなにおいしくはならない。

ふたつを一緒に炊き込むから、想像以上においしいものが出来上がる。

ということで、あんなにも捨てようとしていた梅干しが、今ではとても稀少なものになっている。

10個もないから、あと3~4回梅干しごはんを口にできたらいい方だと思う。

このごはんのために、来年はもっとたくさん天日干し後そのまま保存する梅干しを増やそう。