近所の大きな公園にはたくさんの野良猫が住んでいる。
捨て猫の名所なのか、野良たち同士が繁殖した結果、数が増えたのかは知らない。
とにかく至る所で猫を見かける。
本を読むのに景色も良く音も無音に近いベンチを探した。
菜の花と青い花がたくさん咲いている花壇を見渡せるベンチに腰を下ろした。
そのベンチは、大きな木の周りをぐるっと一周するような丸い形をしていて、詰めて座ったら20人
くらい座れるんじゃないかと思う。
花壇のさらに向こう芝生の辺り、距離にして5~6メートルは離れているところに野良猫が1匹いる
のが目に入った。
読書をしていると、もそもそと動く物体が目のはじっこに入ってきた。
本から目を離し、そのもそもその正体を確かめようと目をやると、先ほどの野良猫だった。
猫もベンチの上にひょいっと乗り、ひなたぼっこを始めた。
視線を感じて目をやると、わたしの方を向いている。
わたしも花壇ではなく体を90度右側に向き直し、猫と対峙できるような格好をした。
猫1匹とわたしはひたすら無言でお互いの動向を見守った。
ある程度時間が経過し、わたしが危害を加えるわけではないとわかると、猫はうたた寝するかの
ように目を閉じ、頭そのものもわたしと正面で対峙する感じから自分の楽な角度に少し変えた。
途中からわたしの方は、猫の耳に注目していた。
猫の耳は、音のする方向にぴくぴくと反応し向きを変えていた。
頭上からヘリコプターの音がすれば耳は直角に立ち上空の音を拾おうとしていたし、自分の背後
の方から自転車が通り過ぎる音がすれば耳も後ろから前へとぴくぴく忙しく動かし、音のなりゆき
を見守っているようだった。
その猫の耳の特性を観察しているうちに、人間の耳が固定であることにひどく感謝した。
小さいころからの癖で、わたしはたとえ目の前の人と真剣な話をしている最中でも、すぐ隣りや
後ろで他の人たちの会話が聞こえ、さらにその会話が面白かったりすると、話を聞くふりをしつつ
耳はしっかり他人の会話を拾い上げている。
人間の耳は音の方向に合わせて動いたりしないから、多分相手には気付かれない。
だけどもし猫の耳のように、音の方向に合わせて耳が動くなんてなったら、わたしは即座に「話を
聞かない人」の烙印を押されてしまう。
猫は猫が生きていくための、人間は人間が生きていくための、それぞれにとって都合の良い機能
をそれぞれが体の中に持っているんだなぁと感心した。
もしそれぞれが反対なら・・・。
人間は四六時中相手を怒らせることになりかねないし、猫は今度必要な音を拾えず生命の危険
まで出てくるかもしれない。
適材適所ではないけれど、やっぱりそれぞれ一番良いように体の形や機能というのは成り立って
いるんだなぁと1人で結論を出して、もう寒いから読書終了!とその場を去った。
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