日曜日のどこかの時点で台所の洗い物をしたのが最後、昨日火曜日の午後まで放置した。
月曜日にどうでも仕上げないとまずい手紙を懸命に書き、それで力尽きた火曜日は布団からむく
っと起き上がるまで台所に一切立たなかった。
手紙は若干短めにはなったものの完成し、とりあえず街角でばったり会うことがなければ今生では
もう会えないだろうお世話になった方たちに無事手渡せた。
実は月曜日に少しだけ台所に立った時間があった。
慌てて立つとろくなことがない。
流しのすぐ上に洗った物を置くスペースがあるけれど、なんとそこからちょっとした角度の違いで
ステンレス製のフォークが流し場に落下し、こともあろうかお気に入りの皿の上に落ちた。
そうしたらそのちょっとした打撃だけでその皿は割れてしまった。
時間のない時に余計なことをすると、このような悲劇に見舞われることはこれまでの経験からも
十二分に学んだというのにまた同じことを繰り返していた。
ただそこで悲しんでいる場合ではない程手紙の方が急を要していたから、流し場の片付けは
止め、また手紙の作業に戻り一文字また一文字と綴り続けた。
3日も洗い物を放置したのはいつぶりだろう。
気付けば、洗い物を放置しない自分にいつの間にかなっていたことに気付いた。
さかのぼること20代の頃。
職場にいらっしゃったのは、自分の母親ぐらいの人たちが8割を占めていた。
皆、重要な職務+夜勤を繰り返しながら、主婦業も母親業もこなしていた。
いつだったかある大先輩が、夜寝る前にきちんと洗い場をきれいにしないと気持ち悪いと言って
いたことがあった。
当時のわたしは両親と同居こそしておれど、家事なんかは最低限しかしていなかったし、さらに
翌日に何かしらの家事を持ち越すことにも全く抵抗がなかった。
汚くても平気だったし、何かが翌日に持ち越されても困ってもいなかった。
だからその言葉を聞いて、そんな何かを持ち越すのが気持ち悪いなんていう感覚にいつかの自分
がなれるとは想像すらつかなかった。
今のわたしは、そこまでいなかくても、持ち越すよりもその日のうちに完了させた方が気持ち良い
というのはわかるようになってきた。
だけど元来なんでも後回しにしたところであまり気にならない性分だから、今回のように優先順位
をつける際、洗い物が後回しになっても気にならない。
気にならない自分は、やっぱり10代20代の自分とそう変わらない感じで、自分でもものすごく
慣れ親しんだ感がある。
忘れもしない大学最後の50枚の論文書きの時のこと。
シャワーも何日浴びなかったのか覚えていない。
とにかく色んなことを後回しにした。
当時毎日確実にしていたことは、大慌てで論文を書き上げることと、本来の提出日を1日1日と
また延長していたが故、毎日提出先の教授の部屋を訪ねることだった。
提出先の教授の部屋を訪ねた理由はただ1つ。
「まだ終わってないの。もう1日延長して下さい」と言うために通った。
大概は不在で、いつも簡単なメモを残して教授の部屋を立ち去っていた。
こういう後延ばしの癖というのは本当に厄介で、「次からは気をつけよう」より「何とかなった」という
とんでもない勘違いが、自分の心の奥底に刻まれてしまうこと。
だから早めに取り掛かるように次からなるのかと言えばそんなことはなく、気付けばあれから15年
近く経過した今も「ぎりぎり症候群」は健在だったりする。
なんていうどうでもいいことを思い出しながら、昨日は3日ぶりの洗い物に手をつけた。
洗い物はやっぱり余裕がある時にしたいと思ったし、まぁいつかは後延ばしが少しでも嫌に感じる
自分になれたらどんなに素敵だろうかと思いながら洗い物を終えた。
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