昨日書いた記事の続き(『永遠に失われた文字、そして残ったもの』)
ものすごくうまく書けたと思った文章が、何かの誤作動でパソコンから全て消えてしまった件。
今日書けるかどうか最初は自信がなかったけれど、とりあえず再挑戦してみた。
書けたら嬉しいけれど、書けなくても仕方ないと割り切れる位に今日は気持ちも回復していた。
書き出して気付いたのは、昨日とは違う仕上がりに、昨日とは違う言葉のチョイスに、そして昨日
とはまた違う感情が湧きながらの文章ではあったけれど、自分には忠実に書けていた。
同じものは二度と書けなくても、書いている自分の中に湧きあがるものは一緒だった。
それは絶対になくならないもので、私自身でさえも自分からは奪えないものだった。
最近、心の底辺に居座っている心配事というか懸念事項がある。
かなりしぶとい。
自分でもお手上げに近い状態が続いている。
ところが今、その心の底辺にあるものはそのままで、昨日の文章を再生させた。
自分の書いたこと・書く行為は、心の底辺に居座っているものと何ら関係ない。
むしろそんな状態でも書けることに驚いている。
自分という一人の人間の中にふたつの別の回路が存在しているかのよう。
1つの回路は心の底辺の方で沸々としている。
もう1つの回路は、そんなのおかまいなしに、ひたすら指を使ってパソコンのキーを叩いている。
自分はそんなに器用なはずじゃないのに、器用にこなしている。
そして、最初とはところどころ違った文章が最後完成品となって現れた時、自分の中の再生する
力に目を見張った。
自分が書く文章とも当然一期一会だから、昨日のような全てのデータがぶっ飛んだ時は、もう
どうすることもできない。
それでももう一度わたしは書き直し、半分は新しい気持ちで、残りの半分は昨日の余韻で、ただ
ひたすら出てきたものを綴り続けた。
「再生」これが1つの大きなテーマなんだろう、今書いていてそんな風に思った。
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