「それ、やりたいことなんでしょ?」と言われて違和感を感じた自分。
注文したうどんを待っていた。
ホロスコープの講座の後、クラスメート数人とご飯に行った。(11/28)
その時に近況報告をしたら、そんな風に言葉が返ってきた。
私からしたら、心外な言葉だった。
たしかに、生まれてくる前に自分の人生でやろうと決めてきたことなのかもしれない。
でも私は自分の中であれこれと葛藤した。
ちょっとの葛藤じゃなく、相当な葛藤だった。
・ペンジュラム
・他の人たちの潜在意識からメッセージをキャッチすること
・心理やスピリチュアルなことで自分が知っていること
・これまでの人生経験+これまで学んだ色んなこと
こうしたものたちを組み合わせて何かをしていくことがやりたいことかと当初は思っていた。
だけど色々深く知っていくうちに、自分で何とかできる範疇ではないことにたくさん出くわして、怖さも出てくれば、それは私がすることなんだろうか?と疑いも出てくれば、はっきり言って「逃げたい」の気持ちが強まって仕方なかった。
ペンジュラムを使って山で行方不明になった人を探すのを手伝って欲しいと言われて、「はい」と即答できる人もいるかもだけど、私はその時もものすごく迷った。
でも、その話が正式に来た時に「やりなさい」ということなんだろうと思った。
やりたいやりたくないではなく、自分にできることがあるならそれは出し惜しみしてる場合ではない、できることはする、そういうことなんだろうと思った。
そんなことに首を突っ込むのがいいかどうかの判断はできなかったけれど、話が来ている以上知らんぷりもできなかった。
結果的にそこに向き合って本当に良かったわけだけれど、やっぱり葛藤は相当あった。
だから、「それ、やりたいことなんでしょ?」と言われて、私は自分の中ではそうではないと返事した。
それでももう一度言われて、ここで押し問答しても仕方ないから止めようと思って、そういう気持ちに自分が少しずつでもなっていったらいいと思うとか、おおよそそんな風に丸く収めた気がする。
相手の背景は本人が口にしない限りわからないから、私も自分の発言には気をつけようと思った。
これは20代の頃、何かの本で読んだ時に書かれていた言葉だった。
自分以外の誰かがその人の悩みを口にする時、絶対に自分の価値基準で相手の話を判断してはいけないというようなことが書かれていた。
その人の背景に何があるのかなんてわからないから、それをこちらが勝手に決めつけたり勘違いして違うことを言ったりするのはやめよう、その本の人は自分自身にそう言っていた。
その時のホロスコープの講座で、魂的なご縁、カルマ的なご縁を意味する見方を教えてもらった。
そして、つい2日前、父と母のホロスコープを出してみて(出生時間はわからないから大体のもの)、それと自分のものとを重ねて見た。
卒倒するかと思ったぐらいに強烈だった。
大体で出しているから、天体周期の遅いものしかはっきりとしたものは出ない。
その天体周期の遅いものたちと私の個人天体とが360度あるうちの1度でピッタリと重なっている。
それも2つもそうなっている。
しかもその1つは、私の月(天体周期:28日)に父と母の冥王星(天体周期:249年)がピッタリ重なっていた。
単純計算で、月は1日に360度中12度動く。
(天体周期を30日として計算)
1時間あたり0.5度動く。
そんなにも速く動くものが、何をどうやったらピッタリと自分の親の冥王星(1年で1度動くか動かないかの天体)と寄り添うようになるのか。
おかしな話だと思う。
母に関しては本当に0.01度差でピッタリと重なっていて、それはホロスコープを知ってる人ならみんなゾッと悪寒が走るようなものだったりする。
妹たちや妹と姪っ子親娘のものも確認して見たけれど、そんなことはなかった。
私はそれを見て、逆にあきらめがついた。
自分のがんばり次第でどうこうできるレベルではなく、もう生まれてから死ぬその時まで個人の力なんかが働かないところのレベルで色んなことが起こりやすい、そういう配置であることがわかった。
別の言い方をすると、それが私の人生の特徴だということ。
「思い通りにならない自分の人生と、願ってもいないことが入り込んでくる自分の人生」
そう自分の人生を私は説明したけれど、まさにそういう人生設計になっている。
だから、そういうことに抗おうとしても無駄骨な上に自分の心の消耗具合が激しくなるだけだから、自分の人生と戦うのは止めようと思った。
代わりに、なるべく自分の中のギャップを埋められるように、ここはもう自分の気持ちをとにかく聞く努力とあれこれ不具合な自分と仲良くしていく努力、それに尽きると思っている。
他の調べ物もついでにしたら、もうどれもこれも勝手にタイミング良く合っていて、それにも泡を吹きそうだった。
そんなこんなを分析していると、私のホロスコープの当たり具合は宝くじで1億円を当てるよりも遥かに難しい確率なんじゃないかと思うぐらいに、大当たりしている。
だから良く言えば、天体的な力が人よりも働きやすいわけだから、それを利用させてもらいます!ぐらいになれると本当にいいと思う。
色々異常すぎるから、もうそこにはいちいち説明を求めても仕方ないから、求めても実際に何が得られるわけでもないから、だから私はそうした自分の人生の特徴を知った上でどうやったら自分が少しでも心地良くいられるかを考えて、そしてそれを生活に取り入れていく、そっちに切り替えようと思っている。
話は変わって、1つだけ良かったなぁと思っていることがある。
先月、高校受験を控えた子どもと一緒に地元の本屋に行って、高校の物理と化学の参考書を何冊かチェックしてきた。
そしてつい先日、東京駅近くの大きな書店で、心理関係の本ですごく良い本を1冊見つけた。
物理や化学なんていうのは、私がこれから丸1日勉強に費やしても全くもって理解できないもの。
その一方で、心理の本はその場でもすぐに実践できるものが瞬時にわかった。
ちなみにその時に覚えてきたこと。
「いつもギリギリな自分への対処法」。
それは計画するとか、余裕を持って行動するとかじゃない。
やるのは「そういう自分だと受け入れること」(笑)。
ギリギリ族30数年のキャリア持ちにはわかる。
計画とか余裕を持つとか、そういうことで解決しないこと。
なぜなら、私は支度するのにいつもより1時間時間が多くあっても常にギリギリになるという、何とも不思議な習性を持っている。
私はその対処法がすごく気に入ったし、多分その方が確実に効果がある。
こんな風に、私は少なくとも自分が興味のある分野に携われることだけは本当に救いだと思っている。
これが物理と化学なんて言われた日には、残りの人生お先真っ暗過ぎるけれど、少なくとも自分の興味の方向で何かを極めていくならそれは学生時代の頃のような努力は要らないから、そこは本当に良かった。
今の私の気持ちとして、まだまだ折り合いのつかないことが色々とある。
今来ているものたちはやりたいこと?
そこからすでにはてなマークが付いている。
少しずつ受け入れ始めたところ、という感じ。
ネットで読んだ誰かの言葉の中に「わかる、わかる!」というものがあった。
心が折れたり衝撃を受けたりするきっかけはとても大きな出来事だったりするけれど、その後心を立ち直らせるプロセスは小さな小さなことの積み重ねでしかない…
そんな風な内容だった。
まさに!と思った。
今の私がどんな立ち位置にいるのか定かではないけれど、ここはもう腹をくくって小さな小さなステップを積むしかないんだろうなぁとは思っている。
ちなみにそう思えるようになっただけでも大進歩で、少し前までの私なら「逃げれるものなら逃げたい」だった。
自分の人生に組み込まれているだろうことに関しては、私流の無理のない方法で受け入れていけるようになりたい。
毒も吐きまくるし、納得のいかないことにはとことん追求するだろうし、どうしても嫌な時は逃げると思う。
でもそれでもいいから、自分の気持ちに正直でありたい。
最終的な目標として、「それ、やりたいことなんでしょ?」と聞かれた時に、「やりたくないってずっと避けて逃げていたけれど、今はやりたかったことなんだろうなぁと感じるようになった!」というような答えを腹の底から言えるようになりたい。
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