「脳内変換」
私は自分のことになると、突然すべてが超主観に基づく判断になって、客観性がなくなる。
冷静に自分の脳内を整理することが出来る人はすごい。
また脳内お花畑みたいな話だけど。(←もう何でもかんでも「脳内お花畑」の一言さえ付ければ何を言っても許されると思っている( ̄∀ ̄))
職場の人がただの「職場の人」から「気になる人」に変わる時のパターンを説明していた記事がたまたま目に入って開いて見てみた。
その中の1つに【さりげなくフォローしてくれ特別扱いを感じた時】なんてのがあった。
「!」
「特別扱い」という言葉に酔いしれそうだった。(o´艸`)(o´艸`)(o´艸`)(o´艸`)(o´艸`)(o´艸`)←今回の絵文字は正しい使い方だと思う。
そう、あれはある種、私のまぬけっぷりが生み出した奇跡の瞬間で、そのまぬけっぷりによって私は「特別扱い」を受けた。
で、当時も(今もなお)舞い上がり過ぎて、その行為を客観視する余裕がなかったけれど、あれは間違いなく「特別扱い」の枠に入る。
扱う側は何も特別なつもりはなかったとしても、私側は十分「特別扱い」を受けたと思っている。
自分のぬけっぷりが良かった!なんて思うことはほぼないけれども、あの時だけは自分の抜け具合に心から感謝した。
私の頭のネジがもう少しまともな側に巻かれていたら、抜けることなく何も滞ることもなかったけれど、代わりにその特別扱いの千載一遇のチャンスは永遠に失われた。
あの時のぬけてた自分に超絶感謝╰(*´︶`*)╯
ヒーラーのOさんから昨日連絡きて、その特別扱いをしてくれた方についてのいつかの話について、付け足しの話があった。
この話、内容はずっと伏せられてはいるけれど、こんな風に色々長引いていて、「おかしい」と思った。
たしかに、その前に私が追加で自分の考えやその人に出逢うまでの流れやその出逢いの特別さなんかを前々日ぐらいに書いてLINEしたけれど、何も返信がなかったから私もそのままにしていた。
そもそも返信は要らないもので、返信が来るとも思っていなかった。
Oさんの返信を読みながら、今回Oさんがここまで気を使う理由と言葉を選ぶ理由、そして絶対的に秘密にする理由を考えた。
多分私の読みが間違っていなければ、Oさんは私の話をしようとはしていない。
私の話なら、多分LINEなり電話なりで伝えると思うし、こんなにも気を使わない。
なぜなら、私に私のことを伝えるのはOさんも直接本人に伝えるだけのことだから、変な根回しはしない。
Oさんとその件で3回この数日でやりとりしてわかったことの1つに、何で8月に会った時に会ったこともない話に上ったこともない人のことを突然話したのかの、Oさん側の心的理由だった。
これもまた意味のわからない、まどろっこしい言い方をしていたけれども、昨日3回目にやりとりして気付いた。
Oさんがここまで徹底して守秘義務を貫き余計なことを一切言わないのは、これ相手のことだからなんだと予想した。
多分はずれていない。
そもそも、Oさんが私にこの話をするメリットは1つもない。
むしろ神経使いまくりで疲れるだけじゃんと思う。
そして、Oさんがあの時何を感じ取っていたのかもなんとなく想像できた。
あの時は私のことじゃない。
Oさんの体質でキャッチしてたのは、多分相手の何かなんだろうと思う。
そもそもそんなのキャッチする予定にもなかったOさんがキャッチしてしまうぐらいの何かがあったんだと思う。
私が聞いた質問の1つに、あんな風にそこにはいない誰かのこと、ましてや話にも上っていない誰かのことを私の時みたいに伝えることがあるのかどうかということだった。
Oさんからきっぱりと「ない」と返事がきた。
だから、あれは超絶イレギュラー中のイレギュラーで、Oさんとて言うつもりなんかそもそもなかったんだと思う。
言った理由も、Oさんらしくない理由だった。
らしくない、というのは、あれだけ徹底している人が本来取る行動ではない、という意味で。
もう1つ思い出した。
Oさんにヒーリング関連のことについて質問した時に、Oさんが相手の情報をキャッチした時の伝え方を事細かに聞いたことがあった。
(Oさんの情報のキャッチの仕方は、名前を付けるとしたら「霊視」が一番近いと思う)
どのように伝えてるのかや、全部伝えるのか一部を伝えるのか、あとキャッチしても伝えないこともあるのかとか…。
Oさんはその辺り超徹底していて、情報の取り扱いにはもちろん細心の注意を払っているし、伝え方も伝える伝えないに始まり、伝えるならどこまでとかどんな風にというのもOさんのその透視力的な見解と個人の見解とを合わせて、相手の人にとって最適だとOさんが感じる範囲・内容・言葉で伝えている。
これも質問したけれども、内容的に伝えない方がいいと判断したらOさんは伝えない。
もしくは伝えても本人を混乱させたり余計に悩ませるものならそれも避ける。
Oさんの実践から得た感覚で、伝えても大丈夫と判断しないと、Oさんはそもそも伝えることさえしない。
私はその在り方がとても好きだし、自分も同じような状況になった時は色々真似して取り入れたいと思っているほど。
で、そこまで徹底しているOさんがなぜに今回私に伝えたのか。
これはOさんがもちろん伝える選択をしてはいるけれど、実は背景には何か別の意味があって伝えられてるんじゃないかと思った。
Oさんは単なる伝書鳩的な役割をしているだけで、Oさん自身、もしかしたら伝える必要性も少なからず感じていたのかな…とは思った。
で、そこにだけ目を向けるとわけがわからなくなるけれど、例えばこの1ヶ月に的を絞って、普段の通信状況を振り返ってみた。
今の私が連絡を時々取る人というのは相当限られている。
片手で数えられる。
しかも、Oさん含めて外部の人たちから何かしら情報をもらうというのは、それ自体が「今聞く必要のあること」に限られる。
これはひきこもり的な生活をする度に気付くことだけれど、そういう状況下でも聞く必要のあることは聞くようになっている。
むしろ、そういうものしかやってこない。
今回私が年末前にとりあえず整理したいこととして、なんでOさんが夏の会合の時に私にその人の話を突然したのかを聞こうと思って聞いたのが最初だったにしても、その後の展開は想定外だった。
まさか直接以外は言えないなんて、そんな風に返ってくるとは一切思わなかった。
そんなこと今まで一度だってなかったわけで、何もかもおかしかった。
Oさんとやりとりして24時間以上経つ。
私は、もしかして…と思っている。
特別扱いは、私の脳内お花畑の話ではなく、その人からしても本気の特別扱いだったのかもしれない。
Oさんがその人の特徴の1つとして、女性のことを苦手としていると言っていた。
それは見ていてなんとなくわかる部分があった。
私は勝手に、イケメンは女の人の扱いにも手馴れてると最初思った。
職場の人間模様なんていう大好きな人間観察を全くする余裕のなかった私にとって、最初の3週間ほど、その人の私が意識できてた部分は「イケメン」だけで、そしてイケメンは女にも慣れているという勝手な等式を導いていた。
だから、「特別扱い」と私が認定した行動そのものを受けた時、私は超勝手に「この人は普段からこういうことを女の人にさりげなくすることに慣れているんだ」と思った。
「イケメン=女に慣れてる=これも普通に誰に対してもすることだし、何も私が特別じゃない」ここまで私は勝手に決めつけ、私側はめちゃくちゃ嬉しいだけじゃなく、超ときめいてはいたけれど、これは私には一生に一度きりのチャンスでも相手からしたら日常茶飯事でよくあって手馴れているんだと思った。
その人が色々不器用だと気付くのはもっとあとの話で、その瞬間は私は「その人からしたら何百回と言わず、何千回何万回としている中の1回」と勝手に決めつけた。
そしてその考えは長いこと私の中にあったし、そしてもっと言うと特別扱いという見方をすることを私はあえて避けていた。
私はその人を良いと思っても、その人が私のことを良いと思ってくれるなんて、全く考えられなかった。
イケメンが私を相手にするとは微塵も思わず、あれはいわば事故的な産物だったんだろうなぁと思った。
自分が深追いしてもしくは勘違いして、男の人とのことで痛い思いをするのはとても嫌だったし、何よりも怖かった。
そして誰かに本気になるのも本当に怖かったから、だから私的に「イケメンはそうしたことに手馴れている」としておく方が楽だった。
その人に本気になるのは、怖すぎて絶対にそうなりたくなかった。
変な風に近づかなきゃそこそこ普通に接してもらえるなら、それの方が良いと私は当初思っていた。
近付いたら途端に手のひら返したように冷たくされそうとも思って、そんなのわざわざすることもないと思っていた。
そんな風にして、その人のことを最初はかなり思い込み激しめで「イケメン=……」の図式で捉えていた。
でも、見ているとそんな風とは違うのかもしれないなぁという部分が垣間見えた。
私のことが絡むと余計なものまで加算されて話がややこしくなるから、それ以外の部分で私が見た感じの話を少しだけしようと思う。
私以外の女性は職場に3人いた。
その人が本当に気兼ねなく話せたのはそのうちの1人だけだった。
ヤキモチ焼くぐらいにニコニコしていて、楽しそうに話していたのが超羨ましかった。
(私のこだわりでヤキモチは「妬く」じゃなくて「焼く」とわざと書いている)
その女の人は、女らしい振る舞いもするけれど、サバサバしているし、ねちっこい女特有の関係を苦手としている。
そして絶妙な距離感を自然に取れる人だし、相手に気を使わせない話術+雰囲気を持っている。
あと、相手が触れられたくないだろうことは基本そっとしておいてくれる人、でもきちんと気にかけてくれる人。
その適度に放っておいてくれるのと、適度に気にかけてくれるそのバランスが絶妙すぎる!
共通の趣味もあったにしても、その人もその女の人とはわりかしフランクに付き合えてたんだと思う。
その女の人の性格を見ていたら、すごい納得できる。
少なくとも女の人側からちょこちょこ話を聞いた限りでは、2人はとても良好な友好関係にあったと感じた。←本気で羨ましかった。
でも、他の2人とは、うまく付き合ってはいたけれども苦手なタイプかな…と思わなくもなかった。
2人に気を使っているのは空気で感じたし、それは仕事の絡みが有る無しに関わらず、その人からすると「読めない」感じが多分安心して関係を作れないんじゃなかったのかな…、とこれは完全に私の妄想だけどそういう風に私には見えた。
だから、読めないタイプの人、特に女の人となれば、苦手意識が強いのかな…と思う。
という中で、あの特別扱いは、普段の感じからすると本人にとってもちょっと有り得ない行為だったんじゃないかな、なんて思う。
そしてそれはもしかしたら、本人にとっても本気の特別扱い的な位置にあったものなのかもしれない。
女の人に苦手意識があるなら、あの行為はあまりにもイレギュラーだった。
しかもその相手は私なわけで、普通に考えて何の得があるの?と思う。
自分を卑下するつもりではないけれど、普通に見て私は絶対にモテない。
そして男ウケも悪い。
世の中にはモテ子と非モテ子がいるけれど、私は完全に非モテ子になる。
その人の好みは知らないにしても、一般的に「この子に優しくしておいて良かった♡」と男の人が感じるタイプからは程遠い。
損得で動いていたわけじゃないと思うけれど、その人からしてみてもとてつもなくイレギュラーな行為だったのかもしれない。
これまでそんな風にちょびっとだけ思ったこともあったけれど、今回Oさんとあれこれやりとりしてみて、その「かもしれない」が確信はないけれど、本当にその人からしてみても「特別扱い」だったのかな…と思う方の割合が増えた。
そう思うに至るもう1つの理由が、Oさんが通算4人目の私にその人に関して何か情報を伝えてくる人だと気付いたから。
何で相手にもされず、無視もされ、最後なんて私と関わること自体本当に嫌そうにしていた人、それっきり連絡も取りようがないし、どうにもなっていない、そんな人がいなくなってから、その人にまつわる色んなことを4人のその人とは全く無関係の人たちがそれぞれ私に何かを伝えてくるんだろう…、4人目のOさんになってそこは「本気でおかしい」と思った。
今となっては最初の3人の人がどの順番だったかは曖昧だけど、3人とも伝えてくれた別々のことは、はっきり言って私に伝えたところでその人たちに利益は一切ない。
私を喜ばせようとして言ったわけではなく、2人は突然「そう思った」ということを口にしたし、もう1人も教えてくれた理由は私に伝えたくて…というのとは少し違った。
このブログでも書いたけれど、3人のうちの1人は、今年の2月に人生で初めてのホロスコープ鑑定を受けた時の鑑定士さんだった。
鑑定士さんは普段は見えない世界とのコンタクトはないし、子どもの頃はすごく敏感で色々わかったり視えてしまったけれども、大人になってからはそういうのが一切感じられなくなったと話していた。
だけど、何か情報を伝える必要がある時、それもその情報に携わる人たちの意思によって必要だとされた時、何かしらの情報がその鑑定士さんにもたらされるということで、私が聞いた話もそうだった。
鑑定士さんが求めて情報を引っ張って来たんじゃなくて、必要があって私のところに来たんだと思いますと言っていた。
鑑定士さんは、その人と私とが輪廻転生の中で過去の別の人としてそれぞれ生きていた時にとても近しい関係だったことを教えてくれた。
そして、それは今回、私側ではなく相手側(=イケメン側)から来ていると思われるとも説明された。
その時もビックリはしたけれども、よく考えたら他の2人もそうだった。
それぞれがキャッチしたことを伝えてくれたけれども、それは不意打ちだったし、1人は「なんとなく」そう思ったと言い、もう1人は普段ビジョンなんか見ないっていうか全く見えないけれどもその時だけはパッと出てきてその見えたことをそのまま教えてくれた。
それらのどの時も決して私にプラスになるからとか私がその人に関する話だと喜ぶから言うというのとは全然趣きが違っていて、突然のように伝えられた。
2人に関しては普段そういうことをしない人たちと知っているから、反対に「たまたまだろう」ぐらいにしか思っていなかった。
鑑定士さんの話はさすがに否定する方が難しいぐらいに今の私がいて、そしてその人もいつか別の人として生きていた頃と今とがあまりに似ている性格的なところをその鑑定士さんは言ってきたから、否定できなかった。
私はペンジュラムを使うところしか引き継がれず、他の部分は引き継がれた感がなかったけれども、その人はその時も今もあまり口を開かないのはそっくりだったんだなぁ、魂って生まれ変わっても似たような性格を引き継ぐんだなぁなんて感心したけれど(笑)、そういうことじゃないと思う。
そもそも何でそんな情報が伝えられたのか?という部分に私ももっと注目すべきだった。
そこにあまり重きを置いてなかったら、とうとう大トリと言わんばかりにOさんから情報が伝えられ、さらには私が突っ込んだらもっとここには色んな事情なのか意味なのか魂的な計画なのか、それはわからないけれども、そうしたものも含まれると知った。
こうしたことが、その人が私の生きている目の前からいなくなってから全て起こってきた。
ましてや、Oさんと鑑定士さんに至っては、その人と私が出逢った時には、まだ全く知らない人たちだった。
2人ともそんな細かなことを何も知らないのに、なぜか知らない第三者の情報を私に伝えてくる。
だから、表面的な関係性はさておいても、その人と私との間にあるものが尋常ではないことがわかる。
もう生涯を通じて会えない可能性が99.9%の人のことを私に伝えてくる。
しかも内容はどの人のものも、私の気持ちが関係してることなんか全く度外視したことばかりで、普通に考えておかしい。
そこまでの状況になってふと「あの特別扱いは私だけじゃなく、その人にとっても本気の特別扱いだったのかもしれない…」そう思うところが出てきた。
その人は多分イケメンはイケメンでも誰彼構わず優しくしたり女性からしたら胸キュンな何かをするタイプの人ではないと思う。
その人ももしかしたら私が色んな気持ちを感じていたように、私ほどではないかもしれなくても何かしらは私を見て感じたのかもしれない。
私はその職場のその人が仲良くしてた人に直接聞いたことがある。
「〇〇さんって女の人に慣れてないですか?」
それは、ある時にその人とちょっとしたやりとりをした時に、その人が私には想像もできなかった反応をしたからだった。
てっきりイケメンゆえ女の人には慣れてるのかと思いきや、全くそういう感じじゃなくて、むしろ私の方が恥ずかしくなるような反応が返ってきたから、それで「もしや慣れてない?」と思って聞いた。
そうしたら「そんなことないと思うけどなぁ。女の子とも2人きりで会うって人づてに聞いたし」と返ってきた。
「そんなことない」の部分は良かったけれど、後半部分の風の噂的な話はものすごく余計で私は撃沈した。
そうだよね、慣れてないわけないよね、デートする女の子の1人や2人いてもおかしくないよね…とその時は無理矢理思い込もうとしてた。
じゃああの私が見た姿は何だったんだろう?、突然話しかけたから驚いてしどろもどろみたくなったのかな…とか、まぁ私にはすごい衝撃的だったし、私も相手のドキドキみたいなのが乗り移ったかのごとく私まで普段以上にドギマギしてしまったけれども、あれは幻か?などとも思った。
でも私が見て感じたものとその人がいなくなった後もたらされた4人からの情報、そしてOさんとのこの数日のやりとり…、全て総合して考えると、あれは本人からしても本気の「特別扱い」をしたのかもしれない。
恋愛ではない気持ちだったかもしれないけれど、その人からしても何か他の人たちには感じないものを私から感じていたのかな…と思う方がその後のおかしなことたちにも説明がつく。
こんな時に理論を持ち出してしまう私もどうかと思うけれど、本当に私の場合、必要があることにだけ集中して情報が集まる。
その人について全く関係のない人たちから情報が来るのは、「必要」だからと思う。
だって、本当の本当に不要なら、情報そのものがこない。
そうまでして来るのは、何かしら意味があるからだと思う。
何か私の知らないところで物事は水面下で動いているのかもしれない。
(多分もう少し付け足して書く気がするけれど、ここで一度更新)
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2018/12/22 夜中よりお楽しみタイム♪として書き足したものが以下。
私がその人と繋がっている、と感じる理由をいくつか紹介したい。
時々いつも以上(!)に頭のおかしな発言があるけれど、突っ込むとまた余談が長くなるから、今回はおかしいとわかって書くから悪しからずにて願います(←この日本語もひどい)。
>>>11月某日
山で遭難した人のご家族から、家族の場所をペンジュラムを使って特定してもらえないかとお願いされた時のこと。
内容が内容だけにとても気が重たかったし、すると決断するのにも今年一番のというより人生の中でその人をごはんに誘うぐらいの勇気や覚悟が必要だった。(勇気や覚悟の種類は違ったけれど)
やると決断して依頼主の方と会う前の日に私は頼み事をその人に向けてしてみた。
事が事だし、普段のおふざけの延長で出来るようなことではなかったから、とにかくその人から私とペンジュラムがきちんとできるように祈って欲しかった。
私のペンジュラムの能力が爆発的に伸びたのは、いつもその人が絡んでいた。
何がどう共鳴するのかは知らないけれど、とにかくその人にまつわる質問を何百回もすると、ある日突然見たこともない動きをペンジュラムがすることの3回(今では3つとも定番)。
ペンジュラムの新技登場は、その人と繋がっている質問の時に毎回起こるから、というよりそれ以外で起こったことがないから、ペンジュラムの新技デビューにはもれなくその人が付いて回る。
今回はペンジュラムを持ってから初めての本気の仕事だった。
だから、その人に何かしらを祈ってもらえたら、ペンジュラムも私も実力以上の力が出るんじゃないかと思った。
ちなみに後日談だけど、その日にペンジュラムが導いた内容で現実とミスマッチなことが
大きく2つあった。
残念ながらまだ見つかってはいないけれども、その2つも2回目現地で直接ご家族全員にお会いして山にも入ってみた時に、そのミスマッチの内容がミスマッチではなくおそらくそれで合っているだろうことがわかった。
だから、本当にきちんと力を発揮できていたと思う。
そんな時に、その人が見えないところで祈りでも送ってくれたのかな…と思うサインがあった。
初回の時、まさにペンジュラムと私とで共同作業をしていた真っ只中、喫茶店の通路挟んで隣りの席のグループの会話から、その人の役職名を聞くこと数回。
あれから1ヶ月以上経つけれど、やっぱりあれもタイミングと言い、役職名と言い、絶妙すぎた。
他にもサインはあったけれど、そのサインが何よりも私には「大丈夫!」と言われているみたいで本当に嬉しかったし、心の奥底で安心もした。
きちんと祈ってくれてたんだろうなぁと私は思った。
他のして欲しいことはしてもらえなくても、そういう大切な時にはその人はちゃんとしてくれる、そう思った。
>>>5月〜11月 東京日帰り旅
色々細かいことは今回は割愛するけれども、占星術の講座と6月からはヒーリング勉強会も兼ねて行っていた東京。
東京でもその人と同じ会社の制服を着た人たちを見たり、その人の名前がいくつも並んでいる電光掲示板を見たり、クラスメートの人が出展されるイベントの会場の地域にその人の名前が入っていたり、まぁ毎回毎回色々あった。
そのうちの8月の時にヒーラーのOさんが突然色々その人についての特徴を言ってきて、何にも話してないのに度肝を抜かれた。
とここまではブログにも書いた。
実はそれ以外に、毎回東京に行く日に起こることがあった。
その人だとわかるようなもので(←そんなの私にしかわからない)、それが毎回起こるから、あぁ繋がっているのかなと思った。
しかもこちら側は百発百中のすごい確率だったから、私は確信に近いものを最後の方は持った。
結局会えずに(というよりまずは連絡がなく)毎回がっかり意気消沈して帰って来たけれど、それでも東京に行くその日だけ見れる現象だったから、毎回そこは嬉しいところだった。
>>>伝えて送ること。そして撤去までのカウントダウンに入る最後の時
多分これは今回初めて口を開くと思う。
途中までや部分的には書いたことはあったけれど、ここまでのことは書かなかった、ただの一度も。
私が信じた1番の理由は、ある時の瞬間、その人を見て、その人が放ってる空気を感じて、多分その人が感じていることは私もそっくりそのまま同じものを感じてること、その人も私も多分全く同じものを感じてる、そう感じた瞬間があったからだった。
その人が探してた資料が見つからなくて次から次へとロッカーの扉を開けては閉めるを繰り返している後ろ姿をずっと見ていた。
明らかに何かを探していた。
だから「何か探してますか?」と声をかけた。
その時の様子やその時のその人の反応は過去のどこかのブログで書いた。(←自分でも見つけ出すことは困難)
その質問には名前も呼んでいないのに自分が聞かれているとわかったのか即答えていたにも関わらず、私の方に向きを直して話し出した時、どういうわけかその人は照れたようなはにかむような、何とも不思議な反応の仕方をしていた。
本当に私の方が恥ずかしくなるぐらいに。
そこまではどこかの記事で書いた。
そしてそのずっと後の、別の資料を慌てて作ってその人の席にそれを見せに行った時のことも書いた。
1分1秒でも近くにいたくて、ものすごい超特急で資料を作り上げ、なんならいつかの私がそれだけ作るのは面倒くさいと思って先延ばしにしたことも超絶自分に感謝した。
あと、その人の席に持って行ったら行ったで、初めて手を間近で見れて、その人の手をじっと見ていたこと、少なくともすぐ上の段落の話(その人が探し物をしてた時のこと)とこの段落の話(資料を作ってその人の席に行ったこと)はどこかでした。
今回新たに話すのはその2つのことではない。
実はその間にもう1つ別のシーンがある。
このシーンはあまり思い出す回数は他のシーンに比べたら少ないけれども、実はこのシーンで感じたことがのちにその人をごはんを誘う大きな後押しになった。
探していた資料の名前を聞いて、それならここですよと教えたのか、箱ごと手渡したのかそこは忘れた(←その人の反応に気をとられすぎて、その後の行動がどうしても具体的には思い出せない)。
その人は箱ごと持って行って、自分の席に戻って行った。
しばらくすると、その箱を持ってその人は戻ってきた。
私は同じ場所でまだその時と同じ作業をしていた。
その箱は、私が座っていた席から1メートルと離れてない場所にそもそも私が置いていて、その人は同じ場所に返してくれた。
黙って返していたけれども、その人は口こそ閉じてはいたけれど、口を閉じているからと言って何も思っていなかったわけじゃない、と私は感じていた。
何か言いたそうな感じもあったし、何も言わず黙って返すことに「どうしよう?何か言おうかな?」みたいな心のおしゃべりのようなものが聴こえてきそうだった。
その人は喋らない人でもないし、挨拶をしない人でもない。
喋るタイミングとか、何か言うなら何て言うのがいいのかとか、何も言わずに置いたらどう見えてしまうんだろうとか、逆にありがとうとか一言言ったら私からどう思われてしまうんだろうとか、まぁ実際は何を考えてたのかは知らないけれども、そういうことをごちゃごちゃ考えているうちに機を逸してしまって、結局何も言わずそっと置いて立ち去ったのかな…という感じだった。
派遣の仕事で電気系の大手企業に行った時(男性が9割近くを占める)、男尊女卑はもちろん、派遣を小馬鹿にするようなバカな男の人たちがけっこういて(もちろん口には出さないけれど態度に出ている)、別に男尊女卑も肩書きで人を判断するのも構わなかったけれども、気になったのは人として失礼なことをしているという認識がないことだった。
例えば同じシーンなら、黙って置いていく。
それは何かを言う必要がないと思っていてそうしているというのがわかる。
同じ何も言わないでも、何か心にあっても言わない人と、本当に何も考えてなくて言わない人とは全く違う空気を発する。
その人の空気は、前者の何かはあるけれども結局言わなかったみたいな風に私には見えた。
あとコピー機の前を私が占領している時の小さなやりとりでも気付いた。
その人は普段から元気良く挨拶するなんていうタイプではないけれども、そういう時、私にだけ聞こえるような声で、背後から「すみません」と一言声をかけてから、自分の印刷物を持っていく。
そうした普段の在り方を知っていたこともあって、その人が黙って置いていったのも言葉にならないものも本当は胸の内にあったんだろうなぁと感じた。
子どもの施設で働いていた頃、一度ヘソを曲げると2時間はだんまりを決める男の子がいた。
最初こそ私もあれこれ話しかけるけれど、途中から反応ないのに話しかけるのも疲れてきて、私も同様にだんまりになる。
2人でだんまりのまま2時間そこに一緒に居続けるなんてこと、ざらにあった。
そういう時、表面は私のことをガン無視してはいるけれども、実際には私のことを気にしているし、私とのやりとりに関して何かしらを感じてるのはわかる。
まるで私がいないかのように振る舞われてしまうけれども、実際はそのうち本人も落ち着いてきて「さてどうしようこの状況」とか「どうしよう、だんまりしているぶっちゃんを」とか、考えているのがわかった。
説明が下手くそだけれど、その人が箱を置きにきて私のすごく近くにいた時、そのだんまり合戦の子みたいに、その人は何か言うような言いたそうな空気を出していたように見えたし、そして私とそんなに近くになることはほとんどなかったから、そもそも私に近付くだけですごいドキドキしてる風だった。
スーパー勘違いかもしれないけれど、その時、私はもちろんすごい緊張して心臓がバックンバックンしていた。
その人も多分同じように心の中は穏やかではなかったと思う。
2人で同じような気持ちを感じてたんじゃないかなと思う。
その人の「どうしよう…、何か言った方がいいかな…」という迷いみたいなのは少なくとも感じた。
結局何も言わなかったけれど、何も言う気がなくて黙ってたわけじゃなかった。(*)
内側では頭のおしゃべりや心の葛藤みたいなのがあったと思う。
(*読み返したら、言い切りの形になっていて直そうと思ったけれど、あえてやめた。真夜中に妙なテンションで書いたけれど、その時は「言い切り」が自然に感じられたわけだからそれを残そうと思う)
だんまり男子が黙ってる時「俺(自分が悪いのに)怒ってるんだからね!機嫌めちゃくちゃ悪くなったんだからね!」アピールをしている感じの時と似ていた。
黙っていても存在感はあるし、静かなのには反比例して強い自己主張を感じる。
その人は置くだけ置くとまた自分の席へ戻っては行ったけれど、私のすぐ近くにきて、かがんで箱を置いてまた立ち上がって動き出すまでの一瞬一瞬がスローモーションみたくなっていて、そのスローモーションのように見えた時にその人が本当は黙っていたいわけではない、もしかしたら私が一言そこで大丈夫ですみたいなことを言うのを期待したのかもしれないし、何か一言言った方がいいのかなと思ったかもだし、それはわからないけれど、何かしら心の中にあったことは空気として伝わってきた。
その人が意識していたものは、言葉とか態度じゃなくて、私のように感じた。
私に意識が向いているからなのか、どこか動き方もぎこちなくて(普段はスムースで身のこなしがとてもきれいな人)、変な風だった。
そしてその感じは、普段の私を見ているようだった。
その人は何にも気付かなかったかもしれないけれど、その人の席のすぐ真向かいにテプラが置かれていて、私はテプラを取りに行くたびにもしくは返しに行くたびに、当然その人の近くに行くわけだから、いつも妙に緊張していた。
実際にはその人の視界に入るわけでもないし、テプラの位置からだとその人はその人のパソコンのスクリーンが盾のようにあって、見えるようで見えなかったけれども、それでも毎回私は近付くたびにドキドキしていて、その私の感じと、その人が箱を私のすぐ近くに返しに来て、らしくない動き方の感じとがなんだか似ていた。
私が探し物を聞いた時の反応と箱を返しに来た時の反応、そうしたものを感じられたから、私はその人をごはんに誘えた。
脈はあるかないかわからなくても、もしかしたらごはんに行ってくれるかもしれない…、そう思った。
私は付き合いたいとかいうよりも、その人と時間を一緒に過ごしてみたかったのと、その人のことをもっともっと知ってみたかった。
話してみたら思っていた人と全然違って、一気に気持ちが冷めてくれるかもしれない…、これにも実は期待した。
その人に幻滅したかったんじゃない。
自分でもどうしていいのかよくわからない気持ちたちを静めるために、「なんか違ってた!」ってなるのもありだと期待した。
私にはそれぐらいどうしていいのかわからない気持ちばかりだった。
>>>2017夏からの理解できないこと
上の伝えて送ることを感じた日と、そしてそれから10日後ぐらいに今度はメモを見たかどうか、朝からきちんと業者対応の準備に励んでいるその人を捕まえて聞いた時が最後のまともなやりとりで、そこからはもう急降下して、あんなにも毎日満ち足りてた気持ちが猛烈に沈みまくる日々に変わった。
ごはんに誘ったことは、ダメならダメで仕方ないと思って誘ったものの、いざ強烈なカウンターパンチが飛んできたらそんなのんきな気持ちには微塵もなれず、ただただ辛くて苦しいばかりだった。
私は自分がやらかしたと思ったし、嫌われたんだと思った。
嫌われて、嫌がられて、迷惑とか負担になって、重たい他の何ものでもなくて、とにかくありとあらゆる負の称号を獲得してしまったように感じた。
ごはんに誘わなきゃ良かったとものすごく後悔もした。
探し物や箱の時はたまたまで、そしてそこに至る自分の気持ちもやっぱり何か違ってたんだと全力で否定したりもした。
あまりにも現実が辛すぎて向き合えなかった。
だから、私が一瞬でもその人と私が同じ気持ちなんじゃないか…なんて思ったことは完全に私の勘違いだと思った。
やっぱりイケメンに相手にされるわけがない、単に同僚的な立場であの時はたまたまちょっとした気使いをしてもらって、資料や箱の時も何か私が見たものが私の勘違いで違う風に勝手に解釈されただけでその人も私に突然話しかけられて恥ずかしかったりはにかんだりしたのではなく単に驚いただけとか、とにかく見たもの全部を否定するようになった。
だから相思相愛のわけなんかない、とずっとずっと思ってきた。
さらに、相思相愛だとするなら、自分もいいと思っている人から誘われて断るなんて意味不明すぎて、私は「ありえない、そんなわけない」と思った。
どう考えても、「私に興味がなくて私の誘いを無視した」「さらには私は単に興味がないどころか実は気持ち悪いレベルで生理的に受け付けられないぐらいに嫌で、だからこそあそこまで無視して避ける」とも思った。
そうやってとにかく否定しまくって、色んなこと、特に自分が感じたことを否定しようとした。
今はもう少し冷静に考えるようになったけれども、当時は感じたことと現実のギャップが凄すぎたから、ギャップを埋めるために否定して、そしてなるべくならその人を忘れられるようになりたかった。
ここから先はさらなる余談。もはや真夜中のひとり言には一切関係ない。
>>>「手」
先に少し余談を書きたい。
余談の部分は、その人が読むと私も多分もれなく痛みが飛んでくるから積極的に書きたい内容とは違うけれども、これどうも必要な余談みたいだからちょっと書く。
相手の痛みを刺激したくて書くのとは違う。
私もこれ立場が逆なら、絶対に知りたくないし嫌だから。
でも書かないと多分後の本題の話に繋がらないから、先に余談を少し。
およそ1年前、私は男友達とこういう会話をした。
今読み直してやっと思い出したけれど、私が心のケアなんかをひたすら書いたブログがあって、そのことで友達から質問を受けたことにそもそも事の発端があった。
ぶっしーもう書かないの?もったいない、と言われるところからその友達との会話は始まった。
実際のやりとりをそのまま抜粋しようと思う。
私「書く内容は変わらないけど、もう少しスピリチュアルな観点を書き足して(リニューアルして)再開したいと思ってる」
友達「また再開するんやね。ぶっしーはスピを入れるのは合ってる気がするわ」
私「そんな風に言ってくれてありがとう!」
友達「なんか、感性が違うからね」
私「もしお願いできるなら、時間ある時に私がどういう風に感性が違うのかを教えて欲しい!」
友達「了解!
とは言っても、感覚なんで、言葉にするのは難しいけどね。
なんか感じるんだよね」
このやりとりを経て、友達は実際にものすごくきちんと言葉で説明したものを書いて送ってくれた。
私はてっきりスピリチュアル的な感性について言及されると思っていたら、友達は私が想像さえ全くしていなかった奇想天外なことを書いてきた。
ちなみに友達の第一声はこうだった。
「ぶっしーの手の感覚
エネルギーを感じ取れる感覚
それが、単純にすげーな、と感じた」
こんなこと書くのもどうかと思うけれども、私はたしかにこの友達の手をぎゅっと握ったことがある。
あの男女が並んで歩くのに手を繋ぐ感じじゃなくて(←そういう仲じゃない)、スポーツのチームなんかで試合前にお互いに円陣組んで隣同士手を繋いでエイエイオー!みたいな感じの繋ぎ方とでも言えばいいんだろうか、言うならあんな感じ。
でも私はまさかのまさかで、友達がその時のことを出してくるとは微塵も思わず、そして言われて思い出したのが私はその時の情景とかで、手の感覚などと言われても私はその感覚がさっぱり思い出せなかった。
ちなみに手を繋ぎたかったのでもなく、その時はそうせざるを得ないような事情みたいなのがあってそうした。
その友達の説明と2017年の夏の話とが繋がっていく。
で、ここからが本題。
時は2017年の7月の多分初旬頃。
その日も私は元気に仕事に行って、その日もその人に会いに行きたくて仕事に行っていたようなもので、通常通り仕事をしていた。
たしか作業机の側で私は仕事をしていた。
何せ黙々と静かにひたすら作業するみたいな仕事だったから、時々事務所内の人間観察に励んだり、何か考え事したりは日常茶飯事ではあった。
その日はその人も事務所にいたから、その人に会える嬉しさやその人と同じ空間にいられる嬉しさで1人でテンション上げながらも、仕事は仕事だから普通に何かの作業はしていた。
その人が歩いている姿が視界に入ってきた。
変な造りの事務所で、事務所内に男性トイレがあった。
そのトイレに入ろうとその人は動いていただけだった。
私はその時の瞬間のことをとてつもなくよく覚えている。
距離にして数メートルあるし、その人と私はその時に何も関わりもなく、私は仕事、その人はトイレと別々の行動をしていた。
その人は扉の向こうに消えて、そして私はようやく自分の意識が今この瞬間に戻ってきた時に度肝を抜かれた。
相手はトイレに入ろうとしていた。
しつこいけれども何度も言う。
トイレに入ろうとして、そして本当に入った。
その姿を私は視界で捉えながら、ものすごく無意識に思っていたことが何かにいきなり気付いて、1人で赤面しそうだったし、ドン引きした。
私は本当に何も考えず、かなりぼーっとしながら、その人を見てこんな風に思っていた。
「〇〇さんに触れたい」
正気に戻った私は、ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3=3=3=3ってなった。
ものすごい勢いで「ちょっと頭大丈夫?今仕事中ですけど!何考えてんの?」と思った。
自分で自分の思考回路に卒倒しそうだった。
私はまだその時の自分は、その人をいいなぁと思っているんだ、ぐらいにしか思っていなかった。
特別扱いされて一気にその人の存在が変わって、数日お礼を改めて言う言わないにひたすら頭を悩ませ、やっとこさ言い、相変わらずそういう時はもれなく素っ気ない返事が返ってきて、あぁそうだよね、今さらお礼など言われても反応困るよね、だからどうした?だよね、などと思いながら、まぁ言って悪いことじゃないからいいかと開き直ったあたりから数日以内の話だったと思う。
普段からぼーっとしてることはよくあるけれども、基本的に私は誰かに触れたいなどと考えることは皆無。
ましてや仕事中、仕事中はさすがにぼーっとすると私は普通に凡ミスをやらかすから、なるべくぼーっとしないように気をつけているし、そして何より仕事はきちんとしておきたいから、そういう訳の分からない情を感じるなんて過去一度もない。
しかも職場恋愛とか「何それ?」とずっと否定的だった私にとって、相手に何かされて胸がキュンキュンするのは有りでも、だからと言って職場内で仕事中に何か別の感情を抱くのは無しだった。
ましてや私は基本的に男の人に触れたいなんて普段全く考えない。
ある時に男友達、2人か3人の人に別々の機会に言われたけれども、私は異常なほど男の人を寄せ付けないオーラをバンバンに出していて、普通に仲良くはできるし楽しくも過ごせるけれども、その男に対しての警戒心が半端ないと指摘されたことがある。
私もそれは自覚していて、いくら仲の良い友達でも私は基本簡単なボディータッチもできないし、したいとも一切思わない。
特に相手が男の人となれば、もっとそのボディータッチが無理になる。
相手が姪っ子とか子どもなら別だけど、それ以外は本当に触りたいとか触れたいなんてならない。
付き合う関係ならわかるけれども、それ以外ではない。
ちなみに余談の中の男友達と手を握ったことは、例外中の例外で、それは触れたいとかいうのとは違っていた。
だから、無意識に、しかも相手はトイレに入ろうとしてるわけで色気も何もあったもんじゃなく、私も私で仕事中なわけで、なのにその人に触れたいってどういうこと!?と思った。
((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))
ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
本当に絵文字みたいな心境だった。
その瞬間は時間にして数秒だったと思う。
その数秒間、私は全く違うところに意識がワープしていて、そしてスローモーションのようにその人を横目で眺めていた。
その時もその人の周りの空気はキラキラしていたけれども、それはその人がイケメンだからとか、もしくは私の頭の中がお花畑過ぎるからなんだと思った。
だけど、そんなことさえその時はもうすでにぶっ飛んでいて、とにかくものすごく純粋に私はその人に触れたいと思った。
とうとう頭がいかれたと真っ先に思った。
何かがとてつもなくおかしくて、私は自分がとうとうあまりにも男の人と縁遠いから、そういうおかしな妄想みたいな気持ちを沸かせるようになったんだとか、何か勘違いしてそういう気持ちを勝手に持ったんだとか、それはそれはもう大否定をしていた。
なんなら、ペンジュラムのせいにもした。
その人に親切にしてもらって1人で胸キュンキュンさせた後から、私は半分ふざけてペンジュラムに色んなことを聞いていた。
実は当時からペンジュラムは一貫してずっと同じことを私に伝えていた。
その人が本当に縁のある人だということは、ペンジュラムはずっとずっと言い続けていた。
質問を変えたり言葉を変えても同じだった。
ペンジュラムがおかしなことを私に指南するから(←ペンジュラムは指南などしない)、私まで勘違いして、とうとう思考が仕事中にも関わらず暴走したんだと思った。
そしてしばらくの間、私はこの自分の触れたい衝動を全力で否定することに膨大なエネルギーを費やした。
本当に気が狂ったとしか思えなかった。
私がその部分を本当に理解できたのは、その人もいなくなって何ヶ月もして、そしてようやく合点がいき始めたのは、それから約半年後の人生で初めてのホロスコープ鑑定の時だった。
ホロスコープの鑑定士さんが、私が過去にペンジュラムを使っていた人生を生きていたことを教えてくれた。
体が弱くて10歳ぐらいまでしか生きられず、その時に育ての親のような存在だったおじいさん的な人が使っていて、それを見て自分も使い方を覚えて、ペンジュラムに関しては自分の友達のように大切に扱っていたと教えてもらった。
余談だけど、たしかこれは書いてない気がするからいつか書けるといいけれど、私はペンジュラムを一部変えている。
当初ペンジュラムは紐の部分が金属製のチェーンだったけれども、ある日それが壊れて、そしてそれ以来、手作りの草木染めの糸を紐にしている。
おかしな話だけれど、私は紐にしてからの方がよりペンジュラムに似合っている感じがしたのと、自分の中でも何かがしっくりときていた。
何がしっくりなのかは知らないけれども、しっくりとそしてどこか懐かしいような不思議な感覚があった。
多分、その10歳ぐらいまでの人生だった時に持っていたものと似たような形のペンジュラムに似たような形の紐なんだろうと思う。
ペンジュラムの石自体も私のは採掘された時の形に近くて、とても自然な感じが出ている。
あとからネットで色んなペンジュラムを見たけれども、結構機械で形が整えられたものが多い。
そんな中、私のものはものすごく自然な感じだった。
見ると、それが量産できないタイプなのは一目瞭然だし、世界に1つしかないのもわかる。
今みたいな時代ではなく、自然の力を読み取って生活していたような時代に生きていたとするなら、私の今のペンジュラムの形の方がよりその時の感じに近いと思う。
そんなこともあったから、私はその鑑定士さんが言うペンジュラムを使っていた過去世の話をすぐに信じることができた。
そして、鑑定士さんが言った。
そのイケメン上司は、多分その時に私の近くにいたと。(私は友達や鑑定士さん含めて、その人のことを説明する時、いつも「イケメンの上司」と紹介して、そして何度も言う時は「イケメン上司」と勝手にあだ名で通してた。本当にこうした一連の流れを知っている友達だけには本名を言ったけれど、それ以外の人には通称「イケメン上司」で通した)
それもとても近しい関係で、一緒に住んでたような間柄だと。
鑑定士さんの話とその後私がペンジュラムを使って割り出したのは、何らかの事情で私はその家のおじいさんおばあさんに預けられていて、そしてその家の本当の孫がその人だっただろうこと。
だからとても近くにいて、毎日顔を合わせていたんじゃないかと思う。
私には何の記憶もないし、当時のことは想像することでしかわからない。
(ちなみに魂は、自分が生きた全ての人生の記憶を持っているとされている)
鑑定士さんいわく、先に死んでしまうことがわかっていた私に何て言えばいいのかわからなくて、当時もそのイケメン上司は無口だったんじゃないかと、そんなことも感じ取れると教えてもらった。
あまりに今と変わらなくて笑ってしまったほどだった。(←相手に失礼)
でもこの話と繋げるとわかる気がした。
もしその時に私が「また生まれ変わって再会したい」と願いながら死んだとするなら、ものすごくよくわかる。
その人を見て感じた色んなことに一気に説明がつく。
「〇〇さんに触れたい」というのだって、現実世界で考えたらおかしいのはわかる。
本当に仕事中な上、どうしたの?と思う。
でも、ようやく時を超え時空を超え、それぞれ別の人間として今この時代に共に生きていて、そしてもう一度本当に再会できたとするなら、ハグして喜び合いたいぐらいの気持ちなんだろうなぁと思う。
そう思う方が、あの触れたい衝動の感覚としてはわかりやすい、私にとって。
そして、すごい近付きたくても怖くて近付きがたいと思った気持ちも本当で、それは多分別離を覚悟していたんじゃないかと思っている。
不思議なシンクロも全部全部頷ける。
2017年、テクノロジーも発展してテレビ電話も普通、宇宙開発も普通、日本のような国では法律もしっかりしているし、理論的に正しいことを遂行することが世間では推奨されている。
スピードや効率、正確性なんてのも重視されている。
オカルト的なものは世間から受け入れられていないし、前世だの魂の再会だのなんて、もう映画とかの世界の話みたいになっている。
だけど、多分だけど、本当に再会したいと望んでいつかのどこかの人生では死にいき、そしてこのテクノロジー大国みたいな時代に生まれ変わって、そんなバカなことあるわけないと言われちゃうような時代に生まれても、やっぱりこれが魂が本気で望んだことなら、どんな手段が講じられても、出逢える設定になっているんだと思う。
訳の分からないことが山ほど起こっても、最終的にもう一度出逢えたとするなら、魂的にはスーパー御の字だと感じる。
そして、当然過去の記憶など持たずに普段は生きているわけだから、普通に過ごしてたら気付けない。
だけど、気付けるように自分の中にボタンみたいなのは持って生まれてきているんじゃないかと私は予想している。
それが私の場合は、あの触れたいの衝動だった。
その衝動は現実的には本当におかしいし、当時38歳の独女の私が「触れたい」だと単なる欲求不満の痛々しい人みたいな風に見える。
でも、そうじゃなくて、本当に出逢えて、そして魂的には再会できたとするなら、ようやく会えたね!の再会の喜びの気持ちの1つとして「触れたい」と出てきてもおかしくない。
余談だけれど、この話の余談話に出てきた男友達も、魂が転生する中で何回も出会ったと思しき1人だと思われる。
ちなみに、今世出会う人たちは、基本的に過去世でもどこかで縁のあった人たちと言われているから、家族や兄弟にしてもその可能性は高い。
だから、「ソウルメイト」と言うと、一般的には男女の恋仲的な感じで捉えられるけれども、本当は出会う人たちみんながそれに該当する。
ただ、その中でも魂の関係の強い弱いはあって、強い人はどこまでも強いし、まぁちょっとだけの縁だねという弱めの人もいる。
いつかのブログに「こじれ男子」などと書いたけれど、その中の2人目がその友達に当たる。
だけど、私は少なくともその人に会っている時に「触れたい」と思ったことは一度もない。
色々深い話ができる人ではあるけれど、恋仲的なのとは明らかに違うし、ましてや手の感覚なんて私は覚えていない。
その時のことは記憶にあっても、感覚は触ったにも関わらず覚えていない。
その一方で、その人は違った。
触るどころか、どんなに近くにいても数十センチはいつも距離があった。
箱を置きに来た時は1メートル、触れたいと無意識に出てきた時は数メートル、その人に探し物の有無を確認した時は会議用の折りたたみ式のテーブル3つ分ぐらいの距離があった。
もちろん触れられていないし、とにかく距離は遠い。
本当に遠く離れている。
それでも私はものすごくドキドキしたり、何かその人にただならぬ気持ちを感じたり、自分と似ていると思ったり、触れたいと思ったりした。
その人が時折見せた表情も、なんとなくだけど、その人側も何か尋常ではないものを感じていたんじゃないのかな…と思う。
明らかに色々おかしいし、年齢とか社会的な価値観とか考えたら、どう捉えても頭のおかしな人の話みたいで、もしくはファンタジーとか映画の世界の話みたいに見えてもおかしくない。
だけど、もし2人がいつかの人生の時にお互いに近くにいて、そしてまた生まれ変わったら再会したいと思ったとするなら、それなら本当にこの感覚はわかる。
恋愛や既存の愛の価値観とかでは説明できないのも当たり前だと思う。
こんなの普通にあることじゃないし、本当にそうだとしても他に同じ体験はないから、色々理解できなくても当然だと感じる。
色んなことを全部ひっくるめて、その人との間に起こったことは、「魂の再会」という視点から見たら全てパーフェクトでも、2017年2018年の世間的価値観で言うなら、異常で頭が狂った視点としか思えない。
出逢う数ヶ月前からその人との出逢いの場となるところに迷子になって行き着くとか、特別扱いしてもらった瞬間の出来事が会社事務所の移転以来初めてのこととか、こうして離れてからもその人にまつわる話を4人の人たちから聞くとか、異常なことはいくらでも列挙できるけれど、結局それって何かって言ったら、本当に再会を望んだ魂側が用意してくれたプレゼントみたいなものだと思う。
魂云々はどちらでもいいけれど、私はたしかにその人に触れたいと感じた。
それはどこまでも純粋な感じで無意識に出てきたものだった。
少しでも近付きたくて、だけど近付くのも怖くて、色んな気持ちが湧くけれどそれさえも怖いこともあった。
でも、正真正銘、その人は私にとって本当に特別な人で他に代わりは絶対にいないことも知っている。
魂的には本当に相思相愛なのかもしれないけれど、現実的には相思相愛からは程遠い。
むしろ嫌われてる嫌がられてる疑惑まであるぐらいだから(苦笑)。
それでも私はやっぱり出逢えて良かった。
その人と出逢えたことは何も後悔していない。
めちゃくちゃ嫌われていたとしても、それでも後悔はない。
人間の究極の目的は「愛」だと言われている。
愛すること、愛されることを体験するために生まれてきていると言われるぐらい。
少なくとも私はその人を通じて「愛」をたくさん感じることになった。
それは成就するしないは関係なくて、本当に純粋に「愛」そのものだと感じる。
こうして会えないからなくなるものでもないみたいだし、色々あっても尚その人は私の中に生き続ける。
色々私側の望みに沿ってないことが満載すぎるけれども、それでも私はその人に出逢えて良かったし、この行き場のない気持ちも知らないより知って良かった。
現実的に繋がれない哀しみはあるけれど、そしてもう二度と生きているうちに会えない可能性が本当に高いけれど、それでもその人を知らない人生より知った人生がいい。
その人を知らない味気ない人生よりも、涙も哀しみも別れもあっても愛ある人生の方が数百倍数千倍豊かだと感じる。
その人を知って不思議な気持ちをたくさん持って、今も尚その人はどういうわけか私の中にずっとずっと24時間365日体制で居続ける存在に変わりないけれど、知らなかった38年よりも今の方がなんだかしあわせ感が強い。
その人の存在そのものが私にとっては何よりも大切だから、たとえハッピーエンドではない今もしあわせな感じがあるんだと思う。
その人への気持ちは、状況とか相手の気持ちで左右されるものではないことがわかった。
そういう気持ちを持った人だった。
去年の1文字を「逢」にしたこと、「逢」を「愛」とも掛け合わせたことを一生私は忘れない。
>>>ナウなつぶやき
もはや、そもそも何を書こうとした記事だったのかわからなくなってきた。
途中からは書きたいことを書いた。
私の文章の暴走癖は今に始まったことじゃないからいいかと割り切った。
また夜な夜な書いたらどんどん話が飛びまくったけれども、書いていてわかった。
やっぱりその人は私の中で只者じゃなくとても特別な存在であること。
書いているうちに泣けてくるところが時々あった。
感極まって涙が出てくる。
何で涙が出るのかも説明できないぐらいに、複雑な想いがたくさん出てきた。
これだけ想いが強いからどうにもならない。
でももうしばらくはそれでもいいか、と良い意味であきらめた。
もちろん本当に再会できたなら嬉しいけれども、再会できなかったからと言ってなくなる気持ちとも違う。
もうこんな風に誰かを想うのは、その人が最初で最後かもしれない。
恋愛の好きとかは絶対にないとは言い切れなくても、その人に感じてる気持ちと全く同じ気持ちで誰かを想うことはもう生涯を通じてその人が最初で最後の人のような気がする。
>>>最後に超絶くだらない妄想
最近私はカツカレーともやしみそラーメンの話を記事にした。
もやしみそラーメンはまだしも、カツカレーは本当にかなりどうでもいい分析で、これ何にも役に立たない。
超絶くだらない妄想は、これらの記事の後にその人が本当にカツカレーを食べたり、もやしみそラーメンを食べたりしてたら面白いなぁと。
もやしみそラーメンってなると普通にラーメン屋さんでメニューにあるかはわからないから、野菜みそラーメンとか。
もしくは味噌バターコーンラーメンとか。
本当に食べてたら、かなり嬉しいかも。
意味なんかないしくだらなさ満点だけど、嬉しいは嬉しい。
魂云々と書いた時に思った。
ちょっとしたことを共有できるだけでも嬉しいんだろうなぁって。
それは時空を超えてまで繋がれた喜びを思ったら、ほんの些細なこと、こうしたカツカレーやラーメンでも、嬉しくなる気持ちがわからなくもない。
ちょっとした、伝言リレーみたい。
話はガラッと変わるけれど、これを最後まで読んでくれたとするなら、それは本気ですごい。
私はたった一度読み返しただけでドッと疲れたから、もう読まない。
最後まで私の長いひとり言に付き合ってくれてありがとう。
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