副題『カオスな日々の中の心の中心軸2018』
年末年始の忙しい理由。
「避難訓練ごっこ」
「歯科検診&内科検診ごっこ」
「プリン屋さんごっこ」
3歳になったメイは、保育園に通い始めて早9ヶ月。
ホイッスル風の笛を吹いてから「これから、ひなんくんれんします」と宣言した。
ぬいぐるみたちを一列に並べて、その前に自分が立ち、「これからひなんくんれんです」と、保育園でもやってるだろうことを真似してやっている。
ぬいぐるみを並べたり、「はい!」とぬいぐるみの代わりに返事をしたりする役をひたすらやらされる。
歯科検診ごっこは、学校や保育園でするように、ぬいぐるみたちの口に、ライトが付くペンをかざし、「むしばないですね」とひたすら言う、これもまたエンドレス同じことを繰り返す。
1人1人を呼ぶ時の名前がおかしい。
「ぶしまたピカチュウさーん!」
3歳になったメイは、苗字と名前とセットで呼ぶことを覚えた。
初日のお風呂もすごかった。
「おかあさんとはいる!」と言って妹と入ったメイ。
途中で「史子来て!」と風呂場から妹に呼ばれた。
何かと思えば「メイが『メイのおもちゃがない!』と風呂に入った瞬間から言っていて、『お母さん知らないよ』と言ったら『ふみこがしってる!ふみこ呼んで!』って言って。『ふみこ今布団敷いてるから近くにいないよ』って言うと数分おきに『そろそろふみこ下にきたんじゃない?』ってずっと言ってるんだよね。それで今音がしたから(←洗い物をする音)、『ふみこきたかもしれないよ!』ってなってそれで呼んだんだよ」と説明を受けた。
メイのお風呂のおもちゃセット(35年物のおさがり含む)を脱衣場から出して、メイに渡した。
しばらくするとまた妹から呼ばれた。
「まだプリン屋さんごっこしたいんだって。史子一緒に入って!」
風呂場でも忙しい。
髪の毛や顔を洗ってる時に、すぐ近くのメイに電話のマネをしたりひとり言をつぶやかないといけない。
「もしもしプリン屋さんですか?今忙しいので(←本当のこと)、プリンを1つ取っておいてくれますか?」
メイはいいですよ!と返事したくせして、その後1人で店員とお客の二役を演じて、「プリンうりきれちゃうなぁー!」とここぞとばかりに私を急かし、それでその後上がるまでエンドレスプリン屋さんの刑。
昼間に食べたプッチンプリンの容器をお風呂に持ち込んで、そこにひたすらお湯を入れてプリン屋さんになりきる。
いちご味やチョコレート味、アイスプリンなど色々バリエーションはある(もちろん、みんな中身は風呂のお湯)。
「生クリームはありますか?」には、いつも「ない」と言われる。
で、私は何をするかと言うと、口から水を入れて遊ぶ鳥のおもちゃに扮して、ひたすらプリン屋さんに行く客役。
そして、メイがスプーンで容器の中のお湯をすくって鳥に食べさせてくれるから、私は鳥を押して「ブヒブヒ」みたいな音を鳴らしながら口は「おいしいおいしい」と言いながら食べる真似をする。
100回以上は鳥の体を押し、おいしいも同じ回数言い、これは何のバツかと思うような遊び。
メイはかれこれ1時間は入っていたと思うけれど←大人の方が疲れる、なかなか上がりたがらない=エンドレスプリン屋さんの刑だったから、最後はオファーしてみた。
「ねぇ明日はジュース屋さんごっこする?お風呂上がってヤクルト飲んだら、ジュース屋さんのコップができるよ!」と尋問誘導し、それでようやくメイのイエスを取り付けた。
私は翌日ジュース屋さんというよりお風呂には一緒に入れないとわかっていての、ジュース屋さんに向けての準備のオファーだった←悪い大人。
こうしたシュールな遊びに忙しい年末。
年賀状のバイトに行けば行ったで、1日休みだった私は「昨日から暇になってきましたよ!」と周りの人たちから報告を受け、たしかに前半はいつもよりもゆっくりしていた。
ところが後半、未だかつてない不具合だらけの仕事が回ってきた。
最初は「たまたま」の不具合だと思っていたけれど、本来の業務に支障が出まくりのレベルで、さすがにおかしいと思って、スタッフの人を呼びに行った。
事情を説明すると、スタッフの人はこれまでの不具合の例をいくつか挙げて、私にそれと同じかどうかを確認したけれど、「いや、そんなレベルじゃなくて、全種類制覇するような勢いで起こっています」と返した。
スタッフの人も最初はそんなわけないという感じで捉えていたけれど、実際に私の持ち場を見て納得して、それでようやくトラブルの全容はわかってもらえた。
ただ、私の前の工程の段階で完璧にセットされていることにはなっていたから、様子見することになった。
嫌な予感しかしなかったけれども、ごちゃごちゃ言ってる暇もなく、また仕事に戻った。
その後最後までずっとそのトラブルは続いて、終わり際にさっきのスタッフの人が回ってきて、惨状を報告した。
スタッフの人からしても「まさか」だったらしく、「えっ(  ̄Д ̄;)」って言われたけれど、最後はあとはやるんで大丈夫ですと言われて帰ってきた。
私は妙に納得していた。
これは派遣の仕事を始めた数年前から気付いていたけれど、私はとにかくあたりを引く。
そこで永年勤続の人たちでさえ当たらないようなトラブルによく当たる。
もしくは、かつて出たこともないクレームに当たる。
しょっちゅう色んな職場で「武士俣さん、引きが強いね!」と全く嬉しくない言葉を頂戴しまくりだった。
それはどこの職場でもよく起こって、今回も短期のアルバイトでスタッフの人もまさか!と絶句するトラブルに当たった。
ぐったりしたところに吹雪いてる中、ホワイトアウトしそうな外をのろのろと運転して帰った。
本当は別の文章をアップする予定でいたけれど、メイとのシュールな遊びや年賀状のアルバイトで思わぬトラブルに見舞われ(←もちろん私も初めて遭遇した)、そちらは間に合わず、年明けにすることにした。
そして気付けば、今回が年内最後の文章になるとわかって、ちょっと1年のしめくくりとなるような内容にしようと思った。
あまりじっくりと振り返ることもできない。
じゃあざっくりと…と車の中で考えながら帰ってきた。
メイとのシュールな遊びや年賀状のバイトもカオスな感じが溢れ出ていたけれど、そもそも今年1年もカオス感たっぷりな1年だった。
まずは、「2018年って、2018年1月1日〜明日12月31日までの間だよね?」という確認から始まった。
次に大まかな流れを見た。
3月までは仕事、4月からは引きこもり的なニート、気付けば9ヶ月もこの状態なんだと気付いた。
たしかに客観的に見たらそうだけど、実際は本当に色んなことがあった1年だった。
1年前の年明け早々にオルゴナイトに出合った。
そこから始まり、ペンジュラムの謎が徐々に明らかになって、ホロスコープ鑑定を受けて、そのうち「癒しのレシピ」と称して他の人たちのメッセージをキャッチするようになり、ホロスコープとヒーリングの勉強を始め、そして今カオスな年末の日々の横で実は今年最後の癒しのレシピをやっていた。
本当はそのことを書きたかったけれど、避難訓練ごっこやプリン屋さんごっこでそれどころではなくなり、それで気付けばあと今年も1日((((;゚Д゚)))))))!?となって、急遽今年最後の記事を変更することにした。
他人からメッセージをキャッチしてしまうこの体質的なものは、春先の桜の木の近くで初めて「うわ、これなんだ?」となってから、今この9ヶ月後にはずいぶんと違うものになった。
目の前の人に必要なものが言葉としてやってきて、無視しようとするともっとやってくるという有り様だった。
まじめにドラマか映画でも書けそうな感じで、最初はビックリしたけれど、よくよく考えたら元々そういう体質はあって、でもこれまではそうした体質であることさえ知らずにいた。
あまりに当たり前のことで、全く自覚がなかった。
今も半信半疑ではあるけれど、年内最後の癒やしのレシピのおかげで、その辺りが春先よりもうんと明確になって、どうした時にそういうことが起こって、そして私がどうしたところにアクセスしてるのかも、なんとなくわかってきた。
アクセスしてると言っても、私は意識的にアクセスしてるのとは違うから、未だにその辺りは感覚的にさっぱりわからない。
今回もアクセス先がわかったのは、相手の人からの指摘でわかっただけで、自分ではわからない。
仕事もせず結婚もせず両親からは何をしてるのかと不信がられ、周りの知らない人たちからしたら「ぶっしーは何を結局したいの?」と思われてることも感じ、ごく一部の親しい人のみが私の今のスーパーカオスな状況を知っている中で、当の本人でさえも「何がどうなっているんだろう…?」と思っている。
はたから見たら「何もしていない」ニートであって、もう私はそれを否定する気もないけれど、私にとってこの1年は本当にじっとしてでも、外との関わりを最小限にしてでも、とにかく自分を見つめることと自分の人生の流れを全部棚卸ししてそこから色んなことを感じとることが必要だった。
その辺りも詳しく書きたいけれど、また2〜3時間以内ににシュールな遊びが始まるから、今は本当の本当に「これだけは書きたい!」ということだけに絞って書く。
色んなことが入り込んできた1年で、さらにはそうした見えない部分の体質(他人からすればある種の能力)も自覚できるようになって、それに伴いなのかとにかく色んなことが起こりまくりな1年だった。
自分のことも出来事も色々カオス感たっぷりではあるけれど、それでも私はそれ以上にすごいことに気付いた。
起こってくることも、自分自身のことも、とにかく「混沌」という言葉がピッタリになっている。
じっとしている割には、外も中も騒がしい、忙しない感じだった。
あまりにも読めないことばかりで、本当なら怖さがもっと出てもおかしくないところ。
今年は過去10数年分の体調不良すべてを足したぐらいの回数具合が悪くなり、起こることも色々尋常ではなく、気持ち的にもアップダウンが激しく、落ち着かないこともたくさんあった。
それでも私自身が「大丈夫」とどこかで信じられた理由は、去年2017年のことがあったからだった。
もっと言うと、そこで出逢えた人のおかげだと思った。
車の中で、今年がいつからいつを指すのかを確認した時に、「そうだ、もう今年は一緒の空間にもいなかったし、1日も会えていないんだ」ということに気付いた。
会えていないにも関わらず、その人は私の中にずっといた。
外側がどんなに変化して色んな訳の分からないことが起こっても、唯一その人だけは私の中にずっとずっといて、そしてそこが唯一私が変わらずにぶれずに戻れるところでもあった。
心のストーカーみたいな、なんとも痛々しいところもあるけれど、別に迷惑をかけているわけじゃないからいいかと思ってる。
もし、今年2018年に起こったことが最初に起こったことなら、私は到底受け入れることができなかった。
どれも望んだものではない上に、「そんなわけない」とか「そんなぶっ飛んだことはありえない」とか、色んな理由をつけて受け入れることは一切しなかったと思う。
去年は意気揚々と「今年の1文字」を選んで、そこに並々ならぬ想いを持っていたけれども、今年はそういうこともない。
ましてや、去年のような生きてるだけで毎日が喜びに溢れていて、幸福感に満ちていて…みたいな空気は今年は皆無だった。
むしろ、今年は徹底的に自分に向き合うことで、苦しいことや逃げ出したいことの連続だった。
変なことはたくさん起こるし、自分でも説明できないようなこともたくさんあった。
それでも私が自分の人生の流れを信頼できるようになったのは、去年のその人との出逢いがあってそこから本当にたくさんのものを得ることができたからだった。
今後はますます、スピリチュアルというか見えない世界と現実世界とを掛け合わせて何かすることになるだろうし、それは役割的に避けて通れないと思う。
それは不安や恐怖をたくさん伴うものだし、避けて通れるものなら避けて通りたいという気持ちもまだまだある。
だけど、そこに向き合うと決断しつつあるのは、その人に出逢えたことで本当に自分の人生の流れを信じられるようになったからだった。
その人に出逢う前、私の人生は大きく崩れた。
崩れっぱなしの30代の中でも一番大きく崩れたところを経て、色々思い通りにならない自分の人生が心底嫌になり、残りの人生もこんなだったらどうしようとおののき、何も先のことに希望が持てなかった。
ホロスコープを学んだことで、本来であれば、2017年の夏は特に天体の影響(冥王星)がとても大きく出ている頃だということも知った。
そんなこんなの時に、私は人生で本当の本当に大切な出逢いに巡り合えた。
結果は全く思わしくないし、最後は本気で嫌がられていた風ではあったけれど、それでも大切な出逢いには変わりなかった。
そして、天体的にすごくハードと解釈されるまさにその時に、その人に出逢えたということが、それも色んな大変な時期を通り抜けての出逢いだということが、私に自分の人生を信じる力を与えてくれた。
このまま、もう再会することもなく、永遠に会うことができなくても、それでも私はやっぱりその人に出逢えて良かったと思っているし、その人に出逢えなければ自分の人生を信じることもできなかった。
その人との出逢いの部分が「陽」だとするなら、その他の部分は「隠」になる。
全体的に隠の要素満載の人生の中で、もし今年に起こったことが去年の出逢いより先に起きたとするなら、私は受け入れることもできなかったし、もっともっと自分の人生から逃げたと思う。
表面上、訳の分からない又は苦痛を伴うような出来事をたくさん経ても、それは次に繋がる大切なプロセスだったんだと知った時に、それも実体験を通じて知った時に、私は心の底から「大丈夫」と思えた。
こんなこと言うのはとても恥ずかしいけれど、私が1年前の夏に得たことは、単なる出逢いじゃなかった。
イケメンに素敵な気使いをしてもらったことがすべてでももちろんなかった。
悲しいことも切ないことも山ほどあった。
思い通りじゃない流れを心底恨んだ。
それら全てをまとめて私が得た究極のものは「愛」だと思う。
どうでもいい人であれば、今頃どうでもいいどころか記憶の片隅にも残らない人になっていたと思う。
思い通りにならなかった関係は、今も変わらない。
でもそんなものではなく、私の中で一番大きなものは「愛」とか「愛を感じる気持ち」だったと思う。
色んな想定外の出来事と苦しさ満載の数々の強制終了的なリセットと、そんなものたちを越えた先にあったものが「愛」にまつわるものなら、それはそのために必要だったんだと受け入れられる。
そして今年起こった色んなことたちも、何かそうしたところに通ずるものなら、仕方ないとも思う。
だから、かなり揺らぎの大きかったこの1年も、だから副題の通り「カオスな日々」にあっても、それでもいつも私の中心にはその人がいて、その人への気持ちがあったから、私はぶれない軸を持つことができた。
色んなことがありすぎな日々の中でも、絶対に不変だったものがその人の存在だった。
会えないのに何言ってんの?って話だけれど、単なる自己満足でしょ?って話でも、もう何でもいい。
私にとってその人がどういう存在か、その人に対してどういう気持ちなのか、そのすべてが私を本当に支えてくれた1番のものだった。
思い通りにならないことに色んな負の感情も山ほど湧いて出てくるのは日常茶飯事でも、やっぱり大切な人で大切な何かの人には変わりない。
まさか全く会えなかったこの1年もこんな風に影響を及ぼしてくれるとは想定外だったけれど、私はもうそれをありがたく受け取ることにした。
この数日、少しだけその人について書いた過去の記事たちをさらさらっと読んだ。
つくづく残しておいて良かったと感じた。
似たようなことを毎回書いている風ではあるけれど、そのすべてに一貫性を感じた。
そして私の中心にその人がいるということを再認識もした。
2017年の「逢」という1文字は、その後もまた引き続きたくさんの大切なものをもたらしてくれた。
その人には本当に出逢えて良かった。
心からそう思っている。
たとえ、もう二度と出会えなくても、それでも本当の本当に出逢えて良かった。
その時々の色んな気持ちを読んで、自分の中の変わらない軸を見つけた。
それは辛く悲しく切ないものであっても、根底は本当に愛に溢れまくっている、そう感じた。
昨日、出勤した時のこと。
家を出てすぐに、同級生が帰ってきていることを知った。
そして、はっとなった。
相手は男で、ほとんど言葉も交わしたことがなく、なんなら寡黙症の私を前面に出したようないまわしい思い出まであるけれど(苦笑)、今も今でばったり会ったならようやく大人になった私が挨拶できたら御の字みたいな話の関係の同級生。
ちなみにTの字のごとく、私の家、そして横棒のはじとはじに同級生の男2人の家がある(2人ともそれぞれ所帯を別のところに構えてる模様)。
その片割れの昨日家の前を通った方の同級生。
実はその家の苗字は、その去年の夏に出逢った男性と同じ苗字。
まぁそこはずっと前から気付いてはいたけれど、ポイントはそこじゃない。
なんとその同級生の車、その人と同じ車種で同じ色の車に乗っている。
しかも去年かその少し前に買い替えたはず。
なぜなら私が帰ってきた2016年は赤い車だった記憶があるから。
これまで全く気にも留めていなかったけれど、よくよく考えたらもう1人は何に乗ってるかは知らないけれど、当然その車じゃない。
たまたま苗字が同じ方が同じ色の同じ車に乗っている。
どういう偶然か知らないけれど、こんなところにも偶然があったんだと気付く。
驚きながら車を走らせた。
いつも通る道は雪が降るとコンディションが悪くなるから、いつもとは違う道を通った。
単に雪が降ったからの理由で、違う道になった。
いつも走る道と並行している道を通ったその時に、意外な場所で私の中のラッキーアイテムを見た。
その人と同じ名前が使われている、世界に1台しかない洋菓子屋さんの車だった。
すごい意外なところに止まっていて、初めてそんなところで見た。
1年のしめくくりに良いものを見せてもらえたなと感じた。
その世界に1台の車を見ても、同級生の同じ苗字男子との接点を見つけても、別にその人に会えるわけじゃない。
でも、私はその2つを立て続けに見て、そしてあと1日しかない=あと1つしか今年中にブログを書けないとわかって、それで急遽書くものを変更した。
その人のことをきちんと記録に残したかった。
色々痛々しい話が満載でも、私にとって大切なことには変わりないから、それをきちんと1年のしめくくりに残したかった。
2018年、一度も会えず、今後も会える見通しはなく、それでもこんなにも大切な理由は正直私にもわからない。
私の人生の七不思議の1つと言ってもいい。
それでもやっぱり大切な存在で、私の中心にあることで私は何が外側であろうともそこに戻ってこれる。
そういう意味で、今年も愛ある1年だった。
私が今後やっていくことは、愛がないとできない。
人を大切に思うところが根底にないと、絶対にやっていけない。
その1番の根っこのところにその人がいて、その人と出逢えたことで得られた私の中の愛の感覚が、これから先ずっと色んな方向で役に立っていくと思う。
だから今年も愛ある1年で、その人がいてくれることで本当に大切なものをたくさん手にした1年だった。
“LOVE2018”ということにしよう、そうしよう(♡´艸`♡)。
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