それは小さな違和感から始まった。
三連休明けの月曜日の朝、雲ひとつないような青空が窓の向こうには見えていて、身支度整えてさぁ仕事に行こうという時だった。
「ナンテコトナイ」動きだった。
体を少しだけ屈めたかな?という程度。
腰に鈍い痛みが走ったかな⁇という程度。
重たいものも持ってないし、無理な動きもしていない。
だけど、腰には鈍い痛みのようなものが生まれた。
それが時間を追うごとに痛みは増し、夕方仕事が終わる頃には頭のてっぺんから尾骶骨の辺りまで、腰痛だけじゃなく頭も肩も背中も、まるで発熱したかのような痛みに覆われていた。
体は完全に痛みに支配されていた。
体の不調と共に、心の方も弱ってきた。
この2ヶ月ぐらい走り抜けたことたちが一気に疲労の塊となり、どうにもならない現実を前に失望と絶望とあきらめと苛立ちと、そしてやり場のない自分以外の誰かに向けた感情が一気に爆発してしまった。
ごはんをさっさと食べてすぐに布団に入った。
7時半過ぎにはもう布団の中だった。
そのうち寒気も出てきて、本格的に具合が悪いことがわかった。
意識が遠のく中、「体じゃなくて、心が限界に達したんだな」と思った。
わかりやすく体に出てきたけど、風邪というよりも心が支えきれなくなって、体を使って色んなものを訴えているんだなと思った。
多少楽になったとは言え、今日も今日でまだ体調不良は引き続きとなった。
昼休み、近くの花がたくさんある公園に行って、太陽と自然で癒そうと思った。
ところがそこに行くとさらに気持ちが滅入り出して、余計と辛くなってきた。
もう本当に全てがどうでもよくなって、自分の中の嫌な気持ちをどうにもできず、自分で自分に疲れてしまった。
もうどこまでもネガティブモードで、これはあたふたしてもどうにもならないことは経験上知ってるから、気が済むまでこのままでいる他なかった。
オレンジ色の光が事務所の窓に入ってきた頃だから、4時を回り出したと思う。
それはまた突然だった。
本当に突然、腰の慢性的な痛みがなくなった。
まだ体勢によっては痛みを覚えるものの、本当にあの四六時中鈍い痛みが走ってた状態が、突然消えた。
16歳の頃椎間板ヘルニアになって以来、腰痛とは20年以上何回も付き合っているけれど、自分で感知するぐらいに痛みが突然消えたのは今回が初めてだった。
そして、そのタイミングで、前日から続いてた風邪のような症状は、「鼻水」に移行しだした。
私は滅多なことでは風邪を引かなくなった。
もう何年も引いてない。
そして引く時は9割のどにくる。
のどがイガイガして、咳に移るというのが鉄板だった。
最後に風邪を引いた時だったかは忘れたけど、のどには一切症状が出ず、代わりに鼻水だけが止まらなかったことがあった。
その時にたまたま知り得たことですごく納得したことがある。
本当は泣きたいのに泣けない時、体が代わりに鼻水をたくさん出して、たくさん泣いた時と同じ状態を生み出す、というような内容だった。
当時何がそんなにいっぱいいっぱいだったのか忘れたけど、たしかにそうかもしれないと強く思ったことは憶えてる。
本当にひどい鼻風邪で、大泣きした後みたいな感じが鼻を中心に再現されていた。
今回も鼻にきて、あぁ心が泣いてるんだなと真っ先に思った。
自分の心を支えてたものが目の前からなくなって、色々と必死にカバーしようと、空いてしまった穴を埋めようと孤軍奮闘して、もちろん泣いたこともあったけれど、それでも埋まらないものに対して何とかしようとしてた。
腰の痛みも鼻水も全部心からのSOSだったのかなと思ってる。
そしてもうどうにでもなれ!と半ば自暴自棄みたいな感じになってひたすらネガティブループにどっぷりと浸かったのち、突然腰の痛みが消えて、代わりに鼻水が出始めた。
心の毒出しだと思った。
帰り道、体が楽になったのも手伝って、隣りの町に足を伸ばしてノートを探しに行った。
過去の何てことないさりげない日常が未来のある出来事とリンクする、例えばたまたま人に誘われて出かけたら迷子になって、そしたら未来の(今の)仕事場の目の前にたどり着いた、そういう些細なこと、その不思議なからくりを知ってそういうことを残したいと思った。
そのためのノートを探してた。
その日のことは箇条書き程度で良かったから、普通の大学ノートタイプのノートで良かった。
大型の100均をすでに2軒回ってみて、どこかピンとこず、それゆえに文房具が充実してる蔦屋に行った。(田舎ゆえ、ロフトとか東急ハンズなんていう素敵な選択肢はない)
探してて気付いたことがある。
罫線は30行が主流だということ。
たしかに31行じゃ数として中途半端すぎる。
でも、できたら31行又はそれ以上のノートが良かった。
なぜなら1ヶ月31日ある月もあるから、1枚の中できれいに収まって欲しかったし、最初から補助線引かなくても31行ある方が楽だと思ったから。
少なくとも10冊以上のノートを見た。
だけど、規格なのかみんな揃いも揃って30行だった。
そこは蔦屋も100均も全く同じだった。
取り扱いのノート会社こそ違えどみんな30行だった。
店内をウロウロして、通常のノートコーナーではないコーナーに行ったら、また少しだけノートを置いてるところに着いた。
そのノートを置いてる蔦屋だというのは知ってた。
過去に別の使い方をしたことがある書きやすいノートで、またデザインもシンプルで私としてはすごく好きなノートブランドのもの。
それもどうせ30行だろうと思って行を数えた。
なんと31行。
数え間違いかと思って、私は結局3回数えた。
3回とも31行になった。
初めての31行ノートだった。
しかもMade in Japanじゃない。
Made in Tokyoになってる。
日本じゃなくて東京だったのがさらに良かった。
即決でそのままレジに向かった。
レジは混んでた。
3台のレジでは間に合わないぐらいの混み方をしてた。
私の番になり、ちょうど空いたレジに向かった。
店員さんの名札にはひらがなで大きく名前が書かれている。
私のレジを担当してくれた方の名字は、なんとこのノートのそもそもきっかけとなった出来事に関する人と同じ名字だった。
そんな偶然、嬉しくならないわけがなく、私は1人ですごくテンションが上がった。
腰痛も鼻水も快方に向かっていた矢先の、そしてやり場のないネガティブモードを通過した後のこの偶然に、私はただただ感動した。
今借りてる駐車場は、目の前に川があって空がひらけてる。
20時を回ってるにも関わらず、東の低い空の方にそれはそれは満月のような大きなオレンジがかった色の月が出ていた。
3日前が満月だったからまだまだ大きい時期なのはわかるけど、私はこの土地で見た月の中で一番大きな月を見てた。
通常の3倍はありそうな大きさだった。
満月の近くは浄化に良いとされてるけど、今がその時期なんだと思った。
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