自分の中にあるものは取り出せない。
取り出せないから、言葉という手段を用いて外に出してみる。
当初10年ぐらい使う予定で買った今の日記帳。
この1ヶ月でなんとそのうちの半分近くを使い果たした。
やたらとペンのインクが未だかつてないハイペースでなくなると思えば、なるほど納得した。
替え芯はすでに数本の域に達している。
昨日の車の中で、この夏友達3人と交わした楽しい東京神楽坂で開催した女子会の会話を思い出した。
はっとした。
その時の会話の内容の1つは1年前の秋にさかのぼる。
1年前のある秋の日、私は目的地近くにいながら道に迷っていた。
開始の時間近いのに、目的地にも近いのに、迷っていたその時。
私はなんと今働いている職場の目の前にいた。
そんなことすっかり忘れていた。
昨日の昨日までそんなこと忘れていた。
今の職場の目の前の道にたどり着いたのはその時が人生で初めてだった。
本当にそこに用事がなければ絶対に通らない道ゆえ、なぜ1年前の秋にたまたまと言えどもそこを通過したのかなんて、すごい確率だった。
しかも私は自分の意思でそこに行ったわけじゃなかった。
当時仲良くなった女の子に誘われて出かけた先が、迷子になって未来の職場の前を通過するというすごい偶然を生み出していた。
そこから芋づる式で色んな過去の通過点がよみがえってきた。
どういうわけか、私はそこから半径数キロのところに何だかんだと行く用事が重なった。
それもすごいマニアックな用事ばかりだった。
当時にしてみれば、もっと便の良いところにその用事先の場所があればいいのに…と思いながら、本当にその時々の用事だけを足しに足を運んでいた。
しかも1つを除いては、すべて自分以外の誰かから誘われてとか教えてもらって出かけた用事ばかりだった。
自分の行動範囲には全く該当しないその街へ、何かしらのお誘いで足を運ぶ、それが去年の夏から今年の春にかけてのことだった。
アメリカに住んでいた頃。
私はやたらと「ドミニカ人」と呼ばれる人たち、ドミニカ出身の人たちと出会っていた。
しかも色濃く記憶に残るような、そういう関係となった家族だった。
その人たちが交わすスペイン語は何一つ知らず、これから先の未来には何も関係ないと思ってスルーしていた。
そうしたらまさかその数年後、私はドミニカ共和国に住むことになるなんて、そしてスペイン語を1から学ぶことになるなんて思ってもみなかった。
人生において大切な何かと出会う時というのは、そうやって前もってお知らせ的なものがくるんじゃないかと昨日車の中で思った。
当然その時はスルーする。
興味もなければ何の意味も成さない出来事や偶然で、すぐに記憶の彼方へ葬られる。
だけど、ある日1つの事実に気付くと、まるで何か1点に向かって人生が流れ込んでいるような、そういう偶然が過去に点在していたことに驚く。
私は昨日の車の中でその偶然に気付いた時、十分暖まった車内の中で鳥肌が立った。
鳥肌が立つくらいの驚きと感動みたいなものが沸いた。
こういうよくまとまらない記憶が行き来する。
記憶に残したくて記録する。
自分の中でも言葉にできないものをひたすら日記に綴る。
何か思い出せば、近くにある適当な紙に、携帯のメモに、残す。
人生の中で何かが幕開ける感じがひしひしとしている。
何かに向かって点と点が繋がりだしてる。
それが何かなんて今はまだわからない。
だけど、確実に何かが動き出してる、そんな風に感じてる。
~relative story~
1ヶ月
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