2017年11月26日日曜日

自分の名前

1998年の夏か秋だったんじゃないかと思う。

アメリカ北西部のとある田舎町の雑貨屋で私は写真のノートに出逢った。


大学のある町で、その雑貨屋は町で一番おしゃれな(唯一の)雑貨屋だった。

CDから服、雑貨まで色んなものを置いているお店だった。

まさか英語圏の国で、自分の名前と同じ字が書かれたノートを目にするとは思わず、何に使うかも決めずに即決でノートを買った。

1999年の3月に20歳になった時、そのノートを初めて使い、それ以降今に至るまで毎年誕生日の日にだけ書く日記帳として活躍している。

 

2017年の秋、つい先日、そのノートをまじまじと見た。

もうそろそろ買ってから20年経とうとしている。

19歳だった私もそれ以降の私も大してそこに大きな意味など感じず、その言葉の通りだよね~と実に軽く受け流していた。

だけど、この間よくよくそのノートを見て、自分で自分にびっくりした。

 


「史」という文字。

「writing one's own history」

と説明されている。

私は単に「自分の歴史を書く」という意味にしか捉えず、それで「誕生日日記」なんていいだろうと思って始めたのが最初だった。

本当にその通りに使っているけれど、それ以上の意味を見出すことはしてこなかった。

もっと言うと、historyはわかるけどwritingの部分だけは「何で【書く】なんだろう??」という疑問は残った。

アメリカで買ったものだから、「歴史」だけだと言葉が弱いからまた日本語の曲解でもして「書く」も付け足したんじゃないかと思いこんでいた。

勝手に外国での日本語あるあるにしてしまっていた。

 

1ヶ月ほど前だったかと思う。

何かは忘れたけれど、私は探し物をした。

ゴールデンウィーク明け、実家は建て替えに伴い今の仮住まいに引っ越した。

とても狭い今の仮住まいには最低限の荷物しか運びこめなかった。

私は7箱の段ボールを持ち込んだ。

もっと言うと、1年前の2016年の5月末に6年半住んだ名古屋から新潟に帰ってきた。

その時、私は一生使おうと思って買った一点物の木のテーブルと4箱ほどの段ボールを送り、あとは大きなスーツケースに入るものだけを持ち帰ってきた。

これ以上ない位の大幅な断捨離をした。

そして今回の引っ越しの時もまた大がかりな断捨離をした。

その7箱の内訳は
2箱:お気に入りの食器たち(車庫に保管だとカビが生えたら嫌という理由で)
2箱:衣類
3箱:CD、本、ノート類
という具合だった。

CDや本で1箱とすると、私はノート類を2箱持ち込んだことになる。

仮住まいへ持ち込む時は、あまりにもばたばたしていて、私は無意識に「持って行くもの」とそうでないものを分けていた。

少なくとも食器たち以外は自分の生活に必要と思って持ってきたものたちばかり。

私はそのばたばたして思考がいまいち働いていないような状況で、なぜか「書くもの」ばかりを集中的に必要なものと分別して持ってきていた。

この間、その探し物をしていた時に、「書く」ことを目的としたものを実にたくさん持っているその事実にびっくりした。

自分で「異常」だと思った。

数えていないけれど、ものすごい大量のノート類が出てきた。

そして私は、1冊1冊のノートがどういう役割で使われているか又は使われてきたかを言える。

中を見なくても、こういう目的のものとはっきりとすべてのノートに対して言える。

それにプラスして、名古屋から持ち帰ってきた友達や仕事を通じて知り合った人たちからもらったプレゼントが2つを除いてすべて「書く」ことにまるわるものだった、ということにも同時に気付いた。


2人の人は、はっきりと私に
「ぶっしーって思い浮かべると“書く”なんだよね。だからこれを選んだんだ」
と言って、1人は万年筆、1人は高級ノートモレスキンをプレゼントしてくれた。

しかも2人は知り合いじゃなく、それぞれ別々の時にプレゼントは貰っている。

他にももらいものはあれこれあったはずなのに、気付くと私はペンばかりが手元にあって、しかもキャラクター系のペンはそれぞれ私の不注意で一部壊れているにも関わらず、私は捨てずに名古屋から持ち帰ってきた。

そして今回も大がかりな断捨離の時、迷わずに「自分と一緒に持って行くもの」として今の仮住まいに持ってきた。

書くものをプレゼントしてくれた人たちはそれぞれ知り合いじゃないのに、なぜかなぜか「書く」ということが全部に共通している。

そんなことについ1ヶ月前気付いた。

 

そして思い起こせば、私の仕事に「書く」という行為は常に含まれている。

どの仕事も一番のメインの仕事は「書く」ことじゃない。

しかもマニュアルを作っても「書く」ということは多分含まれないか、又はざっくり一言「記録する」で終わりだろう。

特に人と密に関わる仕事だった時は、毎日その相手とどう関わったかを手書きで記録することが業務の中に含まれていた。

私が見た視点でひたすら記録する、そういうことが普通に仕事に含まれていた。

そしてどういうわけか私は、それらの仕事の最後の時は、寝る間も惜しんでひたすら全員に手紙を書いた。

1回あたり30通を超える。

それでも全力で書き連ねた。

何か伝えたいことを言葉にした。

どの手紙も一期一会の手紙で、気付けばそれ以降にその人たちに一度も手紙を書いていない。

今生で会うのは最後というのが予想できる人たちばっかりだったから、私はありがとうの手紙やその個人個人とのエピソードで心温まったものを書いていた。

 

それ以外にも、私には早くから「書く」という機会が与えられていた。

まだ今ほどにSNSも発達しておらずそもそも「ブログ」なんていう言葉がないような頃、私は友達からmixiに招待してもらった。

そこでもたくさん書いた。

mixiが何かも知らずに始めて、私はそこで初めてブログ的なことをネット上で始めた。

そしてさらにその前に、私は日本の福祉の現場で働いていて福祉の個人サイトを開設している人から、アメリカの福祉の現状をレポートで書いて欲しいと頼まれて5回程文章を書いてメールで送ったことがある。

そのまま私の書いたものをその人のサイトでアップしてもらっていた。

もうそのサイトは今は閉鎖されていて、当時の自分の文章が見れないのはとても残念に思うけれど、その時も普通に「書く」ことを見ず知らずの他人から依頼されていた。

またこれは30代になってからのこと。

仕事の自主的な勉強会で、なぜか何人も参加者がいるのに、講師を務めた上司は私に「武士俣書記をしろ」と勝手に決めてノートを押し付けてきたことがあった。

全然苦じゃないから良かったけれど、どういうわけか勉強会に最後まで参加したのは私だけで、そして最後の時にそのノートをどうしたらいいかと聞いたら「武士俣、おまえの好きにしろ、そのままやるから」と言われた。

そのノートは生涯を通じて私の生きるヒントになるようなことがたくさん書いてあるから、私はそれも今の仮住まいに持ってきている。

 

気付けば「書く」ということがいつも身近にあって、自分でも気付かないうちに自然とペンと紙を持っている。

今の仕事は貴重品と携帯さえ持って行けばいいような職場だけど、私はノートを数冊毎日持ち込んでいる。

昼休みに何か書きたくなったりしたら困るから、という私にしかわからないような理由で持って行っている。

それぐらい私には違和感のない「書く」という行為になっている。

 

10年前、ばばちゃん(祖母)が亡くなった時。

地球の裏側から日本に帰国するその時も、私はとっさに日記帳を小さなスーツケースに入れた。

行きも帰りも飛行機の中で私は日記を書いた。

私はちょっとした日帰りの旅でも、数泊宿泊が伴う旅でも、絶対に日記帳を持ち歩く。

なんなら、私のかばんを選ぶ1つの基準が、日記帳が入るかどうかだったりもする。

それぐらい、貴重品と並んで私にとっての大切な持ち物になっている。

私は携帯を家に忘れても取りには戻らないけれど、書くためのノート類を忘れると家に取りに戻る。

それぐらい「書くもの」は私の中の貴重品というか必須アイテムになっている。

 

話は戻って、最初に書いた誕生日日記の「史」の字のところに繋がるのだけれど。

私にとって「書くこと」は当たり前で、私はしないからわからないけれど、多分毎日ストレッチや運動をする人が普通に毎日するような感覚に近いと思う。

そんな私が、2016年の夏から2017年の9月前後まで、書くことをほぼほぼ止めた。

理由は特になかった。

表面上は、ネットがない環境だからブログをアップしない、という感じだったけれど、実際はそれ以外の理由もあったと思う。

なんとなく書かなかった。

全く日々の記録がないのは怖いから、月に一度は気をつけて日記をささっと書く程度だった。

書きたくないのとも違っていて、単に「書かない」という行動に過ぎなかった。

私の中で「書きたくないから書かない」という感覚が明確にあるから、それとは全く別の感じだったことだけはわかる。

 

私の「書く」が再スタートしたのは、ひょんなことからだった。

その時だって「書こう」と思って書くことを始めたんじゃなかった。

もう体の方が先に書くことを始めていて、書くことを止められなかった。

人生で初めて書いた特別な手紙が先だったのか自分の何十ページにも及ぶ日記が先だったのか忘れたけれど、とにかく私は自分の手を使ってひたすら書いた。

ちょっと冷静になった時、「あれ?私書いてる!書くことを始めてる」と気付いた具合だった。

手紙の相手は本当にただただその場に存在しているというタイプの人だったけれど、どういう影響なのか私はその人と出逢ってから書くことを再開した。

本来の自分の姿に戻っていく、そんな風だった。

その人に出逢わなくても書くことは再開したように思うけれど、ただずっと書くことを20年近くやってきてその中で1年以上まるっと書かないみたいな時期があって、その再開のきっかけが今回はその人にあったのは本当だった。

少なくともその人に出逢わなければ、私はこの今年の秋ぐらいに書くことを再開することはなかったかと思う。

そして「書く」ことを自然にしている自分の姿を客観的に捉え始めたそのタイミングで、誕生日日記の「writing one’s own history」をきちんと心で捉えられるようになった。

「史子」の「史」は、父と同じ漢字だとか、「歴史」とかだけではなく、「書く」という意味が入っていること。

そして私は名前の通りに書くことをものすごく自然体でしていたこと。

それも自分では気付かずに、それを生活の一部として普通にずっとやってきていた。

しかもプライベートだけではなく、仕事でもなぜか「書く」ことをやたらと求められることが多かったのも偶然ではないと思う。

そういうことに気付いたから、私は今自分の名前の意味をもっと客観的な事実として知りたいと思っている。

それは自分でも気付いていないヒントがあるように思う。

私がこの2ヶ月ほどしている人生の棚卸しと書くこと、そして自分の名前、そういう情報1つ1つが全て繋がっていく、そんな気がしている。

〝Look in thy heart and write"
~なんじの心を見つめなさい、そして書きなさい~
(誕生日日記の裏表紙より)




*氏名に繋がる本との出会い



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