2017年11月26日日曜日

清算

社会人最初の職場の人たちと10年ぶりの再会をした今日。


10年経ったとは思えない、あの頃と何ら変わらない感じで話に花を咲かせた。


本当に良い時間を過ごせた。


当時の同僚だった3人は、私の当時の恋愛についても知っている。


若干遠慮がちに、でも一人が「当時付き合ってた人とどうなりましたか?」と聞いてくれた。


妙齢過ぎてそういう話題を私に振ってはいけない、と暗黙の了解みたいなのが久しぶりの再会とかになるとあるけれど、私はそうやって聞いてもらえた方が気持ちとしてはうれしい。


相手との関係性にもよるけれど、今日集まった人たちは少なくとも興味本位で私に聞いているんじゃなくて、私に対して純粋に「元気だった?」と聞くのと同じレベルで聞いてくれるのがわかるから、だから答えるのは全然嫌じゃなかった。


自分から話すようなことじゃないけれど、聞かれてもそのまま答えればいいだけだから。


むしろ遠慮していることだけ感じて聞かれない方がむしろ気を遣わせたことがわかって、私の方もばつが悪くなる。


一瞬頭の中でどう答えようかと言葉を選んでいる自分に気付いた。


時間にして1秒とかだと思う。


基本的に私はいつも聞かれたら即答するから言葉を選ぶなんていうことはしない。


だけど、その時だけはどういう言葉が一番いいのか懸命に言葉を選んでいた。


そして私の口から出たのは
「清算しました」
だった。


別れました、終わりました、別々の道になりました…、他にもいくらでも表現方法はあっただろうに、私の口からぽろっと出てきたのは「清算しました」だった。


自分でもその言葉を選んでいることに驚き、「でも『関係を清算する』っていうのとは違うんだよね」と思っていた。


なんとなく「清い」という言葉がぴんときたのと「清算」がそのまま出てきた。


そして今さっき「清算」を調べた。


goo辞書によると、清算は「これまでの関係・事柄に結末をつけること」と出た。


あぁぴったりだと感じた。


「これまでの関係に結末をつけること」まさにその通りだった。


先に言えば、具体的にいつかとははっきり言えないけれど、結論はとっくの昔に出ていた。


関係の白黒の結論がはっきり出るのと、それに対して自分の気持ちの結末を迎えるのとは全く別の事柄だと思う。


もう何年もずっと時は止まっていた。


日常生活にどんなにたくさんの変化が起きて、自分の周りにいる人たちが変わって、ありとあらゆる現実が変わっても、私の中ではずっとずっと止まったままだった。


気持ちがまだあるとかないとか、そんな次元の話ではなかった。


執着してるとかいうのともこれまた違う風だった。


もう言葉でなんて表すことのできない色んな気持ちがいつも自分の中にあった。


その相手との未来について、期待はゼロに何年か前になったし、そういう意味で自分も次に進もうと思ったことも何回もあった。


ようやく前を向けそうと思えるようになったのが多分今から4年ぐらい前。


2~3年前に、次にいい人に出逢えたらその人との未来を考えたい、と思えるようになった。


だけど、その時もまだまだずっとそれ以上の人なんていないとものすごく強く思っている自分がいるのも本当だった。


去年あたりから、その人がいなくても生きていけること、その人がいない人生でも私はこの10年近い間でしあわせになれることを知った。


今年の私の誕生日の日。


私はその人と出逢ってから初めて朝から泣いた。


私にとってもその人が特別であるように、その人にとっても私が特別だということをはっきりと知った。


それは表面上の関係がどうだとかそんなの関係なくて、生きているうちはお互いの誕生日はもう1人にとって特別であること、それがはっきりとわかった。


その人を追い求めたりしなくても、心の片隅にでも私はいるということが本当の本当にわかったから、それで私の中でようやく腑に落ちるものがあって、それで十分と思えた。


それからまた何ヶ月かしてその人の今年の誕生日を迎えた。


私はびっくりした。


今年も一人で小さくお祝いをした。


日記帳も開いた。


書いた。


書いたけど、もうその時には私の心はここにあらずだった。


もっと別のことで頭はいっぱいになってた。


私は自分で自分の頭の中を意図的に切り替えないと、その日記帳を書き進められないぐらいだった。


「これまでの関係に結末をつける」それが自分でも知らないうちに自然になされていた。


そしてそれから1ヶ月ぐらいした時にひまわりを見て、とても穏やかな気持ちでひまわりを眺めている自分がいた。


これから先の人生だって、ひまわりを見れば色んなことを思い出す。


他の何かを見てもひまわりと似た現象は起きると思う。


でもそれに対して私は、思いの形が変わろうが自分の生き方が変わろうが、自分の中で大切だった過去は大切なままだし、相手からもらったものすべては私の中の一生の宝物として心にそっといつもしまっておけばいい、そんな風に無理なく何なら笑顔つけてぐらいの感じで思えた。


本当にうんとうんと時間はかかったけれど、そう思えるようになった。


だから当時を知る人たちから聞かれた時に、なぜかとっさに出た言葉が「清算しました」だったことにすごく納得できる。


「これまでの関係に結末をつける」ということを自分の中でできたから、だから別れましたや終わりましたじゃない言葉、その時は「清算」の意味なんてわかっていなかったけれど、でもより相応しそうな言葉が「清算」だった。


~relative story~
奇跡の再会


予感

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