コーチングの個人セッションを受けていた時のコーチに数ヶ月ぶりに会った。
内容が盛り沢山ですごく楽しかったのはもちろんのこと、
コーチの当時の気遣いに改めて感謝した。
本当の本当に感謝した。
2010年~2012年にかけて2年弱個人セッションを毎月受けていた。
自分の気持ちを整えたり、吐きだしたり、または全然関係ない話をしていたのに、
いつも気付くと目の前にあった問題がいつの間にか解決していた。
どんなマジックかと毎回不思議でならなかった。
コーチのことは当時からものすごく信頼していた。
それでも、2年弱受けた中で、わたしが唯一避けて取り扱わないテーマがあった。
ものすごく意図的に避けてはいたけれど、とにかく一言も触れられなかった。
今だからわかるけど、強烈過ぎて触れられなかった。
過去の痛みをもう一度えぐり返すなんてできなかった。
それがその当時の色んな問題とも繋がっているとは薄々勘付いてはいたけれど、
もうそれでもいいから触れたくないぐらいのものだった。
それをほじくり返して話そうとは一度も思わなかったし、結局最後まで触れずに終わった。
今日会った時に、コーチから当時「あ、ぶっしーの中の大切な軸はこの中にある」
とわかった瞬間の話を聞かせてくれた。
それはわたしが一度も触れなかったテーマ、ずばりそのものだった。
あぁ気付いていたんだとわかったのと同時に、そこに一度も土足で踏み込むことなく、
いつもそっとしておいてくれたことに心から感謝した。
あれから2年3年と経過して、わたしの中で触れてこなかったものが少しずつ出せるようになった。
今は個人セッションは受けてないけれど、自分の中でそれを出してそこに自分で寄り添えるように
なってきた。
なんだろう、何でも話して何でも解決すればいいというものじゃない。
心の準備がある。
その心の準備期間を黙って見守る、それも気付いていても黙り通す、
そんな風にしてくれてたとは、今日の今日まで知らずにいた。
このコーチからは本当に色んなことを学んだ。
個人の人が抱えているものは、本人が口にしない限りわかり得ない。
仮に口にしたとしても、それがどの程度のものなのか、それは計り知れない。
その線引きのラインをコーチの方から超えてくることは一度もなかった。
そっとしておく、というのは存外難しい。
特に、気付いていてそれでも相手をそっとしておくというのは、ついつい余計なお節介を焼きたく
なる間柄であればあるほど、難しい。
そっとしておく、というのはある意味最大の心配りかもしれないと思う。
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